お仕事頑張ります!
「それじゃ、いってきまーす!」
まだ朝露が葉を濡らす早朝。太陽の位置は低く、空は白む。
きっとサクノミは寝ているだろう。静まった玄関で一人、リナナは元気いっぱい出発の挨拶を言って館の外に出た。
今日は初出勤日だった。サクノミの館から仮面の都ロキまで徒歩で二時間ほどだ。この距離をリナナはこれから毎日通勤のために歩く。
これでもサクノミには近道を教えてもらっていた。あの、リナナにとっては忌まわしい記憶しかない暗闇の森を通らなくても済む道だった。
これからの仕事に胸膨らませ、軽快に歩くリナナは肩から水筒を下げ、背には皮で作られた袋を背負っている。袋の中にはエプロンと、サクノミが持たせてくれた猿のお面のぬいぐるみ『オサル』が突っ込まれていて袋から顔だけ出していた。オサルは魔術をかけられたぬいぐるみで、リナナに何か危険があった時、またはリナナがサクノミと緊急の連絡を取りたい時に活躍するらしい。
「風が気持ちいい。」
リナナはずんずんと街道を歩いた。背の袋から飛び出たオサルの頭が上下に揺れる。
初めての職場……サファイアさんの魚料理屋は昼からの営業で、リナナは十時頃から勤務の予定になっていた。
街道には魔物避けの術が施されているので、基本的に道を外れなければ危険は無い。しかし古い道なのでところどころ本来の道を迂回しなければならない場所もあった。
「たしかこの辺り……、あった! 目印!」
リナナはドラゴフォートレスから聞かされていたその場所を見つけると、注意深く辺りを見渡した。危険が無いことがわかると足早に通り過ぎる。
「よし、大丈夫だった!」
実のところ、草の影から小さな魔物がリナナの様子を覗っていたことにリナナは気付いていなかったのだが、オサルのお面の目が赤く光ると小さな魔物は退散した。
「やっと着いた! おはようございます!」
リナナは門番に挨拶をして都に入った。仮面の都ロキには、仮面をしてさえいれば誰でも入ることができる。先の戦争も、中央王国の内陸に位置するこの都にとっては対岸の火事。何十年も脅かされることのない平和な日々が続いている。そのため、普段、門番が警戒しているのは魔物の侵入であった。
◇
「リナナです。今日からよろしくお願いします!」
エプロンをつけたリナナは、これから一緒に働く仲間たちの前で自己紹介をした。
と言ってもリナナの他には二人だけだったが、それでもリナナは初めての職場に緊張している。
パチパチパチと拍手をしてくれたのが、珊瑚の仮面をつけた店主のサファイア。犬の面をつけているのはリナナの先輩になるハヅキだった。ハヅキは頭の上にフワフワの毛で覆われた三角形の耳と、お尻にはやはりフワフワの尻尾が生えていた。パサパサと動くので作り物ではないらしい。
「よろしくね、リナナちゃん。まずはこちらのハヅキちゃんに仕事教えてもらってね。」
「よろしく、リナナ。ハヅキだ。なんでも聞いてくれ。」
「ハヅキ先輩。私、孤児院を出て、働くのは初めてです。よろしくお願いします。」
「よし。じゃあ、まずは開店前の掃除から始めようか。これで床を掃いて、そのあとは布巾でテーブルと椅子を拭いてな。」
「はい! 掃除は得意です!」
事実、孤児院では子供たちだけで掃除も洗濯も料理もしなければならなかった。まだ小さい子たちの分まで、最年長だったリナナは働いていたのである。
ハヅキはリナナが掃除する様子を見ながら、店の掃除で気をつける点や、リナナが見逃している場所などを教えてくれた。
「客が来たら、水を出して、こっちのメニューを渡す。で、注文を聞く。」
「なるほど!」
リナナは店のメニューを開いた。
サファイアの店の売りは海で獲れた魚の料理の提供。海の魚は週に一回、サファイア自身が仕入れに行くらしい。
メニューには回遊魚のステーキ。白身魚の酢和え。煮付け。リナナの見たことがない魚の名前が並んでいる。
「地下に冷凍の貯蔵庫があるんだ。サファイアさんに今度見せてもらいな。」
「へえ。これってどんな料理なんですか?」
「そうだなぁ……。あたしは口で説明するの苦手なんだよなぁ……。でも、魚ってやつは肉よりもさっぱりしてるけど、この店の料理は美味いよ。上等な油を使ってる。」
「食べてみたい。」
「お、リナナは勉強熱心だな!」
昼の時間の少し前、本日初めての客が訪れる。洒落た服装にお揃いの仮面をつけた老夫婦だ。
「いらっしゃいませ!」
リナナは元気よく挨拶をすると、ハヅキに言われたとおりに老夫婦の座った席まで水とメニューを持っていった。
「おや、新人さんかい?」
「はい! リナナと言います。」
「元気がいいね。今日のおすすめは何かな?」
「きょ、今日のおすすめ!?」
リナナはとっさに答えられず、ハヅキの方を見て助けを求めた。
ハヅキが慌ててやってきて、メニューをめくり最初の料理を指さす。
「おお、遠洋の魚が獲れたのか。では、これにしよう。ありがとう、獣人さん。」
「はいぃー。マグロいっちょー!」
ハヅキは厨房に向かってそう言うと元の位置に戻っていった。
リナナは、店のオーダー帳に老夫婦のオーダーをメモすると頭を下げてメニューを下げた。
「ハヅキ先輩、ありがとうございました。私、急に聞かれて混乱しちゃって。」
「なあに。あたしも教えるの忘れてたよ。ごめんね。」
料理が出来上がるのを待っている間、ハヅキがつまらなそうな顔をしているのでリナナは恐る恐る疑問に思ったことを聞いた。
「あ、あの……獣人って?」
ハヅキはリナナの顔をマジマジと見てから、指で頬を搔きながら言った。
「……まあ、一部の人族だけだけどさ。この耳と尻尾のせいで獣人なんて呼ばれることもある。けど、あたしは誇り高き剣狼族の戦士だ。……まあ今は給仕なんだけど。」
ハヅキのその言い方で、リナナは聞いてはいけないことを聞いてしまったのだと気付いた。
「あ……、ごめんなさい、私よくわからなくて……。」
「わかってるよ。気にしないで。」
ハヅキはリナナに笑顔を向けると、リナナの頭をぽんぽんと優しく叩く。
「出来たわ。持っていって!」
厨房のサファイアから声がかかった。
リナナがハヅキを見ると、取りにいってと顔で指示されたので、リナナは厨房に料理を取りに向かった。
老夫婦に料理を出してお金を受け取り、
「ごゆっくり!」
と言って戻る。
ふぅ、とリナナは息を吐いた。これが初めての接客である。無事にこなせたぞ。リナナは少し自信をつけていた。
それから徐々に客が入りはじめ、リナナもハヅキも忙しくなっていった。
客は恰幅のいい男性、おしゃべり好きな婦人たち、おそらく都の役人に、顔全体を隠すような仮面の旅人……。
ランチタイムは二時間ほどだったが、外に人が並ばないまでも用意されたテーブルは客で埋まっていた。ドラゴフォートレスがリナナに勧めようとしただけあり、サファイアの店はそこそこの人気店であるらしかった。
ランチタイムを終えるころにはリナナはヘトヘトになっていた。
「はぁ、疲れました。」
「お疲れ、リナナ。この時間からは客は来ないから、あと軽く片付けたら休憩してていいよ。あたしは食器洗いを手伝ってくる。」
「あ、はい。」
リナナは店のテーブルと椅子を整えると、椅子に座って一息ついた。
厨房では、サファイアが皿洗いをしているハヅキに尋ねていた。
「どうかしら、リナナちゃんは?」
「孤児って言ってたけど、しっかりしてますね。覚えも早いし、字も出来る。愛想もいいし、声が出せるし、背筋もピンとして見た目の印象も悪くない。」
「竜族の紹介なの。」
「竜族の? へえ、どうりで。それなら確かですね。」
「ふふ。ハヅキちゃん。リナナちゃんのこと、よろしくね。」
「了解。」
休んでいるリナナのところにサファイアが料理を持ってやってきた。
「リナナちゃん、よかったわ。これ、まかないだけど良かったら食べて。」
「あ、ありがとうございます。」
「初日なのに上出来よ。助かるわ。これからもよろしくね。」
「はい!」
「本当に働いたことなかったの? ハヅキちゃんも、リナナちゃんがしっかりしててビックリしたって。」
「ふふふ。マザーエレナが厳しくて。昔はよく叱られました。」
リナナはサファイアの料理を一口食べてみる。
やわらかな魚の肉を噛むと、じわっと酢の味が口に広がった。
「おいしい!」
「お口に合うようでよかったわ。」
ハヅキがカウンターに皿いっぱいの料理を並べ始めていた。
サファイアが言った。
「この時間から夕方までは料理の量り売りね。うちはお酒を提供できないから、夜の営業はしないの。」
サファイアの店は、ランチの時間が終わると惣菜を売る店に変わる。そうなるとサファイアだけで人手は足りるようになるので、リナナとハヅキのシフトはここまでだった。
一通り皿を並べ終えたハヅキが、んーっと伸びをしてからエプロンを外した。
「さて、あたしは次のバイトに行かなきゃ。じゃ、おつかれさま!」
「おつかれさまでした!」
さっさと行ってしまったハヅキを見送ると、料理を食べ終わったリナナにサファイアが魔法金貨を手渡した。
「はい、これ今日の分ね。おつかれさま。また明日お願いね。」
「ありがとうございます!」
リナナは本日の給料を握りしめて、さっそくサファイアに聞いた。
「料理すごく美味しかったです。あの、私、買って帰ってもいいですか? サクノミにも食べさせてあげたくて。」
◇
片道二時間かけてサクノミの館に帰ったリナナは、サクノミに料理を買って帰ってきたことを報告した。サクノミは、そうかとだけ返した。
リナナはサファイアに聞いたとおりに料理に手を加えて、夕飯のおかずに出した。
サクノミはいつも通り、特に感想も言わずに料理に手をつける。
リナナは今日の初仕事がどんなだったか一方的に語りながら、
「美味しい!」
と料理を口に運ぶたびに言っていた。
二人とも料理を食べ終えた後、サクノミが口を開いた。
「……いくらだ? 俺の分の金は払う。」
「え? いいよ。私が買いたかっただけだから。」
「そういうわけにはいかないだろ。」
「……千五百……。」
「千五百?」
「うん。……このサファイアさんのお料理の値段、本当は二人分で四千だったんだけど、私のお給料が三千で、買って帰りたいって言ったら値引きしてくれて。だから……半分の千五百。」
「はぁ……、お前……。」
今日の分の給料を全部使ったのかよ。サクノミはそう言いかけて飲み込んだ。怒ってばかりいてもしょうがない。それはドラゴフォートレスにも釘を刺されていたのだ。リナナを置いておくならば、関係を悪くするなよと。
それに告白したリナナの不安そうな表情を見れば、物の価値をまったくわかっていないとも思わない。
「……料理は旨かった。お前の気持ちもわかる。礼は言う。だが、自分の稼いだ金はもっと大事にしろ。……俺が食べたくなった時は、金を渡して買い物を頼むから。」
「うん。」
「これは取っておけよ。」
「……うん。ありがとう。」
サクノミはリナナに魔法金貨千五百を渡した。
チャリンと魔法金貨は音を鳴らした。




