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一章三十二項 イシエス


 勝ったのか……。本当に。

 アルノ。まさか、あんなに身を挺してくれるとは。

 魔人は……あれは死んだのだろうか。

 確認したいが、それは出来そうにもないな。悪夢をみていた。そんな気持ちがぼんやりと残った。


 とりあえず、負傷の手当てのために、聖堂内へ引き返した。

 アルノを助け出すにしても、誰かの協力がいる。今はとにかく、残った二人を安静にしなければならない。

 ヘルフェは昏睡。特にエトルは緊急性も高く、首をすぐに縫わなければならないだろう。

 しかしまことに幸いなことに、待機させていたキサラが駆けつけてくれたため、手を出す必要は無かった。


 これからどうなるか……あらゆる面で楽観視は出来ないな。今のところ聖教騎士団は、何故か現れない。

 

 疲れたな。

 気持ちは平静のつもりだが、意外とそうでもないらしい。手の震えが治まらない。

 心臓は、自分でも危うく思えるほど強く鳴っていた。


 あんなに多くの人の死……それは、私達の実験……魔人蘇生が一因になったのは間違いない。

 なんということか。

 全身の倦怠感が、意思を打ち消してゆく。


 気まぐれで、憎悪をぶちまけるものではないかもな。街の人間が巻き込まれても良いなどと言ったことが、まさか現実になるとは。

 エトラネミア様のこともそうだ。悲嘆に暮れても、取り返しはつかない。

 ただ、今は罪悪感に目を曇らされている場合ではない。

 確実に真の元凶が存在する。

 それは私など比較にもならないほど、明確な悪意の存在だ。

 この襲撃事件を受けて、今後、政権の中枢にいる人間達が、どのような方針になるかは見ものではある。


 とにかく、今は行動を起こさなければならない。今後も犠牲は絶対に出る。犠牲はもう、犠牲なのだ。

 今は悔しさを持ちながら、そして次のために考えるしかない。


「ううっ……!」

「イタイイタイっす〜! 我慢してね〜! えらいっすよ! はいペロペロ!」


 ペロペロ……?

 キサラは脳天気だ。ほとんど事件のことは気にしてないようにも見える。


 しかし、行動力があって、しかも縫合が得意なキサラが駆けつけてくれて良かった。エトルの出血量の猶予的に、限界だったかもしれない。

 基本不器用な私が傷の縫合をやっていたら、悶絶級の苦痛を与えてしまう上、手間取ってしまって危険だっただろう。


 聖堂内はすでにもぬけの殻で、散乱した椅子や銅器が放置されていた。

 しかし、倒壊もせず内部もほとんど崩落もせず、まさに聖域として機能を果たしたとは言えるかも知れない。


「……キサラ、現状について報告出来ることは?」

「えっと……、どうやらここに集ってたオバハーン達はイシエス様がお言いつけより、あっという間に帰りましたっす」


 そうか。一般市民は多く犠牲が出たが、貴婦人達は無傷だったか……。

 忌々しいと言うべきか、無情と言うべきか、我らがイスラも血統書は選ぶらしい。


「あとイエル、教会の屋根から落ちて、デカいワンコ助けてくれましたが、死にかけ意識不明の重症っす」

「そうか……わかった。しかし、すまん。難しいかも知れないが、貴婦人を揶揄するような言葉づかいには気をつけてくれ。場合によっては、君自身の立場を危うくするからな」

「あい了解っす!」


 この南方の娘……この間までカタコトだったが、変に共和語ルダトリアが流暢になったな。

 闊達なのは、キサラの美しい面だとは思うが……。

 厳しい環境や新しい人間関係でも動じないタイプなので、誰かの受け売りの特殊な語彙ばかりなのだろう。


 それにしてもイエル……。

 私も命を助けられた。

 あんなに熱心に花嫁修業していたのだし、胸が痛むな。後で様子を確認しなければ……。

 

「あと……、そいえば! フスがキンキューあだらと言ってましたっす!」

「緊急あだら……? 今、フスはどこに居るのだ?」

「ここのティカっす」


 ティカ?

 地面を指していたし、ここということは地下室ということだろう。


「わかった。緊急なら急がねば。二人の付き添いを頼む。誰かが訪ねてきても、出来れば通さずに待ってもらってくれ」

「あい了解っす! イシエス様は歩からす?」

「ああ、何とかな。ありがとう。心配ない」


 とりあえず、エトルとヘルフェはキサラに任せるしかない。あどけない印象もあるが、女性ながら旅慣れていて、裁縫や金創医の心得があるのは頼もしい。

 しかし、身分にうるさい連中が来たら、異民族のキサラは対応しかねるだろう。そうなったら、そうなったで仕方ないが……。

 その内、ちゃんと言葉遣いを教えてあげなければいけないか……。


 左手に持った折れかけの燭台を杖がわりにして、息苦しくなるような狭い螺旋階段を降りる。

 杖があるとはいえ、ずいぶん難儀だな。

 滑り落ちるように壁により掛かりながら、何とか地下室まで降りた。


 聖墓稜。

 ここは聖堂でありながら、王族や聖人の墓を兼ねている。

 地下ではあるが、採光の仕組みがあって、昼間なら多少明るい。

 地下室は非常に広く、荘厳だ。

 かなり意外なことに、多くの人間がいた。


「これは……何事だ?」


 顔をみるに、貴人ではない。

 見るからに一般市民としか思えないような人間が、二十人ほど壁際で塊になって休んでいる。

 ここは本来ならば、身分の高い人間しか入れない。そのしきたり自体はどうでもいいが、何故ここにいるかが疑問だな。

 事件が起こった時、私が聖堂を出ていった際に、市民はあの魔人によってほぼ消されてしまっていた。入れ違いになるはずもなく、ここにどうやって入ったのか謎だ。


 皆、一様に虚ろな顔をしていた。

 薬物中毒かのように、緩慢な動きで寝返りをうつ者さえいる。

 こっちに注意すら向けないので、明らかに何かの悪影響がある。


「フスはいるか?」

「ここにいる」

「無事だったか」


 フスには幸いにして、意識は明瞭で、どうやら負傷のようなものは無かった。

 いつもの仏頂面だ。


「あなたは負傷があるようだが」

「ああ。情けないがな。これでも、助けてもらって死なずに済んだだけ良かった。キサラから緊急の用があると聞いたが……」

「ああ。こっちだ。肩を貸そう」


 フスは市民の集団を通り過ぎて、より奥に向かった。

 緊急のこととは、この一般市民のことでは無かったらしい。

 無数の石柱と彫刻された大きな棺の間を縫うように歩いて、地下室の一角に導いてくれた。


「うっ……!!」


 これは!

 なんということ……!


 そこにごく少数の人影があった。

 一人は十四歳前後の見慣れぬ少女。

 一人は、さっき言葉を交わした宮廷の仕切り役サンドラ。

 そして、残る一人はサンドラに抱かれたこの都市最高位の乙女。エトラネミア様である。

 見慣れぬ少女は、こちらに気付くと、親切にも手をとって歩行を手伝ってくれた。


「イシエス……」


 サンドラが、顔を上げた。

 さっきまでの威厳に溢れた顔はまるで消え去り、別人のように翳っている。


「これは……サンドラ様と、エトラネミア様」

「御崩御なされた」


 確かにエトラネミア様は少しも動かなくなっていた。サンドラの腕の中で、ただ蝋人形のように、白くなっている。


 サンドラが抱いているのは何故だ?

 いや、現状だとそれしかないか。

 そもそもエトラネミア様に触れる権利があるのは、確かにここではサンドラだけではあるから、床や棺の上に寝かせるわけにはいかない以上、こうしているしかない。


「あやつらの狙いは……、このだったのだ」

「それはどういうことでしょう?」

「わからぬ……妾には。そもそも、なぜ広場なぞに――」


 サンドラは嘆くように顔を伏せた。

 この女、そんなにエトラネミア様に思い入れがあるようには見えなかったが……。意外な面というのは、あるものだな。


「恐らく、王笏だろう」


 フスが代わりに答えを出す。


「王笏? そんなものを必要とする奴らとは?」

「ほぼ分からないと言っていい。王笏を奪おうとした何者かが襲撃してきた。なんとか退けたが……確かなことは、あれはかなりの魔術師だと言うことだな。目的を聞き出すまでには至らなかった。単独で、男だ」

「なるほど。エトラネミア様は、その襲撃したきたその男の手にかかってしまった、ということか」

「いや。そうではない。それならば俺が守った。娘、悪いが説明してくれ」


 フスに促され、一般市民であろう少女が口を開いた。


「なにか……変な音が聞こえた後、突然、大きな爆発があって……そ、それで、リシルが……。みんなを助けようって」

「みんな?」

「広場に居た人たち……。広場に魔術で穴を開けたの。でも、リシル、逃げ遅れちゃって……飛ばされて落ちる時、どっかに頭打っちゃって……」

「なるほど。そうか」


 そうだろうな。

 その様子がなんとなく想像できる。

 エトラネミア様……リシルは、間違いなくそういう娘だろう。

 地面に穴を開けたか。穴を開ける魔術が使えるとは意外だが、そもそも、魔術師の血族としてはエリートの中のエリートだ。


 魔人の襲撃に巻き込まれたとは知っていた。イエルが罪の意識に苛まれることは、今のところないというのが、皮肉でしかない。


「血族か……」

「なにか引っ掛かる点が?」


 フスが聞いてくる。


「いや、そうじゃない。しかし、この事変。このタイミング。リシルとしてここで亡くなられたのも、もしかすれば幸運だったのかも知れない」

「それは――」


 フスが私の前に立ちはだかった。

 言ってから、自分の発言に不味さに気付いた。解釈次第では、かなりの不忠というべきだろう。

 流石に、全員が驚いている。確かに、聞いたら耳を疑うような愚かな言い方だった。


「な……なんじゃ? リシルが何をされたって?」


 背後から、声が響いてきた。

 





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