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二章七項 アルノ


 馬車の扉に手をかざす。

 流石に緊張するな。

 これが失敗に終わったら悲惨だし、イシエスさんやネオンに怒られるどころでは済まないかもな。

 果たして僕がやろうとしてることって、正解なのだろうか。考えると、よく分からなくなってきた。

 でも、ただ一つ分かることは、他に後悔しない方法がない。これは僕自身の納得のためにやることだ。


 意を決して、後部の扉を開いた。


 降り立つ。

 あいも変わらず鈍色の曇天。立ち込める皮革や土っぽい臭い。春の朗らかさが、冬の風のどこかに隠れている。

 まさに人混みの真っ只中だった。


 多くの人が、刑場に入るため入り口に向かって待っている。

 意外と……問題にならないのか?

 そう思った拍子、近くのおじさんが、ちらりと横目で僕を一瞥した。


「あ! あっ……わ……! だっ――」


 態度が急変する。

 驚きのあまり、言葉を失っていた。

 おじさんは、大口を開けながら、腰を折って後ろに退いた。

 近くの婦人が退いたおじさんに体を当てられ、こちらを振り向く。


 僕と、目が合った。


「ひゃあ!!」


 婦人の短い悲鳴は、辺りの人間への警鐘となった。

 気付かれた。

 当たり前だが、僕のこの姿は体を覆うようなローブを纏っていたとしても、異様そのものなのだろう。


「――あ、ま、魔人。魔人、魔人……魔人!!」


 冷静を装った男性が、抑えめの声で僕の存在を知らしめながら真っ先に逃げ始める。

 一人、二人とその場から逃げる者が続いて、それに促されるように、みなその場を離れ始める。

 積み上がったドミノが加速的に零れ落ちてゆくように、誰かの悲鳴が引き金となって、怒涛の勢いで人が逃げ始めた。


 まさに震天動地。

 パニックが、波紋のように人々に広がってゆく。

 人々は一斉に、逃げ場のない場所へ逃げだした。他人を押しのけて、突き飛ばす者さえいる。逃げ場のない人が、逃げ場のない人をなぎ倒している。

 民衆はヒステリーの大波と化した。大袈裟な悲鳴が、すべての音を打ち消す。


「あれ……? ちょっ、えっと……」


 ……これ、ヤバいな。まさかここまでとは。  

 恐怖で立ちすくむ子供が、人々の雪崩に取り込まれて姿を消す。

 僕の姿を認知できる近場の人が真っ先に逃げ出そうとするから、人の壁同士が潰し合いを始めている。


「おい……ま、まってくれ!!」


 聞く耳を持ってもらえるはずもないか。

 考えが、浅かった。僕の姿なら、目立ってむしろ好都合かも知れないだなんて、甘かった。


 マゼスはそれだけの暴虐だった。

 市民が魔人を目にして、冷静でいられるはずがない。ネオンが正しかったのだ。

 しかし、こうまで反応が激烈だとは予想出来なかったな……。

 今ここに到るまで、この僕の姿を見てパニックになる人間と対面した経験は、エトルとヘルフェぐらいだった。それはつまり、僕が関わった人達がただ強い自律心と理性を持っていただけという話なんだな……。


 魔人なんだ、僕。

 とにかく今は、この場を鎮めなければいけない。


「僕は手を出すつもりはない。ただ……立ち去れ!」


 無意味か……!

 パニックは依然として変わりない。魔人の言葉など、誰も聞く耳を持っていない。


 しょうがない。

 恐怖というのは理屈じゃないよな。


 もういいや。

 こうなれば、僕が収められるもんじゃない。もうどうにかしようなんて考えないで、被害が増してゆく前に、とっとと刑場に入るしかないかもな。


「どけ! どいてくれ!」


 群衆が真っ二つに割れるように、道が空く。守衛ですら恐れおののいて、道を譲ってくれた。 


「はあ……やってしまった」


 物事を都合良く捉えすぎて、下手を打ったものだ。せめて、顔ぐらい隠せば違ったかも知れないのに。

 生き返らせて貰ってから、なんだかんだで悪運は良いから、自分のツキを過信してしまったかもしれない。


 勝手なようだが、死人が出ていないことを祈ろう。死刑囚を助けるために、死人を出すなんてのは、愚行でしかないな。



 




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