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六 竜鱗

 ここで、一国を司る竜の話をしたい。

 たとえばミヤナが暮らす《農邦》タクイードを治める竜は《黄竜》麒麟きりんだ。また同一の大陸《四角壌》フォガーにあるもう一つの国家《鋳邦》カッオに君臨しているのは《青竜》すいである。


 麒麟が住むとされるのは霊峰ポレア。

 かつてミヤナたち家族が登ったあの山だ。


 竜は明白にその存在を明るみに出すわけではない点で共通していた。しかし頻繁に人が見る夢の中に現れたり、神々しい光と共に人に降りて神託を授けたりするため信じない者などほとんどいなかった。


 神託。

 それを長きに渡り行うことが出来るのが《巫女》すなわち竜界の巫女だ。常人ならば竜が憑くと疲労して昏倒しまうが、精神が生まれつき並々ならぬほど強いのが《巫女》だ。そのため《巫女》は真明の儀で選ばれた瞬間に千年の命が与えられるとされる。


 さて、このように竜と《巫女》は運命共同体のようなものであるのだが、竜は真明の儀以外にも《巫女》となる者に幾つかの啓示を施すという伝承が広く世に伝えられていた。


「おーい、竜鱗だ。竜のウロコがこの村に落ちたぞお」


 ジェイクの声でミヤナは目を覚ました。

 小雨が気になる朝であった。朝と言ってもまだ早く、小鳥もそれほど騒がないほどの明け方でさえあった。


「竜のウロコ、ですか?」

「ああ、みんなで見に行かないか。なんとなく、そうしないとならない気がするんだ」


 ジェイクに急かされ、渋々ながらミヤナは父母を起こした。ベルはもう起きていたが、朝方はいつもそうであるのと同様におとなしく伏せっていた。


 ふと居間に置かれた、ジェイクから譲り受けた木彫りの人形を見たミヤナははっと息を呑んだ。それぞれの人形、特に《巫女》を模したというジェイクご自慢の少女人形から金色の光がうっすらと、なおかつほんの数秒ばかり放たれたような気がしたからだ。


 ミヤナたちが向かったのは開拓村に面した森。ジェイクが木こりとして、いつも分け入る場所だ。


「ヘビやヒルには気を付けてくれ。お前たちを連れて行くために急いで道は作ったが、何が起きるか分からない。はぐれないように、注意深く着いて来てくれよ」


 森でのジェイクはそのように、いつもの陽気さよりは朴訥ぼくとつさと荒々しさを表立たせて言葉を発した。


 ベルは家に置いて来た。

 探索だとしても大して鼻が効くわけではないし、ジェイクが竜鱗の在処を知るからには探索の必要はなかった。

 増してや、危ない森の中でせいぜい残り数年であろう命を粗末にすることもない。トルジュがそう判断したためだった。


「ふう、ふう」


 思いのほか道は長く、まだ六歳のミヤナはやはり最も早々と息を切らしていた。しかし「まだ十キロは歩けるだろう」と厳しくトルジュに叱咤され、背負われることもなく彼女は皆と共に歩き続けた。


 道中、彼らは湧き水を何度か口にした。

 雨水や川から分かれた水が自然の中でろ過され、岩山から染み出たその水はとても冷たいが同時においしい。


「命の水だ」

「うん。仕事の合間にしょっちゅう飲んでいるから、健康を害したりはしないはずさ」


 ジェイクにそう言われる前に軽々しく我先にと水を飲んでいたトルジュは、皆に指さされてしまい面目なさげに頭をくのだった。


 道中では、ジェイクお手製のサンドイッチが振る舞われた。少し開けて視界が十分に確保出来る、とある川に沿った場所での朝食となった。


「わざわざ作ってくださったんですか?」

「おう。これでも料理には自信があるぜ」

「ありがたい。これでまだしばらくは歩けそうだよ」


 むしろセーロス家が言われるがままにほいほい出発したのが甘いのだが、それよりは言い出しっぺとしての責任を全うする紳士的な面のあるジェイクなのだった。


 空がいよいよ明るくなり始めた頃、一行は目的の場所に辿り着いた。


「まあ本当。これはウロコみたいね」


 そう言いながらケミーがまず一歩、金色に光輝く大きな鱗に近付いた。


「これは麒麟竜だろうな。他にここまで眩しくて、大きなウロコを持つ獣なんて滅多にいないはずさ」


 ジェイクは野生動物に関する持ち前の知識と交えながら、恐らく目の前にあるのは《黄竜》の鱗に違いないとそう予測していたわけだ。


「っ。頭が」

「おい、ミヤ。しっかりしろ」


 ふと強烈な頭痛に見舞われたばかりでなく視界も揺らぎ、ミヤナはその場で倒れた。

 真っ先に気付き声を掛けたのはトルジュだが、怪我させないため抱き寄せる頃には彼女の意識は混沌に沈んでいたのだった。


 ――――


 望月美弥奈は目を覚ました。

 辺り一面、金色の水面が広がっていたが底は浅い。いつの間にか体育座りのような姿勢をしていた彼女の服装は手術の時に身に付けるような白い着物だった。


「ここは……?」


 水面とは対照的なのは周囲の空間が真っ白なことだ。そのため遠近感は難しいのだが発光の白さではないらしく、目がチカチカするようなことはないようだった。


「……」


 望月は無言で手足を見て、それから大儀そうに体を起こしつつ自らの顔を水面にそっと映した。


「……」


 そこで「確かに私だ」と独りごちるわけでもないのは、辺りに誰もいないのを察したからなのだろうか。

 そればかりは望月自身にしか分からないことだったが、彼女がしたのは咳払いひとつだけだった。


 不意に、彼女の身体に変化を生じたはその時だった。動悸が急に激しくなると共に手が鉤爪のように変わっていくのを望月は怯えながら、しかし一方ではどこか歓喜しながら見つめていた。


 麒麟。彼女は《黄竜》そのものになろうとしているのを感じた。

 どう考えてみても《巫女》の範疇を超えた行い。それは竜鱗に当てられて気が触れたために見ている幻覚なのかもしれなかったけれども、なぜだか竜になることは経るべき過程であるように望月には思えた。


 そして、視線は上空に向かった。

 ミヤナは望月だった頃からの癖として何かあるたびに、そして何もなくてもしばしば空を見上げた。だから今、望月に戻ったらしい彼女もそうしたのだ。


「あるべき心……」


 何かを思い出しかけて、そう望月は言った。

 上空もまた永遠に無限に白かったが、空が低く低く潰れて来ていることは彼女にはありありと分かっていた。


 理由は分からない。

 竜になるべきと考えたのと同じくらい望月には空が低くなる理由など分からなかったけれども、それでも全てが思い通りになっているという感覚が彼女にこびりついているようだった。


 潰れていく空。

 しかし今度は形を成した何かが降り立とうとしていた。

 それは翼を持ち、ツノを持っていた。望月は《黄竜》になろうとしていたが、上空から来る竜らしき生命体の色までは彼女には見えないのだった。


 ――――


 ミヤナはそこで意識を取り戻した。

 トルジュ、ケミー、そしてジェイクが彼女を取り囲み、一様に心配そうな顔をしていた。


「おお、ようやく起きたぞ」

「何かあるといけないから、動かさないで寝かせてたのが良かったのかしら。とにかく無事で良かった」

「ミヤナ、俺だ。パパだぞ。分かるかい?」


 次々に言葉を紡ぐ大人たちに戸惑いながらも、ミヤナは思ったより混乱していない自分を見つけながら「大丈夫。ありがとう」とだけまず告げたのだった。


 行きも帰りもジェイクが先頭に立った。


「そう言えば、あのデッカい木を見ろ。俺の自慢の斧でも斬れなかった大物さ」


 ジェイクがそのように武勇伝がてら話をする中で、ミヤナは竜のウロコのことが気になり後ろを振り返った。

 もう見える所にないほど歩いてきたので、やはり《黄竜》の鱗は見当たらなかった。結局、見ただけでウロコはそのままあの場所に置いていくことにしたのだ。


「あんだけのモノだから本来は村長に伝えるのが先。だけど予感がしたのさ。お前たちを竜が呼んでいる。そんな予感がな」


 ジェイクのその言葉がミヤナの心を緩やかに通っていく頃に、彼らは開拓村に帰ってきたのだった。

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