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一章三十五項 アルノ


 結局のところ、みな地上から出るのは不味そうだという見解で一致した。


「サンドラ様がこの場の後処理を担って下さる。急ぐ必要があるので私とフスで、リシルとモナを先に連れてゆく。あとの者はキサラについて行って、地下の隠れ家に行ってくれ。少し休養したら、今後の計画を話す」


 早々にイシエスさんは地下道の暗闇の中に向かって行った。

 負傷が特に多いが、足を引きずりながらでも次の仕事に向かうらしい。

 フスさんは緋色の布で包まれた人形ひとがたの包みを背負い、手を縛られたモナと、杖をついたイシエスさんがついて行くという形だった。

 あの包み……リシルって人のご遺体ってことだよな。サイズ感からいって、成人では無さそうだ。流石に、もう詮索するような真似はしないが……。


 しかし、本当に大丈夫なのだろうか……。

 襲われた場合、フスさんの戦闘能力に掛かってるが、仕方ない面もある。

 何かと物騒な結論を導きがちなキサラと、モロに差別をくらったヘルフェが、元凶のモナと一緒に歩くのは不味いという判断もあるだろう。


 先行する三人とご遺体一つを見送りしてると、キサラがエトルをおぶって、階段を降りてきた。


「エトル!」


 僕が名を呼ぶと、意識はあるようだがエトルは顔を背けた。


「……ごめんなさい」


 え?

 何か謝られるようなことあったっけな。

 とは言え、エトルも暴走したり無茶をしたり、まあ色々ではあったか。

 エトルは気分が良くないらしく、言葉は途切れ、静かなままだった。


 活発なキサラ以外、かなり疲れた雰囲気である。


「出発っす!」


 キサラが、青い光を放つ道具を手に、さっき僕が歩いてきた地下道を進む。

 地下道はかなり狭く、僕は杖を借りたとは言え、一人で進むのがなかなかに困難だ。


「遅いっす! 歩からす、ヨボヨボの魔人!」

「君、ヘルフェやネオンと同じくらい口が悪いよぉ……」


 僕の発言に、ヘルフェは驚いたように一度見上げてきて、特に何も言わず俯いた。

 なにか思い詰めているのは、ヘルフェもエトルと同様らしい。


 なんか雰囲気、悪くない?

 ……でも、何もかも今はしょうがないのかな。

 あれだけの大事件だったし、僕の知ってること以外にも色々あったんだものな。

 無理に明るくしても、落ち込む時は落ち込むもんだ。とやかく言うより、ぐっすり寝るに限る。


「てめえら、なんか暗いっす!」


 キサラ君……デリカシーが終わってるタイプだな。

 みんなでとぼとぼと歩いていると、マゼスの骸骨がある広めの空間に来た。


「はあっ!? なんじゃこれ」

「……これマゼスの骨だよ。あの魔人の死体」

「ここ、エーテル濃度ヤバいっす。見て、上がキラキラっす」


 ザラザラと掘削痕が残る天井は、光る砂がこびりついたように、キラキラと光を反射していた。

 遠い親戚のおばあちゃんの家にある、触るとポロポロになる砂壁をなんだか思い出すな。

 なんなら、マゼスの骨もキラキラしてて、ラメでデコってるみたいになってる。


 ヘルフェは、その骨の前に立った。


「本当に、こ、これがアイツなのか?」

「ああ。間違いないよ。なにせ、眼の前で白骨化するところを見てたから」

「このっ――!」


 ヘルフェは大きめの石を持って、マゼスの頭蓋骨に向かって振り上げた。

 しかし、無益であることを悟ったらしい。そのまま静止して、力が抜けたように、石を足元に落とす。


「はあ。なんなんじゃ……なにがしたかったんだよ、このクソ野郎は結局」

「コイツは、僕の粛清が目的だったらしい。そんなことにみんな、巻き込まれてしまった」

「そうかい……」


 ヘルフェは脱力して、あっさり納得したかのようにちょっと離れたところに座った。


 疲れたよな。

 どうするべきか、なにが答えなのかわからない。憎しむべき相手はもう死んでいて、行き場の無くなった正義は、吹き溜まりに吹き荒ぶ風のように乱れた。

 ただただ、結果の虚しさを今頃になって感じて、呆然とするほかない。


「まあ、ちょっとここで休憩するっす。魔人の体を癒やすなら、エーテル濃度が高い場所のほうがいいから」

「しかし、こんな死体があるところではな……。僕はありがたいけど」

「むしろ幸運っす! その死んだ魔人のアホズラな頭蓋骨見て、勝利の余韻に浸ればいいっす」


 普通の人は、そんな織田信長みたいな趣味は無いのだよ。

 それに、子供や女性も含め、殺されてしまった数は尋常じゃない。喜ぶどころか勝利だなんて、とてもじゃないが思えないよ。


「まあ、私の茶でも沸かして……。丁度持ってきてるから」


 なんでティーセット持ち歩いてるんだ?


「地下ぐらしの怪しいジジイから葉っぱを買ってるっす! ジジイだとサバけないってんで、売人もやってるっす」

「お前、ミエフ爺さんのお得意様なのかよ……」

「ヘルフェも知り合いなのか?」

「まあ。知り合いっつーか……、あの泣き喚いてたガキの保護者なんじゃ。ミエフ爺さん。まさか、自分の育ててたヤツが、悪事に手を染めてたと知ったら、ホントに報われんな」

「なんとも、世間は狭いもんだな」

「それもそうだが、直感としてはむしろ、爺さんが自分からゴタゴタに近付きすぎたのかもな。沈む途中の船に乗り込めば、そりゃ海中に引きずり込まれる」


 キサラはわざわざ落ちていた木片に火をつけて、持ってきていた水筒の茶を沸かした。

 小刻みに注ぐ杯を行ったり来たりして、味が均一になるように茶を満たしてゆく。 


「抽出してから持ち歩いてるから、沸かしすぎないのだけがコツっす! 濾しきれない茶葉は少し残ってるから、最後の一滴がちゃんと美味いっす。最後の一滴のヤツほしい人。器も一番良いやつっす」

「んなもん、どうでもいいわい」

「は? ぶっ殺らします?」


 そりゃあヤバい。

 相手はほとんど織田信長。茶を冒涜するようなことを言ってはいかんよ。


「折角だから、先に僕が貰ってもいいかな?」

「どうぞどうぞ」

「ありがとう」


 人とは、文化とは、お茶があってこそだな。大袈裟に思えても、戦争がお茶のために起きることもあるぐらいなのだから。 


「……ああ。美味いな。とても癒やされるように感じるよ。香りが、この体に染み渡るようだ」

「おお! 魔人のくせに茶がわかるっす」


 茶が分かるかは自信はないが、世辞とかでなく、本当に美味い。

 飲みたくもないのにずっと酒を飲んでいたという理由もあるし、体の消耗とかもずいぶん重ねた。

 五臓六腑というか、もう四肢にさえ満たされてゆく感じだ。


 何にしても、もう戦闘は懲り懲りだな。活躍できたとも思えんし、運がそう何度も助けてくれるとは思えない。


「しかし、これからどうなるのだろう?」

「リスクを避けるために、計画のことはまだ話さないっす。でも、始まってさえしまえば、むしろ単純なので、タイムリミットさえどうにかすることだけ考えればいいっす」

「じゃ、まかせよう」

「ワシらは、帰らせてくれるんか?」

「んなわけ無いっす。そもそも、てめえ、ここで帰れます?」


 ヘルフェは黙った。

 口が悪い点に隠れてはいるが、臆病で意外と人との空気感を読み、繊細な面もあるのが、このヘルフェの特徴なのかもしれない。


「アルノさん……。一つ、お話があるんですが。とても大事なことが……」


 エトルが神妙な面持ちで言う。

 大事な話か……なんだろう。

 しかし、エトルの思い詰めたような態度にももやもやするから、話を聞くタイミングを考えていたところだ。


「あなたの身体について、言わなくてはならないことがあって……」

「僕?」

「なんと言いますか……。どうしたら良いのか……」

「ああ。たぶん言いたいこと分かったっす!  ようは、魔人さん。死んだままってことっす!」


 えっ?


「いや! ち、ちがっ――それは捉え方によるんです! そこまで断定できるわけじゃなくて……」

「まあ、厳密に言うと、確かに未だに魂と肉体は繋がっとらんな。魂が勝手に命令を出し、部分的に肉体が動いている、というような感じじゃ。だから、相互に影響を交わす魔術が使えんのじゃとは思う」

「……」


 ヘルフェの補足に、エトルは肯定も否定もしなかった。


「なんだ。そんなことを言いたかったの?」

「え、ええ。でも、もっと言わなきゃいけないことが……」

「ねえ! ゴチャゴチャ言う前に、茶を飲むっす! 冷めて美味しくなくなるっす」

「いやうるせえなあ、ホントこの女……イエルと同レベル!」


 厄介なお茶ガチこだわり勢のキサラと、ヘルフェが言い合いを始めた。


「ああ!? 誰があの陰険クソ女と!! てめえ、言って良いことと悪いことがあるっす! ぶち殺!」

「お前、ちょいちょい割と言っちゃ悪いこと言ってんのよ。嫌だったら、大人しくしてろよ! 大事な話してんじゃからさあ! 戦ってもないくせに、きもきも女」

「あのね! てめえらを助けたのは、この私っす!」

「この街を守ったのはワシらだからね! 役立たず!」

「ギャース!」


 二人はなんと、取っ組み合いになった。

 まあ、お互いに魔術を使わないだけまだ理性的ではあるのかもしれない。


 ヘルフェは体格が遥かに小さいが、意外なことに実力伯仲だった。

 キサラは魔術が無ければ、遥かに小柄なヘルフェと拮抗するほど非力であるらしい。

 体格から言って、体重は四十キログラム前後だろう。お茶ばかり飲んで、まともにタンパク質を摂らないタイプだな。


「や、やめ……! やめましょうよ」

「うん……。取っ組み合いしてるだけだし、気が済むまでやらせてあげたら?」


 本当に打撃とか暴力傾向が強くなったら介入したらいい。掴んでマウントするだけなら、ギリギリセーフだ。

 僕の負傷的に億劫だというのもあるが。


「話については、気持ちにゆとりが出来た時に、ゆっくり話を聞かせてもらうよ。僕らも今は休養したほうが良い。誰しも必死だっただけで、あんなことがあって、みんな心の真の部分では受け入れられずにいるんだ。カリカリするくらいのストレスも溜まるさ」

「ええ」


 エトルの首には痛々しい傷跡があった。

 丁度、左側の胸鎖乳突筋に沿って薬指の長さほどの大きな縫い目がある。

 傷周りは黄色と紫に変色していて、腫れ上がっており、消毒せねば不味そうな雰囲気がある。

 これで泣き言一つ言わず、僕の心配するなんて、健気な娘だな……。心的外傷後ストレス障害みたいなもので病まないといいけど。


「キサラ、酒を持ってないかい?」


 聞くと、取っ組み合いに一生懸命すぎて、無視されてしまった。


「おい!」


 ヘルフェがキサラに仰向けにマウントを取られながらも、僕の言葉を聞いていたらしい。 小さな丸い壺と包帯を内ポケットから取り出して置いてくれた。


「なにこれ?」

「蜂蜜! ちょっと残ってるから傷に塗ってやれ!」


 そう言って、ヘルフェは再びレスリングに本腰を入れた。

 ずいぶん、物持ちがいいな。

 なるほど、蜂蜜は雑菌が繁殖しないらしいから、傷の保護として使えるわけだ。ヘルフェもマイペースに見えるが、それなりに厳しい時代に生きる備えがあるらしい。

 蜂蜜にはボツリヌス菌とかはいるらしいが、まあ問題なかろう。


「自分では包帯巻けないだろうから、嫌じゃなければ僕が巻こうか?」

「え、ええ。ありがとうございます。腕は動かせそうなんですか?」

「もちろん。お安い御用ですよ。僕を助けようとしてくれた結果の傷ですから。僕のささやかな感謝ですから」


 化膿でもしたら大変だしな。


「キサラ、非常に申し訳ないけど、お茶で手だけ洗わせてくれ」

「了解っす!」


 ヘルフェに馬乗りになりながら、軽く了解してくれた。

 そういうのは良いんだな。一見、暴れん坊のようにも見えるが、彼女なりの合理性や哲学があるのかも。


 応急ではあるが、エトルの首を保護する。


「なんだか、いろいろ思い出したよ。僕の母のことを聞いてくれたよね」

「ええ。もしかして、ついに思い出せたんです?」

「少しはね。正直、理想の母とは言い難い人だった。家ではほとんど料理なんか出なかったし、気まぐれでぶたれたり、僕の顔を見るなり『お前は失敗作だった』とか言う人だった。いつからか、互いに憎しみを抱いて居た気もする」

「……仲直りは……出来なかったんですか?」

「出来なかった。でも、それでも……あのヒト、深夜に僕が耐え難い腹痛に見舞われた時、慌てて病院に駆け込んでくれたり、犬に襲われた時に傷だらけになって助けてくれた時もあった……、なんかそんなことも思い出したよ」

「そう……なんですか」


 エトルは答えにくそうにした。

 確かにこう言うのって、そうじゃない人からすると聞かされても絶妙に困る話題ではあるんだよな。


「それは良いんだけどさ。つまり人というのは、多寡の違いはあれ、いい部分も悪い部分も併せて内包した生き物なんだなと……。大人になって、ようやく大人なんて生き物は存在しないことを理解でき始めたよ」

「それは、そうかも知れません。他の人は分かりませんが、少なくとも私も子供の頃から、ただ何か変わったわけではなくて、必死にずるい自分を取り繕って生きてきただけですから」

「ああ。マゼスも……この魔人もそうだったと、いつか思える日がくるかもな」


 やったことはやったことだ。

 マゼスは地獄があれば堕ちるべきだし、正当に裁かれたとは言い難い。

 それくらい邪悪ではあったからな。

 でも、このマゼスとの数少ない思い出は、全く印象が異なるもので埋まっていた。


「こいつ、僕のことを兄上と言って、毎日毎日追っかけ回して来たんだよ。『兄上のような魔術師になる』……そんなこと言ってさ。なにやら、僕の魔人としての、僅かな記憶に残っているんだ」


 魔人の記憶があることは、保身で考えればあるいは言わないほうが良いのかも知れない。

 しかしこの社会の部外者としてのメンタリティで、平和のきっかけを作ろうというのも難しいだろう。


「この人は……、あれだけのヒドイ言葉をあなたに浴びせかけました。裏を返せば、大きな孤独に追い詰められて、そうする事しか出来なかったのかも……。本当は、ただ本当は抱きしめてもらいたかっただけなのかも知れませんね」


 エトルの結論は、綺麗事で青臭いような感じもあるが、慈悲深く彼女らしい回答であった。

 ある意味では、社会問題に対峙する時、あのチロルに欠けた決定的に大事なものを持っているのが、この娘かも知れない。


「なんじゃお前ら。二人だけの世界に入りやがって」

「マジ迷惑っす」


 二人はいつの間にか、取っ組み合いをやめてぐったりと寛いでいた。


「なんだ。僕の話を聞きたいだなんて、嬉しいじゃないですか」

「まあ……少しくらいはお前に学ぶところもあるかもな。ヘンな奴だとは言っても、少しぐらいは役に立つらしいから」


 ヘルフェは恥ずかしそうに顔を背けて言った。あんまりリアルで見ることがない、これがツンデレってやつか……!


「ああ、そんなこと言ってもらえて、嬉しいよ。これから二人には、それぞれ下半身の筋肉を効率よく鍛えるための個人レッスンをしてあげよう。下半身の柔軟性と筋肉は、レスリングのような取っ組み合いになった時に重要なんだ。クアドリセップス! ハムストリングス! ソレウス!」


 口がよく滑る二人は、静かになった。

 茶を啜る音が響く。


 三日にいっぺんくらい、同じ部位を鍛えれば、個人差はあれどだいたいの人は着実に筋肉が強くなるはずだ。

 長い道のりではあるかも知れない。

 すぐに実感できるほど大きくはないかも知れない。

 どんなことも、少しづつ発展させてゆくしかない。

 明日は今日よりもきっと、より良い日になっているだろう。そうあってほしいな。

  



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