二七 波紋
数日後、ミヤナは議会に呼び出されていた。
議会とは《農邦》タクイードの国会にあたる国議会だ。
「ミヤナ・セーロス。あなたはウサ・カラトッドと同郷ですね。同郷とは生まれ育った場所が同じかということです」
「ミヤナ・セーロス」
「はい。確かに私はウサ・カラトッドと同じ開拓村と現地では呼ばれる、名前のない村で生まれ育ちました」
タクイードの国議会は、日本などでは警察や検察が持つ取り調べの権利を有していた。
つまり政府主導の尋問が公的に認可されていたのだ。
にやにやと得意満面の笑みを浮かべたのは保守思想の重鎮である、とある老年議員だった。
「異議あり。議長、異議の申し立てをお認めください」
「異議の申し立てを許可します。続けてください」
議長はにやりともしない代わりにミヤナを助けねばならない立場でもなかった。
もはや簡易裁判。――「陪審員がいないだけマシでしょう」と現にミヤナは議事堂に入場する直前に女性議員から嫌味を言われていた。
その議員もまたなぜか、にやけていた。
インテリ層の腐敗。
こと中世から現代にかけて歴史の教科書を始め我々も当たり前のように目にする、不変の病理だった。
「待ってください。私は異議を認める気はありません。これは世界中にある名無しの村への明確な……」
ミヤナがそう言うと、老議員はまた笑みをたたえた。勝利に近づいた、と今にもガッツポーズしそうでさえあった。
「あなたね、今は私が話す時間。私の番。あなたが話す番じゃない。ルール違反。ルールって分かるかな。決まり。そう決まっているってことなんだけども……。うん、静かになったか。かろうじてお利口さん。はは、はははは! さて、本題に戻ります。異議と言うのは村に名前がないなどというのは有り得ない。よってミヤナ・セーロスと名乗るこの女性は経歴詐称をしているということに他なりません。以上です」
パチパチ、と拍手が起こった。「静粛に」と立場があるために議長は一定の時間をおきつつ何度か注意したのだが、何度も注意しないとそれは収まらない。まばらではあってもそういう拍手であった。
「ミヤナ・セーロス。今の異議について何か弁明はあるかね?」
「はい。これは明らかな差別です。見たこともないモノをないと言っているだけ。詭弁であり幼稚な理屈です。公正な判断を強く望みます」
「慎重に検討致します。では以上をもちまして本会を終了します。起立。……礼」
国議会の会合は終了した。
ミヤナには本来、被選挙権はなかった。ドラゴナンドで《巫女》は特別な身分だからだ。しかし先代であるルルーが築き上げた宗教的な地盤を守るため、ミヤナは給与を一切受け取らないことを条件に国議会への招致に応じていた。
給与を受け取らないのは竜殿の運営と同様の考えのもとであった。物々交換や飲食物および衣料品の布施によって全ては賄われていたのだ。
「気持ち悪い子」
「なんかキミ、目がおかしいよ」
「うわ、じろじろ見てるから目を合わせるのやめなって」
振り向きざまによく知らない議員たちにミヤナはそんな罵声も浴びせられた。
帰るのが億劫であった。ミヤナの帰る先はやはり竜殿であったのだが、従者たちにも小言を言われる日々が続いており彼女は気が休まらない毎日を送っていた。
いちいちスーパーやコンビニに買い物に行かなくて良い。竜殿に来て間もない頃こそそう考えていたけれども、名誉とか人権とか、もっと低い目線で言うなら立場とか世間体とかいったことを思うと今までの十年は元28歳の教職員としてはとんでもなく甘かったのではないかとミヤナは考え始めていた。
「お帰りなさいまし」
「「「お勤めご苦労さまでございます」」」
騎士団とか、現実ならさしずめ軍隊のように息ぴったりな従者たちが案の定、ミヤナを出迎えた。
ルルーは引退の準備のため遠くに慰安旅行していることになっていた。それはミヤナの一存ではなく、《始祖竜》を始め竜たちとの話し合いで決めたことだった。
そしていずれ頃合いを見計らって、ルルーは引退したが気まぐれなので連絡ひとつもくれないと言い張るという算段であった。
事情を知らない者ばかりだから、ルルーについてはそれで上手く行くだろうという自信がミヤナにはあった。
「さて、お食事の支度が出来ておりますぞ」
「あら、ごめんなさいね。外で済ませてしまいましたので今日はそのまま下げて構いません」
「おお、なるほど。では仰せの通りに」
従者とのそのような会話も億劫に思いながらミヤナは自室に足を進めた。
実際には彼女はここ数日、何も食べていなかった。食欲が急に無くなったのだ。
(《巫女》なのに《黒竜》のことを何とも出来てない。ウサもろとも私の人生が全否定される。一体、あとどれだけの修練を積めば良いの。パパ、ママ……)
ミヤナは思い詰めていた。
何もかもに未来が見えず、まるで自分が透明人間となって社会から忘れ去られようとしている気さえしていたのだ。
「おっす、先生~」
「こ、こら。急に出てきて脅かさないでくれる。鉈で頭を切断するぞ」
「それただ単に殺人ですし~」
自室にいたら突然、ミヤナの前に麒麟――リュウキとして振る舞うことが多い人間の姿の《黄竜》――が現れた。
「いやいや、それにしても大変ですよね最近」
「何が」
「いやいやいや、怖いですから。何がっ、って一言で片付けようとするの本ッ当に辞めて欲しいんですけど~」
「無理」
「ちょっ、えっ、おやまあなんと無理ですとな」
「いや、うざいから」
「あ、それはよく言われます」
それなりに世界的に重要な立場にある竜なのに、自覚がまるでないことにミヤナは少なからず苛立っていた。
ただ、空腹もあり必要以上に怒ってしまうかもしれず、そうなると仲間関係に溝を生じてしまう恐れがあった。そのためミヤナはなるべく差し障りないように、用件だけをしれっと引き出して早めに帰ってもらうように企ててみたのだ。
「《黒竜》の件、それともウサの話?」
「あ~、まあ、その、なんて言ったら良いか」
「歯切れ、わっる~!」
「すみません、すみません。わざとじゃないんですよ~」
「いや、わざとでしょ」
「まあ多少は?」
「お、でしゃばりか?」
まるで芸能人の楽屋裏のノリになってしまうのはミヤナの反省点だった。
それに早々と本題を言わせようという気持ちが、話を盛り下げない気持ちに負けてしまっている彼女がいたのだ。
それは教職員の望月だった頃からのミヤナの悪癖だった。ついおしゃべりに花を咲かす方に舵を切ってしまうため、一部の従者からは「一度付けたら延々とちらちら燃える線香花火」という不名誉な二つ名を頂いているミヤナであった。
「で、で、で《黒竜》の話、良いですか?」
「ん~、ダメ!」
「でえ~。じゃあ今日はこの辺で失礼します」
「じゃあな」
「ん~、ダメ!」
こんなグダり気味の会話でも粘るもので、やがて麒麟はしっかり《黒竜》について語り出した。
「最近、本当に割と大変じゃないですか、空にうじゃうじゃいるパッと見、渡り鳥が渡り損ねたのかってほどの竜の大群いるじゃないですか。まあまあ、ボクも人生渡り損ねた渡り鳥みたいなモンなんである意味かわいそうなんですけどね、おもにボクが。いや、これはあんまり面白くなかったならこれからは言わないだけなんで良いんですけど、そんなことよりマジ聞いてくださいよ~。なんか丸い巨大島あるじゃないですか。えっ、丸い、巨大、島です。で、無謀にもそこに冒険に行ったバカがいたんですけれども、いやいやボクじゃなく。ボク冒険するのってミヤナさんとおしゃべりするよりラクだな~、いいなとは思ってますけどボクじゃないんですよ。何の話でしたっけ。あ~、そうでした、サボテンにはどうしてトゲがあるか。え~、もう本当、帰りますよ。ボクはなんでも受け入れるハンサムボーイじゃないですからね」
そして、《黒竜》が《農邦》に来ていることをポツリと麒麟はこぼした。