シトラスの旅路
砂粒がキラキラと光っている。朝日の額にあたる部分がひょっこりと地平線から顔を出していた。私は瞼を擦った。穏やかな波の音で、余計に眠気がする。昔、まだ記憶もおぼろげなくらい幼かったころ、私はここに来ているらしい。朝食を海辺のちょくばいじょ?で買ったとき、レジに立つおばちゃんが私を見て、
「あら~はるちゃんじゃないのー。大きくなったね~。」
と言った。私はこのおばちゃんのことをよく覚えていなかったが、桐生さんが聞いてくれた分には、お母さんと知り合いらしい。しかし、一番最後に来たのは十年近く前。おばちゃんも一瞬とても似ている子かと思ったら、私が昔から持ち歩いているこの小さなクマのぬいぐるみを見て、私だと確信したらしい。
「この方々は親戚の人?」
そう聞かれて、私は少し焦ったが桐生さんが特に動揺することもなく、
「ええ。春遥の叔父です。こっちは弟の道鐘って言います。」
「へぇ。英子さん兄弟いらっしゃたのね~。あ、英子さんは?今日はいないの。」
「ええ。今回は春遥一人がこっちに遊びに来たみたいで、ああ道鐘の所に。京都なんで。」
「ほおです。春ちゃんすごいんすよ、一人で新幹線乗ってここまで来たみたいで。ちょっと見んあいだにめっちゃ大きくなッとって、感無量ですわ。」
急にありもしないことを二人が言いだして、私は困惑した。
「そうなんや~。へぇー。まあ、春ちゃんの顔久しぶりに見れて良かったわ。お母さんに、また来なよって言うといてなー。」
「…うん。」
口ごもりながらも私は答えた。答えれたのだろうか…。
直売所では、そんなことがあった。桐生さんはサンドイッチを、道兄はおにぎりを、どちらもおいしそうだった。私は道兄の大きなおにぎりを少しお裾分けしてもらった。
桐生さんが電話をを掛けている。道鐘兄さんは腕を組んで聞き耳を立てている。多分、途中で出会った蓬田さんという、道兄のお友達だ。道兄は、それを茫然と見ている私に久しぶりの海を見てきなよ、と言った。私は別段行きたいわけではなかったけれど、ここにいても仕方がないので砂浜を歩いて行った。結果として道兄の助言を聞いたのは正解だった。涼しい潮風が注がれて、明け方だというのにじめじめとした風を吹き飛ばしてくれた。眠気はいよいよ無くなった。ただただ、茜色に色づく沖合の水面から目が離せなかった。
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蓬田君は意外と長話だった。携帯からようやく耳を離すと少し耳に痛みを感じる程だ。道鐘もやれやれ、といった顔をしている。しかし、あくまで協力していもらっている立場だ。その上、かなり丁寧に情報提供をしてもらった。これから行く先も彼の助言によるものだ。場所は東京。元来選択肢は二つであった。行くか、逃げるか。最終的な我々の目的は鵺、牙鳥の二つに対して現状有効な対策を取ること。中国がある意味で目的地でもあるのでそれを目指しても良かったが、移動している最中がどうしても怖い。実際、空港にまで奴らの手が伸びている。恐らく、英子さんも同様に奴らの手の届かないところを目指していたのだろう。
「松井を頼ってみるのがいいかもしれません。」
蓬田紘馬君はそう言った。やけに神妙な声色だった。
「松井、君というと君らの友人のクラッカーの子だね。」
「ほおです。後、あいつは女ですよ。」
おっと、いかんいかん。道鐘、蓬田くん、後廣田くんと男性だったのでてっきり男子グループなのかと思っていた。私の通っていた男子校でもあるまいし、もちろんそれはあり得る話だった。
「まぁ、男みたいなもんですけどね、あいつも。」
「蓬田ァ、まぁたそんなこと言いよって。いつ、何を聞かれとるか分らんぞ、あいつには。」
突然、道鐘が話に割り込んできた。
「おおっと、ほやったほやった。怒ると怖いからな~あいつ。」
なるほど、この二人だけでなくお互いに気の置けない関係の仲間だったのだろう。容易に想像できた。
「ほんで、松井なんすけど今ちょうど東京におるらしいです。春遥ちゃんと、牙鳥のことどうにかしたいんやったら東京にいかんとどうしようもならんし、そこで協力を仰ぐのがいいかもしれません。多分大丈夫やと思いますが掛け合っておきました。返事はまだですけど。」
蓬田君、さらに松井さんから得た情報によると牙鳥に関しては間違いなく本拠地が東京にある。だが、東京とは言っても、東京の何区か、どんな建物かは一切分かっていない。
「分かってるでしょうけど相手はかなり危険です。法律の壁なんて余裕で貫通してきます。」
もちろん分かっていたつもりだが、確かにこの組織を相手とするとより一層の覚悟が必要になる。さらに、願わくはこの組織を壊滅させなくてはいけない。できたとして、他に脅威があるのは変わらないが。
「ああ、なんで言い忘れとったけど、車に銃積んでます。」
一応言っておくかくらいの声色でそのようなことを言いだすものだから、私は動揺で携帯を落としそうになった。
「は。」
「蓬田あぁぁぁ。」
道鐘はため息の混ざった怒号を発している。(流石に早い時間なので声量を抑えてはいたが)
「どうすんねん。これが途中で見つかってしもたら。追われる対象を増やしたって何もええことないで。」
警察に追われることを言っているのだろう。特に今回の場合、そのようなことが起きたらせっかく貸してもらっている車を乗り捨てて行かねばならなくなる。
「大丈夫やで~。わしがそんなことに気がつかんわけなかろ~。」
いつものふわふわした声色で言う。
「もし車の中を見られるようになっても、大丈夫なようある仕掛けをしといた。それこそ、松井に力を貸してもらって警察内の車上点検のマニュアルを見て、その穴をつく作戦を施しとるけ。モーマンタイやわ。」
得意げにそう話した。ならば、恐らく大丈夫なのだろうが、道鐘はやはり怪訝そうだ。しかし、何か大事がなければそんなことは起きまいと高をくくって私たちは蓬田君に感謝と別れを告げた。蓬田君は、
「気にせんといて下さい。それこそ、着いていけれんくて申し訳ないくらいですわ。無事で、また会いましょ。」
「もちろん、そのつもりだ。」
「お前もヘマすんなよ~。」
私たちがそう言うと、
「へっ。」
そう言って電話が切れた。
「ありがとう、春遥を見ていてくれて。」
「ええ。まぁ、海身にいったらどうって言うたんは僕ですし、流石にね。」
砂浜が若干しっとりとしている気がする。昨晩雨が降ったのだろうか。
「何か考えてるみたいですね。」
道鐘はそう言った。彼女の眼差しは水平線に光る、昇りかけの朝日に向いている。本を読んでいた時のように、話しかけるのも憚られる程に集中している。
「春遥。」
しかし、呼んでみるとゆっくりとこちらを向いた。とてつもない集中力の中で、全く関係ないものに反応できる反射神経。これは才能だと直感した。
「いい景色だな。」
「…うん。」
「来てよかったですね。」
道鐘は何とはなしにそう言ったみたいで、私は特に反応に困ってしまった。
「何というか、車に戻りたくなくなくなるな。心地が良くて、涼しくて。」
そして、そんな他愛もないことを言ってしまった。
「懐かしい。」
ふと、春遥が言った。
「来たこと、覚えてないけど懐かしい。またここに帰りたいって感じがする。」
私は佐田の港を思い出した。静かな漁港と、鯨のような汽笛。タンクトップで汗まみれの俺と、爺ちゃん。「またここに帰りたい」という気持ちが俺にはよくわかったみたいだ。
「…さて、戻りますか。」
道鐘がそう言った。もう少しで座り込む勢いだった私は、二人の方を向いて、
「そだな、先を急ごう。」
こう言って力なく笑った。
どうも。思ったより早かったでしょう。頑張りました。
それと、新章開幕です。ですが、以降かなり更新が遅くなると思います。(一度出たら、立て続けに行けると思うんですが)また気長にお待ちいただけると幸いです。
それでは、また…。