一章二十一項 アルノ
ほぼ丸一日が経過した。
静かだな……。
ペコが去ってからというもの、これといって変化は無かったし、慌ただしかったのがずいぶん前のことのように思える。
訪問者もどこかの派閥に居るとかいうサナラという女の子が、夕暮れ時にお知らせに訪れたくらいだな。
サナラというあの娘……仏頂面で愛想もないし、一分も経たずに引き返していった。そういう愛想のない人って、逆に印象に残ったりするのよな。
正直、サナラが何言ってたかもよく分からんかったし、無愛想すぎて不安さを残していっただけだった。
まあ、気にしても意味ないか……。
昨日、エトルに教えてもらって、本の文字や単語、魔術についての勉強が捗ったのは成果だ。
まだペコが置いていった学習道具を使う実力ですら無いけども。
座学はともかく、実技は相変わらずからきし。
一日程度では、変わるはずもないか。
また起きて、身体を酒で拭いて、今はぼんやりと本を読んでいる。
イシエスさんも忙しいらしいが、こうまでほっとかれると逆に不安だ。
ネオンも意外と顔を出さないもんだから、エトルを連れて行ってもらう僕の算段も有耶無耶になっている。連れて行かれたら行かれたで寂しいのは否定出来ないが、まあそれは仕方ない。
体の状態は、まずまず。
痛みはあるが、特に負傷が強い左手意外はほとんど動かす事に障害はない。
明日には、運動が出来るかもな。
「今日、そう言えば祈星日でしたね」
「祈星日? なにか特別な事でもあるのかい?」
「一応は。なんと言いますか……お葬式なら祈星日が最終日だと思います」
「なるほど。そういう決まりなんだ?」
「一体、どんな人のお葬式なんでしょうね? あれ」
「まあこれだけの規模なんだから、知名度がそれ相応にあるかなり偉い人じゃ? あ、よく見るとあそこに文字が書いてある。ア……ルナ」
そういう雑談を交わしていると、扉が不意に開いた。
「お?」
意外にも、扉から入ってきたのはフラエルである。
「フラエルさん! 来たんですね」
「あ〜……良いかな? 邪魔?」
「いやいや、どうぞどうぞ! 私達も暇してたんです」
「なんか用向きでもあるのかい? ペコは?」
「いや、用とかでは無いし……ペコも昨日別れてから会ってない。そんなしょっちゅう会うと噂になっちゃうし……」
ちょっと残念そうなのが、いいね。
フラエルは勝手に部屋の備品を物色し始めた。
「ここなら、バレずにサボってお酒飲めるから。みんな魔人さんを怖がってるし、近寄らないんだ」
「そんな理由かい」
「フラエルさんって、そんなにお酒飲んでも大丈夫なんです? その……やっぱ年齢的にも……」
やっぱそういう認識だったのか。
僕の中の社会のルールと違うのかと勝手に納得してたけど、やっぱ子供が飲酒なんてのは健康的にも風紀的にも不味いもんな。
綺麗な水が貴重だからとかで、アルコール度数が低めの酒を子供にも飲ませるというのは地域によってはあるみたいだけど、自分で飲んでみた印象では、ここには子供が飲めるようなマイルドな酒は無い。
なんなら僕は、もうお茶のほうが有り難いとさえ思っている。
「あのさ、私二十六なんだけど」
「え……? ええ!?」
エトルは心底驚いたようだ。
……むしろありがちな展開ではあるけど、確かにちょっと意外な事実だな。
フラエルの反応からするに、同じ事を言われ過ぎてもうウンザリって感じだ。
「私より歳上だったんです?! ごめんなさい」
「だったらなんなのよ……」
「全然悪いとかじゃ無いですよ! 可愛らしくて良いと思います、本当に」
この娘もいつも謝ってる気がするな。
エトルの謝り癖みたいなのをセーブしてもらわんと、こっちも気まずくなるな……。とはいっても、ここばかりは謝るのが正しいとは思う。
「別にいいけどさ」
フラエルは軽く流して、果実酒を喇叭飲みした。瓶の重さを扱いきれなくて一生懸命に見える感じ、たどたどしささえ感じる。
う〜む。
でも、これは子供と誤解してもしょうがない。
昨日はペコと一緒に来たが、ペコのほうがわずかに大きいくらいの体格という感じで、二人が同世代だと勝手に思ってしまったのだな。ペコは明らかに中学生ぐらいの男の子という見た目だが、あれで二十六歳だったらもう自分の感覚を信じられなくなる。
正直、フラエルは完全に子供に見えるほど小柄だ。
ヘルフェとエトルの丁度中間くらいだから、百三十センチちょっと位の身長だ。
栄養状態や温暖湿潤な気候の影響を受けてだとか、家系的に身体が大きくなり難いとか、そういう要因はあるだろう。
反してエトルは北方出身だそうだから、比較的背は高くなりやすいのかもな。
「フラエルはこの街出身なのか?」
「厳密には違うけど。そんな遠くない。ヘーゲンってトコ。でも四歳からここに住んでるし、ほぼケイオンしか知らんかも」
「故郷から離れて、二十年以上もいるんですか……」
「ご時世的に帰国も難しいし。前は時たまちろっと帰る事もあったけど、どうせ帰ってもなんもないトコだからね。結婚するにしてももう年齢的に遅いし、親戚と会っても気まずいだけだから。この歳で中位魔導師になれてないから、もう酒でもやるしかない落ちこぼれってわけ。こうみえて私ね」
「中位魔導師ってなんです? 普通はなれるんですか?」
「ざっくり言えば立場的に中堅の魔術師って感じかな。下に三階級、上にも三階級あって、特殊技能の役職とかを除くと七階級ある。まあ階級というだけあって、全員は当然上がれないよね」
「結構、何個にも分かれているんですね。中堅でも結構要求が高いんです?」
「人による。簡単になる人もいるけど。有望株とかは。私と同年代でも、三割くらいは選ばれたはず。家柄がいい子や裕福な子を弾くわけにはいかないし。抜群の働きが出来るとかなら別だけど、少なくとも普通に生きてる上ではさ、魔術なんて労力に見合ってるもんじゃないし使わないよね。そういうわけ。二十歳くらいまでにならんとほぼ出世の道からは外れるから、そうでない私は落ちこぼれ」
フラエルは、すでに酒瓶を半分空けて、己の苦境を淡々と解説した。
確かに、それがリアルな面もある。
もし仮にスーパーヒーローのような力があったとしても、現実、一生に一度使うかさえ謎だよな。必ずしも、能力に証明する機会があるとは限らない。
「頼みのアルマも死んじゃったし。もう、くだらね」
と、フラエルが付け加える。
家柄とか無くても、推薦とかあるのかもな。
腐りたくもなるだろう。
年齢とかにしても、自分がどうこうって言うよりも、周りが許さない。別に年齢なんて、自分からは見えるもんじゃ無いし……。二十六歳で生き遅れ扱いだなんて、ここの社会の価値観はシビアとは言えるだろう。
「魔人さん。アナタはどうしたほうが良いと思う? 私は、どうしたらここから勝てるんだろう?」
フラエルは僕に聞いた後、一瞬エトルを見た。フラエルはエトルを微妙に認め難い存在として見ているのか。
魔術ということに関しては恐らくエトルの才能は傑出しているが、相応の立場を持っているというわけではない。
現に魔人復活の魔術師として、宮廷の部外者二人が呼ばれてるんだから、存在が“優秀さ基準”のアンチテーゼになっちゃってる部分はある。
しかし雑談とはいえ、僕に聞かれてもな……。
「勝つって?」
「私は、もう馬鹿にされたくない。負け犬って陰口叩かれたくないんだよね。正直、宮廷内の他の人には相談しにくいし……」
なるほど。
僕達が宮廷の完全な部外者だからこそ、本音を吐き出しやすいってのは理解できるかも。
「しかし勝つったってな……ここを出てゆくって選択肢はないのかい」
「う〜ん。まあ」
フラエルは歯切れの悪い返答で、言葉を淀ませた。
「でもごめん、僕には良い案が出そうにない。君の事も、ここの仕組みも、ほぼ知らんから。余計なお世話かもしれんが、ここに違和感を感じているなら、君の素晴らしさが受け容れられるような新しい環境に行ったほうが良いと思うけどな……。それに」
「……それに?」
「それにというか、そんな所で勝たんで良いと思う。互いを高めあうならともかく、敵でもない人に勝とうとする人達が、協力して良い未来を生み出せるはずがなくないか?」
「あ! ちょ、ちょっと」
言葉が強すぎたのか、エトルは慌てた。
「……う、うん。私はただ自分が生き残れれば、それでいいかなと……。まあ、そういう考えもあるかもね」
「あるいは、これからフラエルはフラエル自身の力で、新しい世界で生きてゆく運命かもな」
フラエルは微妙な顔をした。
この娘がフランクで意外と親しみやすい雰囲気とは言え、間柄はまだ親しくはない。
相談されたとはいえ、踏み込みすぎた意見はウザいだけか。
しかし、ここは風通しが良い場所とは言えなさそうだ。窓の隙間風は酷いが。
ソイエンやレーマにしてもそうだが、ここの働き手にはかなり不平不満の芽が萌出しているらしい。
一方的に負けてる戦争に駆り出されるなら、そりゃ不満があるどころじゃ無いのは当然か。
「新しい挑戦だってしたんだけどね。アルマに出来るだけ媚び売ったし。それでダメなら、しょうがないでしょ」
「そのアルマって……一体誰なの?」
「まあ知らないか。あそこで葬式してもらってる人。人間で一番の英傑と見なされてた人だよ。彼女だけで魔人を六体倒してるらしいから。それほど凄い人が、あっさり死んじゃってビックリした」
あ、そういうことだったのか。
魔人を六体倒すと、人間界でも屈指の英雄ってわけか。
「英傑か……やっぱりその人を魔術で生き返らせるってのは、出来ないのか?」
「は? 馬鹿言わないでよ。出来るわけないし、禁忌だし、そもそも出来たとしても死体が無いじゃん」
「死体が無いのなら、なんで死んだって分かるのさ?」
「もう、何も知らんの面倒くさいなぁ。一応、戦場の魔術師は霊信石というモノを持ってて、死ぬと他の人に分かるようになってるの。遺髪もあったし」
「遺髪?」
「女の魔術師は、髪を出来るだけ切らないもんなの! 思い出しちゃったじゃん……あの燃え上がるような髪の束だけが帰ってきたの、生々しいっていうか……結構ショックだった」
当人は説明が面倒くさそうだが、フラエルは事情通だけに来てもらえて僕としては良かったな。
しかし、死体でもなし、髪だけなら大したことない物のような気もするが、魔術師として生きているとかなり大事な物なのかもな。
自分の価値観だけでは測れまい。
「あの人、本気で自分が全てを変えられると信じてたっぽいし。いつも私に『私を信じれば、君は勝つ』とか言ってた」
フラエルは窓まで歩いて行って、渋い顔で酒を飲みながら、外を眺めた。
なるほど。
あの外の文字って、アルマって読むんだな。むしろなんで、エトルはそれを知らんのだ……。
おや?
エトルの様子が……。
床に蹲っている。頭を抱えていた。
「エトル……? また具合が悪いのか?」
どうしたんだろう?
近寄って軽く揺さぶる。呼吸はしてるが、返答はない。それどころじゃ無いようだ。
「う……! なに……これ。あ、頭が……わ、割れそう」
頭? 脳卒中……この若さで?
分からないが、なんかヤバそうだ。医者なんてここに居るのか?
しかし明らかに二日酔いよりも、症状が重い。耳を抑え、苦しそうに背を丸める。
「ねえ、大丈夫……? な、なんだか私も、少しだけ頭痛くなってきた……」
フラエルが青ざめた顔で言う。
「何だと? まさか、攻撃を受けているのか?」
まだ攻撃を受けるであろうという想定はあった。二日も待たずに攻撃されるのは予想外だが、むしろ悠長に構えすぎていたかも知れない。
まさか毒ガスとかで無いだろうから、やはり魔術だろうか?
しかし、何か異変の兆候があったか?
少なくとも僕の体調は何ともない。フラエルは呼吸が荒くなって、顔が青ざめている。エトルは完全に身動きが出来ないほど、強烈な影響が出ていた。
「フラエル。それって魔術によるものっぽいのか?」
「……わ、分からない。分からないけど多分そう」
個人差があるってのが謎だが……。
どうにかしてあげたいが、僕に対処出来そうに無い。鎖で繋がれているので、部屋から出られない。
比較的症状の軽いフラエルに、人を呼んできてもらうか、あるいはエトルをここから運び出してもらうか、という二択になる。
しかし、体格の小さいフラエルがエトルを運び出せるとは思えんし、仮にこれが攻撃の布石だとした場合、分断されるのはリスクそのものだな。
「うっ! ――うぇっ」
突然フラエルが、嘔吐した。
「……はあ、はあ。ご、ゴメン。汚しちゃった。音が……なんか頭がうるさくて。気持ち悪くて」
「音?」
取り立てて気になる音など、僕には聞こえない。
さっきは攻撃だと思ったが……、あるいはそうではないのかもしれないな。
攻撃とするなら最も影響を受けているエトルを狙い撃ちしていることになるが……そうにも思えない。
むしろ無作為というか……無差別?
影響を受ける人の条件があるはずだ。
この三人でエトルが最も強く影響を受け、フラエルはそこそこ。となれば、体格差とかではない。
魔術に関連してくる物とすれば、条件は限られてくる。
魔術か……。
安直に考えれば、魔術的素養との関連か。
魔術的素養が豊かであればあるほど、その“音”とやらが頭に響いてくる。うむ。これは、それなりに説得力があるな。
しかし、仮にそれが正解だとしても、対処法があるとは限らんな。
う〜む……。
駄目で元々。何かしら思いつきで、実践してみるのが良いかもな。
金属はエーテルの働きとやらを妨害するとのことだから、いっそのこと鍋でも被せてみるか。
フラエルに鍋を渡して、ジェスチャーで頭を覆うことを促してみる。
「え? なに?」
「良いから被ってみてくれよ」
受け取った訝しげな顔のまま鍋を被った。
「あ! うそ……! 少し音が小さくなった!」
いや、まさか!
そんな簡単に解決できるとは、逆にビックリ!
備品の中に置いてある、銅製のバケツを持ってくる。
ほぼ気絶寸前になってるエトルを起こし、頭にバケツを強引に被せた。幸い、小顔のおかげですっぽりと頭部を覆える。
特に抵抗するでもなく、人形のように力なく座ったままだ。
他に対処法がないとは言え、凄くシュールだな……。こういうシーンどっかで見たことある。
「なんだか……少し良くなりました」
エトルは微動だにせず、くぐもった声をバケツの中に響かせた。
「あ……。音が止んだっぽい」
フラエルが報告する。
まあ、一応無事みたいだし、よく分からんが良かった。
嘘だとは思ってないが、初めから僕にはなんの異変も無かったしな……。
結局、何だったんだろう?
エトルは苦痛にトラウマでも負ったのか、まだバケツを被ったままだ。
特に前触れもなく終わったということは、やはり音波攻撃はここを標的にしたという事でなく、何らかの事変の影響に巻き込まれただけ、という感じかもな。
「あっちの方から聞こえてたよね? 何だったの?」
「分かりません。脳みそあわや爆発するかと思うほどの音でしたから……」
それを見たらこっちもトラウマだよ。
フラエルが窓辺に立って、外の様子を観察した。
「外の人達は別に普通みたい……あれ?」
「どうかした?」
「なんか……大きな人が。あそこ」
窓の外を見る。
確かにいる。大きさが人々と格段に違っていて、一目瞭然だった。
他の群衆の姿は白一色であるのに対し、黒いボロ切れを纏った一際大きな存在が立っているのだ。オリヴィエ・リヒターズなんかよりも身長がある。
見るからに、異質。
雲の切れ間から太陽の光芒を受け、禍々しくも、神々しくもあった。
雲は風で流れて、光と影の渦の中心に立っているかのようだ。
手のひらを天に向け、右腕をまっすぐ上げる。ただでさえ大きな体は、より目立った。
大きな黒い影は、見えない鉄槌でも振り落とすかのように、大きく腕を振った。




