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二章一項 ネオン


「うわ! ドブ踏んじまった」


 なんだこれ。

 うっかり悪臭を放つ液体を踏んだ。ドブだらけじゃないか。なんで下水道があるのにここまで汚いんだか。

 初めて踏み入れたが……貧民街とは、ヒドイ場所だな。

 街路を歩けば、縄張りを主張するように悪臭が入れ替わる。

 獣臭のような腐臭のような……刺すように鋭い臭いで息が出来ん。いかん、体が痒くなってくる。


 あの事件から丸一日ほどは経った。

 そこかしこから聖堂の大事件の話題が耳に入ってくる。

 貧民街は辺境出身者やら人種の異なる人間が多いため、貴族階級や上級魔術師層とは距離感がある。魔人襲撃による被害者は多くは無かったらしい。


「ネオン様。なんとかやっと一人、リヤルが案内出来る者を見つけました。すぐに案内をさせましょうか?」

「わざわざこんな場所に来て、頼まないという選択肢があるのか?」

「ここは犯罪者の巣窟。万が一、あの案内人が不良の集団と示し合わしでもすれば、こちらは三人、危ういですからな。もう一人、案内人を見つけ出すことが出来れば、騙される可能性は低くなります」

「身分が違うとは言え、なんで同じ都市の人間にそこまで品性を問うような真似をしなけりゃならんのだ」

「だから、貴方様は屋敷で待たれたほうが良かったのです」

「もう充分目立ってんだ。堂々としてろよ」

「堂々としてたところで、身を守れなければ意味がありますまい」


 この背が高い初老の執事はこのところ、疑り深く小言が多くていけない。

 歯が抜けた服がズタボロの老人を案内人として伴ってきた下女のリヤルは、静かに佇んでいた。


「ダーチェ。口うるさいな君はまったく」

「もちろんでございます。口うるさくない者は、家政の長を務めることは出来ますまい」

「そんなことないだろう」


 互いになんら益にならぬボヤキの応酬を繰り返しながら、ズタボロの老人の先導で貧民街を歩く。

 貧民街は通称でギキルというらしく、聖女の名を冠している。それなりに広く、ケイオンの五分の一ほどもあるらしい。


 ここに住むのは卑賤の者たちであるが、市民の生活には欠かせない。

 染め物や革鞣し、糞尿の処理、死体の取り扱いなどは割とそれぞれが密接な関係にあるから、誰もやりたがらない仕事も低賃金で引き受けてくれる。

 職人のほか、娼婦やら、浮浪者、浮浪児、そして犯罪まがいの仕事を生業とするはずれ者達がいる。

 すれ違うと、大人はみんな獣のように臭かった。


「旦那、ここでさぁ」


 歯のない浮浪者の老人は、ニヤけながら場末の酒場を指した。

 貧民街であっても、入り口の間取りで税率が変動することは同じで、細長い入り口からみた中は薄暗かった。


「ダーチェ、彼に報酬をやってくれ。おい、受け取ったら失せろ。臭いぞお前」

「ネオン様、失礼ですぞ。いちいちその様なことは言わなくて良いのでは? それに、まず結果を確認せずに報酬を渡しては、この浮浪者の嘘だった時にどうするおつもりです」

「どうもしないよ。というか君も失礼さは大概だし、銀貨十枚くらいでとやかく言うな。今はすべて迅速にだ。悠長にしている時間が無いんだよ」


 ダーチェは不承不承と言うような雰囲気を露わにした。


「声は外まで届くだろうから二人はここで待機してくれ。金銭のやり取りだから、変なやつに嗅ぎつけられないようにしたい。それに三人まとめて包囲されでもしたら、助けも呼べないからな」


 酒場に入ると、僅かに暖かった。

 外よりは臭いもマシだ。

 主人らしき女は、背が低く顔立ちが丸い。別人種の異人だろう。しかし、女主人は清潔感があって、それなりに商売として真面目にやっているらしい。

 内装は木の彫刻で装飾されて、どうやら職能の精霊デルデがモチーフになっている。なるほど、昔はギキルは木工も盛んだったというから、地域性を反映したモチーフなんだな。


 張り紙に書かれた大きく長々とした注意がまず目に入る。

 “ゴミを捨てる者、品切れでごねる者、裸になる者、注文せずに用便しに来る者、宿泊所がわりに滞在する者、噛みタバコや食べかすを床に捨てる者、店員を小間使いする者、失禁する者、嘔吐する者、女を執拗に口説くもの、女を抱く者、無銭飲食、喧嘩を起こす者。二度の注意、あるいは悪質と判断された場合は出禁”と書かれた張り紙がある。


 ここは公共の場だよな?

 そんな品性のないやつが、この世にいるわけない。


 店内を見回すと、多くはないがすでに客がいる。

 飲んだくれが数人いる程度だった。どの男も無精ヒゲを生やしていて、随分汚らしい。


 入り口近くの席ににいるガッチリした男は、身体つきはいい。しかし、どうやら十三歳くらいの女の子に計画性のなさについて説教されて、ただ項垂れていた。

 流石に、うだつの上がらなさそうなこの男では無さそうだ。


 カウンターの近くにいる痩躯の老人は、手酌で酒を注いでいるが、ブルブルと震えて酒をこぼし、卓に口を近付けて吸い取っている。

 流石に、所作がみすぼらしいし、老齢すぎるな。この男では無さそうだ。


 奥の円卓の巨漢は、呼吸をするたびにシューシューと息の音を立て、酒を注ぐのも大儀であり、すでに出来上がっているらしくずいぶん赤ら顔だ。

 流石に、歩くことすら苦労しそうな鈍重なこの男では無さそうだ。

 

 奥まった細い通路の卓には、女性物の服を着飾った男性が、熱心に手鏡を見ていた。

 つばの広い緋色の帽子を被って、金糸のローブを羽織っている。

 流石に、あまりにも女々しい趣味のこの男では無さそうだ。


 一通りみたが、探している噂の人物かは判断出来そうにない。それなりに名の通った人物ではあるはずだが、みな慎ましく飲酒してるのみだ。

 しかし、まだ肩透かしと決まったわけでもない。まずは話を聞いてみるか。


「いらっしゃい。どうなさいました? あの……道にでも迷いました?」

「いいや。商売の邪魔じゃなければ、ちょっといいか? 尋ねたいことがあるんだが。人探しだ」

「ご貴族様が御用になる大層なお方なんて、ここらにいやしないと思いますけどね。一応聞きますけど、名前は?」

「ハイロって人だな。傭兵隊の長だという」

「あ~……」


 若いが肉付きのいい異人種の女主人は、困惑したような顔をした。


「そりゃオラだよ!」


 横から言った男は、丸々とした赤ら顔の巨漢だった。


「あんたが“魔物狩りのハイロ”か?」

「……ああ。いかにも」


 体の大きな男は、答えるときにわかりやすく目が泳いだ。


「証拠はあるか?」

「おいおい! 見ろよこの体つき。屈強、強靭、剛腕」

「分かった。あんたの一団全員を雇いたい。二十人ほどと聞いたが合ってるか? 期間は長期、それなりの金額を前金と報酬で分けて払う。どうだ、やるかい?」

「え? いやいや。待てよ。……随分、急にだな。そりゃ……まずは具体的に聞いてみねえと」

「内容は話せない。ただ、危険が伴う。かなりな。受けるなら前金で一人につき金貨五枚払う。達成したら残りの五枚。仕事が月を跨ぐようなら、追加の報酬も出そう」

「き、金貨五枚!? 傭兵二十人全員に? つまりお前さん……それってえと」

「金貨百枚は、とりあえず前払いってことだよ」


 異人の女店主が、親切にも計算して教えた。

 大きな体の男は目の色が変わって、わなわなと震えた。


「分かった……オラから皆に話をつけとく。で……今、その前金を貰えるのか? 仕事内容も聞きてえな」


 時間がとにかく惜しい状況だから、円滑に物事が進むならこういう男に払うのもいいとは思うが……明らかに欲に目が眩んでいる。流石にちょっと躊躇われるな。


「あのさ、旦那……口を挟むようで悪いけど、この飲んだくれがハイロなわけないだろ。どんな仕事か分かりゃしないけど、置物か盾代わりぐらいにしかならないよ」

「ああ。ご忠言ありがとう。しかし、それでも良いんだ」

「それでもいい?」

「盾になって死ぬくらいの活躍をしてくれるなら、雇うってことさ。例え、ハイロの一団じゃ無かったとしてもね」

「し、死ぬだって……」


 大きな体の男は、目を丸くした。


「だからさ、危険だといったろう」

「ああ……そうだよな。傭兵だものな」


 大きな体の男は、幾ぶんか小さくなったが下卑たニヤけ面で言った。まだ自分のことを傭兵で通せると思っているらしい。

 カウンターで飲んでいた痩躯の老人が、体をこちらに捻って、話に参加した。


「しかしよぉ……、おめぇあの聖堂の事件のゴタゴタ収まらぬうちによぉ。俺が聞く分にゃまだいいが、私兵を持つなんてのは聖教騎士団にしれたらおめぇ……ただじゃ済まねえぞ。近くには征西軍イネリアムの予備隊も駐在してんだからよ。武器なんて見繕うものなら、ソッコーでチクられるだけだぁ」

「なるほど、それもそうか」


 都市内で私兵を持つことも、武器の密造も、現状では違法とはなっている。有名無実の法といった感じで、見過ごされるような地位の人間だけが、暗黙的に許されていると言って良い。

 原則として都市内の大型の武器は国家の所有物という法律があるため、申請されない弓、弩、長柄の刃物、長剣などは違法となる。


「何より、そんな話ここらのクズどもに聞かせてみろ。牛耳ってるミアクラド人の耳までいきゃあよ。たちまち人死がでるぞ」

「その点は心配ないはずだ。ここらへんの地区の()()には、普段から縁が無い訳では無い」


 やれやれ。

 しかし、確かにハイロが厄介な輩との仕事に手を出してたら、流石に雇うわけにもな……。完全な無駄骨だ。

 所構わず利権や忖度すべき依存関係があるのも、人間のややこしい部分だ。


「仕事ってのは、武器なんかが必要になるようなコトなのかい?」

「おめぇよ、武器必要ねぇなら傭兵なんて雇わねえべ? ちょっと考えれ?」


 ちょっとした疑問を投げかけただけの女主人は、痩躯の老人に叱咤されてしまった。

 確かに魔人による虐殺が起きたのが、昨日の今日だしな。心中晴れやかな人間は居ないだろうし、これからより世相が荒れるってのは、みな心の奥底に刻まれただろう。


「でも旦那さぁ、やっぱそういうのはツテを使ってやるもんだよ。あたし達も聞いた手前、しょうがないじゃありませんか。密告されたって、恨まないでおくれよ」

「いや、人を仲介すると時間がかかるんだよな」


 宮廷の仕事も下請けの下請けの下請けみたいなことだらけだから、金の流れがおかしいのは許すにしても、仕事が遅すぎる。

 まあ、しかし女主人の助言はもっともでもある。

 大きな体の男は、あらゆる権力を敵に回すリスクに恐れをなしたのか、何も言わなくなった。

 この計画では、ほぼ確実に魔人を相手にするという過程も考えると、少なくとも権力者や犯罪者に対してビビるようならダメそうだしな。


「結局、ハイロは居るのか、居ないのか? それだけ教えてくれさえすれば良い」

「俺だよ」


 声の主は、入り口で女の子に説教されてた男だった。ボサボサに伸びた髪で汚らしくはあるが、まあ確かに、そうだとしたらこの男しか居ないだろうとは思える。

 正面から見ると、肩がひと目でわかるほど盛りあがっていた。


「今度は本物か?」

「他を当たって欲しいがね。一応、偽物ではねえかもな」

「魔物狩りのハイロ……魔人を殺した男という噂だが」

「噂は噂だ。期待外れだったな。ヘマしてから、おかしなことになった。普通、魔人を殺したらあだ名は“魔物狩り”じゃなくて、“魔人狩り”になるべきだろうが。妙なあだ名つけられちまって迷惑なのは変わらんがな」

「仲間は何人だ?」

「そんなこと聞いてどうなる? 仕事は、受けねえ」


 そこまでハイロと思われる男が言った時、隣にいる女の子に頭を思い切りシバかれた。


「ハイロ! お客様に聞くような口じゃないでしょ!」

「だから、お客様じゃねえんだよ……」

「君の娘か?」

「別に違う」

「ハイロがとんだご無礼を……私、理由あってハイロの面倒を見させてもらってます、アリルと申します」

「アリルか。俺は仮の名だが、とりあえずラウクと呼んでくれ」


 流石に、馬鹿正直に名を名乗るのも不味そうだ。今更かも知れないが、ここでは偽名でも良いだろう。


「面倒見てんのは俺のほうな、アリル」

「あなた、あれ以来ずっと酒浸りじゃない。何が面倒見てるよ? 全部やってるの私なんだよ」

「確かに」


 そうなんだ……。


「だがよハイロ、おめぇ他の仲間に相談もなしに蹴っちまって良いのかよ? この街に拘んなきゃ、何したって御公儀も別に構いやしねえ。悪い話ではねぇだろ。前金で金貨百枚とくりゃ、夢だった新しい商売の足掛かりにもなんだろう」


 酒場の客は顔なじみらしい。

 痩躯の老人だけでなく、みなハイロに顔を向けていた。


「もう仲間はあの時、四人減っちまって……そこから三人去ったんだよ。世帯を持ったやつもいるし、病気のやつもいるし。傭兵稼業なんて、もう時代遅れだ。つまらないことで、死にたくねえんだよ」

「君が魔人に勝ったことがあるってのは、まるっきりガセだったということか?」

「さっきも言ったが、殺してもねえし、勝ってもねえ。そういうことだ。悪いな」


 しかしその言い方だと、実際に魔人と戦ってはいて、生存しているという意味でも捉えられるな。

 ハイロは、なにやら傷心の最中だということらしい。傭兵とは向こう見ずの荒くれ者ばかりだと思ったが、やけ酒なんて存外、仲間想いなのかもしれない。

 それに、死にたくないというのは理解できる主張だ。俺の提示した金額から、そのリスクを察したのだろう。

 俺から見ても、本当に成功するかどうか……今回の遠征は十回のうち、九回は全滅するのではないかと思うほど難度が高い。だからこそ、リスクを下げるために行動してはいるのだが、そもそも気概も志もない者は引き込むべきではないとも思ってる。


 しかし、この作戦の依頼は、国家の帰趨きすうを直接的に決めるほど重要だ。なのに、時間はまったく足りない。

 こればかりは、多少強引でも、目的第一に考えなければいけない。

 

「それでもいい。もし君がやるというなら、金貨二百枚を人数に関わらず約束しよう」


 流石に大きな金額だけに、周りの人間がざわついた。

 

「ね! 凄いよ、ハイロ! 金貨なんて一度だって、見たことないのに。金貨一人十枚だって言うんだよ? 前金だけでも一生手に入れられるか……」

「お前さあ、騙されてんだろ。アリル。うまい話には大概、罠がある」

「そういう人には見えないけどな。身なりも顔も綺麗だし。ねえ、お兄さん、こっちに座ってよ」


 腰を据えて、説得するしかないか。

 ダーチェがいたら、ややこしい小言だらけになるだろうから、待たせた判断だけは今のところ唯一の正解だったな。


 口だけでも説得力はないから、とりあえず金貨の現物をみせておくべきかも知れない。

 一枚、重さは五デイアン。混ぜものなし。純粋な金であることを正式に認めた造幣部の刻印がされている。


「お! おお〜! こ、これが金!」

「アリルよ。よく考えろ。今さらニュードのことを蒸し返すようだがな……。確かにあれは俺のせいでもあるが、お前の親父も危険な橋を渡って……結局お前は一人になっちまったんだろ」

「そうだよ。でも話ぐらいは聞いても危なくないじゃない。物事を判断する苦労ぐらいは惜しまないつもりだよ」

「確かに……そりゃそうだけどよ」


 少なくとも現状で唯一分かったことは、ハイロは尻に敷かれるタイプだということだ。


「アリルの言う通りだな。疑問があったら聞け。俺は嘘はつかない。言えないことは言わないし、名前は偽名だが、誰しもが羨む有名な貴公子だ」

「自分で貴公子って言うかね、普通」

「事実しか言わないのでね。それに俺は普通ではない。卓越したエリートなのだよ。本名を聞いたら、その不敬を詫びたくなるはずだ」

「でさでさ、ラウク様はどんなことをしてほしいの? 借金の取り立て? ライバル貴族の暗殺?」


 貴公子たる俺のことには興味なしかい。この娘。


「いや、そんなチンケな仕事なわけないだろ。正直、この国の存亡に関わると言っても間違いではない話だ」

「そんなもん、こんな掃き溜めじゃなくて本当なら聖教騎士団に行くはずだろ。気を悪くしないんでほしいんだがね、真っ当な仕事しかもうやらんと決めてるんだよ。切り捨てられてサヨナラってのに、懲りちまったんだ」

「切り捨てられるのが怖いのか?」

「ああ。これでも一応、元プロですから」

 

 時間がないとは言え、烏合の衆になるのは極力は避けたいところだ。割と情報収集したが、今のところ他にいい候補もない。 

 現時点で、この作戦に立候補したのはたった三人しか居ない。


 本来、女王を護るべき聖教騎士団や征西軍イネリアムが、エトラネミア様のためにはまったく動員できないというのが、ホントにゴミクズとしか言えないな。


「少なくとも、全て責任含めて丸投げするような仕事じゃない。他の人員もいる。主にやることは、子供一人分程度の荷運びだ」

「じゃあ私、やる。ハイロじゃなくても、雇ってくれるんでしょ?」


 まさかではあるが、ここでアリルが立候補した。

 あの体の大きな男よりは当てには出来そうではあるが、魔術師でもない女の子に務まる仕事ではない。いくらなんでも、不採用だ。


「馬鹿言ってんじゃねえ。てめえ。お前みたいなモヤシが一体何が出来るってんだよ」

「まあ、私に戦いは無理だ。でも、盾ぐらいにはなれればお金を払ってくれるんでしょ?」

「……うん」


 実際、盾になって死なれたら困るだけだが……。紳士として、ただの一般人の女の子を死地に送り込むのは始末が悪すぎだろう。

 しかし、彼女が乗り気になったことで、ハイロの動揺は大きいようだ。


「命を掛けて稼いでも、死んで金を使えねえんじゃ意味ねえよ」

「そうだろうが、その点に関しては心配するな。出発は明日にはなる。少なくとも今晩ぐらいは楽しむ時間はあるさ」

「出どころのわからねえ金貨なんて換金もせずに使えねえだろう。化粧も知らねえメスガキが突然、あちこちで金貨をばら撒いて見ろ。一瞬で知れ渡っちまう。殺されるぜ」


 そういうもんなのかね。

 このギギルという地域の人間が、そこまで分別がないのかどうか疑問だが、欲が絡むと、そういうことになるのか。 


「だからさ、ハイロ。今回はあなたが取っておきなよ。私が稼いであげるからさ。それで親父の夢を叶えてよ」

「馬鹿かてめえ! 命をかけることがどういうことか、何も知らないくせに……! この世にうまい話は無いってのだけは、分かってんだろ!」

「分かってるよ」


 アリルは平然と何食わぬ顔で答えた。


「なにも知らないから、行くのさ。たぶん後悔するんだと思う。仮にさ、死ぬとか……そんなことになってしまった時はね。でも、どの選択しても後悔するなら、夢があるほうが良いかなって……。親父はいつも言ってたんだ。『いつか藁のベッドなんかじゃなくて、木綿のベッドに寝かせてやる』ってさ」


 気付けば、酒場のみながアリルの言葉を手も動かさずに聞いていた。聞くに値すると思えるほど、普段からいい子なのだろう。


「私にとってみれば、藁で眠って虫に食われようが正直、親父が居なくなるよりは良かった。でも何となく知っていたんだ。あの人は希望に縋るしかなかったんだと言うこともね。貧しいということは、溺れながらホントギリギリで泳ぐような気分だし、この先、それがずっと変わり映えしない人生だと心から知ってしまうことは、本当に耐え難いことだからさ。親父もあなたみたいに酔うしか無かったんだよね。お金が全てではないけど、お金でしか酔えない夢もある。ハイロ。ラウク様のおかげではあるけど、こういう機会があった。私がまだ酔わせてあげられるかも」


 アリルは爽やかに笑顔を作った。

 若い女の子らしい世間知らずではある。だけどそれ以上に、ハイロのことが好きなんだというのも伝わってくるな。

 アリルには悲壮感や使命感なんてものは無くて、至って楽しげだった。


「いいって……俺はもう酔いたくねえ」


 ハイロは、酒をあおった。

 そこに誰かがコツコツと歩み寄ってくる音がする。


「いいかしら? 野暮かも知れないけど、そこで話を聞かせてもらった。なら、私も行くわ。傭兵さんの一団とは無関係だけど、雇って下さるかしら?」


 見上げると、化粧をバッチリキメたオッサンが立っていた。なんでそんな風体なのかは分からないが、身のこなしは貴族にも劣らず流麗だった。


「ああ、いいよ。腕に覚えがあるのか?」

「自分自身ではなんとも言えないけど、まったく役に立たないほどじゃないわ。私の名前はレデレール。流しのオカマよ。この勇気ある女の子に影響されちゃった」


 影響されちゃった、じゃない。

 アリルに対抗したって可愛くないぞ。なんなんだこのオッサンは。


「異存無ければ前金を支払ってくださるかしら? 約束を違えるようなことは無いことを、このレデレール、名誉にかけて約束するわ」

「良いだろう。おい、リヤル」


 俺が呼ぶと、寡黙な侍女リヤルがコツコツと入り口から入ってきて、どんと卓に革袋を置いた。

 置いて、何も言わず外へ去ってゆく。


「この中から持ってゆくがいい」

「おいおい、マジなのかよ……」

「凄い! ハイロ! この人、本当にお金持ちなんだねぇ!」

「ありがとう。じゃあ、約束通り五枚頂戴するわ」


 レデレールという女の格好をした男は、不正はしないとでも言わんばかりにきっちり五枚を手に広げて見せた。


「お嬢さん。これ、受け取りなさい。私からの新しいビジネスの餞別よ。汚れ仕事なんかじゃなくて、未来のためにアナタはアナタの成すべきことがあるはずだわ」

「えっ?! い、いいよ! そんなのいい。それは流石に悪いよ」

「若者が貧しさに苦しむなんて、人道に対する罪だもの。手助けできることなら、手助けするわ。いつか、アナタも誰かに還しなさい」


 拒絶するアリルの腕を強引に引っ張り、金貨を手渡した。

 なんだ……このオカマ。

 突然も突然だが、なかなか洒落たことをするじゃないか。まさに侠気おとこぎだ。

 別にやるのは汚れ仕事ではないが、このレデレール、粋な精神を持っている。


「約束したとは言え一応、不正を働かない保証になにかしちを置いてく。集合場所と時間を教えて頂戴?」

「すぐ外の入り口にいるダーチェという紳士に聞いてくれ。君のことは疑ってないから、別になにも置いていく必要はない」

「あらそ」

「待ってくれ。あんた、金が目的じゃなきゃ、なんのためにやるんだよ?」


 ハイロが、レデレールを引き止める。それもそうだな。確かに、それは疑問だ。


「言うなれば、これは偉大なる命運の約束。その使命の香りを感じたのよ。きっと過酷だけど、やりがいのあることだわ」


 意味が分からん。しかし、その決断力と嗅覚の良さは褒めたい。


 命運の約束か……。

 女装したオッサンであるレデレールは、颯爽と去っていった。


「あ、あの……! 待って!」

「やれやれ。そんな大層なもんだといいがね。それにしても、あんましよ……いい気分じゃねえ。人の苦境に漬け込んで、強制的に決断させるってのはよ。あんたらは、そうやって金で揺さぶって、他人を制御出来るとでも思っているのか?」


 ハイロは俯きながら酒を見つめて言った。

 確かに、アリルが利益を得てしまった以上、意図せずしてレデレールを代役として使()()()という形になってしまっている。

 颯然としたレデレールと対比のような関係になってしまったし、気分は良いものではないだろう。


「これはあくまで交渉だし、最終的に断る権利はある。それなりに誠意も額面で見せたはずだ。俺は相応に本気だと言うことでね」

「どこに行こうが人間は嘘つきばかりだ。それは、仕事を受ける側の人間もな。だからどうも、あんたのやり方だと賢いとは思えんがね。金貨の前払いなんて、トンズラこかれたらそれまでよ」

「俺の懐事情を心配してくれるのか?」

「そんなわけねえだろ」


 彼は、失うことを恐れている。失敗すれば、命も名声も落とす。その見立ては、正しいかも知れない。

 切り売りしたほうが、まだ一挙に失うよりはいい。そういうことだろう。


「騙されたならその時はその時だ。俺は君の魔物狩りという名誉に金を出す」


 ハイロは顔を上げた。

 覇気がなく、疲れている。

 

「……ちょっとぐらい、自分の目と心で他人を見極めてみろという話だよ」

「時間がないんだ。それに俺が思うに、他者を見極める目なんて才能は、そもそも人には備わって無い。一日で他人の人間性や才能が理解できるなんて思うことが、そもそもちょっと強引じゃないか? 俺がやるべきことは、命を使わしてもらうに見合った金を払うだけさ」

「なるほどね。じゃあ、前金で一人につき金貨五十枚。それならノッてやる」

「ハイロ。流石にがめついよ……」

「よし、良いだろう。それじゃあ、交渉成立だな」

「えっ?!」


 ハイロは椅子からずり落ちた。アリルは飛び上がって口を覆う。


「い、いや……やっぱ流石に五十枚は」

「なんだ? 自分から言い出しておいて、尻込みするのか?」

「そんなんじゃねえ。そういうことじゃねえけど……」

「交渉成立だと言ったら交渉成立だ。とりあえず、この革袋ごと全部を持って行ってくれていい。ちゃんと数えろよ。ただし、死んでもらう必要がある時は、死んでもらう。重ねて言うが、冗談じゃなく重大な仕事だ」


 ハイロは、なにも言わずに黙った。

 五デイアンの金貨百枚となれば、市場の変動とかは抜きにざっくり概算すると、中規模の地方領主の年収とほぼ遜色ない。


 ここで、カウンター席の痩躯の老人が口を挟んできた。


「太っ腹だね。でもよ、ハイロはこれでいて、金が動機になる手合じゃねえよ。下らねえこだわりで、いつもアホ見てんだ」

「本人が提示した金額だけど?」

「ふっかけて断ろうとしたに決まってんだろ。安すぎても、高すぎても、人を軽んじてるってこった。金は社会の歯車じゃなくて、潤滑油なんだからよ。多けりゃ良いってもんじゃねえよ」


 なるほど、比喩が適切かどうかはともかく、端的な言い分ではある。


「俺から言わせれば、使うべき時に金を使わないやつは、裕福とはいえない」

「金持ちってのは、得てして吝嗇家りんしょくかなもんだ」

「払うべき相手に払わないならそれは、寡占の時代にしがみつく亡者たちだ。富というのは、相対的でなければ価値にはならん。そこに呪われた者は多いけどな。富は占有ではなく、遍在させてこその豊かさだ。ケチしか居なければ、いずれ社会は荒野となる」

「ご立派なもんで。社稷しゃしょくの臣ってやつだね」


 痩躯の老人はやや皮肉的に言った。

 まあ今回は物品や身分といった見返りはない。公益のための仕事と投資だから、なんの謂れもない。

 この爺さんの言うことは素直に受け取るべきだろう。


「仕事を選ぶ、最後の機会を与えよう。さっきも言ったが、やることはたった一つで単純明快ではある。主な目的はとある場所への荷運びだ」

「……荷運びねえ。その目的地ってのは?」

「西の関門砦の更に西、“霊風の都リンデレイル”だ」

「あ?! リンデ――……おい、そこって……」

「どんなところなの?」


 まあ、若いアリルには分からんか。


「そこは侵略によって魔人に完全に支配された、“敵国”だ。失われた都市。今呼ぶとすれば“亡都”。“亡都リンデレイル”」

 







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