<第三十三話>
これが、実質この状況を覆せる最後のチャンスだとボルガはわかっていた。
静まり返った傍聴席、本来ならば魔王を断罪するべきはずの勇者の集団――その最も有名なリーダー、英雄ケイニー・コックスコウムが弁護側についてしまったという事実。そしてその、演説。
既に大勢は決したのかもしれなかった。それでもボルガは、あくまで検事として此処にいるのである。最後まで果たすべき責任は残されているのだ。たとえボルガ自身が、フレイアの、ケイニーの言葉に激しく揺り動かされていたとしても、だ。
『キャサリンさん。……それから、傍聴席の皆さんも、検事さん、裁判官の皆さんも、よく聞いてください』
『魔王が。……魔王だと、露見してしまう理由は……多くが、それなんです。出生時にバレるのでないとすれば……成長してから、性的な暴力を受けることで露見するケースが、大半なのです。被告・トリアス=マリーゴールドは……男性の魔王です。女性の魔王は、服を脱げばそれだけで魔王であることが発覚することが多い。女性の乳房と男性の性器を併せ持つのは、魔王でしか有り得ないのですから。でも、男性型の魔王は違う。もっと詳しく調べられなければ多くは露見しない。……それこそ、強姦でもされない限りは』
『……これが、現実です。この世界が、国が、それを裁くべき立場の者達が考えていることの一端がこれです。全てが、ここまで腐っているとは思いません。しかし、紛れもなくこの男の話が、中立であるべきはずの者達に浸透している考えの一つであることも事実なのです』
『皆さんに、お尋ねします。本当に裁かれるべき、“魔王”とは……一体、誰のことなのですか?』
裁かれるべき、“魔王”。
それが、純粋な、ジョブの名前ではないことはもはや明白である。そもそも、全てのジョブの才能を持つ稀な人々のことを、最初に“魔王”と呼んだのは誰であったのか。
全てのジョブの才能を持っている、高い魔力も身体能力も併せ持っているということは、本来ならば本当に広い意味で誰よりも人々の役に立てる者達であるはずだった。ところが、その一人がたまたま“犯罪者”となり、そのジョブの存在が露呈することになり。犯罪者であったがゆえ、“魔王”と呼ばれるようになった。それは、ほぼほぼ“悪魔”に近い意味と言っても過言ではない。彼らは誰よりも美しく才能に溢れ、得意な体質を持つがゆえ人々に恐れられるようになった。そして、いつしか“魔王の力を持つ者は犯罪者予備軍である”という思想が広まるようになっていったのである。
そうなった一端が政府にあることは、否定しようがない。ボルガが直接何かをした一人ではないが、政府がそういう情報や噂を積極的に流していたことは知っていて見て見ぬフリをしてきた。それが必要だと信じていたからに他ならない。フラワーメイルは、広い世界をひとつの国家、政府で統一しようとしたがゆえに、多くの思想や種族が混じり合い、ぶつかり合い、統制が難しくなってしまっている背景にある。ひとつの地区の不満を解消すれば、別の地区の者達が“あいつらばかり狡い”と声を上げる。男性の権利を尊重すれば女性が不満の声を上げ、また逆も当然のように然り。
巨大すぎる世界を、ひとつの国家とひとつの政府の思想で統一しようとすることそのものに無理があったのだ。薄々気づいている者は少なくなかったが、せっかく得られた領地を手放し、自治区を認めようと言い出す高官などいるはずもない。あっちこっちから挙がる不満を、歪みから生まれる不祥事を誤魔化すためにはどこか別のところに不満を向けさせる必要がある。いつしかその矛先として生贄が求められるようになったこと、それが“魔王として生まれた者達”となったのは、恐らく必然の流れであったのではなかろうか。
何故ならば、“魔王”の才能を持つ人間は非常に稀である。一万人に一人以下の確率だ。生贄を押し付けたところで、集団で結託して不満を訴えてくることもない。生贄の羊にするには、これ以上なく好都合な存在であったことだろう。
――非道であるのはわかっていたさ。理不尽なんだろうということもな。だが。
魔王は、悪。勇者に倒されるべき、悪魔。
そう民衆に印象づけるようになってから――どれほど、政府への不満の声や、暴動が起きる数が減っていったことか。
政府と民衆の共通の敵がいれば、双方は互の不満よりもその敵への憎しみで結託することができるのである。それこそが、この世界から要らぬ争いの芽を摘み、無益な血が流れることのない真に幸福な世界を創りだすのだ。そう、魔王が生贄であってくれる限り、この世界は一歩ずつ本当の平和へと歩を進めていくことができるはずなのである。それも、紛れもない事実ではないか。
――私は、間違ってなどいなかったはずなのだ……しかし……。
ゆっくりと、ボルガは歩き出す。証言台の前に立つ、ケイニーの前へと。
『キャサリンが攻撃しても、彼はすぐに反撃してきませんでした。それどころか、里から出て森の中へと逃げ出したのです』
『彼が反撃に転じてきたのは、里から大きく離れた場所に至ってからでした。……彼は戦闘に、里の者達を巻き込まないようにしたのだと思います。もしも被告が、本当に報道通り血も涙もない魔王であるのなら。罪のない庶民が戦闘に巻き込まれないような配慮をするでしょうか。話し合いで、物事を解決しようと試みるでしょうか。……俺は、そうは思いません』
『彼は反撃してきましたが、強い魔法は殆ど使ってきませんでしたし、こちらはさほど大きな怪我もしませんでした。もし彼が殺す気で戦っていたのなら、今頃俺達三人はこの世にいなかったことでしょう。俺は、彼が俺達を殺してしまわないように、手加減しているようにしか見えませんでした。……自分を、まさに殺そうとしている相手であるにも関わらず』
『彼は……彼はけして、人を殺せるような人間では、ありません』
『魔王、トリアス=マリーゴールドは……無実です』
明らかに緊張した面持ちで、まっすぐ前を見つめるケイニー。良くも悪くも、普通の青年だとボルガは思った。人前で話すのがさほど得意ではなく、裁判官や傍聴人達の視線に怯え、自分の言葉が与える影響を恐れる――とても普通の、普通すぎる青年。
それでも彼は今、そこに立つことを選んだのだ。そこで証言することが、仲間であるキャサリンと別の道を歩くことであると、少なからず察していたはずだというのに。
「ケイニーさん。貴方に、お尋ねします」
この最後の反対尋問で、自分がするべきことは。ケイニーを揺さぶり、キャサリンの証言と齟齬のある箇所を否定させること。ケイニーではなく、キャサリンの証言こそが正しいのだと人々に印象づけること。少しでも、弁護側が偽証を行っているという雰囲気を、そしてトリアスが犯行を行った可能性は十二分にあるという空気を取り戻すことだと知っている。
しかし、ボルガは。
「貴方は、どうしてそこに立ったのですか」
それよりも――検事として己がするべきあらゆる行為よりも。ボルガ一個人として、どうしても尋ねたかったことを、口にしていた。
「貴方が証言することで、キャサリンさんの立場が危うくなることは簡単に想定できたはず。そして、貴方は“魔王を倒した勇者”として今やフラワーメイルに知られた存在です。貴方がその役目に殉ずるならば、貴方は最後まで“魔王を断罪する正義の側”であるべきでした。少くとも、魔王・トリアスが大量殺人犯であると、多くの人々は信じていたしその真相以外を望んではいなかったはず。キャサリンさんのように、過去に魔王の被害にあった遺族であるならば尚更そうです。“勇者に断罪される魔王”はこの世界にとって必要であり、人々のよりどころでもあった。貴方は、その人々の心を救うことのできる“勇者”であったはず。貴方がしたことは、そんな人々を裏切る行為にほかなりません、違いますか」
「……そうかも、しれません」
「そうかも、ではなく。そうなのです。……それなのに、どうして。貴方はトリアス被告側の証人になったのですか。多くの人々の期待を裏切り、勇者であることを捨て……自らも石を投げられる立場になることが想定できていながら、何故!」
「……」
分かっていないはずがない。だって、人々が本当に望む真実が何なのかわかっていなければ――ケイニーも、“魔王”を倒す立場になることを選んだはずがないのだから。
キャサリンに促されたから、だけではない。魔王を倒すことを決めたのは、他ならぬ彼自身の意思であることに間違いはないのだから。
「……わかっていました。この世界では……人間は。本当は真実なんて、どうでもいいんだってことくらい。俺だって、そうですから。誰だって、真実を欲しがってるようでいて……本当に欲しいのは、“自分にとって都合のいい真実”だけなんです。それ以外の真実が出てきた時人はそれを見なかったことにして否定する。自分が間違っていたことを、認める勇気を持つことができる人間なんてのは、本当にひと握りですから」
でも、と。ケイニーは拳を握り締める。
「平和って、何なんですか。幸福な世界って、何なんですか。……一人、二人の人間を。みんなで目の敵にして結束する世界が、本当に平和な世界なんでしょうか。誰かを犠牲にしなければ満たされない世界なら……そんなもの、俺は欲しいとは思えません……っ!誰だって幸せになる権利はあるはずです。どうして、“正義の勇者に悪の魔王が倒されるハッピーエンド”以外認められないんですか。どうして、“正義の勇者が、本当は悪なんかじゃなかった魔王を助けてハッピーエンド”じゃダメなんですか……!?」
ボルガは眼を閉じる。もしかしたら自分は。この裁判が始まるよりも前に、とっくの昔に負けていたのだろうか。
ケイニーを、この証言台に立つように促したのはフレイアだろう。迷っている彼の背中を押したのは間違いなくあの異端児だ。何故なら、ケイニーのその考えは紛れもなく、フレイアの訴えようとしていたことと同じであったからだ。
かりそめの平和を壊して、争いがあっても全員で幸せになれる未来を目指すということ。
それがどれほど修羅の道か、彼らはわかっているのだろうか。いや、わかっていても、彼らはきっと。
「俺は、“勇者”になったから。魔王を助けに行く勇者がいてもいいはずだって、それを訴えられるのはきっと俺だけだと思ったから……今、此処にいます。こんなこと、冤罪のきっかけを作った俺がやっても償いになんかならないのかもしれない。自己満足でしかないのかもしれない。でも俺は……誰かが要らない世界なんて、もう嫌なんだ!」
自分達が。あの弁護士に火をつけてしまった時点で。
あるいはどれほど追い詰めても、トリアスが道を踏み外さない鉄の意思を貫いた時点で。
検察は、政府は、この歪んだ世界の意思は――彼らに、敗北していたのかもしれなかった。
悪い夢は、終わりにする時が来たはずだというように。
「魔王は、悪魔にも救世主にもなる。他の人間達と同じように。……これからの未来でそれを選ぶのは、俺達自身だ。俺は、そう思います」
その瞬間。傍聴席から、割れるような拍手が沸き起こった。
それこそが新たな民意だと、そう示すかのように。




