エピローグ
学舎は王都を見下ろす丘に建てられていた。
カフェテリアはその二階にあり、窓際の席からは都を一望出来る。
この景色を愛する者は多い。
ネリーもその一人で、昼食を食べながら眼下に広がる光景をぼんやりと眺めていた。
そんな物憂げな彼女と相席を望む者はまずいない。
そもそも彼女は王族。
気安く話しかけられる存在など――。
そんな彼女の目の前で、トレイが音もなく滑らせるように置かれた。
(あらあら王女サマ、ごきげんよう。相変わらず一緒に食べる友達もいない寂しい人生をお過ごしですのね?)
そこに乗っているのは随分と少ない食事。
その主はラウラ=チェスタ。最近友好国となって交流機会が増したハーミルからの留学生。
公爵令嬢でもある。
彼女の小食ぶりは有名で、ネリーも最初の頃は随分心配したものだった。
ハーミル国の令嬢たるもの『人前でパクパク食べるべからず』のような文化があるのかしら、と思い口を挟むのは避けてきたが。
(……ほかにも席があるでしょう?)
(私、この席が好きなの。文句があるならそっちが出て行けば?)
切れ長の目を鋭く細めて反論するラウラだったが、ネリーはそれを無視して食事を続けた。
結局二人して向かい合って食事をする。
これはこの学舎でほぼ毎日見られる光景。
最初の挨拶も同様。
――要するに『ここいいですか?』『どうぞ』という二人なりのやりとり。
そして無言で見つめ合い意思疎通を図る二人を、周囲の令嬢令息たちが愛でているのも。
(――何かあったの?)
ラウラがフォーク片手に行儀悪く尋ねてきた。
今日のようにネリーが僅かな変化でも見せようものなら、このように過敏に反応してくる。
彼女としてもそれが嬉しくもあり、……面倒臭くもあり。
取り合えず、ネリーは茶化すことで相手との距離を測ることにする。
(あらあら、私の心配をしてくださるの? なんとお優しい。……ハーミルとの国境警備を強化するように伝えておかないといけないかしら?)
(……で? 何?)
ラウラは間合いを一気に詰めてきた。
どうやら本気で心配してくれているらしい。
ネリーは口元を少しだけ上げ嘆息する。
そして思い切って相談してみることにした。
(貴女の国のガレオン卿。彼の交渉方法が強引過ぎるそうよ。……ウチのクライツ候と相当に相性が悪いみたい。……両国の友好など、いつでも崩してやると言いたげな圧力をかけてくるって)
今はまず地固め。
それが両国の共通認識のはずなのだが。
それでもわずかでも上に立つことが出来ればと考えるのが外交といえばそれまでだが、それにしても限度というものがある。
クライツ候は代々外交を主戦場にしている一族。
ネリーはそこに降嫁が決まっていた。
(あぁ、アイツねぇ。私も大嫌い。ウチでも珍しい毛色ね。アレと相性のいい人間なんていないと思うわ。『優秀』なのは誰もが認めるところだけれど。…………で、健気なお姫様は未来のお義父様のお役に立ちたいと? 王族として助力できることがあればと?)
(…………悪い?)
ラウラは「ふふふ」と声を漏らして小さく笑い出した。
考えてみれば、ラウラはどちらかと言えばガレオン卿側の人間。
バカなことを聞いてしまったとネリーは自己嫌悪に陥った。
(――攻めるならば、奥方一択ね)
まさか返ってくるとは思わなかった。
せいぜい愚痴として聞き流されるのが関の山かと。
(……奥方?)
(そう。彼女、今回もついてきているでしょう?)
確かにネリーは王室主催の晩餐会にて二人揃っての挨拶を受けた。
「彼女はミリガン公爵家出身でね――」
ラウラは口を開いて話し出す。
久しぶりに間近で耳にした凛とした声にドキドキしたが、ネリーはおくびにも出さず顔を彼女に寄せた。
僅かなニュアンス違いもないように口に出すときは、顔を寄せるのが二人の決め事。
国家機密に関わることが多いので、絶対に声が漏れないよう。
それでも虚を突かれたのか、ラウラがピクリと肩を震わせた。
だが彼女も同じように顔を寄せる。
息がかかる距離でラウラは説明を続けた。
……その光景に周囲が頬を染めたことなど気付かず。
ハーミルの剛腕ガレオン卿。
彼を飼い馴らしたいミリガン公爵家が、とっておきの娘で釣った縁談なのだという。
当時はかなり話題になったらしい。
ネリーとラウラがまだ生まれる前の話。
何といっても現在二十八才の奥方と五十代に差し掛かっている卿との歳の差は二十を超える。
婚約当時に至っては、奥方はまだ十歳そこそこ。
対するガレオン卿は三十代。
彼女は大暴れした挙句、家出を敢行したそうだ。
翌日には捕獲されたらしいが。
美丈夫の三十代ならともかく、当時から卿は酒太りハゲだったらしいからさもありなん。
これにはネリーも同情を禁じ得ない。
(――その反動かしらね? 彼女、自分よりも若い男の人――踏み込んだ言い方をすれば、少年が大好物なの)
再び彼女は視線で告げてきた。
(……え、そうなの?)
眉根を顰めるも、周囲に気付かれないよう慎重に視線で返すネリー。
今の意味を察せられないほど彼女も初心ではない。
(えぇ、私の二つ年上の兄を誘惑したこともあったわ。……よりによってウチの嫡男に、よ?)
彼女の兄は当時まだ十四歳だったという。
ミリガン公爵家とガレオン侯爵家が揃って頭を下げたから醜聞にはならなかったが、家族であるラウラからすればまだまだ記憶に新しい出来事。
(どうやら彼女、線の細い少年が好きみたいで……)
ラウラの目の奥が楽しそうに光っている。
……わかるでしょう? と。
ネリーは頷き、頭に浮かび始めた計画を練り上げ始めた。
(……貴女の婚約者をチラつかせたら、飛びつくこと間違いなし!)
彼女は我に返る。
「それだけは絶対にダメだから!」
思わずネリーは声に出してしまう。
いきなりの大声に周囲が反応する。
彼女は慌てて取り繕いの笑顔で愛想を振りまくのだった。
(……冗談に決まっているでしょうに)
ラウラがふふっと美しい笑顔で嘆息した。
(――それにしてもガレオン卿の奥方といい、貴女といい、どうしてあんなヒョロヒョロがいいのかしら、センスを疑うわ)
(……ちなみに貴女はどんな男性が?)
(当然がっちりムキムキのオスよ)
(ちょっと、言い方!)
だけどラウラは『それがどうした』と言いたげ。
どうせ周りにも聞こえていないからと、彼女はガラの悪い言い方や斜っぽい切り口を好む。
何かの拍子でつい口に出してしまうこともあるだろうに。
ネリーは何度か注意したが彼女は全く聞く気がない。
猫かぶりには絶対的な自信を持っているらしい。
(貴女の婚約者クライツ侯爵子息にしても、ウチの兄にしても、その気になればこの私でも殴り倒せそうじゃない?)
普通の令嬢は殿方を殴り倒そうとは思わないのだが、反応するのも面倒なネリーはそのまま流す。
(やはり男は一も二もなく頑丈でないと話にならないわ。……政治力や金があったところで、いざそこに武器を持った賊が迫ったとき、身体の張り方を知らない男など問題外ではなくて?)
確かにそれはネリーとしても一理あると認めるところだった。
だけどそのまま認めるのはシャクで。
(そもそも貴女に守ってやるほどの価値がないのはご愛敬かしら?)
(あはははは)
(うふふふふ)
……二人はしばらくの間、微笑みながら罵声を浴びせ合うこととなった。
相手を詰る語彙も尽きた頃、ネリーはすっと音もなく立ち上がった。
(どうかした?)
(飲み物を取ってくるだけ)
声は出していなくても喉が枯れてくるのが、毎回不思議だった。
(ふうん。……じゃあ、私も同じものをお願い)
ラウラが平然と告げる。
(王女を顎で使うだなんて、本当にいい度胸しているわね?)
(ほら、私病弱だからあまり動いてはいけないってお医者様に言われているの)
まったく悪びれる様子のないラウラにネリーは切り返す。
(……まだまだ勉強不足を痛感するわね。……ハーミル語の病弱には【頭が弱い】という意味が含まれていたなんて)
(ほほう、ケンカ売ってるの?)
鋭い目だが、その奥は明らかに楽しんでいる。
(あら恐ろしい。そんな目で見られると逃げ出したくなるわ。……で、頭に良く効く緑黄野菜ジュースを貰ってくればいいのね?)
生徒たちの中でも有名な苦いアレ。
悪ノリした男子生徒が罰ゲームとして一気飲みしているのをよく見かける。
ラウラが苦手としているのをネリーは知っていた。
(同じものと言ったはずだけど?)
(……えぇ)
一向に構わないと、目で強い意志を叩きつけてやる。
明らかにラウラは怯み始め、ついに視線を逸らしてしまった。
ネリーの気分は最高。
彼女は観念したかのように、ネリーに負けず劣らずの優雅な仕草で立ち上がる……も、少し揺れた。
ネリーは反射的にテーブルを回りこんで彼女の手を握り、グッと引き寄せる様に支えてやる。
ダンスでもあるまいに抱き合う二人。
至近距離で視線が重なったが、珍しいことに全く読み取れなかった。
(……もしかして今更病弱アピールかしら?)
(…………悪い?)
(バカじゃないの? そういうのはムキムキの殿方の前でやりなさいよ)
結局二人してドリンクを取りに行くことになった。
……手をつないだままで。
ネリーは手のひらに変な汗をかいているのを感じた。
早く離したい。
だけどそれを言い出すのは負けた気分になる。
だからひたすら耐える。
その間も周囲からは黄色い声が飛んでいた。
元々そういう禁断に近い関係として見られているのは知っていた。
婚約者ギュンターからも牽制にならない牽制があったりして。
いい加減、恥ずかしくなってきたネリーは、歩きながらチラリと隣のラウラの目を覗く。
(…………何よ)
(……その……うん、何でもないわ)
ラウラも離したいと思っているだろうに。
ネリーと同じように言い出した方が負けだと思っているのは明らか。
本当に嫌になるぐらい二人はそっくりだった。
そんな中、ラウラが小さく息を漏らした。
再度彼女の目を覗き込めば、瞳がこの上なく輝いていることに気付く。
いつも一番近くにいるネリーだからこそ気付く輝き。
毎度毎度懲りずに心を持っていかれる輝き。
思わず息を止めた王女ネリーを見たのか、周囲は一斉に静まり返る。
そして熱く見つめ合う彼女たちを食い入るように見つめた。
これがあるから噂を全否定出来ないのだと自覚しているつもりだ。
だがそれでも、ラウラの瞳はネリーの心をこうも簡単に捕らえてしまう。
(……せーの!)
ラウラは微笑みを見せたまま告げる。
意味を察したネリーも最高の笑顔で備えた。
一拍おいて――。
(とっとと離せよ、このフワフワ!)
(いい加減離しなさいな、この野蛮人!)
ついにネリーとラウラは声を上げて笑い出した。
周囲はそんな乙女二人の光景を、憧れを通り越した崇拝の気持ちで心に焼き付ける。
言いたいことを言ってすっきりした二人は、再び優雅に歩き出した。
……しっかり手をつないだまま。
ネリーはずっとこんな日が続けばいいのにと願った。
絶対に隣のラウラに悟られないよう、しっかりと蓋をするのは忘れずに。
わずかでも洩れないよう。
大事に大事に。
もし知られてしまったら――。
(…………恥ずかし過ぎるもの)
何より、一生負け犬になりそうで怖い。
だからネリーは何とも思っていない顔を作り、むしろ周囲の要望に応えるかのようにラウラと腕を絡ませるのだった。
≪完≫
これにて完結です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。




