一章二十四項 アルノ
僕の唯一の得意技となりつつある遠投で、我ながら見事、投げ飛ばした鍋が尖塔に引っかかった。鍋が尖塔の装飾の突起に引っかかって上手く噛み合う。
この身体になって数日……魔術が無くとも、ここぞという悪運みたいなものだけは強烈に良いな……。
ちょっと自信が湧いてくる。
「アルノ、行きます!」
躊躇すれば、恐怖で飛べなくなる。
勢いのままだ!
ほいら!
「うわああぁ!」
ヤバい!
鎖の長さが意外にゆとりがあって、垂直に落下しとる!
「危ねぇ!!」
上向きに尖った槍みたいなフェンスをスレスレに回避する。
ワラキアに侵攻したオスマントルコの兵士のように、危うく尻から串刺しになってしまうところだった。
鎖が張り詰めて、軌道に乗る。
遠心力で体が浮き上がり、浮遊感に包まれる。股間や丹田のあたりが、ざわざわとした。
バツンという音が、鎖から伝導してくる。
急に力が抜けたように、鎖から固さが無くなった。
体が宙に投げ出される。
「バャーオ!」
思わず、恐怖で謎の悲鳴が漏れ出てしまう。
この勢いで後頭部打ったら流石に死ぬ!
何とか前のめりになって、右膝と両手を思い切り地面に打ち付ける。慣性で吹っ飛びそうだった。
しかし、一応何とか着地できたようだ……。
……い、痛えぇ。
骨と関節にもろ衝撃を受けてしまった。時間差で痛みが増してくる。涙が出そう。
「――っうで!」
銅鍋が落下してきて、頭に直撃してくる。
跳ね返りながら落ちて、大きな音を立てながら、グワングワンと地面で暴れた。
いやはや……直径四十センチくらいある大きさだから、その重さで一瞬だけ意識が飛びかけた。なんで狙いすましたかのようなピンポイントで頭に落下してくるのか。
顔を上げると、まさにあの虐殺を行っていた魔人の眼の前であった。
「お、お前!」
ヘルフェが背後で驚愕した。
『……お、おお。よ、よくぞ』
眼の前の魔人は、声を震わせた。
体格はさほど違わない。
それでも、威圧感は凄まじい。
圧倒的な暴力。神にも等しい、超越的な魔法使い。それだけで、畏怖の念を抱かされてしまう。
とにかく、相手の言葉を聞いて、返答を間違わないようにしなければ。
僕が現在、魔人の人格でないことは、特にバレたくない。
……くそ。
こんな酷いやつに気を使うべきだなんてな。悔しくてしょうがない。僕の力では、罪を償わせるなんて出来そうに無い。みんな……被害者の人達は報われないよな。
だけど、抑えなければ……。今だけは感情を優先させるべきじゃない。
『……兄上』
え!? 兄上って? 僕が……?
兄弟だったの?!
想定外すぎて、頭が真っ白!
こんな残忍なヤツが……兄弟。
いやいや、それはいい。いいんだ。結構驚いたが、それがこの魔人がやって来た理由になるだろうし、むしろ説得の可能性も限りなく高まったとも考えられる。
『良くぞここまで来てくれた』
「う、うん。会いたかったかも……弟よ」
自分の弱腰が情けない……。
この魔人を赦すべきだとは到底思えないが……。しかし今、この弟だという魔人の行為を責める訳にはいかない。
魔術も一切使えない、戦闘も出来ない僕は無力だ。
人気が無くなった広場だとはいえ、ここは街の真っ只中だ。
周囲の人の安全を保障するのが、最優先ではある。巻き添えを防ぐためにも、無闇に詰め寄って怒らせるのはマズイ。
とにかく穏便に対処するしかない。
『兄上……では』
「では?」
『消えてくれ』
魔人は見えない何かを投げるように、僕に向かって腕を薙いだ。
えっ――……?!
突然、顔を何かが覆う。
耳の中で甲高い小さな音が詰まった。
視界が真っ暗になる。
これ――
い、いかん。気絶しかけてる!
すぐ平衡感覚が戻ってきた。
顔面を攻撃されたらしい。
意識はある。何とか、踏ん張れる。
しかしどういう事だ?
消えてくれって……魂は魔人ではない事に気付かれた? 一言二言の言葉を交わす間にか?
とにかく、やっとの事でここまで来たのだ。こんなすぐに倒されるわけにはいかん。とは言っても、本気で攻撃されたら耐えられる自信はない。僕がなんで生きてるかも謎だ。
『ちっ! まだ毒が抜けんか……お前ら揃いも揃って、死に損ないめ』
「き、君は僕を殺しに来たのか?」
『なぜ死なない。殺されない自信でもあるようだがな。貴様はいつもそうだ。そうやって血を分けた兄弟をも見下して!』
「見下してって……。もしかして、そんな理由でここまで来たのか?」
『いい加減にしろ!』
魔人は怒鳴った。
「アルノ……そいつは大陸協和語が喋れないのだ……。魔人の言葉でなければ理解出来ない」
イシエスさんがヘルフェに支えられながら、息も切れ切れになりつつ助言してくれる。
何故か会話が成立してると勝手に思い込んでいたので、指摘してくれて良かった。
言葉。魔人の言葉か。
あ、そうか……! そういう事か。少しだけだが、ようやく分かった。
僕の言語能力は、元の魔人の知識なのだ。この体の魔人が、あえて“人間の言語”を学んでいた。
だから、両方理解出来るが、そのソダリアという言語はネイティブほどは知識がないのだ。
エトルやヘルフェを初めて見た時、懐かしいような嬉しいような気持ちになった。
たぶん、この体の主の気持ちや好奇心がどこかには残っている。それは、改めて考えてみて確かに実感がある。
混じっている。
僕は以前のどちらの魂でもなく、そして同時にどちらの魂でもある。そういう事かもしれない。
魔術の知識はほとんど残ってないので、魂の比重は人間の僕のほうが遥かに大きいというのもありそうだが、それでも心の片隅に魔人の僕が残っている。
『……そうか。久しぶりだな。マゼス』
そうだ。
この眼の前の魔人の名はマゼス。思い出は無いが、知識はある。
記憶によると、僕の八番目の弟であるらしい。再会に際して、今のところ嬉しさは全くない。
『もう交わすべき言葉など無い』
『そう決めるには早い。教えてくれ、ここまで僕を殺しに来たのか?』
『それ以外に何があるというのだ。裏切り者め。我が家の面汚し』
『……酷い言いようだな』
さっきまで魔人は天災のような存在だと思っていた。人の力などでは抗えない、途方もなく大きな厄災。
だが実際は……やはり人だ。それも、ただ純粋で稚拙なようにも思える。身の丈に合わぬ暴力をたまたま持っている、ただのマゼスだ。
『理解できぬ。貴様の才能を持っていながら、なぜだ? 安穏と生き、研鑽もせず、総領として振る舞う事もない。それだけならばまだ良かった。家名に恥じない働きをする義務があったのに、よもや敵に寝返るとは。誇りはないのか?』
総領って……一家の大黒柱的な意味だよな。
一族の裏切り者の僕を殺すために、あんな大勢を巻き込んだってのか。
そこまで至る理由に全く共感は出来ない。
『ああ。誇りも、積み上げたものも……どこか遠いところへ置いてきてしまった』
『何故だ……? コイツら夷人の妻でも娶るつもりか? ここで貴様の様な人が受け入れられるとでも? 気でも狂ったのか』
『そうでは無いけども……』
そんなの……この身体の経歴なんて知らないし、僕が聞きたいよ。
『僕が言えることがあるとすれば、戦争することばかりが未来じゃないってことさ』
『その考えからして、敗北者なのだよ。だから貴様はいつまでも落ちこぼれなのだ』
じゃあ誇りがあったら、民間人の虐殺さえも正当化されるってのか? ――そう言い返したくなってしまう。
でも、社会ではマゼスのような性格のタイプは珍しくないかもな。
必要以上に他人にモチベーションを強要するタイプは、むしろ自分自身への信頼に問題を抱えている。
マゼスは心の奥底では自分を信じていない。だからこそ、相対的な優劣に幸福を見いだしている。
荒野の獣の野性に突き動かされ、優越感という今だけの幸福を貪り食う。劣等感は人間を怪物に変える。
だが、問題はそんなことを言って分かってくれるのかどうか……。
コイツの理性に訴求する賭けってのは、リスクが大きすぎる。
とにかく、コイツを刺激しないためにも、否定するのは控えないとマズイだろう。
『僕は責任感もないし、誇りというものはない。僕は家督とか、格式とか、正直そんな柄じゃないんだよ。君らで上手くやってくれると助かったんだけども』
『違う! 貴様の気分一つで納まるものか! デムレキア列席の家長が人間に寝返るなど、世間が許さん。議会から貴様を殺害しろと命令されたのだ』
なるほどな。
魔族の制度のことはよく分からんが、しがらみって感じか。一応、表向きの理由も筋は通っている。
領主のような立場ある人間が裏切れば、家族やら一族やらも立つ瀬が無くなるだろう。
個人個人よりも一族が、社会で評価されたり扱われる単位だというのも、よくある形ではある。
それで家の潔白の証明のために白羽の矢が立ったのが、マゼスだったわけか。
でもそれじゃ結局、無実の人々を巻き込むことは正当化できないな。
『だから、ここまで来た。死んでくれ』
死んでくれって……。
むしろ結局は僕を殺せないのか?
僕は何ら抵抗してるわけじゃないし、すぐに攻撃してくれば良いだけだと思えてしまう。
あの爆破ならば到底、生身で耐えられる自信もない。
いや……、つまりそういうことだ。
さっき、毒がどうとか言ってた。
要するに、いま戦うには問題を抱えていると見るのが正解だろう。
こう言っちゃ悪いがイシエスさんが生存しているわけだから、戦闘でただ一方的にならない立ち回りがあったはず。
イシエスさんの攻撃によって、マゼスはパフォーマンスが落ちてしまっているのかもしれん。
ただし、この状態でも、僕が戦って勝てるとも考えにくい。
『仮にそれを受け入れれば、もう街の人間には攻撃しないと約束してくれるのか?』
『寝言を言うな。貴様の始末をつけに来たのだ。貴様が渡した情報の拡散も不利になる。この夷狄の社会が、すべて平和を願うお人好しだけならば、戦争など起きてないのだ。貴様を殺し、害虫も残らず駆逐する。議会の方針は鏖殺にほかならぬ。それだけのことだろうが!』
そうなるよな。
説得ってのは、難しいな。僕自身のことさえ知らないし、社会のことも知らないし。
というか、本気で説得しようとも思えなくなってきてしまった。なんか説得ってのは違う気もしている。
所詮、対話はあくまで一つの道具なのだ。
安寧を望むならば、戦いに備えるしかない。
動きの邪魔になるであろう長い鎖を、腕に巻きつける。
『貴様、何のつもりだ』
マゼスの背後に、人影が動いた。
急速に接近している。
銀髪が風になびいて、煌めく。
エトルだ。
背後から奇襲して、攻撃するつもりらしい。ネオンが足が速いといったが、本当に風のように駆ける。
マゼスの背に、エトルが触れようという時だった。
『馬鹿か』
エトルの腕を振り返りざまに掴み上げる。
「うっ……!」
『エーテルがそこまで一極に集っていれば、眼で見なくとも分かる。卑怯者なりに戦う智慧すらもないか』
不味い! すぐにエトルを助けなければ!
『邪悪な波動を感じさせる魔術……貴様、よもや屍霊術師か』
マゼスは右手でエトルを逃さないように拘束しながら、左手を振りかぶった。
「よせ!」
高速で、空から飛翔体が滑空してくる。
マゼスの頭上に、鳥のような姿のものが突っ込んでゆく。
『ちっ!! いい加減――』
炸裂し、その爆風で、エトルが地面に叩きつけられた。
「エトル!」
もう止めるしかない、力尽くでも……!
僕は駆け出していた。




