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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

マナーを守るのはマナーです

倣い(マナー)。それは社会において守るべき美徳。


 物事を円滑に回し、意志疎通を容易く行うために必要な行い。


「例えばほらこのように、王に謁見する際にはヴェールや口覆いを外すのがマナーです。顔を隠すなどもってのほかでしょう」


 一見して蚕糸の光沢とも違う、どのような繊維を用いて織られたものか、皆目検討のしようがない黒衣(スーツ)の長身痩駆。眼鏡のつるを押し上げれば嘲るようなその眼差しは反射の奥へと隠れる。


「おお、そなたが言うのであればそれがマナーなのであろうな。これからは余との謁見のみならず、おおよそ青い血と呼べる全ての者はこれを守ることを義務としよう」


 およそ伝統的とは言いがたい行いに周囲の貴族たちも浮き足立つが、老いた貴族が機先を制して王の前へと足を踏み出し、ひざまずいた。


「王よ、これらは穢れを遠ざけるものにございます。無闇に外してしまうのはーーー」 


「黙らっしゃい。このマナーは顔を明確に見せることで暗殺を防ぐためのものなのです。王の御身を考えればこそ、それとも貴殿は王の暗殺に意欲がおありなのですかな?」


 近頃この黒い道化はとくに王のお気に入りなのだ。寝所や手洗いにまで側に置き、一挙手一投足に至るまでマナーだと教えを請う状況だと聞く。


「卿よ、そうなのか?余に後ろめたいことがあると、そうなのか?」


 先代の頃からの臣下の言葉も、もういくらが届くものか。こうして讒言(ざんげん)を囁かれれば信じてしまう有り様だった。


「そのようなことはありません!王のことを思えばこそ、そのような者のーーー」


「では決まりですな。王よ、早速布告いたしましょう。下々の者にも広まるよう布告官を派遣してはいかがか。王の威光を示すのです」


 もう、この王では国が保てないのではないか。そんな空気が貴族の間に流れていた。早々に隠居してもらい、新しい王を立てるべきだと、誰もが口に上らせずとも考えていた時期であった。


「はっは。余の治世では目立って何事かを成すことなどもうないだろうと思っておったが、このような形で名を残すことになろうとはな。この者に城の財貨を1割ほどを褒美として渡すがよい」


 目立って功績を成したような王ではないが、戦争もなく、穏やかな治世であった。それが何故このようなことに。


「ええ、このような形で名を残すようなことになるとは思ってもみなかったでしょうとも。王よ、御覧ください。これがあなたの末路なのですよ」


 光景が一変し、何かが焼ける臭いが充満する。


「なんだこれは!なぜ(みな)が謁見の間で寝転がってなどいるのだ!」


「先ほどのものは所謂回想というものです。さあ、こちらへ。空気が悪いですから外の空気を吸いましょう」


 窓を開ければ嫌な臭いが強くなる。窓から見える眼下には、大量の死体が山と積まれて火が放たれている。


「おお、おお。なんということか。この臭いは。民までもが道に寝転がっているではないか」


「流行り病ですよ。対策なしだとこうも容易く広がってしまうものです。この臭いは墓地が足りないので何ヵ所かでまとめて野ざらしに燃やしているためですね」


「おお、おお」


 ことここに至り、王はようやく自らの失敗を悟った。そうだ、貴族と会うときには必ず顔を隠すような装いはしてはならないと布告した直後のことであった。疫病、つまり(たち)の悪い感冒が流行り始め、あっという間に口覆い(マスク)の防護なしに国中に広まってしまったのだ。


 なんという、ことを。


「なるほど。なまじ王として神の恩寵を受けてしまっているのが苦しみを長引かせていますか」


 恩寵薄き宮廷貴族はまともに病に抵抗できず、この惨状を作り出した。恩寵なき民などは言うに及ばず。


 その時、先ほどの光景で王に意見していた老貴族が抜き放った剣と共に表れ、黒衣(スーツ)に躍りかかる。


「臣民の仇めっ!成敗!」


 剣は黒衣へと吸い込まれたが、否、すり抜けた。すり抜けた剣は運悪く黒衣の後ろで項垂れていた王の背中を斬りつけることとなり、その命脈を絶った。


「乱心なさいましたな。王を(しい)するなどと、大罪でございますぞ」


「なっ、なに?面妖な」


 黒衣(スーツ)の長身痩駆は嘲りを隠さず、眼鏡を外して飛んだ返り血を丁寧に布でぬぐい始めた。妙なことに、王を背にしていて返り血を眼鏡に浴びるはずなどないのだが。


「情報生命体に物理干渉などできようはずもありませんからな。別種の方々ならばそういうこともできるやもしれませんが」


 老貴族が混乱の極みにいる最中、黒衣(スーツ)は優雅な手つきで眼鏡をかけ直す。


「さて、そろそろ(いとま)をいただきましょうか。こちら退職届です。何か異議がありましたら今日から100太陽周期までに同封の代理人連絡先へご連絡ください」


 慇懃(たのしそう)に、その言葉を空間に滲ませるようにして、嘲りを浮かべたまま黒衣(スーツ)は消えた。跡にはこの国のものではない文字が優美に綴られた封筒、それ一つが残った。封筒は血溜まりの上に落ちたというのにも関わらず、一切の穢れを寄せ付けないかのように綺麗であった。


 王を失い、神からの恩寵を失った国は滅んだ。作物は芽吹かず、家畜たちも餌を食わなくなり痩せ干そって死んでしまうようになったからだ。恩寵(あつ)い高位の貴族の領地ではかろうじて食うに困らない程度の実りを得ることができたが、それも大量に出た難民や、疫病対策に追われて幸いであったと喜ぶこともできなかった。


 旗印たる王を失った諸侯は新たに旗印を立て、領民を食わせるための食料を得るため、また食う口の数を減らすために、すべき行いを始めた。


 そうして国が滅んだ。

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