一章二十項 アルノ
軽い睡眠を経て、夜が明けた。
何度目が覚めても、僕が魔人だという事実は変わりそうにない。
図らずも、このタイミングで自らが魔人であるということがよく分かった。
僕の怪我は見た目こそより悪化しているように見えるが、普通に立って歩けるぐらいにはなったのだ。
そればかりでなく、失明状態だった左目もかすかに視界がある。
全身痛みは酷いが、五体満足になった。
なんと素晴らしいことか。心持ちに希望が芽生えるぐらいポジティブだ。
しかし、だからこそ恐ろしいことでもあるな。この素質で魔族は戦争するんだと思うと……。
規格外というのかな……。この身体が僕の心とは別の次元のような物であると、否が応でも感じてしまう。
へっぴり腰で、仮設のトイレまで歩く。
部屋からは出れないが、部屋内ならどこも歩き回れる程度に拘束が緩い。居住する場所としては完璧とも言いがたいけど、他人に見られないトイレがあるだけマシかもな。
衝立で仕切られただけのトイレなので、匂いと音がダダ漏れだが、まあ酒盛りで酔っ払っているうちに慣れた。本とかに臭いが染み付かないか心配だ。
地面に転がっている毛布から、銀色に輝く髪が飛び出している。
あんな謙遜してたけど、エトルが酒豪だったのは驚いた。まあ北の人だから、さもありなんという感じでもある。
酒に強いのだが、同時に泣き上戸。
どこからあんな感じなんだっけ……。
なんでそういう話題になったかは覚えてないが、“趣味で地図を作り始めた商家の長の爺さん”の話を僕がしたら、エトルは非常に感銘を受けたらしい。
僕の話下手もあるが、歴史の話題はシラけさせる場合が多い。だから感涙してくれるなんて、僕もビックリだ。
しかしそれ以降、些細なことでも泣き出すので、どうやら酒に呑まれてるだけなのだと理解した。
彼女なりの発散なのだろう。
そうこうあって、一頻り酒を交わした後、泣き疲れて、毛布を被ってその場で眠っている。
部屋は十五畳くらいで、個室としてはまあまあ広い。本来なら再起不能レベルの負傷だったとあって、さすがに部屋を横断するのにも苦労するな。
陶器の壺に座椅子となる穴開きの箱を被せたような、仮設トイレに座る。
「う……くさ」
毛布で丸まったままであろうエトルの声が、くぐもって聞こえた。
確かに僕の脱糞の香りで目が覚めたら、最悪の寝覚めだな。
「お早うございます!!」
勢い良く扉を開ける音と、大声が響く。
「わっ! え……なに?」
エトルが驚いて飛び起きたようだ。
「うっ! 酷い臭いですねここ……。本当に部屋合ってます? フラエルさん」
「う、うん。こ、ここだよ。たぶん」
若者らしい二人の声だった。
部屋が一気に冷えたのもあって、ちょっぴり不快ではある。
許可もなく部屋に入って来たらしく、衝立を挟んですぐ向かいにガチャガチャと足音がする。まあ僕やエトルの部屋ではないから文句の言い様もないけど……。
「どちら様ですか?」
「僕はトルス宮のコンセイユ・デューム・クエサリケスです! 美しいお姉さん、お目覚め麗しゅう。お早うございます」
「ああ、どうもご丁寧にどうも……。ノーラのイスエストの……エトルです」
エトルは寝起きだからか、途切れ途切れでヘナヘナになりながら自己紹介した。
二日酔いほぼ確定レベルで飲んでいたし、現在進行系で僕の汚物の匂いを嗅がされているからな……。気分最悪に違いない。
「ここに生き返った魔人さんがいると聞きましたが?」
「こっち」
「ああ! ここでしたか! 失礼します」
「失礼しますじゃないよ君……。トイレ中」
「ああ! 左様でしたか! 失礼しました」
衝立に隙間を開けて覗き込んできた少年と目が合った。
大きなメガネを掛け、ボサボサの茶髪である。
「凄いですよね……本当に魔人みたいです!」
ヒソヒソ声で言っているが、衝立一枚だけでは丸聞こえである。魔人みたいというか魔人だし……。
僕がトイレから出ると、火鉢のまえで少年が道具入れを広げ始めていた。
近くに赤い髪の女の子が立っている。
「私、帰ってい? もうい?」
「魔人さんに興味無いんですか?」
「いや、まぁ……」
女の子は明らかに、挙動不審だった。
キョロキョロと扉を振り返ったり、辺りを伺っている。
「その子はどちら様?」
「ああ。そうでしたね! この娘は元フエルド宮のフラエル。ここに詳しいらしいので、案内してもらったのです。ですがアルマの弟子の一人でありながら、旗色が悪くなるやいなや鞍替えしたので、イシエス様に会うと気まずいのです」
「そ、そんなこと言っちゃ不味いでしょ! ち、違うし!」
「違うなら協力してください。具体的に君に役割はないですが、人手は多いほうが良い。目付け役がいれば、僕らも変な誤解はされなくなりますから。誰の仕業かは知りませんが、襲撃事件があったばかりですしね」
この少年、凄いな……勢いとか。
「僕の名は一応、アルノと言うことになってる。少年、君の名前は何ていうんだっけ? ごめん、もう一度聞いて良い?」
「クエサリケスです! どうぞよろしく! 覚えにくかったら略してペコでも良いです」
「よろしく……お願いします……ペコ」
エトルがさながら死体のようにうつ伏せになりながら言った。
どこをどう突っ込んでいいか分からんが……。クエサリケスをどう略したらペコになるのだろう。
「クエサリケス、ペコ……君は一体ここへ何しに来たんだい?」
「クエサリケスとペコくっつけたらおかしな意味になっちゃいますよ! ヤダな〜!」
「確かに……」
エトルが地面に突っ伏しながら同意する。
いや、言語ネタ分からんのだが……。
そう言えば、逆になんで僕が普通にこの言語を理解出来ているか今更ながら謎だな。
ぼんやりとしてはいるが僕の記憶では、恐らく僕が使ってきた言語とは全く違う。
ここの本棚の表題は、何となく分かるものと分からないものの半々という感じだ。
最初は記憶が全く無かったので、疑問にはならなかったが。
「そもそも、ここって君の所属する部署なんだろう? 案内が必要だったのか」
「ええ。トルス宮は組織されてから比較的歴史が浅く唯一男むさい場所だからか、意図的に分署化されているんです。研究内容に好条件な立地もあるので、合理的な面もあります。イシエスさんの場合、立場的な理由もありますね」
「なるほど」
「ここへ来た目的ですが、僕はイシエスさんに命ぜられて、アルノさんの魔術の資質を把握しに来たのです。兎にも角にも、早速ですがエーテル適性を検査してみましょうか!」
「エーテル適性?」
「魔術師は基本的には、エーテルというエネルギーを利用して魔術を扱います。厳密には魔素とか魔粒子とも言いますね。僕もそれらがどう違うかは、まだ良くわかっとりません」
「ほお」
「そのエーテルを扱うことが出来る量や性質には、不思議なことに個人差があるのです」
そう言いながら、ペコは紐に繋がった瑪瑙のような宝石の宝飾品をフラエルに手渡した。
「なにこれ?」
「紐を持ったまま、導魔してみてください!」
「はあ……面倒くさ」
少女フラエルが集中する。
面倒くさがりながらも、ちゃんとやるのは、やはり魔術師としての矜持なのだろう。
「おお……! 光った」
鍛造される冷えかけた鉄がぼんやりと赤熱するかのように、宝石の内部から光が滲み出してきた。
「はい! 有難うございます!」
ペコがパチパチと握手する。
「……ふう。ま、ざっとこんなもんよね。これが何なのよ」
「これは単純に導魔の量を可視化出来るというだけの魔導具なんです! 新開発! 因みに、僕では夜でないと分からない程度にしか発光させることが出来ません。これだけが才能の有無の指標になるとは言えませんが、魔術の基礎段階の技能が問われるので、現在持っている基礎力の指標とは言えるでしょう!」
「つまり、より強く発光させることが、地力の豊かさに比例するということか?」
「概ねそうです」
なるほど、魔法パワーを度量するためのツールってわけだな。
「では、アルノさんあなたの番です! どうぞ」
「良いでしょう。やってみせましょう」
とは言っても、どうやれば良いのか全く分からんな。とりあえず、パワーを込めればいいのかしら。
「ほっ! はっ!」
「全く反応がございません、どうやら!」
みれば分かるものをわざわざ言わなくても……まあいいか。
むしろ当然のようにも思えるけど、石は輝くこともない。狙った筋肉に効かせ、より肉体美を輝かせるトレーニングなら知ってるけどな……。
「っていうか、聞くところによると、魔人さん。あなたって別の人の魂を移植されたって聞いたけど……もともと魔術師なの?」
「いや。むしろこの身体で生き返るまで魔術師が実在するもんだなんて、知りもしなかった」
「じゃ、駄目じゃん。私だって、基礎を習得するのに五年もかかったし……そんな簡単に出来るわけないし。っていうか、どんな僻地にいたら魔術師と会わずに生きてけるってのよ」
フラエルは年相応に少し無遠慮なところもありそうだが、素直そうでもある。
「しかし、魔人である以上、元の身体の持ち主は魔術を使えたはずでもあります。過去の宮廷魔術師ククナの説では、身体には魔術に関する道筋のようなものがあって、訓練により身体の中で形作られるとも予想されてます。言うなれば、魔術を扱える者は、“魔術師”という生き物に変態できるということです。つまるところ、アルノさんの身体が魔人である限り、魔術を使うことは可能なはずです」
生き物として、魔術師になる……か。
それを信じるなら、この身体の本来の持ち主の頑張りによって、一応は僕がその資質をすでに受け継いでいるということだろう。
考えてもみれば、実際、体にはマッスルメモリーみたいな一度失った筋肉を復元するための記憶もあるからな。
元マッチョは、筋肉を失ったとしてもマッチョに戻りやすい。
魔術師とやらには、筋肉ではないにせよそのような身体構造があるって論理なわけだ。
「……そうかなあ? どんなにいい絵の具と筆を持っていても、絵が上手いって限らないでしょ? やっぱ、積み重ねた経験と知識も重要じゃない? 大人になってから学んだんじゃ、遅すぎるっしょ」
フラエルが反論した。
「どう思うかは主観でしかないです。実力とは、ある程度は誰もが持っているもの。あるかないかという話では無い。二元論的に言い表せることでもありません」
「でも、魔術の素養はエスクティフとフレゴに属するってしらん?」
「根拠のない古い迷信ですよ!」
「でも、テノル宮のあのリノラとレボンが決めた訳ですが」
なんか議論始まったな……。
全く内容の意味は分からんが、偉い人の名前を出したという事で、早くもマウント優位の取り合いになってることは分かる。
「百年以上前の決め事を真理とは出来ません。そもそも、あなたはアルマの元弟子なのに、彼女の理論すら知らないんですか?」
「アルマなんて貴族出身じゃないじゃん」
「……出自なんて関係ありませんよ。魔術を使えない人間は、律動壁の反発が勝るだけで、誰しも潜在力はゼロでは無いという結果が出てます。これは、その時は翡翠宮学書司だったサンドラ様すら正式に認めた実績です」
「あそ! ムカつく。あんた理屈っぽい! 屁理屈!」
「そうですとも! ご存じでしょう。僕は理屈屋ばかりのトルス宮に在籍しているんですから、選ばれし屁理屈なんです」
「お前、黙れ! 貧民!」
二人の声が大きくなって、エトルが耳を塞いだ。
「まあまあ。魔法に関して言えば、僕は魔人の潜在力を打ち消すほどのトンチキさ。気負わずやるよ。アドバイスがあったら教えてくれ」
「……まず身体全体でエーテルを感じることからだね。意識で空間を掌握するように」
フラエルが助言してくれるが、いくらなんでも抽象的すぎだな……。
このような世界に来たからには、魔法も扱えるようなってみたいと思うのが普通なのだろうが……。
僕は特に魔法使いになりたいなんて願望も無いな。
しかし、少しぐらいは自分の有用性を示しておかないと、保身という面で良くないだろう。
人格の上書きが一度きりと決まっているわけじゃないなら、へルフェの言う通り『もう一度選びなおす』ことだって出来るのだ。
イシエスさんがそこまでするという話では無いが、少なくともその選択肢はある。
僕を消して、魔法を使える人格を新たに選ぶという選択肢だ。
「これって、普通どのくらいで出来るようになるのさ」
「人によりますね! 早ければ生まれた時から。どの段階でも躓く人がいるので、一生まともに魔術を扱えない方もいらっしゃいます」
そりゃあ、困ったもんだ。
魔法使いになるなんてのは、障壁も高くて、競争率も高い、言うなればレッドオーシャンってわけだな。
そう思うと、ソイエンとかは確かに優れた素養を持っているのかも知れない。
「いや。じゃあ逆にですよ? もしかして、この石の容量に対して、僕の魔法パワーが強すぎるのでは?」
「どゆこと?」
フラエルが首を傾げた。電圧とかが強過ぎて、家電製品がショートするイメージだが、よくよく考えると、伝え方が難しい。
「なるほど。その説もありますね。一度エトルさんに協力してもらって試してみましょう」
ペコは技術者なのか、理解してくれたらしい。
体調不良によって完全にダウンしているエトルに、同意とかは取らず、強引にペコが宝石を握らせた。
エトルはずっと顔を床に擦り付けたままだったが、話は聞いていたらしい。
瑪瑙のような宝石は、瞬時にさながら電球が点灯するように眩く発光した。
それにとどまらず、一瞬で真っ二つに亀裂が入り、光が乱れる。バシュッというような圧力が結晶を突き破るような音を立てて、光る粉を吐き出す。
今まさに命が潰えるかのように発光が徐々に収まって、割れた宝石が残った。
「あ!! 本当に壊れた!」
「ご、ご、ごめんなさい。う! すみません……力み過ぎました」
「な、なんなのよ……それ」
僕は見かけ倒しの完全無能者の烙印が確定し、ペコは新開発の道具を壊され、エトルは二日酔いで理由のわからぬまま過失を犯し、フラエルは誇り高きプライドを突き崩された。
「う〜む。恐らく、芯として使われているエルイス鉱石に負荷がかかりすぎて圧力が内部で生まれてしまいましたね! しかし、まさか破壊出来る程の人がいるとは! こりゃすこぶる怒られてしまいます!」
「事情はあるんだし、イシエスさんに説明したら?」
「こう言っちゃ角が立ちますが、トルス宮はヘンテコで頑固な人ばかりなので、問答無用のお説教でしょう!」
ペコは口調は脳天気そのまま、うなだれた。
「でも、良いこともあります! 魔術の才能は魂に紐付いているという昔の予想に、少し信憑性が増したのです!」
結局、それって部分的にはさっきのフラエルの反論が正しかったって意味なんじゃ……。
しかもそれが事実だとすれば、僕がどんなに頑張っても、魔法使えないかもな。
なにせ、前世では魔法なんて存在が無かったような気がするし。
「あ! 実は僕はこの後、一旦聖堂で行われる国葬に参列する予定なので、ここでお暇させて頂きます。まだまだ初等技能だと考えると、あれこれやっても集中出来ないとも思えますし。使わなかった道具と説明書を置いて行きますね!」
「国葬?」
「知らないですよね? そこの窓から丁度見えますよ」
ペコに指された窓の外を見ると、街を一直線に見通す大通りに繋がった広場の真ん前であった。
広場にはまばらに白い装束に身を包んだ人々がいる。
石畳で綺麗に舗装された通りと、コンクリートかモルタル造りの家々がずっと続いていた。
始めてみた外の景色が、まさかこんな都会の真ん中だとはな。
「凄い……! こんな場所だったんだ」
昨晩、陽気に酒盛りしてた時は全く外の景色は分からなかった。ガス灯や電灯とかは無いだろうと思うし、実際、夜は暗かった。
「ここがドコだか場所も知らなかったわけ? ここらへん、大窓のせいで外から見えるし、夏は暑くて冬は寒いから、人気無いんだよね。眺めは良いんだけど。宮廷の前面は嫌がられんの」
「一面だけで横幅は五百歩も長さがありますからね。いちいち誰も気にしちゃいませんよ! フラエルさんはここに残りますか?」
「う〜ん。私も広場に行こうかな。顔だけ隠せばいいし……」
「しかし錆落としの用務から逃げてても、永遠に終わることはありませんよ! しかも、逃げてサボるだけでなく、まさか隠れて酒飲んでるなんて!」
「うるさい! 黙りなバカ」
なんだかんだ仲いいな、この二人。
酒といえば、エトルはずっとダウンしたままだな……。
「エトル、まだ調子悪いかい?」
「内臓が……ムカムカしてて……う」
う〜む。
僕の場合、そんな二日酔いの経験も多くないけど、梅干しとしじみ汁があれば、だいたいマシになるという印象だ。しかし、そんなもんは無さそうだな。
「出来るとすれば、迎え酒しかないな」
「あ、それなら僕が!」
ペコが機転を利かせて、荷物置き場に歩いて行った。すぐに戻って来る。
「これ、果実酒しか無かったですが!」
「蒸留酒みたいのもあったでしょ?」
「え? ありますけど、もともと消毒用に作られてますし、あんなもん飲む人居ませんよ? 貧民街では時たま飲む人もいるんでしょうけど、体には良くないかも」
ペコの言葉に、僕とエトルは沈黙せざるを得なかった。
フラエルがペコの手から酒瓶を掠め取る。




