楽園
お久しぶりです。不定期になって申し訳ありません。
生温かい風が、私の上を通り過ぎる。目を覚ますと快晴であった。しかし、決して心地よくはなかった。現実感がしないのだ。全くもって。実体感とも言おうか。まるで、課題が山積みであるのに、すべて放り出して突っ伏して寝るかのように、生きた気がしないのである。心なしか、脳味噌がしっかりと呆けてしまい、起き上がったは良いものの何もできないままでいた。
「いかがかな。私の庭は。」
一瞬の当惑ののち、私の目は大きく見開かれた。少女だ。え、っと。
「あー…、っは。」
何とも無様に惚けていたが、ようやく頭がさえ始めた。そう、私は爆散したのだ、この少女と共に。つまり、死んだ…んだよな。そしてもう一度、眼前の少女を捉える。——何かが違う。直感でそう感じた。そして、なぜその違和感を私は覚えたのか。原因を探す前に口をついて出た、
「お前は誰だ。」
という問いに、彼女は目を丸くし、吹き出しながらもこう答えた。
「いきなりその質問か。結構な状況だと思うんだけどねぇ。胆力があるのか、怖いもの知らずなのか。」
私は畳みかけるように質問を重ねた。
「その体は何なんだ。」
「…間借りしているだけだよ。今はね。」
そして、咳払いをしながらも、彼女は続ける。
「あー、君たちにとっては気が遠くなるほど昔だ。とある学者がいた。彼は、現在の哲学の源流を作った御人で、人間、ないしはそれ以外の『意志を持つもの』が抱く『愛』や、『情』とはどういうものなのかを探求していった。そして、見つけたんだ。とても概念的で形のない、その答えに。そのときかな、恐らく。『神』という存在が生まれたんだ。そのお方は天地開闢の神とかそんなんじゃなく、今の神、かな。いうところの。というより、彼の登場によって君たちにとっての『神』という存在が確立したのかな。恐らく無意識に。」
彼女(?)はなおも続ける。
「だが、その『神』はあまりの信仰の低さに近年、消滅してしまったんだ。——信じる『神』を細分化し、その崇拝の仕方で、お互いに廃し合った人間の行為によるものだね。まあ、彼もその未来を予想はしていたみたいだったが。」
あまりのスケールの大きさに心中では大きな口を開けたままだった。
「そしてその『神』から産まれたのが私だ。君らの認識では、さしずめ『天使』、といったところか。いやまぁ、神話の語る彼らほど多忙ではないし、特別な何かを持ち合わせているというわけではないが。」
ひと段落ついたらしいので、私はようやく口を開けた。
「それで、今までの話を真実だとして、それに協力…か?協力すれば何かこちらに利点はあるのか。」
「目聡いね。そして、その利点がなくては、協力の意志は皆無である、ということか。」
「まぁ、そうだな。正直言ってしまうと、今の話をすべて理解できたわけじゃない。それに、これが現実かどうかもよくわかっていない状況だ。少しでも事を有利に進めておく必要がある。」
すると、眼前の少女は口に手を当て考えているようだ。
「ふむ、賢明だが、生憎それに該当する返答を持ち合わせていない。」
私は眉をひそめた。その顔を見て、なおも続ける。
「フフ、その反応をするのも仕方ないが、しかしよ、桐生、君はすでに死んでいるんだよ。」
「え?」
横っ面を殴られたような衝撃とともにあの光景がフラッシュバックする。確かに私は、あの時この子とともに爆風に巻き込まれ、死んだ——はずだ。どういうわけか、その二人は、お互い五体満足であるが。私はふと己の足を見た。血色のいい、一対の脚が花畑を踏みしめていた。そのまま視線は下を向きながらも、彼女の方を見た。真っ白な脚も、同様に存在していて、やがて彼女の幼い顔に目線を動かすと、『それ』は薄ら笑いを浮かべていた。
「この非現実的な空間も死後の世界なんかじゃあない。私が君たちに与えている猶予だ。」
「ゆ、猶予?」
私が困惑しがちに答えると、彼女は不敵に笑いながらこう言った。
「生物というものは、死ねば天国か地獄に行く、と君らは勝手に想像しているようだが、残念だがあるはずがないんだな、これが。現象界での死は『存在の死』だ。紛うことなき消滅だよ。その先にあるのは暗闇だ。君たちはまさに、その深淵に片足を呑まれている所だ。伝わったかな。」
やはり、奴には友好的な意思が存在しない。私には彼女の言うことの真偽が定かでない。それはあちらも承知のくせに、このような、有無を言わせない態度だ。語調はそうでもないが、とても高圧的である。私は顔をしかめた。
「ああ?……あっ、すぅ、あー。やってしまった。済まない、本当に。本当に敵意はないんだよ。ただ、君たちの顔が…ふふ、歪むのを見ると私の気持ちが高ぶってしまうんだよ。」
何だ、こいつ。何を言っているんだ。
「特に睨まれたりすると、背筋が震えるようないい思いをする。ああ、もちろん変な意味はないよ。だが、私はとても堕とされるに興味があって、もちろんあってはならないんだが、例えば君のようなごく普通の一般人のせいで私もこの高位な席から引きずり下ろされ、目も当てられないような変貌を遂げてしまうとか。その時の私はどのような顔をしているだろうか。嬉々としているのか、それとも絶望しているのか。ただ人間になるだけならごめんだが、そのような経験をほんの少し望んでいたりする。それから堕とされ、見下されるという経験も…。」
「マゾヒストなのか、お前は。」
と、思わず私は突っ込んでしまった。
「まぞひすと、とは何なんだい。」
「ざっっくりといえば、被虐嗜好者だな。」
「ああ、なるほど。間違ってはないな。」
「否定しろよ⁉」
思わず私は何とも言えない顔をしていた。そして叫んでいた。こいつ、私が思っているのとは全く違ったベクトルでやばい奴だった。
「まぁ、そんな微妙な顔をするな。どちらにせよ、私は君らからの信頼が欲しいだけなんだ、私の趣味に関わらず。…それで、どうかな。」
「どうかな、って何がだ。」
「私の手を取る気はないのかな。」
雪のような白さの右手が、私の前に差し出される。私はその手を見たまま答えた。
「協力するといっても、何をするか具体的に提示してもらいたい。」
「…それは、今は無理だな。いや、待てよ。…んー、やはり無理だな。うん。」
「なぜ。」
それも答えられないようだった。…やはり、信用できないな。そう思い口を開こうとしたが、君は勘違いしているようだが、と言わんばかりに彼女から返答が来た。
「君らは、現世でいろいろとやってもらう。すなわち、生き返ってもらうんだ。」
「君ら、とは。」
「この子と、君だ。」
彼女は自分の胸を、そして私の胸を指さした。
「…あの子はそれを望んでいるのか。」
「うーん、どちらでもない、らしいね。いやはや、君らの思考はいまだ理解できないね…。」
「話をさせろ。」
私は間髪入れず言い放った。
「あ、ああ。いいよ。」
そのためか奴は少し気圧されたながらも、私の要求を呑んだ。
「ん…。」
腫れぼったく瞼を開け、私がいるのが分かると、やはりおどおどした様子を見せた。あの子だな。
「おじ…兄さん。どうも。」
まて、なんで今おじ…、って言いかけたんだ。まぁそんなことよりも、
「今までの話は聞いていたのか。」
「き、聞いてたよ。正直まだびっくりしてる最中だけど、天ちゃんは私たちを助けつつ、何かしなきゃいけないことがあるみたいだね。」
そうだな…、んっ?天ちゃん?
「天ちゃんって誰のことなんだ。」
「あ、この子?この人のことなんて呼べばいいなかな、って考えてたんだけど、『天使』ってことしか教えてくれなくて。それで仕方ないから『天使』の天ちゃんってことで…。
ダサいかな。」
私は、なんというか、胸が温かくなり、久しぶりに自然に笑みを浮かべながら、彼女を撫でてやった。
「いやいや、かわいらしい名前だな。私もいいと思う。」
こう言ってやると、はにかみながらも嬉しそうに微笑んでいた。ほんと、可愛いネーミングセンスだ。あのサイコ変態野郎にはもったいない。
「だからね、お兄さんに決めてほしいの。あんまり難しいことはよくわからないから。」
頭を撫でられて目を細めながらも、彼女はこういった。私は密かに戦慄した。なるべく態度には出さなかったが、要はこの子の命の手綱を私が握る、ということだ。言い過ぎかと考えるかもしれないが、この先まだまだ何が起こるかわからないうら若き十歳ころの女の子の命は、その親でも何でもない三十近いおっさん次第、ということだ。
「私だけ助かるのだけは、やめてくださいね。」
私が黙っていると、私の腕を両手でゆっくりと動かしながら彼女はこう小さく言った。私ははっ、と彼女を見た。そうか、とうに彼女は私を信頼してくれている。そのうえで私にすべて委ねてくれている、というのだ。それなのに、私といえば…。要らん警戒事項をだらだらと並べてばっかりいたのだ。奴の言葉が真実であれば、そう長々と時間があるわけではない。…これ以上、しり込みする必要はないな。
「そうだな…。ありがとう、信じてくれて。」
精一杯の笑顔を向けたが、どうだろうか不自然ではなかっただろうか。しかし、彼女はそれ以上の満開の笑顔を咲かせ、眠たげに、今度は目をつぶった。
「ああ…。随分短かったね。もう少し長いかと。それで、結論は。」
「お前の話を信じることにする。」
奴は意外だな、という顔をしている。
「因みになぜ?」
「お前のことは全く信じないが、あの子の未来のためにも、私の追った責任のためにも、最善な選択だと結論づけた。」
「なるほど。じゃあ、一応『契約』は締結されたね。」
「『契約』?」
『契約』と聞いて、『ろくでもないもの』だと勝手に自動変換されたので、ついいぶかしんでしまった。
「君たちの復活のために、君たちに私の仕事を手伝ってもらう、という約束事のことさ。」
…まぁ、後々これが命取りになるんだろうが、私はようやく覚悟ができたところなんだ。絶対に引っかかってたまるものか。そう言い聞かせ、いかにも冷静に奴の言葉に応答した。
「それで、復活というのはどういう風にするんだ。」
「ああ、それ自体は簡単だよ。詳しく言わないが、君たちは今、魂だけの存在、いわば気体のような状態だね。よりどころがなく、いずれは深淵に引きずり込まれる。だがこうやって形を保っているのは、この空間、いわば栓付きのフラスコに集められた気体のような状態だね。」
「その栓を抜けば。」
「君たちはここではないどこかに強制移動させられる。栓を抜く権限は、今は私にあるからね。ただ、その前に予め、君らの『死』をなかったことにしている。ここら辺の力はほかの知り合いに任せたんだが、彼らは私とは違い、『神』であるからね。よっぽど確実だ。それで、話を戻すと、この『楽園』から抜けた後は『バグホール』、というトンネルを経て現世に再臨する。その道中で生前の肉体は獲得できるんじゃないかな。」
なかなか難しくなってきたな。…聞けるうちにいろいろ聞いておくか。
「『バグホール』、ってのは何なんだ。」
「…ふーむ、いわば『すべてにつながる穴』だね。構造的には蟻の巣のような感じかな。一本の大きな『穴』、それこそ道みたいなもんだけどね、先の見えない、そこに向かってありとあらゆるところからまた小さな『穴』が伸びてきているんだ。そこがどこにつながってるかなんて、私もよく知らないけれど、君たちは大丈夫だよ。魂は、肉体と違ってあるべき場所に戻ろうとする性質がある。気が付いたら、あの空港にたってるだろうね。…こんな感じでいいかな。」
「ああ、納得した。」
今更ながら、相当壮大な話になってきたな。流石に感心、というよりその事実を信じられない気持ちの方が大きかった。
「それじゃあ、結論も出たことだし、復活させようか。」
「…頼む。」
決意を固め、こう答える。無意識に全身に力を込めていた。
無意味だろうが。しかし、心の中は新たな冒険が、今、まさに始まろうとしているようで、夏休みの少年のような気持ちであふれていた。鼓動を身近に感じていた。
「君にも気合を入れてもらうよ。桐生……。」
奴が、何か——。俺の記憶ではここまでである。
〈断章〉
やはり、ここは消毒臭い。しかし、慣れてしまえばどうということはない。僕は、両手を組んでうなだれていた。かすかにモニターの、ピッ、ピッという音が聞こえる。僕の背後の集中治療室からだ。…あれはテロだった。政府は惜しげもなく「これはテロです。」と、ありありと真実を述べた。そのくせ、実行犯の素性も、目的も全くわからないまま一日が終わろうとしている。
——すこし、寝てしまっていた。
「…何時や。」
二十三時三十五分。二十時頃に運ばれ、三時間が経った。頭部にかなりの衝撃を受けたようであったので、手術は明日までかかる可能性がある。洗濯物などは…、明日でいいか。私はこの中にいる、あの子の実母、清原英子さんの手術を見届ける責任がある。それは、救えなかった二人への贖罪でもあって…。
『お兄さん、ありがとうございます。』
あの子の、何かに追われていたかのような焦った顔。
『赤城青年、君は生きろ。』
あの人の、切れ長の目の奥にある優しい眼差し。
「くっ、うぅ。」
僕は医者の端くれ、いや医者でもないかもしれないが、二人を助ける可能性が、僕に少しでもあったのかもしれないと考えると、自責の念を感じられずにはいられない。
すると、治療室の自動ドアが開く音が聞こえた。
「赤城君。」
「北條先生。」
僕が立ち上がると、先生は同時にマスクと帽子をとった。その顔は難色を示していた。
「先生、清原さんは。」
普通は、いくら医学生であっても実習でもないのにICUに入ることなど、あってはならないことなのに、先生は是非、と私を招き入れてくれた。私も完全防備の上で中に入った。
英子さん、あの子の、春遥ちゃんの母親であるこの人は先刻よりも穏やかな顔をしているような気がした。しかし、よく見ると、その顔は少しやつれており、くまが深かった。眠れていなかったのだろうか。
『…命を狙われているの。』
春遥ちゃんがこう言っているのが、少しだけ聞き取れた。
狙われている?何に?そんなことも考えていたが、僕には全く見当もつかなかった。それになにより、テロとは恐らく別件のあの爆破のことは、テレビでも報道されていた。こちらも、何もわかっていないようだったが。…これは、また後日大学で、あいつに聞いてみるしかないな。再び英子さんに目を向ける。バイタルは安定しているようだ。ただ…、
「かなり脳にダメージを負っている。覚醒する兆しが見えない。現在の脳波的にまだ危惧することではないが、このままいけば、脳死というリスクも見えてくる。」
と、他でもない北條先生が述べる。僕は驚愕した。
「え?そこまで深刻な状況なんですか。」
「ああ。それに、頭部の傷は打撲ではなく裂傷であった。赤城君は彼女の娘と思われる子から、彼女は打撲により昏倒したのだと、聞かされていたんだったね。」
「はい。ぱっと見では頭部からそこまで血が出てなくて、ついさっき雪崩れて来た岩に頭をぶつけ、昏倒してしまったんやと聞かされました。ですが、当時、彼女も錯乱状態にあったようなので、もしかしたら記憶が混在してしまっていたのかもしれないです。」
「ほうか…。」
先生は、かなり伸びて来たそのひげを撫でながら考え込んでいる。初めて実習に来たあのころから割と伸びてきていて、かなり良い長さまでのびてからは「ダンディーだろぅ。」と、僕ら世代に割とぎりぎり伝わるぐらいのネタを口にしながら院内を闊歩するようになった。そんな感じの院長だ。
「脳外の院外の先生にも意見をもらおうと思う。君にも後日、いろいろ手伝ってもらおうと思うが、今日はとりあえず帰りなさい。疲れたろう。」
そんな、いつもと全く違う院長に肩をたたかれると、いっきに力が抜けて、倒れそうになった。しかし、あくまで平然を保ちながら院長に、室内の他の先生に挨拶して、その場を後にした。本当に、僕にはもったいないくらいの実習先だ。
病院を出ると癖で、時刻を確認してしまう。零時五分。僕はバイクにまたがり、病院を後にした。ー爆破に巻き込まれたせいで、二人の遺体は結局見つからなかったそうだ。
お読みくださりありがとうございます。次話も気合入れて作りますので、是非お立ち寄りください。それでは。