一章十四項 イシエス
祭祀が始まろうとしていたところだった。聖堂内に激しい反響音と振動が轟いた。
真鍮の燭台や香炉などが倒れるほどの、大きな揺れだ。
共振によって、高音を放っているガラスの採光窓に亀裂が入る。
イスラを象徴するリスネルの草花の彫刻で飾られた聖堂の壁面が、歪んだ圧力で小石のような破片を弾き出しながらギシギシと軋んだ。
聖堂内に集結していた高貴なご婦人たちや僧侶は顔に恐怖を浮かべたが、身分がある人間ばかりなので、体裁というものが勝るらしい。取り乱すような者はいなかった。
目の前の僧侶がなにか叫んでいたが、轟音にかき消されてなにも聞き取れない。
目の前に石灰岩のコンクリートの塊が落ちて、ガツガツと転がった。
特に誰かに当たったわけでは無いが、婦人たちは一斉に怯んだ。
この轟音と激震。
原因は不明だが、恐ろしいことが起きているのは間違いない。
青銅の大砲よりもはるかに音が大きい。
地震にしては揺れの幅が短いし、ケイオン近隣ではそういった天災が起きるなどという過去の記録もない。
この聖堂を揺るがすほどの衝撃波と言うほうが、どちらかと言えば近いかも知れない。
ふと、音は止んだ。
やっと、振動も収まり、ホコリが舞うだけになった。
ガラスはエーテルを伝導しやすい性質があるため、強い共振によって壊れてしまうこともある。つまり、強い魔術が使われた懸念がある。
ただし、それは人間業ではない。
もしや、外で重大なことが起きているのではなかろうか……。
とても……とても嫌な予感がする。
恐ろしくないといえば嘘だが、そうも言っていられない。急ぎ、確認しなければ。
「狼狽えるな。大人しく報告を待て」
私がまさに歩みだそうとした時だった。
摂政大臣であり宮廷魔術師のサンドラが、言葉を放った。
「イシエス、貴様もだ」
「しかし……」
「まず待つ。我らは待つべき者である故に」
下手に事態をかき乱すよりは、イスラ聖教の判断にまかせたほうが良いと言うのだろう。
サンドラは齢五十を迎えた女だが、泰然としたその姿には未だ若々しさと麗しさを残している。深い眉間のシワは、彼女のその立場の重責の現れかもしれない。
魔術の才に恵まれているとは言えないが、しかし魔術の才に恃まずここに立っているとも言える。とはいえ実際のところ、家柄の恩恵が大きいだろう。
当然、宮廷魔術師かつ摂政大臣であるサンドラが、この場にいる人間の中では最も位が高い。
動くなと言われたはいいが、それきりただ静まり返ったままだ。
外の警備の近衛兵も教法官も報告に訪れる気配が無い。
イスラ聖教の立ち入り許可に見合うだけの身分が無ければ、聖堂に入ることもできないため、外から一般市民や下級の兵士は入れない。
誰も来なければこちら側から聞きにゆくしかないのだから、結局は私が動くしか無いな。
「恐らくは聖堂の外でなにかあったのでしょう。私が確認してきます」
「まて、イシエス殿」
「ジーシェ様。なにか、ご懸念が?」
ここでサンドラの代弁者と言わんばかりに重鎮ジーシェが、ゆったりと躍り出てきた。ジーシェは年相応に肉置きが豊かで、存在感はサンドラ以上だ。
ジーシェ・グラヌ・エニス。
法薬学医局長という、強権だけ残して職務の実態は空っぽの形骸化した組織の役職を持っている。宮廷専属の医者という立場上、身分的な自由度が高く発言力も超強力。ただし、この女に医学の技術はほぼない。
エニス家は家名そのものも悪名高い。
先祖が医学界の発展のための援助と称して、学生に貸付制度を半義務化したことから、地方の亜人のヤブ医者ですら利権の影に取り込まれてしまい、医学界隈は創造性を失った。
「なぜそのようにお急ぎなのです? このごろ随分と塞ぎ込んでいたと聞き及びましたが、そのように突然張り切ってしまって……なにを企んでおりますことかしら」
「そんなことを言っている場合では……。緊急を要するかもしれない」
「大臣は動くなと申されたのです。ご自身を特別だと勘違いされてるのかは知りませんが、あなたも例外じゃないのですよ」
なるほど、この機に乗じて私が報復するとこの女は考えているらしい。この事変と私を関連付けて疑っているのかもしれない。
アルマが誰の手によってハメられたか、厳密なところはまだ分からない。しかし、ジーシェは犯人候補と言える。
なにせこの女は三ヶ月前にも、自分の補佐官とその一族……老人や子供も例外なく全員をタノラという戦地に送った過去がある。
その補佐官の使用人の一人が、敵対しているフエルド宮の女官に仕えてた前歴があって交友があるという理由だったらしい。何にせよその猜疑心の強さは予測不能の域に達している。
攻撃的な者は、不思議なほどに臆病さも兼ね備えている。むしろ、臆病さこそがその人間性の源流と言っても良いだろう。
自分の業と劣等感に追われ、疑うことをやめられなくなる。
いっそのこと、排除しても良いかもな。
確かに、イエルの言うところの“お茶会好きなおばさん達”を一網打尽に排除するのには、またとない好機なのかもしれない。
感情を抜きにしても、メリットは大きい。
しかし……、やはりまだその時ではない。
やるべきことがまだある。
奇跡的にあの魔人の蘇生を成功させることが出来たことは、どうやらかなり私に冷静さをもたらしてくれたらしい。あるいは夢に酔っているだけかもしれないが、気持ちにゆとりはある。
アルマという実質的なリーダーを失わされたからこそだ。今後は完全に勝つ必要がある。
というのも、宮廷は昔から貴族の縁戚に基づいた、閉じられた仲良しグループを形成している。
それはつまり、彼女たちは自分達が自負するほど替えのきかない存在じゃないということでもある。特定の誰かを排除しても、何も変わらず、同じことを親戚の誰かがやるだけだ。
浄化するとすれば、まさに大掃除といった様相になるだろうが……、もうそこまでする益がないとも言える。
ケイオンはもはや隙間風や雨漏りだらけの豪邸で、鼠とりに追われるほどの価値はないとも思える。
価値はないが……、許せない。
必ず責任を取らせるつもりだが、完璧に勝つことこそがアルマへの手向けだ。
「ずいぶんお気持ちが昂ぶっておいでのようだ。ジーシェ様」
「あなたの無作法が目に余るものですから」
「これは失礼致しました」
「あなたの行動を怖がっている者が多いのです。他所の家の庭で、カラスに餌付けするようなことですわ。ご自重ください。このように忙しい時に」
なるほど、そういうことか。
ジーシェの苛立ちの理由は明らかだった。
一昨日、宮廷から忽然とエトラネミア様が姿を消し、失踪してしまったことによる焦りがあるからだろう。
実際そのことに関して、成り行き上の偶然とはいえ、私も無関係でない。
当然、ここではなにも話す気はない。
すべての貴族の格式は、エトラネミア様という象徴に依存している。
自前の領土があるために、諸貴族はある程度は大きな態度をとれるが、無論大きな戦争を独自で切り抜けることは難しい。
特に、離農した農民が増えれば自分たちの荘園が崩壊し、自治もままならない。一度でも離農を許容する風潮になれば、一気に各所で流民が増えるだろう。その一例を生み出さないために、貴族たちは連携している。
絶対に国家が必要な時期ではある。
国家、則ちエトラネミア様だ。
ここの御婦人達にとって、失踪事件は困った展開だろう。
君主の失踪というのは、死なせてしまうよりも始末が悪い。
仮にエトラネミア様の身が新たな庇護者によって保護されれば、その庇護者が絶対的な正統性、ほとんど王権を得ることになる。
彼女が二十年ぶりにケイオン家から選ばれた盟主であるため、すでに力のバランスはかなり崩れたらしい。
エトラネミア様はケイオンの正統な血脈である上に市民に人気があるため、主に民衆が盾になっている。
宮廷の御婦人達からすれば、目障りだが疎略にも出来ない困った存在というのが本音だろう。
それは死んだアルマにも同じことが言えて、葬儀中止となればそれは中止するだけの理由がなければ不自然に思われてしまう。
本当はエトラネミア様の失踪に掛かりきりになるべきなのだが、エトラネミア様の失踪を表沙汰にしないために、葬儀の中止が出来ないという矛盾を招いた。
つまるところ、上位の貴族たちが律儀にもここでアルマの葬儀に参列しているのは、市民の感情を制御するためということでしかない。
「今は葬儀である。言い争いはいい。それに、イシエス。貴様の恩人のためにこの祭祀があることを忘れるな。おい、そこのお前……、外へ様子を見に行ってくれまいか」
サンドラは宮廷の侍従に、命令を下した。命令された若い女は、静かに聖堂の入口に歩いて行った。
十秒も経たないうちに、悲鳴が聖堂の中に響いた。
若い女はすぐに引き返してきて、大袈裟に恐怖に慄いてこの場に崩れ落ちた。
「どうした」
「お、おびただしい血が……! 扉に!」
「外はどうなっているのだ?」
「悲鳴が……悲鳴が聞こえて! 私、恐ろしくて……! 申し訳ございません」
若い女は外の様子を確認する前に、怯えて完全に萎縮してしまったらしい。
腰が抜けてしまったようで、上質な喪服を緻密に着飾った貴婦人達に囲まれながら、だらしなく床に座り込んでしまった。
皆、言葉がなくなった。
「仕方あるまい。では妾が確認に行こう」
「なりません。摂政大臣とあろうものが自ら動くなど……!」
サンドラは本気らしく、素早く歩き出した。数人の取り巻きが追い縋るように制止した。
ここに出席しているのは有力貴族との縁戚がある人間ばかりなので、厳格な序列や家の格式がある。
序列はあるものの、派閥の均衡があるため、序列通りに扱ってもそれはそれでトラブルになる。聞くところによると、未だ宮廷は八つほどの派閥に分かれているという。
些細な仕事ひとつさえ、誰かの品位を傷つけたと大騒ぎになりかねない。
そういうことで、最高責任者が動くのが一番穏便であるという本末転倒さだ。
ただ、サンドラが私に介入させる隙を作ってくれたということだろう。
「もう詮議は結構です。戦闘が必要としても、私以外に経験者はいない。サンドラ様、よろしいでしょうか」
とにかく、外の異変だ。
ジーシェの戯言に付き合っている場合ではない。
「戦闘? なにを愚かな……ここはケイオンですよ……!」
「いい、ジーシェ。そういうことなら任せるしかあるまい。……許そう。イシエス。すぐに戻れ」
女どものボスはもともとそのつもりだったらしく、あっさり了承した。
「可能であれば。しかし、私が帰ってこない時は、皆様方ご自身の判断でここを去る方がよろしいでしょう。サンドラ様なら、抜け道もご存知でしょうから」
まったく肩がこるな。
しかし、重要なのはこれからだ。不安が胸に立ち込める。
出口に近付くと、侍従の女の言っていたとおりだった。
扉の隙間から、聖堂の内部まで赤い液体が染み出してきている。
おびただしい血というのは、あの侍従の女の恐怖感によって誇張された表現というわけでは無かったようだ。
ただ、悲鳴は聞こえない。
扉を掴むと、冷たかった。
風はない。
ゆっくり扉を開くと、強烈な血なまぐささとイヤに重い扉の感触がある。
水を吸い込みやすい石灰石が、真っ赤に濡れていた。
本来あるべきだった静謐の集いは見る影もない。まさに地獄への門を開いたかのようだ。
「これは……」
ひどい有様だ……。
名状しがたいほどの凄惨さ。
私の経験した戦地でも、ここまでの酷さではない。
聖堂前は屍肉だらけになっていた。民衆は消え失せ、血と細切れの肉塊が広場を散らばっている。
それらを踏まずに歩くことは出来そうにもない。
足を踏み出す。
ぬるぬるとした感触と小さな硬いものがギリギリと踏みしめられる音が同時に伝わってくる。
聖堂の階段には、人の形のような肉塊がへばりつき、聖堂の高い屋根からも血が滴っていた。
人の死んだばかりの精気すらも臭ってきそうで、生々しさが胸に立ち込める。
虐殺か。
これが、さっきまでここに集まっていた群衆の成れの果てなのだ。
どうやらもう目を背けることは私には許されない。
おそらく、私が招いた。そうでなければ、こうなる理由がない。
周囲の建物も全壊している。倒壊した建物と瓦礫が、大通りを阻んでいる。
聖堂も外装はかなり傷んでおり、広場の守護精霊像も台座以外は影も形もない。
一変した周囲の崩壊具合と相反するように、広場の中央は綺麗なものだった。
舞台かのように、円形に石畳が広がっている。
広場のほぼ中心に、大きな黒い人物が立っていた。
明らかな異質。
遠目で見てもかなり大きい。
すぐそばには、イスラ聖教の法教官の老人が倒れていた。
這いずろうとして力なく地面を爪で掻く老人に、異形の者は近寄っていった。
どうやら、言葉を掛けているらしい。
なにか……。異形の者が右手に持っている。
鞄を下げるように、血まみれになった小さな人を持っていた。生きている。おそらく獣人だろう。
正確に事態を把握できては居ないが、ほぼ間違いなく、あの異形の長身の者が禍根そのものだろう。
今すぐにでも攻撃するべきなのかもしれないが……。しかし、ここからだと獣人と老人を巻き込みかねない。
異形の者と教法官の老人は、意思疎通は取れなかったらしい。老人は恐怖で錯乱してしまっていた。
異形の者は小首を傾げ、数歩後ろに下がる。
空気が歪む。
強烈にエーテルが流動すると、エネルギーの余剰が変換され空気を膨張させる。
はっきりとそれがわかった。
「よせ!」
鼓膜を突き破るかのような爆音を鳴らしながら、老人が跡形もなく消し飛ぶ。
「貴様!」
異形の姿がこちらに振り向いた。
切り立つような額と、切り出したかのように鋭い顎、頭部の流線型、分厚くて漆黒の肌。
魔人だ。
見まごうこともない。これが人類の敵、災厄の化身。同じ姿でも、アルノとは纏う雰囲気がまるで違う。邪悪さが一目でわかった。
「ウネレデ エイ メノレイヌ」
私にむけて何かを呟く。
……たしか、ウネレは『私に』とかの意味でエイは『持ってくる』という意味だ。何かを持ってこいというのだろう。
さっきの私の予感は間違いではない。
つまりは、この者の仲間の遺骸……今現在で言うところの、アルノとなった魔人の身体を取り返しに来たのだ。
状況的に、他に考えようはないだろう。
しかし、一体どうやって。
こんなことになるはずが無い。
魔人と人が争う前線ははるか遠く……北西のタノラで、ここまで来るのに船でも最速で六日前後はかかるはずだ。歩きでも半月はかかるだろう。
誰にも悟られず、阻まれずに来ることは不可能。
ありえるのか……? 道中、人間を全員なぎ倒してきたというのも、いくら魔人といえども現実的ではない。
「エレフ」
魔人は私に向かって突き出すように、持っていた獣人を掲げた。
「……へルフェか!?」
「……! お、お前は……!」
あの時と違う衣服で身体を包んでいたために分かりにくいが、間違いなくアルノを復活させたマイスのへルフェだ。
こういう形で再会するとはな……。
へルフェは悲嘆の色で顔を染めた。
「ごめん……、ごめんなぁ」
ごめんだと? なにが……。
――――!!
そうか。
ああ、そうか……。そういえば、そういうことだったな。
つまり、そうなんだ。
忘れていたわけではないが……。そうなることを、考えたくなかった。
彼女が……エトラネミア様は亡くなられたのか。
運がなさすぎるとはいえ、こんなこともあるのか……。
仕方ない。
こうなってしまったことは、もうどうしようもない。取り返しがつくならそうしたいが、それはできない。
このへルフェのせいでも、イエルのせいでもない。
エトラネミア様自身、望んで自ら巻き込まれてしまったのだ。しかし無論、彼女にも一切の非はない。運が悪すぎた。
こればかりは、私以上に責められるべき人間はいないだろう。
……本当に最悪だ。
最悪も最悪。
しかし、まだこれも道の途中だ。エトラネミア様は有用ではあったが、失ったからといって完全に道が潰えるほどの問題ではない。
悲嘆に暮れるほどの資格さえもない。
どうすれば良かったのかもわからない。
彼女の心情を慮るならば、もっと関わり合いを持つべきだったのだろう。
ふと、いつものように私を労う声を掛けてくるその少女の顔が、脳裏に蘇ってしまう。
いざ話を聞こうとすると、向こうから呼び出したのに気まずそうにはぐらかされた。
ずっと私に何かを言いたそうにしてたのは分かっていたが、おそらく、サンドラの派閥よりも私のような外の人間を頼ってしまうと、結果的に嫉妬を受けた私の立場が悪くなってしまうと理解していたのだろう。
少女でありながら、宮廷の誰よりも慈悲深く思慮深い人であった。
彼女は、幼いながらにどうしようもない不安ともどかしさを感じていたに違いない。
運が良ければ、いつかは彼女の境遇も改善するという程度に私は考えていたが、そもそも、どう境遇が改善しても、圧倒的な孤独は癒えることはない。
本当はずっと、助けを求めていたのだろう。
眉間にしんどさが募ってきて、つんと鼻ににおった。
もっと非情にならねば。
エトラネミア様が迎えた顛末がどういう結果にせよ、一旦忘れる。
今だけは忘れなければならない。
この暴挙に巻き込まれたのは彼女ひとりではない。被害者みなのために、まずはこの魔人に対価を払ってもらわなければならない。
「へルフェ……自分が逃れることを第一に優先して良い。いまは落ち着いて、冷静になれ。魔人の言葉は分かるか?」
へルフェのショックは大きいらしく、茫然自失といった様子だった。
しかし、立ち直ってもらわねば。
恐らく彼女は通訳として生かされている。マイスは近年までは魔人の奴隷だったので、他の人種より魔人の言葉を理解出来る者が多いという理由がある。
なんとか逃がすしかない。
ある意味では、この亜人の娘とエトルこそが私にとって最重要人物だ。
ヘルフェは俯いてただ涙を目に浮かべていた。
無理もない。
マイスは知性のある種族のなかでもかなりストレスに弱く、荒事にはおよそ向かない。
「気持ちは分かるが、とにかく君を逃さねばならない。頼む。私の言葉を訳してくれ……。“魔人をここに連れてくることは出来ない、だからそこまで連れてゆく”と伝えてほしい」
へルフェは俯いたまま、息を詰まらせそうになりながら、なんとかボソボソと私の言葉を訳して魔人に伝えた。
『許さない。ここへ連れてこい。従わなければ殺す』
魔人がやや怒りを表したせいでか、むしろ発音が明瞭になって聞き取りやすくなった。
そうなるだろう。
「へルフェ。出来るだけ私の言葉をそのまま訳してくれ」
こうなれば、やるべきことをやるしかない。小細工で勝てる相手ではない。
今まさにここが、覚悟を試される時だ。
「正直に言おう。私はお前を殺すつもりだ。どこかで不意打ちを仕掛けて殺せればいいと思っていたのだが……。そこのマイスはお前の目的とする者の居場所をしっている。望みがあるなら、好きにすれば良い。ただし、私を倒してからだ」
『いいだろう』
魔人はヘルフェの通訳を受けて、合意した。
持っていたへルフェを雑に投げ飛ばす。
やるしかない……!
相手も生き物、神などではない。
一瞬で殺す。魔術を封じることができれば、不利にはならない。
相手も無辜の民を不必要に虐殺した。正々堂々である必要などない。
懐の導具を抜き取る。
魔導具導弾筒を撃った。
亜音速で放たれる矢弾。
その飛翔体は岩をも穿つ。心臓や脳を貫けば一発だ。
魔人は避けない。
その場に立ったまま、腕で空を薙ぐ。
高速で迫った導弾筒の矢が、火花を咲かせながら粉微塵になって撃ち落とされる。
なるほど、不意打ちも効かないらしい。
……流石は魔人と言ったところだ。
おそらく、相手は“爆破”を得意とする。
単純にして、強力。爆轟の魔術師だ。
人間の制御力では、エーテルを爆破させるまで圧縮することすら難しい。それで、目視することも難しい飛翔体を正確に撃ち落とす制御能力。
悔しいが、紛れもなく強大な敵、破格の才能だ。これが格の違いなのだろう。
しかし、こちらにはまだ手数がある。
負けを認めるには早すぎる。
抜手のまま、もう一度、導弾筒を撃つ。
『なんだこれは……? 魔術ですらもない玩具で私を殺すつもりだったのか?』
言葉を私が理解出来るのが分かっていたらしい。攻撃を容易く防ぎながら、魔人は嘲笑った。
そうだ。
私に、魔術の才能は全くない。
アルマの魔術を扱う才能にも、生み出す創造性にも遥かに及ばない。
才能の壁を打ち破ることは出来ないというのも、学び始めて十年以上経ってから理解した。
しかし、才能など問題じゃない。
手に入らない物に対してひがみを拗らせているだけかも知れないが、もう魔術が得意になりたいという願いもない。
どんなに研鑽したところで所詮、道具ひとつで覆るものだ。
導弾筒は、才能の有無とは関係なく攻撃手段となる飛び道具だ。
長細い金属の筒に、小さな矢弾とマナ結晶を詰めただけのもので、雑に使っても堅実に動作する使い捨ての魔導具。
標的に中てるにはそれなりの習熟が必要だが、高い速射性と弾速、中たればそれなりの貫通力を持つ。
もともとエトラネミア様を守る必要性が出てきた時のために携行していた。
聖堂に武器の持ち込みは禁止されているが、触媒なら問題ないとされている。
なにもかも、いまさらではあるが。
『くだらん』
爆破を操る魔人は、三度目の放った導弾筒を防いだ。
火花だけが一直線の軌道に残って、魔人の身体に反跳する。
爆破の規模や方向までも操れるとは、かなりのものだ。
しかし一つ、分かった弱点がある。
導弾筒の弾速が速いことによって、ヤツは攻撃することが出来ない。
そうでなければ、自分の目前で矢弾を撃ち落とす理由がない。先制攻撃することで私の攻撃を封じるということが出来ないのだ。
魔術は距離の制限を受ける。
およそ、相手までは十五歩ぶんの距離。
広場中の民衆を余さず虐殺したことを見れば、最低でも広場の半径の幅くらいは爆破によって攻撃できる範囲はあるはずだ。
仮説としては、おそらく発動時間。
魔術の届く距離に問題があるのではなく、速度に制限が大きいのだろう。つまり、距離が離れれば離れるほど、爆破までの時間に遅延が出る。
その仮定で言えば、距離を保ちさえすれば、攻撃されることもないということだ。
しかし、導弾筒も数には限りがある。
出し惜しみするよりは、勝負に出るべきだ。
導弾筒の三連射。
精度が犠牲になるが、単純な機能であるためあるだけ連射が出来る。
三連符を打つような甲高い射撃音が響く。
魔人は二度、攻撃を防いだ。
火花に紛れ、三発目が魔人を貫く。
ドッと鈍い音が鳴った。
如何に凄まじい魔術の技術を以てしても、そう何度も矢弾を撃ち落とすことはできまい。
魔人は、右肩を負傷していた。