休題
「もうそろそろ右折だ。」
バイクを運転する道鐘に聞こえるよう、多少声を張り上げて言った。
「右折?右折ですよね。」
風で聞き取りづらかったのか、道鐘は疑り深く確認してくる。
「そうだ、右…。ちょいちょいちょい!そこそこ!そこの角!」
「え!あっ、そこですねっ。」
慌ててハンドルを切る。前輪が火花を散らしているが何とか無事に曲がりきれたようだ。…大丈夫だろうか、この先。
という感じで目的地のホテルまで急いだ。空港から出て堺から奈良に向けて走っていき、その道中に目的地はあるという。私よりも昔からこのあたりに住んでいる道鐘の方が土地勘があるだろうとのことで、彼に道案内をお願いした。そのまま奈良の彼の実家に向かう予定だ。
「お、あれやな。」
眼前に木々に覆い隠されたビジネスホテルが見えてきた。上着の中に隠していた春遥を起こす。
「おーい、そろそろつくよ。」
見ると眠たそうに眼をこすり、少しした後にうなずいたが、そのまま寝入ってしまった。
「…疲れたんやな。」
確かに私もなかなかに疲れた。時間があれば昼寝したいな。そう考えると、私も少しうとうとしてしまった。
駐車場はかなり空いているが、バイクのスペースはかなりホテルから遠ざけられている。つまり、
「歩かなあかんな。」
時刻はもう正午になるころだ。風を切って走っているころはまだ涼しかったが、バイクを止めてしまったとたん一気に熱気に囲まれているような錯覚を得た。ヘルメットさえ汗で不快に感じてしまう。二人は大丈夫だろうか、そう考え振り返ると、
「んが。」
…寝ている。二人とも僕の背を頼りにして。桐生さんなんかは間抜けそうな寝息を立てている。
「はぁー。」
先が思いやられる。色々ありすぎて疲れたのはわかるが。
「起きて、桐生さん、春遥ちゃん。着いたよ。」
ゆすってみると、桐生さんが初めて目を覚ました。
「ん、あ。あ?んん⁈あれ、寝とったか、俺?」
「はい。大丈夫ですか。」
「んああ。…すまん。気を抜いとっ…ていたみたいだ。ずっと運転させといて申し訳ない。」
と言い、桐生さんは両頬を強めに引っ叩いた。かなり痛そうな、豪快な音がした。
「いや、大丈夫ですよ。それよか、とりあえずチェックイン済ましときます。桐生さんはゆっくりでいいんで春遥ちゃん起こして一緒に来てください。」
「あ、ああ。分かった。」
そういって僕はエントランスへ向かった。自分でも少し無愛想だったかと思うが、…まぁ僕のことなんてどう思われようが構わないのでそのときは、特に気にすることはなかった。
ガタン。バイクスタンドを立てた。眼前のビジネスホテルは見た限り緑を基調としているようで、鉄の塊の数々を囲むように緑が、これでもかというほどに配置されている。木漏れ日が、道鐘のバイクの控え目な車体に射しているのをボーっと眺めていると、抱きかかえた少女の体がもぞもぞと動いているのを感じた。
「おはよう。」
少しして彼女は答えた。
「う、うん。」
「桐生さん、チェックイン済んだらとりあえず部屋行きましょう。今後の段取り話さないかんので。」
エントランスへ向かうと、すでにチェックインをほぼほぼ済ませてくれていた道鐘がこちらを待っていた。何やら彼の電話や職業などの情報とともに、私の情報も同様に必要というらしい。だが、ここで問題が発生する。私は故人のはずだ。故人の電話番号その他個人情報を書いてもよいものか、と逡巡していると道鐘にそっと耳打ちをされた。
「取り合えず書いてください。後で説明しますんで。」
私が書き渋っているのに眼前のホテルスタッフも不審がり始めたので、私は彼に従いすんなり用紙に書いていった。春遥の分も書いていなかったので書くことにした。こちらは名前だけなので楽に済むだろうと思い、清の字を書き始めたがふと思った。彼女に限っては、あまり名前を周りに悟られないようにするべきでは、と。しかし、今更書き直すのも少し不審だ。なので私は道鐘に目配せすることもなく、彼女の名前を書き終えた。
「では、本日は桐生様、赤城様、清水様のお三方のご宿泊ということで間違いありませんか。」
背後に立つ二人の反応がある前に間髪入れず答えた。
「はい。」
「かしこまりました。それではお部屋へ案内いたします。お荷物は…。」
「ああ、大丈夫です。三人ともあまり持っていないので。」
するとスタッフは今更ながら私たちを一瞥し、大した荷物を持っていないことを確認した。
「それではまずエレベーターへお願いします。そこから五階へ上がり、着きましたら向かって右へお進みください。503と書いた部屋がお客様のお部屋です。どうぞごゆっくりお過ごしください。」
流れるような説明を受けた後私たちはエレベーターに乗った。幸いこの時間帯は人の出入りが少ないらしい。
「えーっと、まず何から話しましょうか。」
扉が閉じると道鐘が話しずらそうに話を振ってきた。
「そうやな、ああ、さっきの春遥の名前やけど、別に間違えたわけじゃないけんな。」
「ええ、知ってますよ。」
ああ、気づかれていたのか。確かに彼は聡いから私ごときの思慮になど容易に解釈することができるのだろう。今まで話す中で彼の思慮深さにはたびたび驚かされている。だが、問題は春遥だ。彼女は道鐘とならともかく私なんぞと喋るハードルがかなり高い。なぜなら年が一回り以上離れているからだ。私からも話しかけづらい。故に何を考えているか道鐘以上に分からない。名前をあえて間違えてあることに関してどう考えているだろうか。今すぐにでも説明がしたいが、そのためには彼女を追っている“鵺”の話をしなくてはならない。それは部屋についてからの方が安全であるように感じる。
「ここで全部話すんもあれやと思うし、部屋についてからにしよや。」
「そうですね。それがいいと思います。」
春遥も本当に同意したかは分からないが、コクコクとうなずいている。
プゥン。
「五階です。」