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一章二十二項 アルノ


 景色がひずんだ。

 刹那、光を放つ。

 空気の歪みの中に人々が溶け、塵になった。一度に二十人ほどが、姿形も遺さずに消える。

 瞬きする間の、一瞬だ。


 まっ! まずい――

 警告を発する時はない。


 咄嗟に、窓際に立つフラエルの腕を引っ張った。

 衝撃波で、一斉に窓が割れる。

 力の流れに翻弄されて、ぶっ飛ばされた。

 内側に飛び込んできた、ガラス片の嵐が、身体を打ち付けた。

 すぐ後にバラバラと、液体が飛び込んでくる。その液体は生暖かく、ぬめりがあって赤色だった。


「うっ!! 血だ……!」


 今度は気絶しなかったが、悪夢のようだ。

 これが現実だとは。


「エトル……フラエル、無事か?!」

「え、ええ。でも一体、これは? 何が起きたんです?」


 エトルは直接見てなかったから、何が起きたか分からないのか。バケツのおかげで、無事ではあるようだ。

 フラエルは左半身にガラスが無数に突き刺さっていて、かなり負傷していた。取っていいものなのかも分からない。ガラス片を受けた半身は、フラエル自身の出血量が判断できないほど血に塗れていた。


「う、い、痛……」

「フラエルさん! 怪我が……!」


 無数に傷は負っているが意識はあるようだから、生命に問題は無いらしい。

 僕のようにピンピンしてると言うわけでも無さそうだ。血による感染症も怖い。安全な所で手当てしなければならないだろう。


 しかし、この状況に実感が湧かない。まるで現実味がない。

 惨すぎる。

 こんな……こんな恐ろしい事が、眼の前で起きるだなんて。

 あれは――……あいつは一体……。いや、間違い無いだろう。あれが、ずっと話にきいていた――。


 外から大きな衝撃音と悲鳴が聞こえた。


 くそっ!

 僕にはもう直視する勇気がない。

 抗えないほどの、芯から震え上がるほどの恐怖。隣に死があるという逃れられぬ現実。

 どうしても腕が、手が震える。

 とてもじゃないが、窓に振り返る度胸が無かった。


「ま、まさか……!」


 エトルが飛び上がって、外の様子を見ようとした。


「ま、まって! 見ない方が良い!」


 僕は臆病だ。

 他人に説教したり、諭してみたり、調子のいい時はそんな鷹揚おうように振る舞うけど、危険を目前にしたら、嘘のようにただ萎縮する。

 いつものことだ。それが本当の真なる僕だ。

 ほんの小さい事でさえも、成し遂げるのに破れかぶれになりながら勇敢なフリをしている。

 都会を歩いたり、服を買ったり、医者に診てもらったり。そんな事だけでも、億劫になる自分に鞭打つ必要がある。

 コンテストに出て人前に立つだなんて、胃が捩じ切れそうになる。

 僕はその程度の人間だ。どうして虐殺を直視出来ようか。


 恐怖は理屈とかではない。

 体が糊付けされたみたいに、動かなくなる。まるで、動いたら心臓を握りつぶされる呪いにでもかかった様だ。

 今も、逃げろ逃げろと本能が僕を引っ張ってゆこうとしている。


 でも、それじゃダメだ。

 前を向かなければ。

 臆病。それはしょうがない。だけど、卑怯者や無責任であることは、僕自身が僕を嫌いになってしまう。

 まだ自分に忠実で居ることを、諦めたくない。動機はいつもそれだけだ。僕は誰へよりも自分自身に誇れる己でいたい。


 震える足を、奮い立たせる。

 足トレの度に、幾度そうしてきたことか。

 深呼吸する。

 何かするには、到底、無力で手遅れかも知れないが……一つずつでいい。

 確認するだけ。

 まずは外の状況を把握だ。


「……魔人だ」


 突然、大雨が降ってきた。

 その中に、立っていた。民衆がほとんど塵となった場所に()()が。


 間違いない。

 こんな場所に、正真正銘の魔人が立っている。僕と違って、恐らく正式に魔族としての魔人だ。


 よく見ると、まだ数名の生存者がいた。

 若い女性が一人、転けそうになりながらも、慌てて駆けだす。

 見覚えがあった。

 僕が知っている人間はまだ多くない。たしか……サナラとかいう名前の女の子だ!

 

 うっ!!

 ボンっと衝撃波を残して、跡形もなく消え去った。

 ホワイトボードの文字を消すかのように、ほんの僅かな痕跡を残して、この世から消え去る。

 ――むごい。


「ま、待て!! もう止めてくれ!」


 思わず叫んでしまったが、訴えは届かない。残った人も一つ、また一つとでも言うように消されてゆく。

 エトルがフラエルの様子を確かめるべく、すぐ側にしゃがみ込んでから、改めて外の様子を見て目を剥いた。


「本当にま、魔人……!?」

「エトルはフラエルを連れて避難してくれ……。他の人達に報せるんだ。僕がどうにかして、アイツをなんとかするから」

「なんとかするって! どうするつもりです!?」

「同じ魔人なら、もしかしたら、まだ説得の余地があるかも……あいつ、民間人だろうがお構い無しに殺してる。とにかく時間稼ぎでもなんでもしないと、どんどん人が犠牲になる」

「でも、あなたも怪我をしてるんですよ!?」


 それどころじゃない!

 人が次々に木っ端微塵にされてるのだ。

 あんなのは人の死に方じゃない。大勢の人が……死体も遺さず消えてしまった!

 ここで僕が止めずに、他の誰がやるというのだ。


 しかし、止めるにしても繋がれた手枷をどうにかしないとここから動けない。


「クソ!」


 手枷を力ずくで引っ張ってみた。

 鎖と枷は、恐らくまた鋼鉄製だ。前と違って一方の片腕ぶんしかない。

 もともとこの部屋は牢獄として使う事が想定されていなかったためか、壁に取り付けられた青緑の台座に、応急的に鋼鉄の鎖が繋ぎ合わせてある。

 恐らく、この台座は青銅製だろう。燭台かも知れない。

 三又に枝分かれした燭台の根元に巻き付けられ、少し大きめの鎖素子に末端が連結されている。

 取り外しのことはあまり考慮されてない感じで、即席とは言え頑丈そうだ。


 しかし、鋼鉄より青銅は、剛性が弱いはずだ。

 力ずくで抜け出せる可能性がある。


「パワーッ!!」


 こうなったら、破壊してやる!

 パワーと叫んだ所で、パワーが出るわけじゃないが、不思議と己を鼓舞させる響きだった。

 恐怖を感じている暇はない。

 何度も衝撃を与えれば……!


「オラァ!」


 急がねば! 誰かの命がかかっている。

 繰り返し引っ張れば、いつかは金属疲労とかで壊れるはずだ。


 雨はすぐに止んだ。

 衝撃波の圧力で、大気の気圧に変化が生じ、一時的な雨になったのかも知れない。

 外では、まだ炸裂音が断続的に響いている。


「あ! あれは……! あの人!」


 エトルが外を指した。

 促されるように外を見遣ると、見覚えのある人物が、魔人と対峙していた。


「まさか……イシエスさん!?」


 恐らく間違いない。

 魔人を止めに出てきたらしい。

 他に、戦える人は居ないのか……。警備や軍隊みたいな存在は来ないらしい。


「あの人、戦えるのか……?」


 ふと、肩の荷が軽くなって、安心してしまう自分もいた。

 理由ワケのわからないまま、戦いに身を投じる“ハズレ役”をしなくていいのではないか。そんな気の緩みが生まれてしまう。


 馬鹿な……!

 この期に及んで役目から逃れるなんて、して良いはずがない。

 イシエスさんが勝つという確信があって対峙しているとも限らない。

 僕が足を引っ張るとしても、出るべきだ。


「うおおぉぉぉ!」


 この身体、想定より非力だ。

 手枷を繋いだ金具は、びくともしない様に思える。

 だが、諦める理由にならん。

 イケるまで、やるだけだ!


「パワーッ!」


 思い切り引っ張る。

 右手首にズルリとした感触が伝わってくる。いかん。腕を気にしてたら、手加減してしまうな。


「ア、アルノさん! もう駄目です! 腕が……血が出てますよ!」

「そんなのはいい! とにかくイシエスさんを殺されてはいかん!」

「勿論そうです! でも、でも……」


 あなたに何が出来るんですか、と言いたいのかもな。その通りだ。

 今のところ、僕に出来るのはあの魔人の説得以外に無い。何のためらいも無く民間人を虐殺するようなヤツに、言葉が通じるのか? 正直それは分からない。

 ただ、もし戦争終結のために僕が居るならば、今こそ止めて見せねば意味がない。

 あの魔人の目的は、まさにこの僕であるかも知れないのだ。

 たった一人で敵地に乗り込み、ここまで派手に立ち回るのだから、ただの狂人と言うだけではない。差し迫った特別な事情があるに違いない。


「ちょっと話した程度だけど、イシエスさんはきっと、この社会に必要な人だと思うんだ。僕が行くことで少しでも生存に確率が傾くなら、それでいい」

「それはそうかも知れません。ですが……本当に、それがカリア様が望むことなんでしょうか?」

「望むこと?」

「もし、あの襲撃してきた魔人の目的が貴方を……アルノさんを魔人の社会へ連れ帰る事だったら、私達にとってそれが最も避けるべき展開です。その結果が、一番の敗北になってしまいます」


 イシエスさんを見殺しにし、犠牲を容認してでも、僕の魔人の体を失うリスクを避けるべきだと……?

 エトルは意外にも、冷酷で客観的な意見を持っていた。

 しかし、合理的な見方も忘れてはいけないという警鐘だろう。エトルの真面目さゆえのシビアな意見で、本心ではあるまい。


「ああ。そうだな。それは正しい。ありがとう、エトル。でもさ……、理屈はその通りだし、僕も怖いけど、やはり行かなきゃいけない。誰かが止めないと」


 合理的でも無いし、行きたくもないが、行かないという選択肢を採るべきではない。

 そういう事ってあるだろう。

 道義を軽んじる人間は、いつかは合理的で居られなくなる。


「誰かが……」


 言って、エトルは大きく息を吸った。ゆっくりと、吐き出して、僕を真っ直ぐ見つめ直す。


「分かってます。でも、違うんです。まだ選択肢があります」

「え?」

「たぶん、私、やれます。勝てはしないと思いますが、殺すことは出来ると思います」


 は? な、なに言って……!


「貴方はここに居てください! フラエルさんの手当て、お願いします。ちょっと、行ってきます!」

「どうしたんだ急に! 待ってくれ!」


 エトルは、素早く扉まで走って行って、ドアに手を掛けてから、こちらへ振り向いた。


「アルノさん。また会えるか分かりませんが……こんな私を……最低最悪の人間を素晴らしいだなんて言ってくれて、勇気づけてくれてありがとう。勇気、貰っていきます」


 そう言って、扉の向こうへ消えてゆく。


「ば、馬鹿な!」


 殺すことは出来るだって?! 魔人と相打ちでもする気なのか?

 急ぎ過ぎだ。

 クソ! 僕の言動で、もしかしたら追い詰めていたのか。


 ――ッ!


 突然、激震が襲ってきた。

 衝撃波と塵が部屋まで吹き込み、爆音となる。残った窓や衝立、本棚の書籍が一斉に吹き飛んだ。

 突風が顔に砂塵を打ち付けてきて、目も開けられない。 フラエルを保護しなければ……!

 なんとか振り返って外を見ると、キノコ雲が立ち上がっている。


「な、なんだ……?」


 戦いはどうなった?!

 街の破壊がより大きく進んでいる……。


 外を見ても、砂ぼこりが立ち上がっていて、何も見えない。

 とにかくフラエルを安全な所まで運び出し、エトルを止め、生存していればイシエスさんを助ける。やるべきことがどんどん増えるが、そのためにはまず鎖を外さなければならない。

 ボンヤリしている暇はない。


「おい、なんだ……? 一体、何が起きてんだよ?」


 入口から声が響く。

 まさか、このタイミングでアイツの登場とは……。

 ネオンが入ってきた。


「エトルとすれ違わなかったのか?」

「すれ違ったよ。急いでどっか行った。俺ほどの男でも、眼中にないなんてね」

「なんで引き留めない!?」

「君のそのブサイク面を拝みに来たからだよ。それになんたってあの娘、ああ見えて足が滅法速い」

「あんた、いざという時に好きな娘ぐらい守ってくれよ! 今が異常事態って分かるだろう」

「俺は一流のエリートなんだぜ? いざという時に、守るべきなのは役割。君のように、ただブヒブヒほざいてればいいだけじゃないんだ」


 思わず胸ぐらを掴みそうになったが、なんとか自分を制した。ネオンの言うことは事実なのかも知れない。

 流石にこの軟派男でも、今の状況は分かっているだろう。この事変の最中、真っ先に僕の所へ来たということが、発言のその裏付けになっている。


「……もういい。じゃあ、この鎖を外すのを手伝ってくれ」

「逃げようって魂胆か?」

「逃げるわけない。イシエスさんとエトルを守るために、襲撃してきた魔人を説得しにゆく。とにかく急ぎだ。手伝わないなら黙っててくれ」


 憎まれ口を叩くかと思ったら、ネオンは本当に黙った。少し考えて、口を開く。


「……まあ良いだろう。俺の服に触れるなよ」 


 どういう気まぐれなのか、本当に鎖を外すのを手伝ってくれるらしい。また罵られて終わるかと思ったが……掴みどころのない男だな。


「うわ、なんか金臭い液体でビチョビチョだ」

「引っ張るぞ! タイミングを合わせろよ!」


 三つ数え、二人で思い切り引っ張る。ガチンという音を立て、鎖が突っ張った。

 しかし、それからはうんともすんとも言わない。


「ハァ……ハァ。こんなの匹夫のやることだ。力技じゃなく、もっと賢くやれないのかよ」


 前半はどうでもいいが、後半の意見はその通りだ。


「なにか応用できればいいが……。滑車の原理……は使えそうにないか。工具とかないの?」

「あるわけ無い。そんなもんあったら君が勝手に脱出できちまうだろう。ボケナス。建前でも捕虜ではあるんだ」


 ネオンは僕を罵倒しながら、寝そべっているフラエルのすぐ側に座り込んだ。


「はあ! 服がもう汚れちまったよ。え? なんかこの娘……ん? なに?」


 ネオンはフラエルの顔に耳を近付ける。

 何か言っているようだった。


「水銀……?」

「あ、なるほど! 水銀か!」


 脱出できる道具がちゃんとあるじゃないか。

 フラエルは確かに、明晰な部分があるのかも知れない。伊達に二十年以上も魔術師やってるわけじゃないのだ。

 急いで備品の中を探すと、観音開きの扉がついた小さい棚の中に水銀が容れられた小瓶があった。


「水銀がどうなるんだよ?」

「アマルガムだ!」

「な、なんて?」

「水銀は常温で他の金属との合金になるはず」


 口で説明している暇はない。

 確か、水銀は比較的融点の低い一部の金属類などと常温で混ざり合う性質があるらしい。これはほんの少し過熱したガリウムなどでも似たようなことが起きる。

 対象としては、金、銀、銅、錫、アルミ等だ。

 何となく概要を知っている程度だけど、間違いないはずだ。アルミを主原料としたジェラルミンを使う飛行機に、水銀を持ち込む事が禁止されてたりするのも飛行機を簡単に破壊できるからだろう。

 古代からその特殊な性質は知られていて、大部分の水銀は時間とともに揮発して合金となった金属は残ることから、仏像なんかの金属塗装としても使われている。


 つまり、錫と銅の合金である青銅なら、水銀と混じり合うかも知れないのだ。

 青銅製らしき燭台に水銀をかける。かけたばかりだが、まだ外見的に変化は見られない。

 これでなんとか折ることが出来れば!


「……それ!」


 一人で引っ張るが、まだ駄目そうだ。


「ネオン! 頼む、手伝ってくれ」

「おい、俺に指示するな。はあ、やれやれ」

「行くぞ、せーの!」


 ネオンは慌てて僕の指示に従った。

 硬質な破断の音を立て、燭台が一気にへし折れる。


「わあっ!」


 こんなすぐに効果が出るだなんて思ってなかったので、勢いが余って思い切り後ろに転がってしまう。


「折れた! やったぞ!」

「おおお! 自由だ!」


 ネオンと僕は、思わず顔を見合わせてしまった。





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