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一章九項 へルフェ


 小屋から出ると、通路の先の暗がりからモナがバタバタと倒れ込むようにこっちへ走ってきた。

 足をもつれさせながら力なくその場に座り込む。呼吸が乱れていて、手を震えさせて、明らかに只事でない。


「なにがあった?」


 ミエフ爺さんが聞くと、モナは顔を伏せながら、坑道の暗闇を指した。

 魔導灯メレオラももう無いため、くらい地下道ではまったく見通しが効かない。ミエフ爺さんがランプを掲げて、慎重に前を照らした。

 同時に、魔導犬が大きく吠える。


 ざりざりと地面を踏みしめる音が近寄ってきた。

 どうやら、なにかが向かって来ることは疑いようもない。思わず身体が強張った。

 ランプの光を受けて、その姿が見えてくる。


「うっ!!」


 強烈な悪臭がした。腐った膠の十倍くらいの臭い。人生で今まで感じていた臭いとは、格別の強い悪臭じゃ。鼻を覆う程度ではとても防げない。


 え……?

 人間フウリか……?

 こ、これはっ――……!

 どろどろになった人じゃ! 人の容姿にとやかく言うのもなんじゃが、凄いグロい!


 おそらくは女……?

 何か帯のような長い物を足の間から引きずっていて、一歩ずつ歩くごとに目を失った眼窩の穴から虫がこぼれ落ちた。腕や首の皮膚は様々な色に変色していて、ぬらぬらと湿っている。顔だけが不自然に白っぽい。不浄を凝縮したような粘ついた体液が、足跡を残している。


 ずいぶんと健康を害しているらしい。

 もはや、これは病気とかいう次元なのか?

 肉も皮膚も生気がなく、ぐずぐずじゃな……黒い服で胴体は隠れているのでまだマシかも。

 

「おええ! こらぁ斬新な見た目と臭いじゃ……! あんたらの種族ってこんな感じの人もいるの?!」

「そんなわけなかろう! 死んでいる人間だ」


 やっぱり?

 じゃあ、やっぱこれっていわゆる歩く死体じゃあないですか!


 足取りはおぼつかない感じで、歩行は遅い。

 全然ビビってはいない。

 ビビってはいないが、見た瞬間つい飛び上がって逃げたくなっちゃった。

 ここは我慢じゃ。ガキどもの手前そんなみっともないことも出来ん。

 しかも、困ったことに持ち運びできる灯りはただ一つ。持っているミエフ爺さんが逃げなければ、誰も逃げることはできん。


「コイツは……間違いない、儂が安置していた遺体だ。しかしこれは、何が起きているのか……。お前さん達、部屋に入っていろ」


 ミエフ爺さんは、驚きつつもまだ冷静に見える。

 ガキんちょどもは、扉の内側にしがみつくように身を隠した。


「なんか、なんかやべえぞ!? なんで歩いてるんじゃ? 対処できるのか?」

「わからん。ま、待て、お前! それ以上こちらへ来るんじゃない」


 明らかそんなこと言ってる場合じゃねえって!

 どう考えても、目も耳も腐って潰れておる。体が生体として機能してない。


「ああ……! 待て、コヤツ……わかった! エーテルが体から漏れでてる!! 恐らく、遺体をマナに加工されておる! おえ、お……お、臭いで吐きそう……」

「それは本当か? ヘルフェ。そんなことが可能なのか……」

「理論上だとな。生きてれば自然の代謝やら律導壁でエーテルを解毒しようとするはずじゃが、死ねば人といえどもただの肉塊じゃ。ただ、屍霊術は知る限りじゃどの魔術体系にとっても禁忌じゃから、バレずに研究するのだってかなり難しいはずじゃ。神をも恐れぬ所業というやつじゃからな!」


 じゃが、禁忌ということは、つまり時々それをやったヤツが過去にはいるということでもある。

 おぞましいことではあるが、技術的には可能じゃろう。

 倫理抜きでいえば、魔術で木偶の人形を動かすこととそう変わりない。ただし、人形は木や陶器であるため、内側に動く仕組みを持っていない。生き物の身体ほどは、行動を制御するには適してないということではある。

 人間は有機物の塊であるため、マナとしてエーテルを固着化させやすい。

 死体を操るというのは、手間や効率を考えればメリットが大きいようには思えんが、それでも比較的、応用が効きやすい面もあるじゃろう。


 結局、できるできないという話というよりは、やるかやらないかという話になってくるかもな。

 悪魔に魂を売った者なら、当然ながら不可能ではない所業じゃ。

 そもそも屍霊術といっても厳密な定義があるわけでなく、人の生死の尊厳を冒涜するような魔術という忌むべき行為の総称らしいし……。


 魔導犬はひたすら吠えて威嚇していた。

 こいつ、うるせえだけじゃな……。本来の性格は生粋のビビリらしく、デカい体のくせにワシより後ろにいる。


 どろどろになった死体は静止しようとしたミエフ爺さんの首を片手で掴み、そのまま不自然な体勢で持ち上げた。


「グゥ……!!」


 な、なんてパワー!!

 どろどろの死体は、ミエフ爺さんを麻袋でも投げ飛ばすかのように壁に打ち付けた。


「うおおぉっ!」

「じ、爺さん!」


 投げ飛ばされた老人が壁に打ち付けられ、地面に落ちた。


「何やってんの!? 大丈夫か!?」

「……こらいかん! 腰を完全にやってしまったわい」


 どろどろの死体の目的は爺さんでは無いらしい。倒れたミエフ爺さんを無視して、小屋に歩き始める。


 うげえ!!

 近寄れば寄るほど、臭いは強烈じゃ。こりゃあひでえ! ワシの鼻腔の奥の天井までも貫通して、脳髄に臭いが染みつきそうじゃ……!


「おやめなさい! そこで止まりなさい!」

「あ! リシル!! バカ!」


 リシルが今度は躍り出てきて、棒の切れ端で威嚇した。

 警告が意味あるはずねえじゃん! 爺さんぶん投げてたし、たぶん敵なのは間違い無いだろうけど!

 普通の魔術師なら、エーテルの塊とも言えるこの動く死体など全く相手じゃないじゃろうが……ワシの魔術はあくまで星霊術。あまりにも典雅で優美で高尚で閑麗すぎるが故に、ここでは無力。


「うう……、わあぁぁ!」


 リシルが意を決して、棍棒で殴りかかった。

 打撃が効く相手じゃねえって言ってんじゃろうが! あ、言ってないわ……。

 リシルの一撃でも、相手は微動だにしなかった。


「うっ!」


 死体がリシルの髪を鷲づかみにして、そのまま持ち上げた。

 バッカ! バカチンかよ!!

 こんなの、ワシらが白兵戦でどうにかなる相手じゃねえって!!


 こ、これはどうしたものか……! とにかく、考えるしかない!

 こいつもおそらく、魔導犬と同じように操られていると考えるのが妥当じゃろう。

 パンチで直接掛ける物理星霊術が効けばいいが、しかしそれが有効だった魔導犬と根本的に違う点がある。肉体的に死んでいる存在には、星霊術は効かないという原則がある。

 あの魔人を生き返らせることが出来たのも、奇跡に近い。

 魔導犬にも一度、操霊術を掛けてしまったために、しばらくはもう一度掛け直すことはできんし……そもそも操霊術を使った瞬間、エーテル被曝が過剰になったワシが意識を失ってしまっては意味がない。

 正直……どうすれば良いのか。

 魔術は万能ではない。ワシの力では八方塞がりじゃ。


 どろどろの死体はリシルの首を両手で掴み、持ち上げたまま宙で締めつけはじめた。

 首を折るつもりなのか、絞め殺すつもりなのか、掴まれた首からめしめしと音が鳴る。

 リシルがバタバタ抵抗するが、死体の腕はガッチリと固定されて、全く緩む気配もない。


「ク、クソォ!」


 止めねえと! わけわかんねえけど!

 次から次へと、なんだってこんなことに……!! もう地下なんて歩くんじゃなくて、こっそり宮廷抜け出したほうがよかったじゃん!


「オラァ!」


 ダメ元で体当たりしてみるが、ビクともしない。はああ! もう! ワシの服を腐った体液で汚しただけじゃった! 


 ――あ!

 ワシが弾き飛ばされたとほぼ同時。なにか小さなものが飛んできてリシルを掴んだ死体に打ち付けられた。

 ボンっと音を立て、白い粉が飛散する。

 にわかに、どろどろの死体は身体の力を緩ませた。

 ずるりとゆっくりリシルが開放され、尻から地面に落ちた。


「ゲホッ!! ゲホッ!」

「大丈夫か……お前!」


 どろどろの死体は、わずかに動くばかりで、リシルの首を持ち上げた際の姿勢のままだった。

 動作が鈍くなっている。

 振り向くと、モナが立っていた。コイツが白い粉の入った小袋をぶち当てたのじゃろう。

 

「お、お前、何をしたんじゃ……?」

「……ジンカイトが効くかと思って」


 なにそれ?!

 そのなんたらカイトがあの白い粉なんじゃろうが、そんな思いつきで対処できるもんなの!?

 実はモナは凄え奴なのか!?


「なるほど……、ジンカイトも鉱物。エーテルを僅かながら遮断する性質をもっとる。白粉おしろいとして加工して、宮廷でも使われるものだ」


 ミエフ爺さんが地面にへばりついたまま解説した。

 ……なるほど、そういうことか!

 どう見ても、どろどろの死体は自らの視覚や聴覚といった五感があるわけじゃない。

 つまり魔導犬と違って、知覚をもとにした判断能力はない。

 十中八九、常に外部からの干渉を受けている。遠隔で扱う魔術は難易度がかなり上がるので、ちょっとした阻害で操る事に支障をきたしうる。

 兎にも角にも、この好機を活かすしかない! 


「リシル! あの地面に穴を開けるヤツできるか?」

「は、はい。たぶん、空洞がここら辺に……」


 リシルが胸の前で手の平を合わせ、集中し、目の前の地面に右手をかざした。

 最初見たときよりも勢いよく、地面に割れ目が入る。

 ドカッと地面がはじけるように、大穴が空いた。


 下手な奴は数年間修行しても、一つとしてここまでスムーズに魔術は扱えない。特に逼迫した状況では、混乱や精神の乱れによって精度が落ちてしまう。

 こやつも劣等人種フウリの畜生ではあるが、やはり魔術専門の都市出身なだけはある。


「よし、突き落とすぞ! オラァ!」


 今度はワシの全体重を勢いに乗せた両足キック! 名付けて雷電キックじゃ!


「あいて!」


 ダメじゃビクともしない!

 なんでぇ!? 


 どろどろの死体は、どんっと一歩大きく足を踏み出した。

 ジンカイトとかいう白い粉の、エーテルを遮る効果が落ち始めているらしい。力強く小刻みに震えながら、腕だけをぐりぐりと動きしている。

 すでに身体の制御を取り戻し始めていた。


「落とせばいいのですね! お任せください!!」


 リシルが三歩下がり、どろどろの死体に向かって走った。


「あ、おい! もういいって! いい加減に……」


 こいつ……!

 逆境にめげないのは立派かもじゃが、自分が狙われているということに思慮がなさ過ぎる。その責任感や健気さが、自分だけでなく、他人をも一緒に巻き込んで窮地に立たせている。

 

 死体はリシルを迎え撃つ姿勢をとり、ぎこちなく拳を頭上に振り上げた。

 机でも叩き割るかのように、袈裟に打ち下ろす。

 どっという音と共に、リシルが背中を殴打される。


「わっ!」


 なかなか女の子をガチで殴る奴も居ないためかむごい! ぐちゃぐちゃに崩れた顔もグロいが、やってることも結構グロい!


 後ろから大きな唸り声が聞こえた。

 ワシが振り向くと同時、追う風を残して、魔導犬が横を駆け抜ける。

 後ろ足で大きく踏み出すと、飛ぶが如く、体当たりでどろどろの死体を吹っ飛した。


「ゲッ!」


 腐った内臓の気体が押し出されたのか、声とも言えない音を喉で鳴らす。

 姿勢を大きく崩し、弾き飛ばされた勢いのまま大穴へ吸い込まれる。

 動く死体は落下し、常闇のとばりへ消えた。

 三秒ほどして、落ちた死体が底に叩きつけられる音がした。

 結構深い穴だったらしいが、覗けるほどの光もないので、どうなったかはわからない。


 猛烈な悪臭は残ったとはいえ、静かになる。


 まったくもう……。

 どうやら、一旦なんとかなったようじゃ。

 歩行すら拙い腐った肉体では、上がってくるのは難しいじゃろう。

 リシルの魔術の二つ目の効果によって、大穴が開いた時の軌跡をなぞって納まるように塞がった。


 魔導犬が倒れていたリシルに寄り添う。

 このビビりのクソ犬!

 どうせなら初めから戦ってくれよ。……でも、助かったことも否めん。あとでキャベツでも食わせてやろう。


「ハア。リシル……生きてるか?」

「え、ええ。……申し訳ありませんわ。私……」

「待て、まだ安心するのは早いぞ。多分じゃが、恐らく敵はまだ近くにいる。モナ! ミエフ爺さんを連れて小屋に入ってくれ」


 どろどろの死体は常時、魔術師の制御、操作によって動く。つまり、魔術師側も状況がわからんまま扱うことはできん。監視が必要であるはずじゃ。魔術師がここの状況を、なんらかの手段で直にその目で見ているのかもしれない。

 暗闇に潜めば一方的にこちらを目視できないこともないじゃろうが、そこまでのリスクを取るかは分からない。

 結局、こっちにはどうすることもできんし、次に相手がどう動くか備えるしかないじゃろう。


「お前がランプをもっとれリシル」

「えっ? は、はい……」


 ワシの言葉の意味がわかったらしい。リシルはなにかを言い淀んだ。

 何かがまた襲って来たら、一人で地上へ逃げろということじゃ。それが、今は全員を守るために最も確率が高いかもしれない。

 ここにいる人間が誰一人としてまともに戦う力を持っていないために、守るどころかむしろリシルと足を引っ張り合う状況じゃ。

 ワシがその時に一緒について行くかは状況次第じゃが、モナとミエフ爺さんを置いてゆくのも心残りになるし、どうであっても前提としてはリシルは逃げることになる。


 さきほどと同じように足音が響いた。

 ただ、一つではない。


 ズリズリと何かを引きずるような音と、ぐちゃぐちゃと気持ち悪い音が、ワシらを取り囲むように前と後ろから聞こえてきた。


 これは、まずい……。

 最初の一体は時間稼ぎかなんかで、まだ使える死体が数体あるらしい。無限だとは思えないが、量産できる強みがあるというわけか。

 ワシは馬鹿じゃった……。

 予測は出来た。ミエフ爺さんの話では、坑道で死んでいた魔術師が一人だったとは言っていなかった。

 爺さんが見回りするということは、それが必要と感じたというワケがあるじゃろう。もし見つけた死体が一つだけだったなら、次も同じことがあるかも知れないという考えには普通は至らんはず。

 考えてもみりゃ、そんな所に住み続ける爺さんも異常ではあるが……。


 見回してみると、暗闇の中、ぼんやりと三体ほどの動く死体が見える。

 すぐ目の前の一体は、腐敗も進みきっていて、ほぼ骨と枯れて朽ちかけた皮膚ばかりじゃ。


「ヘルフェ様……! 私が何とかしますわ。小屋に入って!」


 リシルは仁王立ちになって、正面の動く死体に対峙した。


「そういうのもういいって! お前は逃げられるうちにとっとと逃げんだよ!」

「大丈夫ですわ! なんとか上手く引き付けてみます。だって私、お姉さんですもの!」


 はあ?

 いや、ワシ絶対年上なんじゃが!?

 それ身長だけの基準で言ってるじゃろ!


「いい加減分かれって! お前が行動するたびややこしくなるんじゃ! 何回死にかけたら気が済むの馬鹿!」


 こんな時に説教なんてしたくないし、文句言ってる場合でもないかもしれない。でも、いい加減にしてもらわなければ。


「そんなこと言ったって! 他にどうすればいいのですか!」

「ええっ……! 現在進行系で巻き込まれてるワシにキレるんですか?!」


 正面の死体が迫ってきていた。

 やべえ! 言い争っている場合じゃない!


 この狭さでは賭けになる。

 ここは三人ぐらい並んだら精一杯の通路でしかない。

 躱しながら奥へすり抜けることが出来るかは、相手次第じゃ。どうにか上手いことリシルを抜け出させなければいかん。

 包囲はゆっくりじゃが、もう進路も退路もほぼ無くなっている。


 乾いてカピカピになった死体のすぐ後ろにも、二体目の死体が迫っていた。

 後ろのやつはだいぶ生の状態をたもっていて、下顎がないことと右目がないこと以外は普通の女の子のようじゃった。死ぬ直前まで手入れしていたであろうキレイな肌や髪が見て取れて、本人はちょっと前までこんなことになるなんて思ってもいなかったじゃろうことがなんとなく分かる。

 リシルが突然、短く悲鳴を上げた。


「エリジュ……な、なぜ、どうして……!」

「え!? 知り合い? わわっ!! 来るな来るな!!」


 死体となった若い女の子を見た途端、リシルは萎縮してしまった。

 対処しなきゃいけないのに、思わずリシルと互いに縋り付いてしまった。

 その拍子に、ガッチリと組みつかれる。ヤベえとは思うのじゃが、リシルのほうが力が強いからか動けない。

 コイツなんで急に弱気になるかね……。とは言ってもこればっかりは仕方ない。

 グロい腐食した死体とは、別の生々しさがある。嫌が応にも、生前を予測させるあどけないままの姿じゃ。


「わ、私のせいですわ……お許しください。も、もう……こんなにも酷いことが。お許しくださいヘルフェ様」


 リシルは顔を伏せ、涙を零しながら取り乱していた。

 ヤバいときには余計なことしかせんのに、奮い立つべき時には気弱になる。全く困ったガキじゃ。

 じゃが、それもコヤツの根っこからの善性なのじゃろう。短いも短い間の付き合いじゃが、何となく分かる。


「リシル……ワシは一九歳。お前よりもずっと年上じゃから」

「え……?」

「約束した以上、なんとかしてやる。一瞬ならどうにかなる。お前、お姉さんのワシの言うこと聞けよ」


 背後は、死体が一体しかおらん。

 なんとかなるかもしれん。その一体をどうにかすることができれば、リシルを逃がせる。

 原理的に死体を魔導具で操るとすれば、どこかしら星霊術の応用のはずじゃ。つまり死体を直接操ることは出来なくとも、魔導具に干渉することで一瞬動きを止めるぐらいはできるかもしれん。


 つまりは、イチかバチか!

 やりたいわけじゃないが仕方ない。もう躊躇している時間もない。

 ババアが言った言葉がある。

 時として追い詰められた鼠は、猫よりも凶暴じゃ!


「おらああぁ!」


 頭にズキリと痛みが走る。

 魔術を使うのは限界であるらしい。

 やらねばならん。とりあえずこの一度だけ……、一度だけなんとかなればいい。


 物理星霊術が決まる瞬間、ワシの知覚が強い重力でぎゅっと引き寄せられた。

 エーテルが収縮するのを感じる。

 腐った死体の腹がぎゅっとすぼみ、そして大きく膨張する。

 世界がゆっくり動く。

 じゃが、動けん。体を逸らす暇さえない。一瞬で膨らんだ体が、弾けた。

 死体の上半身が消し飛ぶ。


「ぎゃああああ!!」


 なにこれ!?

 ヤベえ! 目と鼻が!!

 臓物が口に入ったかも! おえええ! これ吐き出さんと! 絶対に病気になるやつ!!

 酷い臭いと、凄まじいグロさ。飛び散った屍肉で地獄である。


 し、しかし……こりゃあ、ワシの物理星霊術にまだそこまでのパワーが……。

 どうやら、ワシの強い想いによって、秘められし新たな力に目覚めてしまったのやもしれん。明らかに強すぎる闇のパワーじゃ。


 振り向くとリシルは驚きの表情を浮かべていた。

 恐れおののいてしまったか……。このワシの、無限の可能性とやらに。


「ヘルフェ様……そ、その方は……」


 リシルが吹き飛んだ死体の向こうを指す。


「うわあぁ! なんじゃお前」


 見ると、暗闇に男が立っていた。

 新手か?!

 い、いかん! こいつが死体を操っていた魔術師か……も……とも思えんか。


 男はワシをチラリと一瞥すると、何をいうでもなく辺りを見回した。

 なにこの人?

 このワシのことが、眼中にないらしい。


 町で見たフウリ族と比べてみても、妙に凄みがある。顔は精悍で、たぶん美男とかではない。

 まなこが切れ長で眼光鋭く、鼻は猛禽類の嘴のようであり、口はへの字に結ばれている。


 手に長い木製の棒を持っていて、カツカツと打ち鳴らしながら、残る歩く死体のほうへ歩き始めた。

 すれ違いざま、唸り始めた魔導犬を睨みつける。

 一瞬で格付けされたのか、魔導犬は目をそらして気まずそうに辺りを見回した。ビビるなら最初から唸ったりしなきゃいいのに……。


 男はまだなにも言わず、そのまま残った死体と相対した。

 よくわからんが……、味方だと考えていいのか? 戦ってくれるのか?


 右手に持っていた棒を、翻すように左に持ち替え、肩と両手で担ぐように構えた。

 突き出した掌の中で滑らせるように、目にもとまらぬ突きを放つ。

 空気をも打つのか、甲高い音が鳴った。

 頭部を突かれたカピカピの死体はぐらついたが、すぐに姿勢を持ち直して男に掴みかかろうとした。

 男は動かない。

 エーテルの流れが、球状に歪む。

 瞬間、死体の頭が弾けた。

 威力が凄まじく、頭蓋骨も跡形もなく吹っ飛ぶ。

 頭部を失った死体は、制御を失って力なくその場に崩れ落ちる。


「す、凄い! こりゃあ……凄いんじゃが……なんか……!」


 いちいちグロい!

 一体目の死体の腹部を吹っ飛ばしたのも、この男の棍術であるらしい。


 ……まあ、そうだよな。

 正直、ちょっとワシにはこういう技は似合ってないし。闇のパワーに目覚めたと思ったが、むしろそうじゃなくて良かった。

 格好いいけど、悪人の脳みそや内臓をいちいちぶっ飛ばしたいわけじゃないもん。


 謎の男は最後に残った女の子の死体の脳を砕こうと、棒を翻す。

 死体の女の子はその場で立ち止まったままじゃ。

 死体を操るその魔術の制約か、力は強いが、素早く動くことはできんからじゃろう。

 機先を制することはできん以上、イチかバチかの反撃を狙うしかない。

 攻撃の予測をしているような素振りであると言うことは、やはり操る魔術師がいるらしい。

 元来、マナ化させた死体など、魔術師の相手になるもんでもない。もう死体を操ること自体が悪手。敵に勝ち目はないじゃろう。


「お待ち下さい! その娘の身体を出来るだけ傷つけないで下さい! お願いいたします……その娘の母親が探しておりますの!」


 叫んだリシルに、男は一瞬だけ目を向ける。


「すまん……許せ」


 男は初めて口を開き、短い言葉で拒絶した。無骨だが、同情めいた口調に優しさを感じる。

 確かにリシルの要求は、状況を考えていない。

 しかしながら、なにもわざわざ頭をピンポイントで砕く必要もあるまい。


「いや待て、そいつは死体のマナを使って動いているだけじゃ。頭を壊そうが心臓を壊そうが、特別に意味はない。結果的に、エーテルの流れが破断されればいいはずじゃ!」

「意味がわからん」

「いやだって! その棒でエーテルを送り込んで破裂させてるじゃん!」

「……これは“気”だ。秘孔を突き、正の気で悪しき気を浄化させている」


 こいつアホじゃ!

 魔術をノリで使えちゃうタイプの手合いじゃ! 秘孔とかないし……言い方の問題じゃねえし!


「お願いいたします!」


 リシルの嘆願を無視して、男は棍を振り上げた。

  

「出来たよ!」


 大声が響く。

 ワシでもリシルでもない。眼の前の男でもないじゃろう。


 声の主はモナじゃった。

 雪玉みたいな小さな塊を振りかぶると、女の子の死体に投げ付ける。

 べしゃりと当たって、女の子の胸元が白いベタベタの液体で染まった。


 一つだけでなく、モナはまだ同じ物を持っていて、再び投げ付ける。

 死体の顔面に当たった。

 たちまち女の子の死体はグラつき、手足の間接を歪ませる。

 力ずくでなにかを振りほどくように鈍く動くが、すぐに静止した。

 よくわからんが、効果は抜群じゃ!

 たたみかけの脚立のように体を突っ張らせて、膝だけ折り曲げて後ろに崩れ落ちた。

 一回だけ跳ねるように体を震わせて、床に溶けるように力が抜けていく。

 どうやら、完全に魔術の制御は解けたらしい。

 

「お、おお! モ、モナ! なんか凄えじゃん! お前……!」

「爺ちゃんが……作れって言って……」


 なるほど、機転が利くじゃん。

 物質的に魔術を阻害出来てしまうことも、この手の魔術の弱点じゃろう。

 それが分かってすぐさま応用出来るとは、さすがのミエフ爺さんでもある。


 助けに入ってくれた男は、静かなままだった。特になにも言わないが、辺りの様子をうかがっている。

 モナと魔導犬が、不思議そうにその男を見上げた。


「良かったですわ……」


 リシルは、へたり込むように地面に座り込んだ。

 死体たちは全部力が抜けきっており、マナの変化もエーテルの流れも感じない。

 死体が使えなくなったというより、魔術師の制御能力に限界があって、変化した死体には魔術を掛けられないのじゃろう。

 三体同時に操るのもそれはそれで高度な技術ではあるし、魔術師の肉体、精神的にも限度に近いはずじゃ。


 むしろ、敵がなにかするとすれば――……。


「お!?」

「どうされたのです!? ヘルフェ様」


 やると思った!

 

 魔導犬を操っていた魔導具に、再び魔術が仕掛けられた。

 ワシの全身に、ビリリと悪寒が走る。

 魔導具は、実は誰にもバレないように魔導犬から取り外しておいて、ワシが持っている。

 この状況を見ていたなら、魔導犬がいることも認識しただろう。

 

 しかし馬鹿め、残念じゃなあ!

 エクラナのババア達ですら、ワシに星霊術をかけられた者は一人もおらん!

 

「おえっ!」


 あれ?

 なぜか分からんが、うっかり胃の中に満たされた茶を吐き出しそうになる。

 酸っぱい胃液と混じって、ひどい味わいじゃ。

 そういや、律導壁は、本質的には魔術と同じモノじゃった!

 確か……誰しもが生まれた時から持っている、ヒトの原理としての魔術で、他者に魔術に抗うという機能を持っているらしい。

 星霊術を使いすぎると、律導壁も消耗する。


 これって……ヤバくね?

 そういやワシの魔術力って今、弱体化してね?


 意識に衝撃が走った。目を焼き潰すかのような放射熱が、網膜の裏まで突き抜ける。

 一瞬の暗転。

 星霜の光が、重力に引かれるようにワシと一緒に落下した。


「マブシッ!」


 頭の先っぽから、何かが身体を通り抜けた。

 匂いが鼻に立ち込める。

 爽やかだけど、寂しさを湛えた香り。

 

 誰かの記憶が垣間見えた。

 夕暮れ。鐘の音。

 秋の葉の甘くて据えた臭い。

 山の一面が輝かしいオレンジに染まっている。

 何じゃろう、これ?


 風になでられて、刈られたばかりの穂の根の泥っぽい青臭さが香った。

 しゃがみ込んで、散らばった藁屑の中をかき分けるように、小さな落ち穂を手一杯に集める。

 実の詰まってない殻を息で吹き飛ばした。


 見上げると、顔に陰の落ちた母が私を見て、麻袋を差し出した。


 婦人たち皆が唄を歌った。細かく均等にちぎれた雲が、紅のように赤かった。

 

 もう帰ろうか。と母が囁く。

 私は胸が苦しくなった。


 逃げないと。

 ここから、この村から母を連れて行かないと。

 私は、なにも言葉に出来ずにただ駄々をこねた。

 赤らんだ鼻、黄金色の目の母は私を抱き上げる。


 女どもが、みんなで私を揶揄ってくる。

 違うのだ。

 ここから逃げないと。


 夕焼けの日を背に受けた、大きな大きな陰が遠くに見える。

 誰も気付いてはいない。

 敵が来る。









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