<第三十一話>
静かに、フレイアは怒りを燃やしていた。
自分がされたことではない。けれど、自分が生きる世界で――当たり前のように差別が横行し、特定の人々だけが虐げられているのを知ってどうして見過ごすことができようか。
ましてやそれが。けして知らない間ではない、人間のことであるのなら尚更に。
「キャサリンさん。……それから、傍聴席の皆さんも、検事さん、裁判官の皆さんも、よく聞いてください」
この話を、本当にしていいのかどうか。実のところフレイアはギリギリまで迷っていたのである。何故なら、トリアスは自分の身に起きたことを、フレイアに尋ねられるまでは警察にも誰にも話してはいなかったのだから。当然と言えば当然だ。魔王というジョブの人間は、全て身体的には両性を持って生まれてくるものの、精神的な性別は必ずどちらかに寄っている。にも関わらず、身体的に両性を持つがゆえ、身体の悩みというのは尽きることがないのだ。自分の心と、真逆の性的機能が備わっている。それは、多くの魔王達にとってはストレスの種にしかならないことである。
おまけにそのせいで――本来の性別とは逆の役割を強いられたり、その身体的特徴を揶揄され、気持ちが悪いと心無い言葉を浴びせられるともあれば、尚更そうなるのは必然である。
トリアスに何があったのか。魔王であることが露呈する可能性、ケースの少なさを考えれば否が応でも予想がついてしまうことだ。例えフレイアが話さなくても触れなくても、少し敏い者ならば容易く見当がついてしまうことではあるだろう。
それでも。――それでもだ。事実を話すことが、どれほどのトリアスの心の傷を抉るのかは、言うまでもないことである。もしも彼が望まないのなら、フレイアはけして法廷で事実を語るつもりはなかった。
しかし。
『話して構わない。……むしろ、そうしてくれないか』
最後の面談の時に、彼は。その眼に悲痛な――それでも強い覚悟の色を宿して、そう言ったのである。
『人に知られたくないようなことではある。でも、これはもう俺一人の問題じゃないんだろう。ルネもそうだった。恐らく、歴代の多くの魔王達もきっと。……今この世界で息を潜めて、魔王であることを知られないようにと怯えながら生きている者達もきっとそう。全て、降りかかってくる問題だ。それなのに、このような悲劇が起きている事実を、多くの無関係の庶民は何も知らずにいる。それこそが、魔王を……世界の破滅を導く存在に変えてしまう、引き金となっているにも関わらず』
『そうだな。……あんなことが起きなければ。きっとルネも、本当の意味で“魔王”になっちまうことは、なかったんだろうしな』
『そうだ。……彼女は、極大の苦痛の中で、それを癒す唯一の方法を復讐にしか見いだせなかった。実際、恋人も……我が子も失った彼女には、それしか出来なかったんだろう』
自分達は何も、先代の魔王である、ルネがした行為を正当化しているつもりはない。どんな理由があったとしても、彼女はトリアスと違って実際に大量虐殺を行ってしまったのだから。
それでもだ。ルネこそが悪だと自分達が言えないのは。加害者達に刃を向ける以外に一体どうすれば彼女が救われたのか、救うことが出来たのか。今の今まで、フレイアにもトリアスにも答えが見いだせないからに他ならない。
それほどまでに、ルネの受けた痛みは、地獄そのものだったのだ。フレイアは、トリアスは、傍聴席でそれを聞いていた。自分達以外にも、他にも同じ話を傍聴席で聞いた庶民はいたはずなのに、どうしてそれが未来に繋がらず、同じ惨劇ばかりが繰り返されてしまうのだろうか。
『なあ。トリアス。……お前は、言ったな。ルネと比べれば自分は……自分の地獄なんて、大したもんじゃないと。俺は、それがどうしてもわからねぇんだ』
フレイアは気づいていた。ガラスごし、膝の上で拳を握るトリアスの手首や、服の襟元から見える場所についたいくつものアザを。それが、最初に面談した時にはなかったものであるということを。
彼は、拘置所に入ってさえ、暴力を受け続けている。彼を極悪犯だと信じる者達によって。あるいは彼が無罪であることを知っていながら、魔王であるというだけでどんな暴力を与えても許されると信じている、性根の腐った連中のせいで。
トリアスがいるのは、現在進行形の地獄であるはずだ。それなのに、どうして彼はルネと同じ道を、辿らずに済んだのだろうか。
『お前だって、許せない連中はいるはずだ。それなのにどうして……お前は、誰のことも殺さずに済んだんだ。お前を殺そうと襲ってきた勇者一行でさえ、お前は軽傷を与えただけ。拘束された時のお前のほうがよほど重傷だったって知ってるぞ。何でだよ』
自分だったら、きっと殺している。フレイアはそう確信していた。正義感が強い自覚はあるが、それは誰に対しても無条件に慈悲を与えることができるかどうかとはまるで違う問題である。
自分は誰かを救いたいと願ってはいる。でも、どんな悪人でも、無関係の人間でも、無条件で手を差し伸べられるような聖人なんぞではけしてないのだ。きっと、テクノあたりは誤解しているのだろうけども。
『……俺は、ルネとは違う』
フレイアの問いに、トリアスは微笑んで、言ったのだ。
『魔王に生まれながらも、両親と恋人は俺を受け入れてくれた。愛してくれた。彼らは死ぬその時まで俺を案じ、守ろうとしてくれた。そして、彼らを失い、孤独に彷徨うしかなかった俺を……盗賊の里の、マリアンヌ達が助けてくれた。大したこともできない、むしろお荷物なだけの俺を、指名手配犯だと知りながら追い出さずにいてくれたんだ。……俺はいつも、独りではなかった。彼らのおかげで俺はルネとは違い、この世界にもちゃんと綺麗なものがあることを信じて今日まで生きてこれたんだ。彼らのことを思い出せば、例えどんな屈辱を受けても、名誉を傷つけられても、俺は俺でいることができた。憎しみに溺れずに済んだ。……目の前にある地獄は、この世界のほんの一部に過ぎないのだと、そう安心することができたんだ』
それにな、とトリアスは告げたのである。多くの痛みを抱え、苦しみを抱え、人々に死を望まれて石を投げられているはずなのに、彼は。
『お前もいるだろう、フレイア・ブロッサム。……お前は本気で、俺なんかの為に戦ってくれている。金にもならない、名誉にもならない、この裁判で手を上げて俺を救おうとしてくれている。……この裁判の結果、死罪になったとしても。お前が目の前に現れた時点で、俺は充分に救われているよ。だから……』
幸せだ、と。彼はそう、言ったのだ。
こんな歪んだ世界であっても、地獄であっても、それでも。
出会えたことが幸せだと、そう言って微笑ったのである、彼は。
――終わりになんか、させねえよ。……お前の本当の人生は、こっから始まるんだろ!これで、終わりになんかさせてたまっかよ!!
「魔王が。……魔王だと、露見してしまう理由は……多くが、それなんです。出生時にバレるのでないとすれば……成長してから、性的な暴力を受けることで露見するケースが、大半なのです。被告・トリアス=マリーゴールドは……男性の魔王です。女性の魔王は、服を脱げばそれだけで魔王であることが発覚することが多い。女性の乳房と男性の性器を併せ持つのは、魔王でしか有り得ないのですから。でも、男性型の魔王は違う。もっと詳しく調べられなければ多くは露見しない。……それこそ、強姦でもされない限りは」
拳を強く、強く握りしめてフレイアは語る。席に座ったままのトリアスの方を見た。彼はきゅっと唇を噛み締めて、頷く。
フレイアは声が震えないように、全力を尽くさなければならなかった。自分だったら。もしも自分が同じ立場に立たされたら。想像するだけで、目の前が真っ暗になってしまいそうである。そう、普通の男性である自分でさえそうなのだ。
どうか、此処にいる全員に――きちんと考えて欲しかった。人の立場になって考えろ、なんて幼稚園児でも先生に教わることではないか。どうしていい年をした大人にそれができないのだろう。自分がされたら嫌なことはするな。相手の痛みを想像しろ。子供でもわかることを、どうして大人になって言われなければ気づかない?
そんなことさえ出来ないからフラワーメイルに、真の平和が訪れないのではないか。悲劇が悲劇のまま、何一つ学ばれることもないまま繰り返されるのではないか。
「裁判長。……証拠音声の、No.7を、流してください」
この証拠は、採用されないかもしれない。それでも、此処にいる者たちの心に少しでも響くなら意味のあることである。
沈黙が満ちる、法廷に。その音声は、響き渡った。
『俺はな!お前みたいな性根の腐った存在が大嫌いなんだよ!!』
それは、男の罵声だった。何かを殴るような音も一緒に聞こえてくる。
『だから魔王なんて存在は、産まれた時点で処分するのが正しいってのに……悪魔の子が甚大な被害をもたらしてからじゃおかしいと、何故人類は学ばないんだ!?前の魔王のルネだって、どれだけの数の罪なき人間を殺していると思ってるんだ……!』
「な、なんだこれは……!?」
ボルガが、検察側の者達が大きくざわついた。それでも音声は止まらない。
『……こんなことをしていいのか?カメラで撮影されているんだろう?』
殴られている相手は、トリアスであるようだ。トリアスは言葉は言葉を返すと、殴っているらしき男は鼻で笑って告げる。
『馬鹿かお前は!うちのカメラはな、“たまたま丁度”壊れてそれっきりなんだよなぁ。まあ、撮影されていたところでどうせ俺がお前にやったことなんか映ってもいないから安心しろよ。我々にはとっても便利な科学技術ってヤツがあるからなあ』
『映像を編集して、都合のいいところは切り取ってしまえばいいということか』
『都合のいい?いいや違うね、“民衆が望まない”場所だと言ってもらおうか。お前は悪の魔王で、民衆はお前が断罪される日を今か今かと待っている!お前に少しでも“被害者”みたいな面があるなんて知ってみろ、どいつもこいつも気持ちが悪くなるだけってなもんさ。誰だって都合の悪い事実なんぞ見なかったことにしたいもんなぁ?』
『そうだな、お前たちはそうやって……先代魔王のルネのことも追い詰めた。彼女がしたことは許されないことだったかもしれないが……彼女には人々を殺戮する正当な理由があったし、それを告白したのに……お前たちはそれを全て握りつぶして報道規制をかけたんだ、そうだろう?彼女は町の人々に恋人を殺された上、性的に物理的に酷い暴力を受けたというのに』
そう、これは。
この裁判の直前に、トリアスがフレイアに渡してきた――留置所での、警察官との会話を録音したものだった。
『魔王は悪。勇者と政府は正義。……罪なき人間を苦しめて、騙してまで。そんな表向きの綺麗な顔を守りたいのか?滑稽で、愚かすぎて吐き気がするな!』
『ふざけんなっ!有りもしねぇ事実を真実みたいに語ってんじゃねえよ。ルネは自らの殺人欲求を満たすためだけに快楽殺人を繰り返したイカレ女だ。お前と同じようになぁ?』
『ぐっ!』
『お前らは生きてるだけで罪なんだよ……!お前らがやることは全部罪!間違い!愚行!!』
殴られる音は断続的に響く。
「これは、被告が録音した、留置所での取り調べ官との会話です」
言うまでもないことだろう。それでもフレイアは補足する。
『お前の中にもな、悪魔は眠ってるんだよ。……さっさと自白しろ。そうしたら、神様もお前の存在を認めて懐に受け入れてくれるはずだ。それでも認めないってんなら……俺が可哀想なお前を、直々に“消毒してやる”しかないなぁ?』
「嘘でしょ……」
キャサリンが、呆然と声を上げた。
詳しく語るまでもない。何が起きているのか、音だけでも充分伝わることだろう。
そう、これが現実だ。これこそが腐ったこの世界の、恐るべき真実なのである。
『ちょっとでも感じたら……これは、合意ってことになる。だよなぁ?』
「……これが、現実です。この世界が、国が、それを裁くべき立場の者達が考えていることの一端がこれです。全てが、ここまで腐っているとは思いません。しかし、紛れもなくこの男の話が、中立であるべきはずの者達に浸透している考えの一つであることも事実なのです」
震え始めるキャサリンに、そして傍聴席、裁判官、検事達に。フレイアは問う。自らの言葉で、真実を問うのだ。
「皆さんに、お尋ねします。本当に裁かれるべき、“魔王”とは……一体、誰のことなのですか?」




