二章六項 アルノ
垣間見た空は、未だ曇天であった。
雲の上の太陽が中天にあるであろうタイミングで、地上に呼び出された。
出発の時は来た。
地下から出て、談笑する間もなく馬車に乗り、町中を征く。
決死隊とさえ言えるような旅をこれからするというのに、なんだか何もかも唐突のようで、事務的なようで……さらりと物事が進む。
でも、隠密行動だからそういうもんなのかも。
ほとんど町中を歩き回る機会も無かったし、もうちょっと文化を感じる時間があったら嬉しかったが……致し方ない。
物見遊山が特別に好きということでもないけど、やはり新たな文化についての知見を増やす機会は無駄にしたくないという心残りはある。折角のこの大都市で、拘束されたり、地下ぐらしだったりで、人々の暮らしを見ることが出来なかったのが少しだけ残念だな。
もしいつの日か平和が実現出来たなら、それこそ胸を張って歩くことができる。
その時まで、観光はとっておくのも良いのかも知れない。
馬車は三台あって、それぞれに荷物や人員が割り振られてる。
馬は一台に二頭で、荷台部分はかなりの重量だろう。
僕はハイロという上肢が鍛え込まれたガタイの良い傭兵と、その部下のラルサスという若い青年が同乗者だ。
ハイロはたぶんダンベルプレスでも七十キロぐらいはいけそうな腕っぷしで、良い上肢の筋肉を持っている。
身体全体の筋肉を維持できるほどの食事や筋トレ負荷の実現は難しいとしても、特定の部分に絞り込んで鍛え込めば維持が可能というのもあるだろう。
ボディビルは審美の競技であるから、身体全体のバランスや体脂肪の少なさを重視されるが、一方でハイロの筋肉は、仕事人としての“機能美”の良さがある。
仕事に適した筋肉をつけるには、仕事をすること、なんて言われたりもするしな。
ラルサスは今のところの印象としては、灰汁や淀みのない闊達で頭の良い好青年という感じだ。
二人は僕という魔人を見ても取り乱したりせず、むしろ関心を向けてきた。
「あんた、アルノって言ったっけ? 聞いた時は、驚いたよ。こうなる前の記憶があるんだっけ? 復活する前は何やってたんだ?」
「もっぱら、体を鍛えてた。幸運なことに、それにまつわることで少しお金を得ていたから、本当にそればっかりだったな」
「戦士だったのかい?」
「いやいや……そういうわけではない。実質的には、ただの趣味だ」
「ふ~ん……」
「あなたも随分、鍛えているみたいだな。そこまでなるのに、相当な鍛錬が必要なはずだ」
「戦うことに必要なら、ある程度は持っておきたい強さもあるからな。でも、あんたと同じでほぼ趣味だよ。安心のための願掛けみたいなもんさ」
願掛けでそこまで腕は太くならんだろう。
「隊長は弓手の一族の出なんだよ」
「それは興味深いな。弓手も、そこまで力が必要なんだ」
「そりゃ、百五十歩ぐらいまでならほぼ確実に獲物を射抜けるぐらいだから。強い弓を使えるようにしないと」
「そりゃ凄い」
補足してくれたラルサスは鼻が高いようで、満足げだった。
でも、傭兵っていうもんだから鉄腕ゲッツみたいな誘拐とかも平然と行うような荒くれ者である可能性もあったが、現時点ではそういう風には見えない。
偏見ではあったが、普通にまともに会話出来るようでホッとしてしまう。
「そう言えば、弓は持ってきてないの?」
「まあな。前回の仕事やらかして終わった時、捨てちまった。弓を射ること自体は、好きだが……何と言うか」
「己を縛る呪いともなってしまう。そういうことか」
「ああ」
イシエスさんの言っていた、食えない誇りか……。
嘘か誠か、戦場では武芸に秀でた者は死傷率が高い、なんて伝説もある。
誇りが……それまで総てを賭けてきた矜持が、己を縛り付ける。
『やり直すには遅すぎる』。嘯く蛇と化した自分こそが、呪いの主になる。
捨てることが出来れば、それも大きな勇気だろう。
「長年鍛えてると、関節が痛くなるが……。腕や肩に痛みはないのかい?」
「あるけど、とやかく言ってもしょうが無いし、戦いで死ななかったって証かもな」
それもそうか。
それからというもの、ポツリポツリと、気まずい雑談が続いた。
もっと聞くべきこととか、考えることもある気もするけど、いざ始まってしまえば、大切なことはなにも思い浮かばず、ただ馬車に揺られる以外にすることもない。
この馬車、乗合馬車のように屋根と壁付きで部屋になっていて、外から見えず広いのはいいけど、ただ大きな欠点があって、凄い揺れる。
舗装されている町中の道で、すでに尻が痛くなり始めている。
車輪の振動がそのまま伝わってきて、寝るとかはまず無理だ。
恐らくこの馬車には、懸架やバネのような揺れを緩衝できる装置がない……。タイヤも空気圧とかで膨らむタイプじゃない。
その工夫がないだけで、こんなにも乗り心地が悪いもんだとはな……。
驚くことに、同乗者たちは平然としていて、僕だけ内臓に変調をきたしている。
なんか、もう調子が良くないな。
息をしないと……!
「ハァ……ハァ……」
気持ち悪……。
早速、酔ってしまった。馬車の細長い隙間から外を眺めていると、人集りがあった。
進路を阻まれてしまったらしい。
馬車の進みが遅くなり、立ち往生してしまったらしく、振動も全く無くなる。
「隊長。どうも進めねえ。おら! そこのお前、どけよ! 迂回するしかねえな」
群衆に突っ込んで呑まれてしまったことに苛ついた御者の傭兵が、大声で報告してきた。
「……なんの人混みだろう?」
「あ〜……あれかもね。あの建物、刑場だ。処刑があるってんで、見物するために集まってるんだよ」
ラルサスが、僕の横から外を覗き見て、教えてくれる。
「処刑……?」
「ああ、そういやそんなのもあったな。さっき酒店のジジイから聞いた噂じゃ、人間でありながら魔人襲撃を手引きしたとかで関与してたやつって話だな」
魔人襲撃に関与したヤツ?
つまり、あのチロルとリサルスのどっちかって可能性が高いわけか。
でも、そんな簡単に捕まってしまったのか。
「その噂は確かなのか?」
「酒屋は聖教の夕刊を売ることもあるから、エガニオン宮っていう聖教、職人、酒造を統括する部署と関係が深い。少なくとも根拠はあるんじゃない?」
そういうもんなのか。
ラルサスは、いい補足してくれるな。
「十六ぐらいのガキだとかって言ってたぜ」
「……十六歳か。本当かな」
「なんか引っ掛かんのかい?」
「いや、実は僕はあの魔人が暴れていたまさにその場所に居たんだが、その時、事件に関与してるらしい人間にも遭遇したんだよ。でも十六歳とか、流石にそこまで若そうな感じの人じゃ無かったから」
「ふ~ん。よく切り抜けたな。しかし、必ずしも協力者があんたが遭遇したソイツらだけだったわけじゃないだろ」
「そうだとしても、妙じゃないか? 協力者が居るとすれば、少なくとも何人関わってるか確証がないってことだし、このタイミングで死刑ってのが変だ。たった一日で事件にまつわる情報や犯行の仲間を聞き出して、調べきるのは不可能だろう。自白があったとしても、証言内容の精査や照合をする必要だってあるはずだ。少なくとも魔人襲撃に関与してて捕まったなら、二日は経ってないのに調査をほっぽり出して、もう処刑ってのはおかしい」
それとも、魔術を駆使すれば刑事ドラマみたいなプロセスがなくとも、あっという間に捜査が出来てしまうのか……でも、やはり証拠は必要なように思えるし、二日ないくらいの猶予というのはあまりにも短すぎる。
僕の返答に対して、ハイロは寝っ転がりながら少し考え、徐に口を開いた。
「ま、この早すぎる対応ならつまるところ、そういうことかもな。たぶん魔人なんて全く関係ない罪人に罪をおっ被せて、とりあえずさっさと殺しちまおうってんだろ。なにせ、あれだけ魔人に大暴れされて、『なにも手を打てませんでした』ってのは宮廷の沽券にも関わるとは言えるからな」
「なるほど、宮廷の体面を取り繕いつつ、市民の憎悪を向けさせ誘導するための案山子ってわけですかね」
ラルサスが納得した。
恐らくはそういうことだろうな。
ハイロの話では、“魔人の襲撃を人間が手引きした”という明らかに普通には知り得ないはずの情報が噂として出回っている。
チロル達には広域的に催眠をかける魔術があったし、広場の市民はほぼ死亡している。
一般人は普通には知りようが無いはずだ。
もし仮に全く無関係の第三者が盗み聞き出来たとしても、その“審議不明の噂”で宮廷にアクションさせるまで一日しか時間差がないというのは不自然ではある。
魔人と人間の共謀を知っているのは、つまりイシエスさんや僕と直接話した人間だけのはずだ。
恐らく、サンドラというあの貴婦人が情報を共有し、それを広げられてしまったのだろう。
市民の不安を抑制するより、保身を優先した結果、宮廷関係者が聖教とやらに情報を流した。考えられる範囲内では、それしかないな。
「でも……、それはいくらなんでも酷いな……。 やってもないことなのに未来永劫、虐殺に加担した人間として名が刻まれるわけだろ」
「まあな。結局、偉い奴の面子がすべてなんだよ。しかし、牢屋に軽犯罪者ばかりが収容されていたわけじゃねえんだから、完全な冤罪の人間とも言いきれないんじゃねえの? もともとソイツを重犯罪者として捕まえたんなら、やり方は汚えが多少は罪を脚色しちまうのも分からなくもない」
「あ、ほら」
ラルサスは視力が良いらしく、刑場の入り口にある大きな掲示板の張り紙を指した。
多くの人が読めるように高めの位置にあって、ラルサスなら内容がわかるらしい。
「ネーレ出身。モニモイユ宮所属……下級魔術師……、ソイエンって名前の女の子らしいよ」
はあ?!
え……!? ソイエン?!
それって、あの“フクロウ”だよな……?!
驚いた僕の声に、傭兵の二人とすぐ外の民衆数人が振り向いた。
声が外まで漏れたらしい。
「あんた、知り合いか?」
「まあ、一応そうなる……でも、恐らく罪状は都合良く変えられてるな。ハイロ……だいたいあなたの予想した通りだ」
「ソイエンとかいうソイツは魔人の襲撃には関与してねえけど、それなりにえげつねえことした罪人だってことかい?」
「ああ」
ソイエンが僕に自白していた罪が本当なら、無期懲役か死刑ぐらいにはなるのは妥当かも……。
ソイエンは悪人だ。
悪人なんだけど、でも悲しいな。
僕は彼女の本音を知っているし、境遇の悪さには同情の余地がある。立場的に自分より強い者を攻撃したってのは、ある意味では一貫した信条はあったのかもな。
それにこのままなら比類なき大罪人として、その嘘が事実として後世に伝わるだろう。
「確かに、よく考えればおかしな点もあるね。女王陛下が不在の場合、魔術師の処刑は行えないはずだ。制度的にはね」
「物知りだな。ラルサス」
「聖教の制度はわりとケイオン出身者なら誰でも知ってるし、歴史的には何度もそういう事件があったからね。隊長だって知ってる」
「うん、まあ……そりゃそうだ」
ラルサスの崇拝ともいえる信頼に、ハイロは言葉を濁した。
「……これさ、ちょっと、抗議してみるってのは駄目かな?」
「それは流石に無謀だよ。判決が覆るとも思えないから、無駄でしょ。僕らの目的も目的だし、いきなり寄り道するのもブレすぎだし。それに君は……普通の人じゃないんだ」
「一応聞くが、なんで抗議したいんだ?」
ハイロは、寝そべったまま問いを投げかけてきた。
「納得させられるような理由はないんだ。ただ、彼女の悲しみを聞いてしまったから……。情が移ってしまったというか……」
「なるほどね。駄目で元々。様子みて逃げる前提で、やってみたら良いんじゃねえか? ……と、俺は思うがね」
「マジすか!? 隊長」
「お前の言うことは現状、正解だが。考えてもみろラルサス。山を登ってみりゃ見える世界も変わる。別の地点まで辿りつけりゃ、別の正解があるかも知れんぜ。俺達の最終的な目的はなんだ?」
「だから、それは……リシル様の蘇生と、リンデレイルの奪還って話ですよね」
「だからさ、そこまで行けなけりゃ、結局みんな野垂れ死になわけだし、そこまで行ったら、その愚行も裏返って大きな成果になるかもしれんし」
そうか。
このハイロとかいう男、隊長ならではの広い視野を持っている。
「……なるほど。恩赦か!」
「恩赦……?」
「そ。やることが大きなことだけに、達成出来た暁にゃ、流石に特別な報酬があって然るべきさ。もしそのナンタラっていうガキが本当に冤罪なら、助けた上でその恩赦を狙うしかねえ。恩赦が成立しないような条件じゃねえし、成立した場合、“冤罪でガキを殺す”奴が割を食うって話だろ」
僕の願望もあるからかもしれないが、筋は通ってる気がするな。
「俺達はつまり、仕事の達成によって仮に“公益”をもたらしても、宮廷の暴走をどうにか出来るわけじゃねえ。俺達だって、お役人に意味わかんねえ煮え湯をさんざ飲まされただろ。だから、明確に弱みを握るってのは、難しいけど後々のために活きるかもしれん」
「それが、つまりその死刑囚を助けることだと。なにもこんなタイミングじゃなくても……」
「このタイミング以外にいつあんだよ。どうせ、この遠征は地獄への道なんだ。それならいっそ、馬鹿も阿呆も全員リンデレイルまで引っ張っていきゃ良い」
「まあ、隊長がそこまで後押しすらならいいか」
良いんだ……。
問題提起してそれに執着しないのは、ラルサスの組織の構成員としての卓越した適性かもな。
「まあ、俺の考えは置いておくとしても、助けるつもりなんだろ? アルノさんとやら」
「ああ。君らや皆には、迷惑かけるかも知れないけど」
ハイロという傭兵は、だらりと寝転がったまま、何も言わずににやりと笑った。
「僕が助ける。僕が助けるつもりだ」
「やれやれ。隊長といると、厄介事には事欠かないな。どう考えても、上手くいくとは思えないけどね。一応聞くけど、手伝おうか?」
ラルサスは意外と面倒見は良くて、苦労人気質なのかもな。
「いや、もし僕が完全に下手を打った場合、巻き込むほうがマズイ。リシルの蘇生という作戦があくまで主な目的だと思うし、それを続行出来る人は必要だ」
「今の情勢だと、あんた最強最悪に目立つ。しかし、だからこそ面白くなりそうでもある。面白そうな“祭り”を見れねえのは残念だよ。せいぜい、頑張りな」
「ああ、ありがとう」




