通れます。(三十と一夜の短篇第51回)
立ち入り禁止の看板が下げられた路地がある。世界人類が平和になりますように、と同じくらい見慣れた看板だ。というのも、わたしの住む町にはあちこちに立ち入り禁止の看板がある。私道の入り口。民家の玄関。町外れの林のなかの防空壕跡。マンションの建設予定地。
ところが、『通れます』という看板もある。
杉原はこの『通れます』の道を必ず通る。その道が学校への近道で遅刻ギリギリセーフになったとか、一万入った財布を拾ったとか、『通れます』の道を通った日は必ず短距離でいいタイムが出るとか、とにかくいいことがあるらしい。
「前田、お前も通ろうぜ」
「んなこと言ったって、おれは一度も見たことがないぞ。『通れます』なんて」
「運がねえなあ。なら、おれがとっておきの『通れます』を教えてやるよ」
杉原のいう『通れます』は亀新町三丁目の路地だという。その道はまっすぐなのだが、横道が一本あり、そこは立ち入り禁止になっていたのだが、次の日通りかかると、『通れます』の看板が立っている。そして、その『通れます』がまた一本道なのだが、横道が一本立ち入り禁止になっているが、それが次の日には『通れます』になっている。そんなことをもう六回繰り返しているのだが、新しい『通ります』を通るたびに小遣いが上がるとかテストで高得点だとか、どんどんいいことが起こるそうだ。
「幸せは分かち合わないとな」
杉原はそう言って笑いながら、亀新町三丁目の『通れます』へとわたしを連れていった。
わたしには霊感はないが、それでもその『通れます』はなにかがおかしかった。真っ昼間の三時で雲一つない晴れなのに『通れます』の道は夜みたいに暗い。やばいんじゃねえのか?と杉原にきいたが、杉原はダイジョーブ、ダイジョーブを繰り返す。
結局、杉原は『通れます』のなかへ入っていき、あっという間に見えなくなった。
そして、それっきり杉原は姿を消した。
警察だ全校集会だであれこれ大騒ぎになって、わたしは最後に杉原を見た人間として事情聴取もされた。もちろん、わたしは亀新町三丁目の『通れます』のことを話したが、あの道は一本道で横道は一本もないという。
そこまできけば、十分だ。
わたしは絶対に『通れます』は通るまいと心に決めたとき、鳥橋に話しかけられた。クラスが同じで、なんか地味な女子だ。その鳥橋が――、
「前田くん。杉原くんが『通ります』を通ってる話、されてたよね?」
「え? ああ。まあ、されてた。本人はいいことがあるとか言ってたけど。おれは、なんかやばそうだったから」
「杉原くん、井戸の話はしてた? 大きな家の裏にある井戸のことなんだけど」
「いや、そんなのきいたことがない」
「そう、なんだ」
その後、鳥橋はぼそっと言った。
「じゃあ、なんで憑いてるんだろう?」
そんなこときかされて、平気でいられる人はいない。わたしは鳥橋になにがついているのかたずねたが、それは小さな赤ん坊のような紫色をした影で、それが三十体くらい、わたしにしがみついている、と、きかされた。
正直、きかなきゃよかった。
鳥橋の話では、杉原はもう手遅れだったらしい。その赤ん坊みたいな紫色のなにかは一体化して、杉原の体に寄生するようにへばりついていて、それが体内に注入されたのか腕や首筋の血管が紫色に腫れ上がっていたそうだ。あれはもう寄生を通り越して、融合だったらしい。
「それ、一体なんなんだ?」
「とても悪いもの。このままにしておくと、前田くんも消えちゃう」
「いや、でも、おれ、一度も『通ります』に入ったことないんだけど!」
「たぶん、そういう体質なんだと思う」
これも正直きかなきゃよかった。
どうすればいいのかたずねたが、方法はひとつ。わたしも『通ります』に行くしかないらしい。
「大丈夫。わたしもついていくから」
情けない話だが、もう鳥橋さん頼りだ。
亀新町三丁目の『通ります』は相変わらず不気味だった。白い鉄製の看板で鉄パイプはコンクリブロックのなかに突っ込まれているので、風などで倒れることはなさそうだ。両隣は普通の家なのだが、こんな不気味な路地に隣接して住めるなんて、わたしには信じられなかった。
「じゃあ、前田くん。行こう?」
『通ります』は実際、入ってみると、なんとかものにぶつからずに歩けるくらいの明るさがあった。だが、物陰や道の端には濃い暗闇がこずんでいて、そこになにがあるのかは見えない。
杉原が言う通り、(そして、お巡りさんの言わなかった通り)通りますの看板が真ん中に置かれた横道が右側に開いていた。
鳥橋はすたすた歩いていく。腰が抜けそうなくらい怖かったが、どんなものがわたしに憑いているのか教えられている以上、進むしかない。なにより、ここに置いてきぼりにされるのが怖い。
横道の『通ります』へ曲がること七回。そこの左右は高い壁になっていて、木の枝が空を覆い隠してしまっている。
しばらくすると、広い敷地に出た。
天気は夜のような曇りになっていたのに屋敷だけが妙に白々として見える。
「屋敷は見ないで」
「うん」
屋敷のほうを見ないようにして、まわりこむと、裏庭に出た。
そして、そこに井戸がある。井戸は板で塞がれていたが、重石が乗せられているわけでもない。
鳥橋はカバンから職員室の名札みたいなプラスチックの透明な細長い板を取り出して、おれに渡した。その板には黒字で『立ち入り禁止』。
「この板を、あの井戸を塞いでいる板の上に、字の書いてある面を下にして置いて。井戸のなかを見たら絶対ダメ」
そこまで念押しされたら、絶対に井戸のなかは見るまいと思う。わたしは上を向いて歩きながら、井戸を見ないようにし、手探りで井戸の上の板を確かめると、プラスチックの『立ち入り禁止』を置いた。
そこで井戸に背を向け、屋敷を見ないように固く目をつぶっていると、鳥橋さんの手がそっとおれの手をつかんで、
「このまま、引いていってあげる。いい、っていうまで目は開かないで」
「はい……」
情けないがそうこたえるしかなかった。
亀新町三丁目の『通れます』の外まできたところで目を開けたが、真夏ばりの晴れ空を見て、思わず泣きそうになった。
「もう、なにも憑いてない?」
鳥橋さんは微笑んでうなずいた。
「あ、ありがとう。なんて、お礼を言ったらいいか分かんないよ」
「いいのよ。間に合ってよかった」
「ちなみにだけどさ、あの屋敷や井戸のなかにはなにがあったのかな?」
「屋敷は分からないけど、井戸には杉原くんがいた。杉原くん、前田くんがあの札を置いているあいだ、ずっと板の隙間から見てたのよ。もう、異形になっていたけど」
それをきいて、膝ががくがくし始めて、その場で尻餅をついた。
「あれがなんなのか分からないけど、『通れます』の看板はたぶん食料を呼び込むための餌だったんだと思う。ほんと、間に合ってよかったね。でも、一応、ラインの連絡先交換しておこうか? なにかあったら、連絡して」
「はい……ところで」
「ん?」
「鳥橋は、その、大丈夫なのか? ほら、『通れます』に入ったんだから、その紫のよく分からないものに憑りつかれたりしない?」
「あ、それは大丈夫。わたしのは飲み込んだから」
そう言って、鳥橋はにっこり笑った。




