始まり?
「死ぬなあぁぁー!」
咆哮。そして駆けだした、私の両足。彼女の下へ駆け寄ると岩の隙間から顔を出す鉄筋、その先端に鮮血が付着しているのが分かった。同様に彼女の首から紅い液体が流れている。私は顔を歪めた。
「どうして。何のためにこんなことを…。」
私は、恐らく悲痛な顔をしていたのだろう。そのためか、逆に彼女は冷静なままではあるものの、申し訳な表情をしていた。
「疲れたの。私たち、ずーっと追われてて。」
彼女は掠れた声で話し始めた。やはり、自分で…。その事実を私としては認めたくなかった。しかし、はみ出した鋭利な鉄筋が彼女の肩よりも低い場所から顔を出していたので、事故ではなく故意であったと、その事実を本人が認めてしまったのだ。私も、平静を装いながらゆっくりと話し始める。
「追われていた、というのは何に。」
「ごめんなさい、詳しくっ、は話せないけど、私は変わった生まれで、それで命を狙われてるの。」
途中、痛みに言葉を詰まらせながらも彼女は答、そして突然服のボタンをはずし、その下をあらわにした。そこにはごつごつとした機械が取り付けられていた。それはよくある時限爆弾のようで、時間も分も表示はゼロで残り五十秒ほどであった。彼女は、なおも話し続ける。
「は、はは。ようやく、私っ、にも白馬の王子様が、きたのね。ちょっと、渋いっ、けれど。」
私はかなり狼狽していた。この爆弾が爆発すれば、どこまでが巻き込まれるか。恐らくこの子がここまで真剣に話し、そして彼女らを狙う何者かかが、何かの目的のために確実に殺害しようとしている、と仮定すると、爆発の威力が決してちゃちなものではないと、すぐに確信した。ならば、母親を抱え、ここから離脱するべきか。しかし無理に動かせばさらに大事に至るかもしれない。そもそも、具体的な症状を私は知らないし、わかったところで対処法がわかるはずもない。そのような総合的な判断は、――私には到底できない。
「赤城君っっ!」
もう一度周囲に響き渡る大声を放ち、彼を呼んだ。しかし、先ほどの怒号を聞いて、すぐそこまで来ていたようだった。彼も真っ青な顔をして、こう言った。
「桐生さんっ!その子は!」
私は顔をしかめてしまった。赤城青年はその細眉をひそめた。そして彼は私の隣に座りこむと、少女の首を覗き込んだ。
「かなり深くえぐれてる。取り付けられた爆弾は…。」
「おそらくかなりの威力でしょうね。詳しくはないですけど、先ほどの話を聞いてる限り。」
刻一刻と時間は迫っている。どうすれば…。私は顔を赤らめ、息を弾ませているいたいけな少女の顔と、真剣そうに何か解決策はないか、と考え込んでいる様子の青年の顔とを見た。——唯一の大人がこうも渋っていてはだめだな。
私は意を決し、爆弾を刺激しないようにして少女の体に腕を回した。
「…ん。」
「んんっ⁉えっ?」
二人は当然異なる気色を示した。少女はこちらに身をゆだねたかのように穏やかな表情になり、赤城君は慌てふためている。
「ちょっ、桐生さん何考えてんですか。今こんなことしとる場合じゃなく…、て。え。いや、どういう、…ああ。桐生さん、アンタ、もしかして。」
青年は、本当は悟りたくなかった、というまなざしでこちらを見ている。まあ、彼にとっても、私にとってもこの子は救うことのできなかった大切な命だ。そして、私がこの決断をしなかったら、医者の卵である彼がどのような判断を下したか。患者の命を最優先に、という指導を受けたと思われる彼が、その決断にどれだけ葛藤するか。その知識に関して真っ暗な私には、計り知れない逡巡がそこにはあると直感的に感じた。あるいは、彼の悲しい、思いつめた顔のせいなのか。いずれにせよ、彼に傷を負わせないためには最善だと感じた。
「聡い青年だよ、君は。本当に。…ははっ。青年。」
一度腕をほどき、彼に向き直って言う。彼の名をもう一度呼ぶ。
「赤城青年、君は生きろ。」
青年はなおも暗い顔のままでこちらを覗き見ている。
「し、しかし…。」
「君は、君たちは有事の際にこれだけ動けたんだ。救えなかった人ももちろんいるだろうが、それでもまだ大学生だというのに、ここまで行動力があるのは誇るべきことだと私は思う。だから、私はこの子に対して目を離していた責任がある。せめて…、こんなところだけでも大人でいたいんだ。責任を取らせてくれ。」
「で、でも。桐生さんは。」
なおも私の、他人の心配か。根っからのいいやつなんだろうな。彼は。
「気にするなよ、そんなこと。これが私の生き方だからな。」
目いっぱいの笑顔を手向けてやった。不自然だっただろうか。いや、後悔など微塵もないことが、彼に伝われば十分だ。彼は、一瞬の躊躇の後、あからさまに踵を返し、母親を慎重に抱え、決して振り返ることなく去っていった。最後は自分の判断だったのだろう。英断だ、青年。
私も踵を返し、少女と向き合うと、彼女は嬉しそうに笑っていた。決して空元気ではないと、改めて感じた。時間表示では残り二十秒ほどであった。再び彼女の背中に手をまわし、頭を撫でてやった。無意識にそうしてやった方がよいのだと、その時は感じた。
「へへ、あっ、がとう。」
舌も回らなくなっている。腕を伸ばし、私の腰を抱こうとしているが、手を曲げられるほどの感覚は残っておらず、やがて両手は、無慈悲に、重力の餌食になってしまった。
「ははは…。そ、だ。もうっ、すこ、強、く抱って、みてよ。」
私はなにも言わずゆっくりと力を込めてやる。
「いっ、痛いっ、よお。」
「すすすすまん。大丈夫か。」
私の問いかけに返事が返ってくることはなかった。
後々考えれば、赤城青年は医者として非合理的な判断をしただろう。彼の、…行ってしまえばノルマは、できるだけ多くの患者を救ってくることであり、そこには私も含まれていただろう。彼に少しでも信頼されたおかげで、すっかり勘違いしていた私だったが。しかし彼は、私があの少女を一人にさせまいとした情を、しっかりとくみ取ってくれた。そして、自分のやるべきことをその場で考え、実行してくれた。もはや、私を信じてくれた赤城青年と、あの少女には何の礼をすることもできないが。
——これでよかったのだ。これであっさりと、俺は俺の人生を終えることにしよう。そう思った。
お読みくださりありがとうございました。少し、区切れすぎかな、とは思うんですが上手くまとめきれず、なんか中途半端な感じになってしまいました。お許しください(陳謝)。この区切り方に特に意味はないのでそのまま続きで読んでくださるとありがたいです。では、また。