二章十一項 アルノ
ソイエンはよろめきながら立ち上がった。
「“陰迷”」
ソイエンは掌を上向きにして、胸の前で重ね合わせた。
その途端に、体の像がボヤけ徐々に透けてゆく。陽炎が靡いてゆくように大きく歪み、姿が消えた。
「ソ、ソイエン……!」
え……?
「……頑張って」
声だけが聞こえた。助けてくれないのかよ! 嘘でしょ!?
もう足の感覚もない。腕が……腹筋が限界になって来てる。僕をこのままにして、まさか一人で逃げるつもりじゃ……。
はあ~これヤバ……。
「その魔術……姿を消す魔術か。裏切られたな……姿を消すことが出来るとは、なかなか優秀な魔術師だが、やはり品性は問えまい。所詮は、その程度の人間性なのだ」
ケイスは鼻で笑った。
「しかし、その台座の上から逃げることは出来ない。姿を消したところでな」
確かにな……。
ソイエンが僕を出し抜いたと考えるのはまだ早いが、この台座を茨が再び取り囲んでいる。
姿を消して、どうするつもりなんだろう。
「このまま、貴殿が潰れるまで待たせてもらう」
なんでだ?
ケイスには、これ以上攻撃する術がないのか?
「お察しの通り、私の魔術は元来、攻撃的な力を持ち合わせていない。自衛のための魔術なのでな。しかし、貴殿はほぼ詰みだ。私はただ待てばいい」
なるほど、ヤツの弱点は分かってきた。
かなり広い効果範囲をもつ“ガラスを操る魔術”だが、エーテルの消費は軽視出来ないくらいにはあるのだろう。
事実、この刑場すべて埋め尽くすほどには茨は無く、台座を取り囲むように茨のフィールドを円形に作っている。
そして、おそらくは“伸ばした棘で突く”みたいに能動的に人間を貫くような操作は出来ない。
あくまで“砂をガラスに作り変える高燃費の魔術”なのだ。
だから、僕の上にもう一つ同じ物を落とせば良いはずなのに、ケイスの魔術力の制約によって出来ないのだろう。
こうなればまた、我慢比べか。
ならば、ここは耐えるしかない! ソイエンに考えがあるようだから、託すしかない。
もう頭にも血が上ってるし、僕には考えが思いつくだけの余力も残っておらん!
だから、ソイエンを待つ。
大切なのは、呼吸だ!
「ふぅ~!」
忍耐の呼吸だ! 呼吸によって、自らの力を最大化する!
人間は二酸化炭素の蓄積によってパフォーマンスに影響がある。
つまり、効率的に二酸化炭素を排出することが出来れば、脳や身体能力の機能性を維持しやすいはずだ!
だがしかし……! やはり重いものは重い!
気を抜いたら、一瞬で意識を失うだろう。恐らく、潰れてもこの位置なら圧死するほどではないかも知れない。
しかし、まだまだだ!
これもまたトレーニング。姿勢を固定することによって、静的に筋肉に負荷をかけるアイソメトリックトレーニングだ!
アイソメトリックトレーニングは基本的に筋力を向上させるといわれている。筋肥大の効果は著しくないが、関節などの負担が少ないため、ご老人などにオススメしやすいトレーニングだ。プランクなどが有名だろう。
今の僕にはそれでいい! ただ耐えるのみ!
「む……?」
ケイスは何かに気づいた。
「まさか……茨を越えて逃げるつもりか」
よくよく見ると、茨が直線状に赤く染まり始めていた。一度、茨は解除された為、僕の血ではない。
真っ白の棘に、真っ赤な血が滴り落ちる。
徐々に徐々に、茨の端まで血の痕跡が延びていた。
「ソイエン……」
「愚かな……そうまでして助かりたいか。衛兵……囚人が茨から抜けたとしても血痕と足跡がつく。よく観察し、捕らえて処刑せよ」
茨の領域の外側で待機していた守衛の三人は、慌ててソイエンの行き着くであろう場所に走り寄った。
「……!? あれ?!」
「どうした」
「居ません……どこにも、足跡のような物は……」
守衛は手に持っていた長いその武器を前に突き出しながら、ソイエンを探るように振り回した。
「なに……? 地面に伏せているのではないのか?」
「いえ……どこにもそれらしき感触はありません」
一体どういうことだ……。
つまりソイエンは、茨の中に留まっているということになる。
しかし、であれば出血によって、痕跡が増えてゆくはず。
「ハハッ……」
仏頂面のケイスが声を上げて笑った。
「下らぬ小細工だ……。そういうことか。恐らく、まだ台座の上に居るのだな?」
え……?
「血の痕跡など、手で血を飛ばせばいくらでもつけることが出来る。私に“台座から逃げた”と誤認させることによって、魔術を一度、解除させるつもりだったのだろう」
ケイスの推理はかなり筋が通ってる。僕の足の出血から血を得ることが出来るし、態々姿を消して、危険なこの場所にあえて留まるということは、普通は考えない。
しかし、間違っている。
そのケイスの予想は間違っている。ソイエンはここに居ない。
居るならば、僕が気配で分かる。ソイエンは音を消す魔術は使えないからだ。
しかし、そんなことよりも、もう……限界が……。
「はい、残念……。正解はここだよ」
ソイエンは、すでにケイスの横に立っていた。




