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二章十項 アルノ


「あっ!」


 守衛の男が、落ちる。

 瞬間、ガラスの茨は一斉に溶けるように形が崩れた。

 一瞬で白い砂塵となる。守衛の男は砂埃に飲まれつつ、柔らかい砂地に落下した。


 そうか。

 いくら冷酷なケイスといえど、その身分は役人だけあって、身内から負傷者を出すのは避けたいだろう。

 油断した守衛を茨に突き落としてしまえば、ケイスは魔術を解かなければならない。

 茨の魔術の解除がすぐに出来なかったらと思うと賭けではあったが、ゆとりがないソイエンが機転を利かせたのは、やはりそれだけ強かな娘と言うことだろう。


 道は再びまっさらに拓けた。


「よっしゃ!」


 これで前に進める!

 歩けるぞ!


「……無駄なことを。抵抗はなんの益にもならぬというのに」


 ケイスの魔術の僅かな欠点も一つ分かった。

 白いガラスの茨を作り出す時は、ケイス自身が望む規模や範囲で茨を構築できるが、消す時は全てを一気に消さなければならないということだ。

 

 やっとのことで、処刑台に辿り着く。

 落ちた守衛を助けるその仲間たちを尻目に、なんとか腕の力でソイエンの繋がれている台座まで登った。


「……ソイエン! 大丈夫か」


 いや……、大丈夫なはずもないな。すでに弱り始めていて、グッタリしていた。

 首に食い込む謎のチョーカーを触ってみる。

 触った感じ、どうやら呼吸や血流を阻害するものではないらしい。しかし、皮膚にほぼ同化していて、取ることが出来ない。


「なんなんだ、これは」

「エマージュだ。原始の魔導具とも言われている。魔術師の創気エラレスを取り付けた者に強制することが出来る」

「どいうことだ……?」

「人の活動には空気が必要であり、呼吸によって取りすぎた空気は排出される。同じように魔術にはエーテルが必要だが、エーテルは体に貯蓄すると有害であるため、律動壁の働きによって排出される。その排出が出来ずに、許容以上にエーテル漬けにされた場合、人は死に至る」


 態々説明してくれるとはな。

 呼吸というのは、酸素が体の中のブドウ糖などと結合しエネルギーを生み出して二酸化炭素になる、好気性代謝だと言うのは知らないらしいが、しかし例え話としては分かりやすい。大体のニュアンス的には分かった。


 魔術の律動壁というのが、身体における恒常性維持ホメオスタシス的なものらしい。

 奇しくも、ソイエンはロネリアにやった様な加害行為を自分に返される羽目になったわけか……。


「その娘を助ける手段があると思いきや、ただ熱情に突き動かされたのみか。互いに、無駄な労力を使ったな」

「いや、そうでもない」


 全くの無策でここに来てる訳がない。武器はないが、準備した道具は一つだけある。

 これから対峙するであろう相手は人間であろうと、魔人であろうと、魔術師である可能性は高い。

 だからこそ有効な“物質”がある。


「……? それは……水銀か……」

「そうさ。魔術と同じ原理で動くものなら、これで止められる」 


 持っていた小瓶の蓋をあけ、ソイエンの首を締め付けるエマージュとかいう物にかけた。


「あ! いいぞ……!」


 首に同化しかけていた魔導具は外れ、あっという間にボロボロと鱗のように分離して崩れた。

 良かった……!

 対魔術への物質としては、最高だな。僕も秦の始皇帝と同じくらい水銀が好きになりそうだ。


 ソイエンは仰向けに転がった。 


「ハァ……ハァ……」


 顔は紅潮し、汗まみれ、首の傷はなかなか痛ましい。だが、取り敢えず命の猶予は出来たな。


「貴殿は意外と、知恵があるな」


 ケイスは見下しながらも、褒めてくれた。

 実際の所、水銀の準備はイシエスさんの計画に入っているから、全く僕の功績ではない。

 なんでも、魔術師は伝統的に魔術と相性の悪い水銀を忌避してきた歴史があって、禁忌となってしまったからこそ対策されてないということらしい。


「健気ではあるが、やはり無駄だな。もう私の手で処分するしか無いようだ。覚悟してもらおう」


 ケイスはこちらに向かって、伏せた掌で静かに指してきた。

 それはさながら、上位者として下天の愚者を罰するがごとく。

 仏像の降魔印かのようなその挙措が、彼の魔術発動の動作らしい。


 たちまち、木のように大きな茨の束が、台座の周りを取り囲むようにいくつも立ち上がる。

 巻き上げられたシリカの砂は、その柱に虫が這うように上に吸われ、登り詰めた先で一体となった。

 音で空気が振動し、その重厚感が肌で感じられた。

 それらは台座の真上で絡み合って結合し、さながら鳥籠の様だった。


 ボコンと音を立て、上部の塊が切り離される。こちらに茨の塊となった屋根が落下して来た。


「あ、やべえっ!!」


 ソイエンは繋がれていて未だ動けない。

 やべえぞ、これは。なんとかするしか無い!


「あいッ!!」


 体全てに衝撃がのしかかって来る。

 全身の骨が、腱が、バチバチと鳴った。意思など関係なく体が沈み込む。


 いぎ……! こりゃ痛えぇ!

 い、意識が……意識が飛ぶ!

 痛えし、重え……。衝撃で圧死しなかっただけ奇跡だ。どうなってんだこれ!

 潰れちまいそうだ……。これ、スカスカに隙間があるけど百七十キログラム近くはありそうだ。

 投げ飛ばしたくても、背中や腕に茨の棘がぶっ刺さってるから、下ろすことさえ出来そうにない。


「これはい、いかん……ソイエン! ソイエン、頼む今すぐここからなんとか逃げてくれ」

「……ハァ……ハァ。なんで……こんな私のために」


 なんだよ、喋れたのかよ!

 そんなこと疑問に思ってる場合じゃないんだけれども。


「私……あなたを殺そうとしたんだよ……」

「殺そうとするぐらい些細なことだ! 気にするな」

「私……私……」


 まだ意識が明瞭じゃないのか?!

 しかし、こっちももうヤバそうだ……、マッチョならともかく、僕はまだまともにトレーニングを始めてさえいないというのにっ!


「聞けソイエン……マッチョの語源はラテン語で“男らしい”とか“勇気”とかってそんな感じの意味だ。君の嘆きを聞いたから、助ける。それがマッチョだから!」

「意味……わかんない」


 意味分かる! 確かにまだまだマッチョではないけれども。

 なんでもいいから早くしてくれ。


 脚の負傷は全く治ってないし。

 上体もヤバいが、脚がヘタって来ている。

 しかし、下ろすに下ろせない。地球を担ぎ続けているというギリシャの神様のアトラスみたいになってる。

 予期せずして、仰向けに寝転ぶソイエンと見つめ合うような体制になってしまった。


「よく……分かんないけど……。巻き込んで……ごめんね。でも、あり――……」


 ソイエンは突然口を噤んだ。自分らしくもないと思ったのだろう。

 巻き込まれてなんていない。ヘルフェがミエフ爺さんを評したように、言うなれば僕が自分から沈没する船に乗り込んだというだけだ。


 でも、とにかくもうそれどころじゃない。

 後ろにこのシリカの塊をすぐ投げ飛ばせれば良かったが、肩周りの骨と棘が噛み合ってしまったがためにそれが出来ない。


「ソイエン、生きよう……誰かに否定されたとしても。罪をあがなって生きよう」

「……こんな状態で言う言葉なの?」

「なんとかするさ。でも、出来ればこの塊を下ろすのを手伝ってほしい」

「分かった」


 ソイエンは、意識がハッキリしてきたらしい。まだ具合は万全では無いだろうが、徐々に生気が戻ってきている。 


「ここだけ……なんとかする。あなたのお陰で……作れたから」


 ガシャンと、音を立て、ソイエンは体を起こした。自らの手枷を一瞬で解錠する。

 ……そうか! “砂の鍵”だ!

 僕の体にへばりついた砂から、魔術で鍵を作っていたのだ。


「あなたをここから逃がす……私が」






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