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五 五年

 月日は更に五年近く流れた。


 ミヤナは六歳になり、セーロス家の飼い犬ベルは七歳になっていた。


「ママ、今日は何をしたらいい?」

「そうね。特にしなければならないことではないのだけど」


 近頃は隣のお婆さんが大変みたいだから手伝ってあげて欲しい。

 母ケミーにそう頼まれ、ミヤナは我が家のほとんどまっすぐ裏手に位置する老婆の家に向かった。


 老婆は衰弱していた。

 三年前に麦作農の夫が他界して以来しきりに床に臥せがちになり、そのまま今の生活になったのだ。


「げほ、げほ」

「おばあちゃん、大丈夫?」


 一歳の頃、開拓村に越してしばらくし村に馴染んでからセーロス家がよくお世話になっていた老婆だ。

 川魚や野菜をしばしばベルに分け与えたり、時にはトルジュたちにも調味料やパンなどと共に差し入れてくれたりした。


「セーロスさんは、沸いたお湯を使って体を拭いてあげてちょうだいね」

「わかりました」


 最初に来た時の印象とは違い、地元住民の仲間意識は強く老婆の家には看病にと何人かの壮年の村人たちが詰めていた。

 もっとも、村の男性は田畑の世話や狩りに出ている者がほとんどであり、家にいるのは女性ばかりであった。


「おばあちゃん、痒い所はないかな?」

「アンタ、誰え」

「おばあちゃん……」


 認知症のためか、老婆はミヤナの事を忘れていた。認知症というものは望月だった頃にテレビや家庭用の医学辞書などで知っていた彼女だったけれども、いざ記憶からいなくなる立場に立つとショックは隠しきれないようであった。


「よし、ミヤナちゃん。体の向きを変えてあげようね」

「はいっ」


 先ほどとは別の女性に指示され、共に腕を老婆の体の下側に差し込みつつ「せーの」でぐるりと体の向きを変えてやる。

 これは現実での介護と同じで、床擦れにより痛がるのを防ぐための介助作業なのだった。


 ミヤナはそうした事を、決してやりたくてやるわけではなかった。

 ただ近所付き合いは開拓村では避けようがない生活上の事務の一貫だったし、六歳となれば多少はこうしたレベルの手伝いを求められるのが普通だった。


「ごめんね。友だちと遊びたい盛りだろうに」

「いえ。色々と勉強になるし、これからもよろしくお願いします!」


 ケミーに日頃から厳しく教え込まれている挨拶をミヤナはそのまま口にした。

 しかしそれだけでも、下手に望月時代のふざけが混じった挨拶の数十倍もしっかりした挨拶であった。


「若いのにマジメで良い子ね」

「あっははっ、ダメダメ。このまま村しか知らないで生きていっては、いずれ都会の悪い男にダマされてしまうよ」

「あら、やだあ。そんなのセーロスさん家の子に限って絶対にあり得ないですって」


 セーロス一家が開拓村に越して来た頃よりは、幾らか若い親子連れが住人として増えていた。

 たとえば老婆の家にいた女性の一人も、年齢は若くないながら十歳の息子と七歳の娘を育てていた。


「ミヤナちゃん、お疲れ様。そろそろお昼になるし、もう家に帰って良いよ」

「は、はい。ではお先に失礼します」


 月日が経つのはあっという間だ。

 五年という歳月の後でもミヤナは望月美弥奈の意識を持ってはいた。しかし彼女の実感としてドラゴナンドでの人生は、第二の人生かのように元の記憶とはしっかり区別されて脳内に保存されているらしかった。


 そのため元の世界での記憶と《竜界》での記憶がないまぜになるようなことは、よほど紛らわしい出来事でない限りは起こらないのだった。

 つまり端的に言うなら脳の働きが小学生並みになってきた辺りでようやく、ミヤナは自らがほとんど正確に元の世界での記憶をきっちり引き継ぎ、その延長線上もしくは別枠で今の人生での経験を記憶している、――そのことを自覚出来るようになってきたのだ。


「お日さまが眩しい」


 ふと空を見上げ、ミヤナは手を額にかざしながら呟いた。

 自小説の通りに進むなら、セーロス家の一人娘は今年が真明の儀を迎える年だった。


 真明の儀。

 何も《巫女》のみを特定する行事ではない。六歳になると開拓村だけでなく、ドラゴナンドに生きる全ての六歳の子は必ず避けて通れない。いわばそれは義務だ。

 真を明らかにするとあるくらいだから、やはり儀式を受けることになる子どもたちは皆それぞれに先天的な才能に基づいた役割を授かる。


 役割とは、言い換えれば絶対の天職。それを教えてもらえるのが真明の儀なのだが、その代償として授かった役割は誰にも拒むことが出来ないという。


「ただいま~」

「お帰り、早かったのね。お昼にする?」

「うん。手伝うね」


 儀式のことを考えていたとは知られないよう、帰宅したミヤナはさりげなくそうして母と共に昼食の支度に取りかかった。


 別に隠し立てる必要などなかった。


 しかしながら真明の儀で《巫女》に選ばれるのは三百年に一度、ただ一人なのだ。つまり普通のことではない。

 だから儀式が不安などと打ち明けた挙げ句に《巫女》となってしまっては、両親にいらぬ心配をさせてしまうだろう。もうしばらく後にそんな動機を発見してからは、尚更ミヤナはトルジュたちに儀式のことをあまり話さないことにするのだ。


「今日もパンだね」

「わがまま言わないの。この村に米はあまりないのはミヤも知ってるでしょう」

「うん。それはそうなんだけど……」


 開拓村には一つだけ、セーロス家が越してきた当初から工場がある。パン工場だ。

 そして、そのために村の作物は米より小麦と相場が決まっており、かと言って米は離れた所にしかない町や都会にしかないから自然と村人たちはパンを主食に選ぶのだった。


「ね。お肉も野菜も、果物だってある。世の中にはこんなに満足に食べられない人はたくさんいるのよ?」

「はい。ママ」


 冷蔵庫という科学の品はあったが開拓村には電気がなかった。よって肉はビーフ・ジャーキー状の干し肉にしていた。

 野菜は漬け物にし、大きな瓶に入れて保存していた。


 それでもどうしても虫などは沸く。

 冷蔵庫のようにしっかり冷やさないので漬け物にも虫はたまに沸いた。


「ママ、白菜に虫いる」

「あちゃあ。ま、食べられるところだけ頂きましょうか」


 そもそもこのように、調理前の野菜も虫が発生した。農薬は予算が枯渇しがちな開拓村においては使いたくても使えないモノだったのだ。

 そして、裏を返せばそれら食物は自給自足だったり、地域内で物々交換したりすることがおもな入手方法となっていたということでもあった。


「はあ。ワネの人が見たら笑っちゃうだろうね」

「ワネのひと?」

「え、うん。昔、私たちはこの村の人じゃなかったんだけど……そっか、ミヤナは覚えてないかもねえ」


 それなりに近代的で人並みの生活をしていける程度だった、かつての環境を思いケミーはくたびれたと言うかのような深いため息を吐いた。

 一方で言われたミヤナは実はそのことを覚えていたが自らにある成人望月の精神が助けてくれていた記憶と判断することで言及せず、とぼけたのだった。


「はっ、はっ、はっ」

「ベル。おすわり」

「……」

「お利口さん」


 白菜の塩漬けを手に乗せ、ミヤナはおすわりしたベルに与えた。慣れたもので、言われなくても少し待つ。ただこらえ症はあまりないのでやがてぺろりと平らげてしまった。

 ミヤナはベルを数少ない友として今日まで過ごしてきた。同年代の子どもは少しいたが、小学校に相当する施設に行けるのはこの世界では貴族に限られたことだった。


 よって開拓村の子どもたちの先生は村のおとなたちだった。農作業や狩り、歩道増設の仕方は、知るおとなが自ら見込んだ者を中心に叩き込んでいった。

 言葉は幼い者には手作りの人形による人形劇や昔ばなしの語り聞かせで情緒的に学び、となり近所との付き合いの中で生活的に学んだ。

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