<第十六話>
勇者だ、英雄だと持て囃されるからこそ――有頂天になどなってはいけないことを、ケイニーは知っている。それは、トリアスが本当に悪の魔王魔王であったか、冤罪であったかとは全くの別の問題だ。自分達はけして、偉い人間などではない。目の前にある問題をどうにか自分達ができる範囲で解決しようとした、それだけのことなのだから。
アイリス地方の復興はまだまだ始まったばかりである。
北端の町、シェンジャンタウン。この小さな町の復興に最優先に力を貸したいと言い出したのは、ケイニーだった。アイリス地方はどこも大わらわの状況だが、特に人手が足りていないのがこの町なのである。というのも、政府が必然的に、大きなシティからの復興を優先させており、タウン系は完全に後回しにされてしまったからだ。いかんせん、被害に遭った町が多すぎる。政府機関からから派遣されてくる兵士達も、この町には殆どタッチしていない状況だった。被害が大きすぎてパニックになっているのはどこも同じだと知っているが――だからといって、小さな町をほぼ完全に放置するのはあまりにも頂けないことだ。
キャサリンは、こんな小さな町よりも大きな街に出て復興の手伝いをした方がいいと主張したが、ミシェルの方はケイニーに賛同してくれた。性根の悪い娘ではないのだが、少々キャサリンは名誉欲に囚われている印象があるからである。大きな町の復興を手伝った方が名前が売れるのは事実なのだから。
――あいつ、何考えてるんだろうな。
瓦礫の撤去作業を手伝いながら、ケイニーは思う。彼女が魔王を捕まえたいと願っていた理由が、前回の魔王であるルネへの憎しみであることはわかっている。でも、その後勇者やら英雄やらと持て囃されてから、少し本来の冒険者たる存在意義を誤っているような気がするのだ。
冒険者が何故重宝されるのか。それは高い戦闘能力を持ち、一般の人々が踏み込めぬ領域に足を踏み入れ、成果を持って帰る冒険者の仕事が人々の役に立つからだ。自分も、彼女も、ミシェルも、そのために冒険者になったはずである。間違っても勇者になって人々に讃えられ、高いお礼金や地位を手にするためではなかったはずだ。
自分達が目立つことや評価されることなど二の次。やるべきことは、本当に困っている人たちに、無償であろうと手を差し伸べることではないろうか。大災害などの折り、軍だけで対応できない脅威を払い、人々を守るのも自分の仕事。学校でもギルドの研修でも嫌というほどレクチャーされたことであったはずだというのに。
「ケイニー」
スコップを思いきり瓦礫に突き刺したタイミングで、後ろから声をかけられた。よ!といつもながらの軽い調子でミシェルが手を上げる。
「お疲れさん。時計見てへんやろ?一旦休憩やで」
「あ……そうか、そんな時間か」
「集中しすぎや。熱意があるのはええことやけど、飛ばしすぎてたら体持たへんで。もうちょいペース守って頑張りぃや」
「……そうだな」
ほいっ!と投げられたジュースの缶をキャッチして返事をするケイニーである。冷たいドリンクの差し入れは非常に有り難かった。剣士の才能を持ち、腕力や体格に優れている自負のあるケイニーだが、それでも力仕事をすれば喉が乾くのは当然のことである。自分達のパーティにおいて、衝突しがちな自分とキャサリンの間に入ってくれるのはいつもミシェルだった。
つまり、彼は本当に気が利くのである。空気が読めない自覚が大いにあるケイニーとしては、実に羨ましく助かる技能であった。
「さっきも自分に言うたけど」
ケイニーに渡したのと同じ缶のキャップを開けながら、ミシェルが言う。
「自分、ちょぉ熱中しすぎ、集中しすぎや。ハッキリ言うて、なんか忘れよう振り切ろうと必死になってるように見えるで」
やはりと言うべきか、ミシェルは鋭い。ちらり、とケイニーは大通りの方に視線を向けた。幸い、備品の買い出しに出たキャサリンはまだ戻ってくる様子が、ない。なら。
「……お前にはほんと、隠し事ってのができねぇなぁ」
少しくらい――話を聞いて貰ってもいいだろう。どうせ、自分が何について悩んでるのかなどミシェルにはお見通しなのだろうから。
「本当にこれで正しかったのかって、まだ悩んでるんだよな。格好悪いし、今更も今更だろ?」
「そんで、昨日トリアスの弁護士に会いに行ったん?」
「……頼むから、キャサリンには言ってくれるなよ。みっともないことしてる自覚はあるんだからよ」
バレバレだってらしい。思わず釘を刺すと、言うわけあるかいな、とミシェルは肩をすくめた。
「さすがに御免やで。“魔王を倒した勇者チーム、内輪揉めで全滅する!”なんて記事が新聞の一面飾るのは」
そこまでいくか、とケイニーは言いかけて、止まる。キャサリンの必死の形相と憎しみに満ちた眼を思い出してしまったからだ。
怒った彼女がどれほど手のつけられないものであるのか、男性陣は骨身に染みてわかっていることである。ましてや今回はかなり根の深い問題に違いないのだから。
人の感情は、他者がどう言おうと――それこそ本人がどう理性で縛ろうとも、うまく制御できないことなどままあるのである。ましてやそれが、愛憎の類いなら尚更だ。
「……子供みたいだって笑われるかもしんねーけどさ。俺が冒険者になったのは……正義の味方ってやつになりたかったんだ。警察や軍人を選ばなかったのは、冒険者の方が自由だと思ったからで。見返りとか利益とか組織とか、そんなの関係ねえ!って笑い飛ばして……困ってる人をただ、細かいことなんか気にしないで助ける正義のヒーロー。冒険者なら、それができると思ってたんだよ」
分かっている――いや、分かってたことだ。本当は冒険者だって自由ではない。世界政府と世界法律で縛られた世界で生きている以上、どんな職業に就いたところでそこから足を踏み外しては生きていけないのだから。
それに、ヒーローだって腹は減るし寝泊まりできる場所はいる。食い扶持を稼がなければ野垂れ死ぬのは他の者達となんら変わることはない。無償で、誰のことも彼のことも助けて回るなんて、それができる範囲はあまりにも限られていると知っている。
「トリアスを捕まえようと思ったのだって……キャサリンに促されただけじゃない。アイリス地方の無惨な有り様を見て、こんな酷いことはけして繰り返しちゃいけないって思ったからだ。トリアスを捕まえて終わるなら、それが最善だって。でも……」
「でも?」
「もし、それが冤罪だったとしたらどうだよ。俺達は無実の人間の人生を破滅させただけじゃないか。しかも、本当の犯人は野放しになるってこった。……誰も救われない、報われない、真犯人が影で嗤うだけ。そんな結果、いいわけないだろ。なあ」
本当に正しいことが何かなんて、誰にもわからない。
それでも自分の誇りに賭けて、少しでも正しさに近い場所に居たいと願うのは、果たして傲慢なことなのだろうか。
「……トリアスは罪を否認しとる。弁護士もその方向で裁判戦ってくるつもりなら。向こうは確実に“冤罪”としか言わへんはずやで?」
ぐいっ、と一気にジュースを飲み干すミシェル。まるで、自分の感情を強引に流し込むような所作だった。キャサリンと違ってミシェルはその考えが読みにくい人間だが、それでも付き合いは長いのである。自分を誤魔化そうとしている、ということくらいなら見抜けるのだ、自分にも。
「ケイニー、あんさんの正義感は自分もよう認めてます。冤罪なんて、あんさんが一番腹立つことなのもわかる。自分かてそんなの許しとうないわ。真実が何か知りたい、その上で正しい人間が報われない結果を回避したい。気持ちはようわかる。それが理想や。でもな」
「わかってる。……誰もが自分の立場がある以上、客観的な意見なんて言うはずないんだよな。トリアスの弁護士に聞きに行ったら、冤罪だとしか言わないに決まってる……ああ、ミシェルの言う通りだったさ」
「せやろ?」
甘えるな、と叱られた――あのパラリーガルの青年に。名前も知らない、フレイアの相棒に。
『僕達は、トリアスさんの弁護側です。当たり前のことですけど、トリアスさんが無罪を勝ち取れるように動いているんです。場合によってはトリアスさんに不都合な事実が出てきても、見て見ぬふりするかもしれないのが僕達の立場なんです。けして中立なんかじゃない。……それなのに、どうして僕達から情報を聞き出したがるんですか。真実?僕らがそれを“真実として”語れば、貴方はそれを信じるんですか?』
誰かに教えてもらって、それを真実だと思い込むのは簡単だ。
でもそれは、結局自分で真実を探していないのと同じこと。盲信し、誰かの意見に流されているだけにすぎない。これはトリアスが有罪か無罪かは関係ないのだ。仮に今回の裁判で真実が明かになり、その真実に沿った判決が出たとしても。それが確実に正しいことだと、一体誰が保証してくれるのか。
そして万が一あとになってその真実が歪んでいると知らされた時。一体その責任は誰が負うのだろう。自分は自分に真実を教えた人間を逆恨みして詰るのか?そんな権利が本当にあるとでも?自分自身で、何一つ探そうとはしなかったくせに?
『それは信じるんじゃなくて、曇った眼のまま盲進しているのと同じです。魔王は須く悪であり、問答無用で断罪するべき、死刑台に送るべき……そう主張する者達と一体何が違うんでしょうね?』
「そうだ。……トリアスについた弁護士だって、真実を言っているとは限らない。わかってる。……でも俺は。色んな人の意見を、話を、後悔しないようにちゃんと聞いておかないといけないと思ったんだ。……最後に少しでも正しさに近い結論を、自分自身で出すために」
彼らの話がどこまで正しかったかはわからない。
それでもケイニーは思っている。彼らに話を聞きに行ったことは、けして無駄ではなかったと。
感謝してもしきれない。あの時の彼らの言葉がなければ、自分は無意識のうちに誰かに流されて終わっていたかもしれないのだから。
「……その心意気は、尊敬に値するで。ケイニー」
せやけどな、と。ミシェルは口ごもる。
「そうやって知ってしもうた真実が、あんさんが望んだものと一番ほど遠い内容だったってことも有り得るんやで。開けてはならん秘密の箱の中に、ひと欠片でも希望が残ってる保証なんてどこにもない。そして……少しでもあっちに着く素振りしてみぃ、誰が怒り出すかくらい、あんさんも想像ついてはるやろ?」
「……政府が仕組んだことなのか、本当に……?」
「自分にはようわかりません。ただ、そうだった場合首突っ込んだら大火傷するのは明白や。今のまま、英雄であり勇者であるまま満足してれば、要らん怪我することもない。……自分は、これでも本気であんさんの心配をしてるんやで?リーダーの変死体が転がるようなエンディングも、自分は御免なんですわ」
ミシェルが、本気で心配してくれているのが伝わってくる。同時に本当は、ミシェル自身もこの事件に違和感を感じているということも。
「そうだな。……そうなったら、笑い者になるな、俺は」
ケイニーは苦笑して、一気にジュースを煽った。本当は、怖い気持ちもある。もしも敵が、魔王トリアスなんてものより遥かに陰湿で強大であったのだとしたら。それは想像するだけで震えが来そうなほどの恐怖であることに違いない。
それでも、だ。
「それでも俺は。……冤罪だって後で気付いて死ぬほど後悔する未来の方が。もっと怖いものかなって、思っちまうんだ」
ピー!と向こうで甲高い笛が鳴った。休憩終わりの合図である。とりあえず急いでこの缶を捨てないと。立ち上がったケイニーに、ミシェルは。
「……好きにせぇよ。自分は反対やけど……無理矢理止めたりはせんから。それに、このまま……」
最後に彼が言った言葉は、小さすぎて聞こえることなく風に流されてしまった。確かなことは、ミシェルも本当は葛藤してそこにいるのだということである。
後々、ケイニーは知ることになるのだ。この時、ミシェルがどんな気持ちでその言葉を投げたのかということを。




