一章十一項 へルフェ
「さすがにくたくたですわ」
リシルが飯を食べた後にぐったりしながら言った。
ガサガサで酸っぱいパンに、肉をカスカスになるまで煮込んだスープ。
まあそんなんでも、少なくとも腹は一杯じゃな……。充足感は無い。消化に体力を奪われているのか、疲労感がたちまち襲ってきた。
やっぱ、ワシは野菜と肉と魚は苦手じゃ。あと堅いパンは食えない。
文句の一つでも言おうか悩んだが、リシルが有難そうに食ったもんだから何も言えなかった。
それであとは部屋に帰った。
リシルと二人だけの相部屋は、一応キレイに整えられている。
二人で寝そべって、暗い天井を見つめる。窓もないので真っ暗じゃが、廊下の扉の隙間の光がリシルの横顔を微かに照らした。
「お前、腕とかはもう平気なのか? 死体にボコられてたし……」
「ええ。動かさなければ、我慢できますわ。私、本来は頑丈な質ですから。具合が悪くなる前までは、病気一つしたことがないですの。屋根から落ちた時も、傷一つありませんでしたわ」
「そりゃええが。そのお転婆、これからは慎めよ。いつだってブスやワシが、護れるわけじゃ無いんだから」
「ヘルフェ様は王都に着いたらなにをなさりますの?」
「なにって、何もしねえよ。金がありゃなんか面白いことでもするが……。そこからお家に帰るだけじゃ」
「王都に家がありますの?」
「いやいや、エクラナって場所。ワシの物心ついた頃はすでにワシら一族はマイスの住処を追われてたから、一応はそこが故郷じゃなぁ」
「そうなのですか……」
声には隠しきれない憂鬱がこもっていた。
「遊びに来てくださりますよね?」
「まぁ、気が向いたらな」
ウストルだとかいう王都の貴族の家にか?
ありえんわい。
土台、無理な話じゃ。
住む世界が違う。それに、マイスがここに来るだけでも、どれほど難しいか知らんじゃろ。今は戦時とあって、イスラ聖教による検問の通り抜けが難しくなっとる。
今回はたまたまの縁でこうなったが、友達になったからとて会えるわけでもなかろう。
「そのことはまた話しましょう。まだ先のことですものね」
「そういうお前はどうするつもりなんじゃ?」
「じゃあ、私こそそのエクラナって場所に行ってみましょうかしら」
「無理じゃろ。それに仮に行けたとしても、クソ田舎でなんもねえぞ。楽しくなんかねえよ」
「良いのです。もちろんそれで」
「リシルお前、さっきも言ったがとりあえずしばらくは大人しくしてたら? 狙われるようなことしちまったんじゃからさぁ」
「だからこそ! チャンスですわ。私、いろんなところや人々を見てみたいですの。ヘルフェ様のような毛むくじゃらの民も見てみたいですわ」
「おいおい。ワシらは見せもんじゃねえし……その毛むくじゃらってちょっと差別的じゃぞ」
「失礼致しましたわ。でも、違うことは素敵なことですわ。そのモコモコをもっと誇りに思うべきだと思うのです」
どうなのかねえ。ワシにはよくわかんね。
未知であるのは、畏怖でもあるが、時に甘い夢でもあるのかもな。
ホント、そんないいもんじゃねえって……。いざ目の当たりにして、「思ったよりショボいですわ〜」とか言われたらコッチがたまったもんじゃない。
リシルは鼻で溜息をついた。
「それと、海に行ってみたい。船で、私を……私のことを誰も知らない……そんな場所に行ってみたいのです」
いやいや、自分をいったいなんだと思ってるのよ。ま、そこは年頃の女の子らしい自惚れじゃな。
「まあ、お転婆なお前らしいや。生きてりゃ、いつかは叶うべ」
「ですわよね! そう思いますわよね」
リシルはすごい嬉しそうだった。
子供っぽく、胸から嬉しさが溢れているような笑い声を響かせる。
「もう、寝なよ。先輩からのアドバイスじゃ。大冒険のコツは、寝れる時には必ず寝ること」
「はい」
ワシもすでにじゃじゃ馬の制御が上手くなったものじゃ。
もう、とても眠い。
とても眠いし疲れていた。
じゃが、なんだか眠れそうにない。
あの死体を見たせいだろうか?
自分でもよくわかんねえが……。
ワシは今までも残酷なことは目の当たりにしてきた。
でも、やっぱり悲惨なことは悲惨じゃったな。今でも、死体の匂いは鼻に染み付いている。よく飯が食えたと自分でも褒めたいね。まったく。
あとまあ、時折うっすら垣間見えるリシルの抱える闇も、扱い方がわからない。
そもそも付き合ってやってるのも、ワシの善意ただ一つがあるからじゃし……。メリットなんか無いんだから。
エクラナのババア達へ、なんと報告すりゃあいいんじゃろ。魔人復活の幇助罪、これだけはバラせんな。バレたら鉄拳制裁はまのがれぬ。
頭の中がグルグルじゃ。
目を閉じて、頭のなかで暴れまわる自分をなだめる。
ふと、鼻をしきりにすする音が聞こえた。
すぐ隣からじゃ。
暗くても、枕で顔を覆っているのがわかる。
息を殺しているせいか、時々溜息のように呼吸していた。
別に今さら隠して泣いても……。
すごく……気まずいじゃん。
枕を濡らすって、こういうことなんじゃな。ワシの場合は、いつもは涙よりヨダレでビシャビシャじゃ。
「なあ……」
「あっ……! ええと、起こしてしまいましたか? 申し訳ありませんわ。その、えっと……」
「まあ、なんだ。惺命祭とか烽冥祭があるからさ……」
「え?」
「そのうちエクラナに来いよ。半年に一回くらい、死んじまったヤツを星に還す祭祀があるから……友達のコトじゃろ?」
「……はい」
「残った身体はブスが上手いこと葬ってくれるらしいし。今はしょうがねえと思うしかないじゃろ。まあ、割り切れるようなもんでもないし、酷いことじゃがなぁ」
「本当に……ですわ。それと、地下で亡くなられたかもしれない御婦人達も……。エリジュの姿を目にしたとき、初めて死体が人に見えたのです。一人目の方を私たちは、地の底へ突き飛ばしました。他には顔を無くしてしまった方も……。今思えば、彼女達にもあるべき尊厳があったはずですわ。完全な被害者達だったのに」
「そんなこといったって……状況が状況じゃったから」
「そうですね……。私程度の力が及ぶことばかりじゃないのは、よくわかりましたわ。でも、自分が無意識でも人の死にさえ区別をつけたことが、悲しくなってしまって……」
「お前、優しすぎるんじゃね? 見ず知らずの人の死にいちいち絶望してたら、くたびれちまうよ」
「それでも……、それでも悲しむべきことを悲しめないのは、悲しいことですから」
リシルの顔をみると、涙を落とした。こんな世の中でも、純心を持つような人間性は素晴らしいのかもな。
泥の中でさえも、咲く花というやつじゃ。根っこ食べれるヤツ。ババアに『お前は心が汚いから食え』と言われてよく食わされたものじゃ。
「ワシらなんて、祭りで一括処理で弔いしとるからね」
「そういえば、さっき言ってましたわね」
「惺命祭とか烽冥祭じゃ。エクラナのやかましいババアどもがよく言っててな。全ての魂が、ひとつとして例外なく、等しく星に還ることが出来る。悪人も善人も、獣も虫でさえもな。星とはそうでなくてはならん。報われない醜い死も、それもまだ旅の途中なんかもしれんな」
見慣れたワシから見ても、あれらの祭祀は見事なものじゃしな。外の人は楽しめるじゃろう。
立ち上る無数の青い霊気が、軌跡を揺らめかせ夜の星雲に溶けてゆく。その光景が思い浮かぶ。
星霊術の星は、この大地そのものの星であるから上に向かってあがってゆくのは実は矛盾なのじゃが、マイスの人々も正直よく分かっとらん。まあ演出にとやかく言うのは野暮かもしれん。
言葉を聞いたはずのリシルはなにも言わず寄ってきて、ワシの服に涙をこすりつけてきた。外套は脱いでいるとはいえ、綺麗かはわからん。
やれやれじゃ。コイツいつもベタベタくっついて来るんじゃから。
ほんとガキなんじゃから。