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零章二項 イシエス


 宮廷の中をしばらく歩いて、離れた実験棟の物置のような一室に向かった。

 重々しいドアノブを掴んで開ける。

 まず私を迎えたのは、部屋の薄暗さと鼻を突くわずかな腐臭だった。


 二人が、入り口の先にたたずんでいる。


 一人は幼女のように小柄な亜人だった。

 星霊術という魔術を好んで扱う、マイスという種族の者だ。

 もう一人は、痩せた若い女性。長い銀髪、若い女性らしいほっそりとした首に、赤らんだ頬。こちらは話に聞いていた北国の人だろう。薄暗いなかでもなお目立つほどに、色白である。


 そして一際目を引く、横たわる大きく黒い遺骸いがいが一体。

 載せた台に収まりきらない四肢を、だらりと力なく投げ出しているが、それすらもちょっとした樹木のように太く、人の成人男性よりもずっと大きな体躯だ。

 すでにかなり前に息絶えている。しかしながら、遺骸になってでさえ見る者を圧倒するような存在感や迫力が、この部屋の雰囲気をも支配していた。

 これが、“魔人まじん遺骸いがい”だ。


「私はカリア・イシエス。ご両名、よくぞここまで足労していただいた。茶でもれたいが、人手もないし、ここには茶器すらもなくてな。気が利かなくて申し訳ない。せめて、楽にしてくれ」


 両人とも、そわそわしていた。

 初対面同士なうえこの状況。私は慣れているが、彼女たちは落ち着かないだろう。


「あ、は、はい。初めまして、よろしくお願いします……! ええと、て、て、お天気てんき晴朗せいろうで……お日柄もよろしく……」


 北国生まれの華奢な女性は、段々と言い淀んで、言葉の勢いを失ってしまった。

 一応、挨拶を考えてくれていたらしいが、最後まで聞き取れず、どう返答したものかわからない。

 名前も呼べないでは失礼なので、聞き返さなければならないだろう。

 しかも、お日柄ひがらは悪いし、天気はぐずぐずだ。


「もう、いいってそういうの。自己紹介なんていらん。早くして。お前らフウリ族なんて、同じ顔でいちいち見分けがつかんし」


 マイスの少女は、挨拶代わりにつっけんどんに言い捨てた。恐らくフウリというのは彼女たちの言葉で、我々を指す言葉だろう。

 礼儀はいまいちなのだが、まあ死んだアルマも大差ない。なにより、そのほうが気疲れしなくて良い。うわべばかりの慇懃いんぎんさもいい加減、食傷気味だ。


「待たせてしまったようだな。当然だが、ここケイオンもこの頃は随分と立て込んでてな。これ以上、勿体ぶっても申し訳ない……準備はもうお済みなのか?」

「いや、と言うより、あ、あの」


 北国ノーラの女性は、おずおずと手を挙げた。


「そもそも私……なんでここに呼ばれたかすらイマイチよく分かってなくて。それが……」

「うわ、お前。トロクサさ丸出しじゃの~。この状況! 見てわからんかね? じゃが芋娘が」

「いえ全く……。委細いさい不明ふめいです」


 なるほど、やはりと言うべきか……それもそうなるか。

 魔人や魔獣の体の取り扱いには、許諾が必要なわけだから、すべてを把握している者はこの宮廷に多くない。

 説明もなく待たされ、混乱しているはずだ。


 まず一旦、状況の整理だな。

 アルマのやり残した仕事だ。おざなりには出来ない。

 正直、不測の事態がないとも保証できないので、巻き込まれるこの両人に概要くらいは説明する義理はある。


「言っとくけど、やべえことには手をかさねえぞ」


 獣人の娘は、不安そうな面持ちで言った。状況を見ると、明らかに不自然ではあるかもな。

 宮廷に属する魔術師は一人もこの場に同座していない。アルマの近くによくはべっていたエルステスもフラエルも、他の魔術師もいない。

 この暗い部屋に、ただ我々三人と、魔人の遺骸がある。不穏さは否めない。


 しかし、これでいい。

 “疑わなければいけない人間”がいれば、それだけで懸念の材料になる。

 ただ眼の前にやることだけがあれば、気分も少しは紛れるというものでもある。


「では、時間が許す限りは今の状況や私の目的を説明させていただこうか。ちょっと長くなるかもしれん。そこらの机なりに座ってくれても良い」


 魔人を運び込むので、事故防止のためにも無駄な什器じゅうきやら椅子やらは運び出してしまった。

 今は薄暗いだけの殺風景な場所だ。昔は望楼に勤めてた兵士の詰め所だったらしいが……。広くはないが、確かに天井だけはかなり高い。

 

「いま人は全面的、総力を挙げてこの“魔人”が率いる“魔族”と戦争している。そして、人間はほぼ一方的な防戦……歴史的に長らく大敗が続いている」

「そんなこと知らないやつおらんじゃろ……。お前さんたちが、ガチボコにやられまくってるのは。こちとら忙しいんじゃ、ヒゲ。短く要約して言え」

「なるほど。あなたはある程度、戦局をご存知なのだな」

「いや知らんけども。ワシらはべつにお前らほどバチンコで敵対してるわけじゃないし」

「かつて魔人に同族の半分を殺されても、まだ敵対する必要はないと……?」


 マイスの少女は黙った。

 この種族は口は回る者が多く短気だが、臆病な性質でもある。


 しかし実際、敵対を避けるのは現実的な判断だとも思える。魔人は個人の戦闘能力という面において超越的とさえ言える。人間が百人集まっても、一体の魔人に勝てるとは言い切れない次元にある。

 故に、魔族と対立せず奴隷になったのが、このマイスという種族なわけだ。

 排他的だが穏健な種族であり、温暖な地域に住んでいた。

 そもそもかつて人類に迫害されて逃げのびた土地に住んでいたのが、人類の後退によって、今度は魔族に組み込まれてしまうという不憫な種族ではある。


 結果だけ言うと、戦わずしてマイスは激減したのだが、それをなじるのは不味かった。

 それに、半分以下になった人間フウリが言えたことでもないか。


「いや、礼に欠いたな……。失礼した。たしかに敵対するという決断も難しいほど、魔族は恐ろしいほどに強い。魔人は魔術を、かなり高度に使用できる。それはそもそも肉体の性質、種族そのものが持つ才能に拠るところが大きい。単純に言えば、生まれながらに強いということだ。完全無欠の強者。だが、そここそに疑問もある」

「疑問ですか……?」

「今のところは、かなり漠然としているがな。理外なほどに強者である生物は、実はある面では脆弱であると私は考えている。獅子ライオンといえど狩りはよく失敗する。狩りが上手すぎれば、獲物になる生き物が減りすぎる。それは逃げることが出来る生き物が、釣り合いがとれる程度に生き残ったという面で考えることも出来るが、強者が不完全のままでいるがゆえに、彼らの生態系を守っているのだとも思えないだろうか? 必要以上の強さや豊かさがあるとすれば、知らずのうちに社会全体を蝕む。逆に考えれば、絶対強者かのように見える魔族にも、我々の知らない、理解できていないだけの弱さがあるのではないのか? そういうことだな」

「ふん! 確かにな。フウリ族(おまえら)はワシらよりでかいのに、軒並み頭は弱いがの~。脳みそが足らんから」

「そ、そうなんですか?」


 北国の女性は、なぜかちょっと嬉しそうに聞き返した。


「そりゃ、おめぇそうよ」

「いいか。ご両人、話を続けてよろしいかな。前提としては、そこまで難しい話ではない。ここ最近、魔人は戦争を急いでいる。対人間との比率としては微々たるものかも知れないが、魔人にも戦死者は増えてきている。これには大きな理由があることはどうやら間違いないだろう。強引に進めざるを得ない理由に追われている、という見立てが出来なくもない。つまるところ、人間が優位に立つための魔人の弱点が何かしらはあるだろう。だから、それを探るための手段がいる」


 彼女たちは、目を見合わせた。

 『それでなんで私達が?』と言いたげだ。


「だからなんなんじゃい! いつまでもベラベラと意味のわからん。そんなモン、知るわけない。このワシに聞いても知ってるわけ無いじゃん!」

「ですね!」

「いや、ですねじゃないよ? ちょっとだけ同意の仕方違うよ? まるでワシが馬鹿みたいじゃん」

「あ、すみません……」

「しかし普通さぁ、物事を説明するのって結論からまず言うよね……頭の良い奴ならばな!」


「この魔人を復活させる。それが目的だ」


「え゛え゛ーーー!」


 二人はあたかも飛び上がるかのように、全身をしならせて悲鳴をあげた。

 普通に感づいてもいいだろうと思ったが、そうでもなかったらしい。

 共感はできる。普通に生きてきた者には、見るだけでも恐ろしい相手だ。

 その姿を見た者は、高確率で死者となっているという面もあるが。


 生け捕りも死体の解剖も、情報を得るというには難度が高い。“安全な蘇生”が可能であれば、今のところ最も確度の高い情報源となるだろう。

 宮廷の望む和平に関しても、“敵の弱点”は必須の鍵となるはずだ。


「そ、そそんなな、ことどど、どどどっどうやって――」


 マイスの少女が不規則に振動しながら言った。


「魔獣での実験も経ていて、こちらでは一応準備は終えている。あなた達の魔術によって、今すぐにでも可能だ」

「い、いや、そ、そんなん駄目じゃね? あぶねえよ! “聖人君子は、動かない”ってことわざであるよな? 魔人の復活に成功してしまったら、それって凄く危ないじゃん!」

「危ないとは?」

「だって……! いろんな寓話ぐうわで、そういう場面あるし! 研究者が最強モンスターを扱いきれずに、復活させた自分がまず真っ先に殺されるのがお決まりじゃん」

「そうなのか? 無論、安全にも配慮をする。あなた達は一般の魔術師だが、誰にでもお願いできることでもない。わざわざこちらが選ばせていただいたのだからな」


 正直、多少の危険は承知でやるべきだと考える。

 この実験で盤面をひっくり返すような成果が生まれるとは思わないが、しかしながら戦争の劣勢を打開する術は限られている。

 出来ることはすべてやるしか無い。多少の犠牲や損失はどこかしらで生まれるものとして、強引に前進する姿勢がなければ、身動きすら取れないのだ。

 なにか小さな成果の一つ一つが動力になって、社会全体の勢いが生まれるのが理想ではある。


「それに、その安全のためにも星霊術を使うことのできるマイスのあなたがいる。放っておけばこの遺体も腐敗は進んでしまう。早ければ早いほど、成功の確率も上がるだろう。急なのは申し訳ないが、あなた達の力が必須なのだ」


 二人は目を伏せた。

 これは困ったことだ。まさか、尻込みするとは……。

 強制しても、上手くゆくはずがない。やる気のある専門家だとしても、新たな発見や実証というのは難しい。

 ただ、退けない理由がある。私の個人的な事情として、ここまで来るのにかけた結構な時間と労力、取り返しの付かない犠牲、二度と来ないであろうこの好機がある。


「あんなぁ。そもそもじゃがなあ。ワシのとても偉大なる凄まじい星霊術じゃが、死体にはなんの効果もないぞ。この北国産きたぐにさん芋女いもおんなが生き返らせるとでも言うんか?」


 まさにその通りである。

 星霊術の内の一つの秘技である降霊術は、“魂の憑依”ができる。つまり、その魔術を使って魂を失った魔人に別の死者の魂を移植することで、安全な蘇生ができるという構想だ。


「そこが大きな課題だった。降霊術はあくまで生きている者に対してだけにしか使えない問題点がある」

「問題点じゃねえけどな!! じゃが実際、この魔人は死んでおる。よってワシにも無理なの!」

「ああ。そこで彼女の北方魔術が役に立つんだ。この魔術は――」


 マイスの少女は嫌な予感があったらしい。異人種ながらハッキリ読み取れるほどの、緊張の面持ちだった。


 禁忌きんきとされる魔術、屍霊術しれいじゅつ、死者の蘇生が思い浮かんだのだろう。

 禁忌というが、それは実現不可能だ。

 魔術は原則的には、無から有を生み出すものではなく、万物の変換だとされている。

 少なくとも無から死人を蘇らせるほどの、夢のような魔術は存在しない。

 それがあれば、魔人を差し置いて、まずアルマを生き返らせる。


「――彼女の魔術は保温術フラロッド。物の温度を調整し、一定にたもつ魔術だ」

「そっそんな――! そんなこ……っえ?」

「それが必須な理由がある。具体的に言うと魔人は死に瀕すると、特殊な状態に変化する。エーテル濃度の高い内臓や脳がマナに置き換えられるのだ。その不思議な機能によって、身体が腐敗から守られる。一時的にだがな」

「良く分からんが、死体から強いエーテルを感じるのはそのせいってわけか?」

「そうだ。そして、エーテルは温度変化によって活性化することが出来る。詳細な原理こそ現時点では不明だが、その身体に生体の脈動みゃくどうを復元することが出来れば肉体的には生き返る。つまり、そこで北方魔術の出番だ」

「それは……要するにこの遺体の温度を私が魔術で上げてしまうということですか? たったそれだけで……? そんな簡単な方法で生き返るだなんて……」


 簡単と言われると、そうでもない。

 他の細かい準備や魔物の動物実験があったので、決して即席で出来る物ではない。

 そもそもエーテルは、他の力に影響されやすいものだ。少なくとも温度調整という点に関しては、今の科学の技術では再現性が無かった。

 つまり最後の一手として、完全に制御できる魔術に頼るしか無かったのだ。


「聞かせていただいていいだろうか? 貴方あなた保温術フラロッドを使えばどれほどの間、持続できるか」

「私がですか? わからない……です」

「わからない?」

「地元ではエーテルも有限ですから、どこまでやれるか試した機会はないんですけど……。あ! でも一応、自分の魔術だけでポブフの雛を卵から孵化させたことはあったような……」


 なるほど。

 つまり、およそ二十日間くらいだろう。

 マイスの少女には北国ノーラの娘の才能がわからないらしく、興味もないような面持ちで「へえ〜」と呟いた。


「……いや、それが本当なら恐ろしいほど良い。卓越していると言える。我々も最初はできるだけ自己完結するのを目指して駄目だった。精度を高める以前に、維持もできなくてな。アルマですら、保温魔術フラロッドは温度を一定に保てず、しかも一時間弱しか持続出来なかった」

「それはそれでレベル低すぎじゃろう」

保温魔術フラロッドは、エーテルの供給と消費を、同時平行的に扱えることがまず前提なんだ。よく知られる魔術基礎、五つの手順をすべて並列的に行えなければならない」


 ここのエリートであるほど、むしろ扱えない究極の魔術でもある。

 宮廷の魔術師は、“万能たれ”という方針だから、出世する者ほど中途半端だという矛盾がある。


 出世のためには社交性を問われるため、広範な魔術専攻が必要になるから、結果的に“昇進するための魔術”を学ぶことになるらしいが……。

 皮肉にもアルマを忌むエリート達の理想像は、突き抜けた万能の魔術師アルマなのだから不思議だ。


 北方魔法はことさらに独特で、曲芸じみた難しさだからもはや北方人以外は誰にも扱えない。

 音楽の技能で例えるならば、息をずっと吐き続けることができる循環呼吸をしながら、指十本それぞれで異なる拍を刻むぐらいの難しさになるだろう。


「まあ、ざっと概要はそんなところだな」

「そうかよ。多少は勉強にはなったがな……でも結局、安全な確証はねえじゃん。ていうかその面で言うと、ワシの力に頼り切るの前提だし」


 安全だとか、悠長な事を言っていられる情勢ではないのだ……。とはいっても、この二人にどこまで状況が逼迫しているか、実感出来ないのは無理もない。

 人間は自分に実害が出るという所までいかないと、事態が把握出来ない。一般人なら特にそうだろう。


「しかし、今後ケイオンすら失えば、魔族の侵攻は止められなくなるだろう。マイスの貴方もいずれ北国に移住することになる。せっかく定住した第二の故郷ですら、失いたくはないと思わないか?」

「そ、それは……。だからって禁忌を犯したりしたら、ワシはエクラナも出禁じゃ。屍霊術は禁忌きんきじゃん」

「そうか……。確かに禁忌だが」

「降霊術は最高で終わることはあんまないし……。程度の問題じゃ。大きな危険、小さな危険は予測できぬし起こりうる。術が成功したとしてもじゃ。魔人の人格が魔人にのり移ったらどうする」

「人格の選別みたいなことは出来ないのか?」

「無理じゃな。言うなれば、混ざりあった膨大な星の記憶から一つをさらうだけ。レモン畑でたった一つだけ甘いレモンがあるとして、見ただけでそれを選べるか? 当然、無理。ざっくり色みたいなのはわかるが、特定の個人や条件を選ぶというのは不可能。なんだかんだで危ないから、マイスの中でもこういうのは基本禁止なの。生き返ったはいいが、そいつがこのケイオンの街を破壊しても、取り返しつかないぞ」

「それでもいい」

「えっ?」

「いっそのこと全て無くなってしまえば……仕方ない。結果的にそうなれば、そうなったというだけのことだ」


 思慮もなく、つい出てしまった言葉は、自分でもびっくりするほど本音だった。

 そもそも、レモンがるのは畑じゃなくて樹木じゅもくである。

 そういうどうでもいいようなことは考えられるのに、大義の理由など私には思いつかなかった。


「分の悪い賭けだとは思わない。それに、誰しもがリスクを負う責務がある。痛みを分け合う義務。不条理に抗う責任を他者に押し付けたならば、時には失うことになるのも文句は言えないだろう」


 我ながら暴論だな。

 自分でも分かってる。社会を憎悪し始めて、社会の救済などと虫のいいことを曰わっている。

 だが、いつの日にか現れるであろう英雄を生むには、悪魔となれる人間が必要だと思うのだ。


 そこで、北国の娘が手を挙げた。


「あ、あの! ちょっとだけ、ち、違うんじゃないでしょうか」

「違う? どういう意味かな」

「やっぱり、こういう時のあれじゃないですか」

「あれ?」

「つまり……なんでしょう? ちょっと事が突然すぎて……。確かにあなたは偉い人ですから、私達がどう思うかとかの段階じゃないのは分かってるんです。事情も説明でなんとなくわかりました。でも」

「この際だ。正直に言ってくれて良い。まだなにか、わだかまりがあるのか?」

「ええ、まあ。今日ここに来たばかりの私達には、どんなに話を聞いても、これが本当に良い事なのかはわかりません。あまりにも想像を越えるような事態ですし。良くない事をやらされるのなんて、嫌ではありますよね」


 せっかちすぎて、不安を与えてしまったらしい。魔術は精神面が非常に影響する。追い詰めても、何ら益はない。


 ここのところ、溺れて必死にもがくような息苦しさを精神的に感じている。

 自らが冷静で客観的であるだなんて、到底言えそうにないものな。

 私の弁明を待たず、北国の娘は言下を継いだ。


「でも! やっぱ役に立ちたいって気持ちはあると思うんです。だって、魔術師は、人生をかけて魔術師になるんですから。本当にまるきり乗り気じゃなくて覚悟がなかったら、初めからここには来ていないと思うんです。そう。だからというか……、あと決め手がもう一つって感じです!」

「おいおい! 言っとくけど、いまさら金を積まれたってやらんぞ。もう帰るけど、良いよな?」


 その言い分は妙だな。

 報酬は一応、すでにそれぞれの魔術組合やイスラ教会に振り分けているはずだ。

 取り分も考えそれぞれ銀貨四百枚だから、安くはない。

 彼女達が受け取ってないなら、尚更やる気になるはずも無いわけだ。


「いや。待ってください! あ、あれ! あの、もらった手紙にも書いてありました!」


 手紙?


「ええと、なんだっけな。あ、これだ。え~、『経歴不問! 福利厚生充実! 頑張り次第ですぐ昇進!? 先輩がやさしくイチから教えてくれる仲間思アットホームいな職場です』って」

「モロやりがい搾取路線じゃな……」

「あ、違った。間違いました。その後です。『この退屈な覚めない夢から覚めるまで、一緒に私の夢を追いかけてもらえないでしょうか。夢見せたろか。たぶん楽しいです』。これです!」


 なんなのだ、その手紙は。

 補足を足しても、怪しい勧誘である事実は覆ってないな。


「カリア様、あなたが信じる夢を教えてください。勇気に必要なのは、理由とか責任とかじゃなくて、たぶん夢!」


 書面の滅茶苦茶さはともかく、確かにその主張は一理ある。

 夢か……。

 他人を『夢』の文句一つでさんざ振り回す。あの女の夢は、いつもただのワガママでしかなかったけどな。

 でも、その女があからさまなだけで、誰しもがそうかもしれない。

 大義や使命なんてものは、欲望を忍ばせるための張りぼてなのかもな。


 思わず、小さく溜息が出てしまった。


「悪いが私にはもう夢がない。夢を篝火にして先導するその人はすでに死んだよ。私はただ、その灯りに導かれてここまで来た。今は必死に残り火を消すまいとしている」

「まあ同情はするが、ぶっちゃけ、魔人一体を復活させた所で、戦争をどうにか出来るなんてのもそれこそ夢物語じゃしな」


 事実だな。

 魔人蘇生だけが用意している戦争終結への手段では無いにせよ、大局からみれば小事ではある。


「そうだ。むしろこれは、個人的な拘りというのも大きい。今は火を絶やさぬことが、死んだその女への手向けなんだ。しかし、暗い時代には灯りがいる。灯りが消えそうだとしても、人々にはまだ導きが必要だ。私も火を見るばかりに、周りを見ていなかった。正直、今となっては、執着しかない」


 こんなこと、わざわざ遠方から来てくれた親しくもない相手に言うべきじゃ無いかもな。

 ただ思うのは、暗中、ふと我に返るというのは恐ろしいことだ。結局、進むためには夢に縋るしかない。


「その女の残した希望の残り火を、消させはしない。これが彼女の最後の夢なのだから。私はその残り火で、行く先を照らすしか無い。どう言い繕うが、私の執着でしかないかも知れない。だが改めて頼む、あなた達の力が必要だ。助けてくれ」


 天性ホラ吹きだったアルマは、だいそれた夢を語る人だった。

 夢を聞く度に途方もないという気持ちもあったが、明るく視界が拓くようだった。


「愛……ゆえですね」

「なるほどねぇ。恋は妄執ってやつかね。ちょっと目覚しなよ」


 ここまで言っても駄目か……。


「いや、良いじゃないですか! ここで成功させたら、帰った時に良い土産話に出来ますよ! ケイオン記念にやってみましょうよ!。私なんて、もうみそぎも済ませちゃったくらいです。一番有名な聖堂には何かよくわからんイベントで入れなかったので残念ですが、他の有名な観光スポットは行きましたし! あそこ行きましたよ。え~と、あそこのレストラン、大通りの!」


 魔人蘇生はアクティビティじゃない……。

 しかし、どうやら北国の娘はやる気になってくれたらしい。

 戦争の重要な時期に観光しようという逞しさは、とりあえずもう認めるしかない。


「もうホトホト疲れちまってんのよ。慣れてない土地で変な奴に関わるの。魔人蘇生とかさあ。危険思想ですからホントに。やらない。ワシ、やらんよ」

「確かに……。宮廷で責任問題になったら肝臓ぶち抜かれてしまうってルールですから、尻込みするその気持ち、分かります」


 どこで聞いたのだ、そのルール。

 そんな仕組みがあったら、もう人間が宮廷に残ってない。


「違うでしょ。塩漬けにされて故郷に送り返されるとかじゃ無いっけ?」

「そうだとしても、それでもいいじゃありませんか! 塩漬けされても、きっとアナタは可愛いままです! 頼られたら北国ノーラモコとして、やっぱやらなきゃいけませんよ! それに、なんだかいける気がするんです。いつも地元では猫に避けられてるのに、今日は猫が自分から寄ってきてくれたんです! どうです!?」


 もう何がなんだか分からんが……。

 このマイスの少女も、北国の娘の言葉は聞いてくれるかもな。運気がいいということだから。

 猫を愛でると運勢が上向くなんて、誰しも実践できる素晴らしい魔術ではあるかもな。

 そういえば、宮廷の中庭に住み着いて増えすぎた野良猫を一斉に駆除したという過去の記録があった。あるいはそこでこのケイオンの運にケチが着いたのかも知れない。


「いや、バカバカ。意味わかんねえ、なにそれバカ。どうですじゃねえ。ワシは反対だし帰るね。自滅するつもりならワシ抜きでやってくれ」


 そう言いながら、獣人種の小人はせせこましく荷物をまとめ始めた。

 頑固なのは、やはりマイスだな。しかし、この種族の性質は頑固なだけではない。臆病でもある。


 結局のところ、肝臓をぶち抜いたり塩漬けにするという選択肢は無くとも、逃がすつもりはない。

 マイスの扱う星霊術で惑わされて逃げられるという事に関しても対策済みだ。

 縛り上げてでも、やってもらうしかない。

 

「いい加減、肚を決めてもらおう! もう覚悟する所だ愚か者。そのちっぽけな肝、ぶち抜いてやろうか!」

「す、す、すんません! かしこまりま……!」


 私が迫ると、マイスの少女は『かしこまりました』を言い切る前に、北国の娘の背後に隠れた。

 やれやれだな……こういうのは本意ではないが。

 恫喝によってマイスの少女は、快諾してくれた。乗り気になってくれたので、幸いである。




 概ね機材の調整を終え、最後の簡単な作業を残すのみになった。

 完璧かは分からない。しかし、大筋おおすじの理論に間違いはないはずだ。

 この遺骸となった魔人は死んでいるが、魔人や魔物は、名前の示す通り魔力との高い融和性を持っていて、体組織をエーテルを含んだ有機体、いわゆるマナに作り替えることが出来る。エーテルやマナは腐敗しにくい。その特性により、魔力が取り込まれている限り完全には死なない身体らしい。

 アルマに言わせれば、そう言う仕組みなのだから上手くゆく。そういう論理だそうだが。

 つまり“生き返えらせる”べくして、この魔人は“生き返えらせられる”とも言える。


 純度を高めたエーテル晶を、脳に刺し込む。多少は魔獣と構造は違えど、さんざ同じことをやったので、死体いじりも手慣れたものだ。

 

 安全のために、一応は魔人の遺骸は非常に強固な鋼鉄の鎖で拘束してある。

 鋼鉄は魔力を阻害するので、物理的、能力を封じる意味的の二重に拘束力がある。


「工程を説明する。遺骸に僅かに電気を流し、かつ温度を一定に上げる。置換されたマナが、励起し爆発的に体組織が修復される。この現象は魔物で確認している。そして修復の最中に、星霊術を使って人格を上書きする。元の人格は魂を失っているから、上書きされた魂が残り続ける」

「そんなさあ……料理にお塩を振りますみたいに、お手軽に言われても困るんじゃが。星霊術はとっても難しい術じゃ。ポンと言って出来るような御業みわざで無いわい。ちょっと頼み方っちゅう……」

「悪いが今ゆとりがない、三文字以内で言ってくれ」

「はいぃ」


 マイスの少女は緊張して直立した。怒鳴るのはやはり良くなかった。今後、信頼関係を築けるように、私も学習するしか無い。


「お塩を振るのだって意外と難しいですよ。煮物とかは、冷やすまでなかなか味が分からないですし、お菓子づくりとかは分量がかなめです」

「いや、違う違う。フォローとか無いんか……。ワシだって……ホントは自信がない。星霊術だって本当に難しいんだもん」


 それは言わずもがなそうだ。

 人間に出来るなら、そもそも気難しいマイスに頼まない。星霊術は論理的な技術や手順が確立されてない、いうなれば秘術めいていて、アナログな面にかなり偏った魔術だ。成否も個人の才能に委ねざるを得ない。


「一緒に頑張りましょう。でも、なにも心配ないです。失敗したら、たぶん嫌なことは起こらなくて、少なくとも明日は安全にご飯が食べられるし、そもそも一度で成功するような、そんな都合のいい計画じゃなかったってだけですから。成功したら、あなたの星霊術はやっぱりとびきり凄くて、皆にめちゃ自慢できます。だから、どっちでも問題なしです」

「お前……ワシのお母さんかなんかか? やめい、恥ずかしい」

「あ、ごめんなさい」

「おい、だけど、それでいいのか? ワシの家のババアが言うに、“悪しき魂に触れしは、濁流だくりゅうに飲まれるが如し”。こういう悪事に一度関われば、抜け出そうと思っても、強烈な運命に捕らわれて抜け出せなくなる。怖くはないか?」

「確かに、生きてきて怖いばかりです。子供の頃からずっと。いつか……いつか私にとって明日というものが怖くなくなるんじゃないかと思って、そんな漠然とした希望を持ってます。でも多分、みんなそうですよね。きっと、待つだけじゃ駄目ってなんとなく思うんです」

「……まあ、そうかもね。お前、名前は?」

「エトルです。私は北の国(ノーラ)からきたエトル。家名はありません」

「なんじゃ、ベタで古くさい名前じゃの~。お前らしいけど」


 エトルはおそらく神代の時代に王女となった、聖王女エトルリアの名だ。神代の創世期に人類の女王だった人である。

 古くさいというか、とてつもなく歴史的な名ではある。


 聞くところによると、マイスはさほど神や精霊という存在に信仰はないらしい。


「おいエトル。……ヘルフェ」

「え? なんです?」

「ワシの名前、ヘルフェ。二回言わせんな」

「わかりました。いい感じに終わらせてご飯にしましょう、ヘルフェ」

「よし、いいだろう。二人共、やるぞ!」



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