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天啓  作者: ワシの中のシワ
東京編
22/24

羅刹

 私たちのキャンピングカーは海岸線を走った。時折射し込んでくる朝日と南風に目を細めながら私は、ハンドルを握っていた。春遥は本を読んでいる。出発直前に蓬田君に何か頼み込んでいたが、恐らくその本が欲しかったのだろう。そこまでするほど気に入ったのだろうか。ブックカバーに覆われた少し分厚めの文庫本らしいが、作者も聞いたことのない名だったし、無論題名も知らなかったので恐らく私が追えていない最近の作家の作品なのだろう。…相変わらず穴が開く程凝視している。酔わないのだろうか。——っとと。よそ見しすぎると危ない。私はすぐさま視線をミラーから戻した。

「桐生さん。」

「どした。」

振り向きはしないが、私は流していた音楽を止めた。

「ああ、すみません。とりあえず調べが付きました。この線に乗ったまま滋賀の方言ってもらってそこのPAが穴場みたいなんで、今晩はそっちで落ち着きましょう。」

「りょーかい。何か売店とかあるん。」

「あるみたいですよ。それに、うどんとかちょっとしたお食事処があるらしいです。」

「なるほど。昼飯はどうする?何か食いたいもんある?」

「…いやー、あんま贅沢したらあれですからね…。」

彼は言いずらそうに言った。

「私も何でもいい。」

春遥も遠慮しがちにそう言った。

「おいおい。おめら、お子様がいっちょ前に遠慮してんちゃうでー。金にこまりゃ、増やせばいいだけやからな。」

最終手段はある。最終とは言えども、この子たちがひもじい思いをしてしまうのならば迷わずやるがな。

「僕やって金は多少持ってますよ。」

「それは使うな。ええな。」

少し前に一度使わせてしまったが、あれは仕方ない。あの後、すぐ返した。

「とにかく、金の心配はすんな。私が何とかする。」

「…分からりました。」

私の矮小なプライドがそうさせたともいえるが、事実生産的じゃない。この子たちが稼ぐ手段を持つとして、この子たちにはそれ以外にやるべきことがある。例え一億稼げようとも変わらない。重大なところは其処じゃない。もっと別の所にある。

「…それだけだ。」

そう呟き、私たちは先を急いだ。


               ****


 曇り空。朝方から天気は徐々に崩れている。じき、雨が降るだろう。そんな匂いがする。

「やはり、他に車は殆どいないな。時期的にも、あまり高速を使うものがいないんだろう。」

「そですね。そうなると、あっちが開いているか怪しいですが…。」

僕が指さした方向を見て、暗くて少し見えづらかったが、彼は若干困った顔をした。

「ああぁー、そうなんだよな。そこが盲点だった。食堂が開いているかは微妙だが、最悪売店で何かを購入するしかあるまい。とりあえず、中行ってみよか。」

そう言って寝ていた春遥ちゃんを起こし、僕らはパーキングエリアの建物に入っていった。


「ほんとに人いないねー。」

ガラスのコップにじんわりと結露が浮かび上がってくるのを見ながら、僕は春遥ちゃんと料理が出来るのを待っていた。番号札となるブザーをもらい、それが鳴るらしい。かなり前時代的な気がするが、行きつけだった定食屋のシステムと同じだったので、僕は少し嬉しく感じていた。桐生さんはトイレへ。なので彼の分もとっておいてあげなくてはならないが、席はかなり近場で運ぶのはそこまで苦ではない。

「…。」

それにしても何だか不気味だ。人の気配が全くない。売店のレジにさっきまで人が立っていたのが、いつの間にか消えている。僕は春ちゃんを見た。やはり本を読んでいるが、先ほどまでとは違い、落ち着きなさそうに周りを時折ちらちら見ている。やはり、彼女も不気味なのだろう。しかし、それを口に出して問いかけるのは少し憚られたので僕は適当な話題を振ることにした。

「春ちゃん。お腹、空いた?」

「うん。」

「だよね。あっこから結局五時間かかっちゃたからね。もうお昼時だよ。」

朝が軽かったので僕もかなり空腹だ。桐生さんみたく、かつ丼を注文した。そういう桐生さんはというと、海鮮丼とカレーを一つずつ注文していた。食券を渡しに行くとき、食堂のスタッフさんに、

「あんた、これひとりで食べるの?!」

と驚かれた。無論、僕はかつ丼のみで、海鮮丼とカレーを頼んだ大食いさんは今トイレに行きました、と苦笑して答えた。

「桐生さん、絶対食べすぎよね。」

「…桐生さん、すごい。」

「だね。あんだけ食べるはるから、あんなおっきなったんやろね。」

「私も桐生さんみたく大きくなりたい。」

「僕も~。」

しかし、現実はそう甘くない。僕は両手を伸ばして、そのまま机に突っ伏した。

「道兄も十分おっきいよ。」

「フォローありがとー。」

しかし僕は涙目であった。

 直後、奥の自動ドアが開いた。こんな時間だが客が絶対来ないわけではない。僕はその瞬間は完全に緊張を解いていた。――それこそが命取りであった。

「手を挙げろ!!」

静寂な無の空間に、瞬く間に怒号が満ちる。全身の皮膚が粟立っている。次に拳を握りしめ、ぶわっと冷や汗が噴き出た。

「手を挙げろ。二名発見。やせ型の二十代前半の青年と、同じくやせ型の小学生女児。報告書にある三名のうち確かに該当する者がいる。どうぞ。」

トランシーバーに唾を飛ばしながらも、先頭の男はじりじりとこちらににじり寄っている。

「了解。即時拘束する。」

無論一人二人の話ではない。後ろにぞろぞろと銃を携えた全身重装備の者たちが固まっている。

「手を挙げないならば、こちらも手荒な行為は辞さない。」

男は僕に銃口を向ける。

「あ、ああ。上げる、上げるよ。」

「…よし。手錠。」

男は後ろから重厚そうな手錠を受け取り何の迷いもなく僕の両手に、そして春ちゃんの両手にそれぞれかけてゆく。

「で、もう一人の男は?」

男は僕の顔を下から覗き込んだ。ヘルメットのシールド越しにその双眸が見えたが、それはまるで見てはいけない深淵であるかのようだった。

「別れました。」

冷や汗は止まったが、さっきから毛穴が開きっぱなしだ。動揺を少しでも感じられたが、そういえば、食堂のおばちゃんは…、目を丸くしてこちらを見ている。「兄ちゃん犯罪者やったんけ?!」という感じだ。犯罪者はあっちだよ、おばちゃん!早く逃げて!と言いたかったが、とにかくこの状況、一歩も動くことが出来ない。解決法がない。

「ふーん、あんちゃんはそんな感じなんか。」

眼前の男は急に口調を柔らかくし、こちらに歩み寄った。

「やったらわしの、中年の考察を聞いてもらってもええか。」

ヘルメットを脱いだ男の顔は深くしわが刻まれていて、一見厳格で恐ろしい漢、といった印象なのだが表情は何となく軟派で、それでいて好印象な雰囲気である。

「桐生は間違いなく賢い漢。それはわしは分かっとんねん。一緒に過ごしてきてお前さんらも思ったやろそれは。」

「あ、え、ええ。はい。」

「うん。ほんでな、鐘隆様のご息女とあんちゃん残してここで別れるなんか絶対せぇへんやろ。マテ、絶対は言い過ぎた。ほんでも、十中八九ここにおるやろ。」

 何で。何でばれてしまった。今回に限っては僕の落ち度ではない。何故か桐生さんの行動が奴に筒抜けている。何故そこまで桐生さんを知っている。彼の行動を予測できる。僕にだってまだ、それは出来ないのに。

「んでやね。捕まえるんは三人イッキが楽やからここで待っといてくれるけ。ああ、お嬢さん、こいつらがおるから安心してや。」

僕にようやく余裕が生まれた。春ちゃんを見る余裕が。彼女は必死に涙をこらえているようだった。しかし、口元まで涙でびしょ濡れである。僕はそれを見て下唇を噛んだ。

「うし。A班!ワシについてこい。桐生を捜索する。」

そして男はまたもトランシーバ―に話しかける。今回はやけに優しい口調であった。

「立木ぃ。狙撃もワシによこせ。そこやと死角が多すぎるわい。おお、ほやほや。…センキュウゥ。」

男はある程度の人数を食堂に残し、建物の外に出ていった。僕はただ呆然とするしかなかった。

「行ったな。」

自販機の裏からすっと桐生さんが現れた。

「林田軍曹!桐生!こちらにいます!」

僕はその刹那身動きできなかった。しかし、右に述べたように私たちを取り囲む男たちは即座に彼に武器を構えた。

「ふっ。」

その次の刹那。僕はまたもや認識することにならなかった。桐生さんは重装備の男五人を一気に相手取り、二人を投げ飛ばし、二人の腕と首を極め、一人に奴らから奪取した銃を向けて脅迫することに見事に成功している。本当に瞬きする間にこの一連の動きが完結していた。

「桐生さん…。」

僕の声は自分で聞いて酷いものだった。困惑と驚きと安堵と複雑な感情にさらに自分自身で混乱してい状態だった。

「林田から聞いていた。桐生、貴様明らかに素人ではない、いやそれ以上に何者だ。我々は精鋭だぞ。その集団を丸腰でこうも簡単に制圧するとは…。」

「静かに。」

桐生さんは銃の取っ手で男を殴り飛ばした。ヘルメットをしているとはいえ、かなり鈍い音が響いた。

「…。」

気絶して肢体を放り出す男を見下ろした彼の横顔は、生気がなく、青白いのを通り越して浅黒いはずの肌が少し透けて見える程に色がないというか、表情がない。そんな体を為していた。

「急ごう。」

ふと彼が僕の腕を掴んでいるのに気づいた。そして片腕で春ちゃんを抱えている。そのまま、施設の外に出ようと半ば強制される形で走り出していた、丁度その時、

——チュンッ。パリィッン。

稲妻のごとく空間を絶走した一つの閃光を、僕は目にした。その弾は床に跳ね、壁に跳ね、天井を跳ね、桐生さんの背後にある自販機に直撃した。

「っ!」

僕は絶句した。足が即座に凍り付いた。桐生さんは春ちゃんを自身の体に隠し、即座に遮蔽物に身を隠した。

「——道鐘。」

焦りを帯びつつもあくまで冷静に。桐生さんの小さいながらも芯のある言葉に揺さぶられ、僕はようやく正気を取り戻した。

「すみません。」

先ほど弾を撃ち込まれた自販機の後ろのスペースに身を隠した。

「持っておけ。」

そうして、桐生さんから渡されたのは先刻の拳銃。無論こんなものを適切に使えるわけがない。しかし、まさに先ほど桐生さんのような、身を守る鈍器として使えようとも、本当にいざというときのために持っておくべきだろうとも、桐生さんの意思は読めないが恐らくそういったことなんだろう。段々頭が冴えてきた。落ち着け、赤城道鐘。とにかく慌てふためてはならない。経を心中で唱えてもいい。とにかく彼の障害物になってはならない。

——キンッッッ、キッン!

「二回…。」

桐生さんは幽かにそう呟いた。

「跳弾、ですか。」

僕はなるべく声を抑えてそう言うと、桐生さんは少し驚いた顔をしたが、すぐに表情を整え、こう言った。

「サバゲー経験、もしくは銃に詳しかったりするのか、道鐘は。」

「いえ、読んでた漫画でそういう展開があったのを思い出して。銃に関してはからっきしです。」

「そうか。ま、私もほっとんどそんな感じだが。」

「ええっ。」

「——雰囲気的にできるかと思ったか。」

「そりゃ、もちろん。あんなスムーズに肉弾に組み込んでいたから、桐生さんもあいつらみたいに色々と使えるもんだとばかり…。」

「はっははー。言っとくが、一般人だぜ、俺。」

そう、状況に似合わず八重歯を見せて笑う。…全くさっきまでとは別人なんかいなぁ…。

「…道鐘、春遥!ここはまずい、逃げるぞ!!!」

彼がそう言ったとき、まさしく閃光が僕らの近くを通った。しかし、先ほどまでと違い、壁でも床にも行かず、人間が居るはずのない天井に弾が突き刺さった。

それを見て桐生さんは僕に顎で合図を送り、春ちゃんを抱えて出口に駆け出して行った。僕は遅れないように桐生さんに張り付き、拳銃片手に走り出した。入口の自動ドアには一つしか穴は開いていなかった。——おかしい。二発撃ってきたはずだよな。そう言った考えとは裏腹に、桐生さんの読み通りか、三発目はなかなか撃ってこなかった。

リロード、或いはコッキング、ボルトアクション的な何かが必要で連発できないからなのだろうか。

——直後、背後で聞き覚えのある爆音が響いた。

SAは見るも無残に砕け散り、暗闇の中でより一層目立つ死にざまを見せ、その後は中から業火のごとくこぼれ火のはぜる音がしていた。

「呆然とするな!走れッ!」

…再び正気を失っていた。己に喝を入れ、桐生さんの背中を追った。

「道鐘、すまんが運転してくれ!狙撃手の対応をせにゃいかん。」

車に到達したとき、桐生さんは運転席の扉を開けてこう言った。

「無茶ぶりっすね。だいぶペーパーっすよ、僕。」

「そうか、まァ行けるやろ。ちな、マニュアルな。」

「やば。」

そう、息も絶え絶えながらも軽口を叩きあいながらも僕の内心は行ったり来たりの大慌てである。

「やけど、ようはバイクと一緒。クラッチがハンドルからペダルに変わっただけのもん。」

別に難なくエンジンもローギアへの移行も完遂し、発進準備も整った直後、

「桐生ううぅぅぅぁぁあッ!!!」

虫の音が聞こえる静寂を濃く塗りつぶす怒号が辺りに響いた。車内にいた、僕と春ちゃんの耳にもつんざめいて酷かった。およそ人間の喉ではない。

「やれやれ、私が外にいては逆効果だ。道鐘、もういい。潮時だ。これ以上ひきつけられないから、出してくれ。」

「おっけっす。」

キャンプカーはけたたましい音を立てて発進した。


「…撒けたか。」

「道鐘、ちなみに免許は?」

「AT限定すよ、もちろん。」

「ははっ、そりゃそやわ。マニュアル車なんぞ生産終了しとるからな。ほぼほぼ。二、三十年前はちょこちょこ走り寄ったらしいが、今じゃ軽トラやら他伝説のマニュアル車のオートマ版が人気らしくてますます希少になってきよるらしいからな。まぁ、それでも大型二輪に乗り慣れとったら案外運転できるもんやな。」

「…おーとま、とまにゅある?の違いって何。」

春ちゃんはそういい、僕らは笑った。


202510/3改稿しました

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