二六 蜂起―3
十年前、ナリューは神託という形で《黄竜》から三つの予言を受けていた。
「開拓村ってありますよね。まずあの地下に洞窟があったことになります」
「あったことになる、だと?」
「はい。これは原因が明らかで、ルルー・ネイの職権乱用ですわ」
当時、戯れで騎士の身にやつしていた《始祖竜》は多くの日をナリュー・エオルとして過ごしていた。
その日もそうで、だからか夢の中でも彼は人間ナリューの姿を取っていた。一方でまだ人間になる方法を持たない《黄竜》は黄金色の鱗に覆われ、立派な翼を持ちとぐろを巻いた胴体がご自慢の竜そのものであった。
「それはまあ、おいおいこちらで調べる。他に何かあるか?」
「開拓村には今、とある二人の少女がいます。彼女たちはどちらも木刀で数日おきに稽古しており、見るからに分かると考えます」
「なるほど。他には?」
「お待ちくださいよ。この少女たちは《剣豪》と《巫女》の運命持ちです」
「ほほう、喜ばしいことだ。俺より早くそれが見えたと言うなら、腕を上げたといずれ誉めてやる」
ナリューは《黄竜》がその頃、神託の重要性をしきりに気にして他のどの竜よりも修練を積んでいたことを知っていた。
「それから、そうですね。次のは神託にしては重い話なんで……」
「なんだなんだ。俺は《始祖竜》、絶対なる竜の始祖たる竜だぞ。隠し事をこそこそしたってせいぜい半年バレないだけだ」
「分かりました。ではお伝えしますが、この神託はそれが現実になったと分かるまで誰にも教えてはなりません」
何か重大な発表だとナリューは感付いた。そのため、静かに待ち《黄竜》が続けるまでじっとしていた。
「十年後、《黒竜》を中心として災厄が起きます。それは世界を終わらせるかもしれないほどおぞましい災厄です」
しかしこれを聞いた途端、ナリューはがくりと脱力してしまった。
強がりにしても冗談が過ぎる、――その神託に対するナリューの第一印象はたかだかそんな程度だったからだ。
実際、ナリューは次のように切り出して正直になった。
「ははは、何を言い出すかと思ったぜ。十年だと。そんなに先まで分かる竜なんているわけないだろう。俺が知る最も偉大な竜でさえ一年先まででひいひい言っていたぜ」
「そう、思いますよね。ボクも信じたくないです」
「お、おい《黄竜》。キミには、そんなにはっきり見えたっていうのか」
「はい。そりゃもう思わず竜を辞めたくなるほどに、はっきりとです」
ナリューは絶句した。
絶句するなど、《始祖竜》という生でする日が来るとはナリューはつゆとも思っていなかったがそれでもナリューは言葉を失った。
そして今も、ナリューは本当は絶句してしまいたかった。だが十年も待たされる神託に備え、出来ることをナリューなりに全てやってきたつもりだったのだ。
「俺は《黄竜》がウソなんて吐いたことがないのを知っていた。それだけに、十年の間ずっとその三つ目の予言を本当の神託かもしれないと頭の片隅に必ず置いて生きてきた」
「ナリュー様。ではお伝えします。ウサだけではないんです。《黒竜》は恐らく、封じられた《長丸壌》にもいます」
「……それほどの災厄だと?」
「はい。それほどに違いありません」
ミヤナはナリューに知り得る限りそのような進言をすることを、ついに自らの勤めとした。
一国のみを抱える《長丸壌》ペメイグトはその全体こそが《裁邦》イズバであった。
そしてそこに《黒竜》がいてペメイグトに何らかの生物侵入不可障壁とでも言うべき結界を施したなら、それが理由でそもそもイズバではなくペメイグト自体に瑞は入れなかったのだ。
そしてその点においてはミヤナたちも災厄の始まりを感じていた。ナリューへのように明らかな神託としては麒麟は何も寄越さなかったが、その時あたりからミヤナたちは、言いようのない恐怖の象徴として《黒竜》を認識して今まで戦ってきた。
「十年を甘く見た結果がこれか。しかし、さりとてカラトッドをこのままにすることも出来ぬ……クソッ」
ナリューはそう言って拳を強く握った。
甘ったれた自分自身が許せなかったのか、やがてその拳からは血が滴り落ちてきたのだった。
さて、この戦いの結末に移ろう。
ウサ・カラトッドは騎士団が用意していた竜無力化弾を打ち込まれて力の大半を失い、捕縛された。彼女は俊敏で容易なことではなかったが、竜の力があっても所詮は人間。
多勢に無勢。以前からあった不審な言動から十年も備えられ、動きを研究され尽くしたこの《剣豪》は、強い運気に苛まれた哀れな人に過ぎないとすら評されたのだった。
その後ウサは本来、《裁邦》にある最終監獄と呼ばれる世界的犯罪者が収容される施設に送られるはずだった。
一時的にでも《巫女》でない者が竜に関わるばかりでなく、その力を行使した。裁きを受けるのは当然なのだった。
しかし、既に述べたように《長丸邦》には誰も入れなかった。
よって1日掛かりで限界まで堅牢に作られた地下牢にウサは一時的に収監されることとなった。
場所は《鋳邦》カッオ。金属に精通した者たちがいる上に、隣国の聖慧騎士団から騎士を派遣してもらう形でかなり厳格な監視体制を構築することが出来た。
剣を奪われ竜の力を封じられた《剣豪》に、金属をねじ曲げたり砕いたりする腕力は流石になかったというわけであった。
ただ厄介なのは空の竜だった。
ガルーダはあくまで数倍程度に力を得た《黒竜》に向けて用意された戦力でしかなかったのだ。これと言った抜本的対策がないまま、日に日に竜は増え続けた。
そして、基本的には何ら害がないのが却って不気味であった。もちろん瑞がしたように攻撃をすれば報復はあったが、人によっては気持ち悪いだけで悪い生き物ではないのではないかとすら言い出す始末であった。
「このままだと太陽が見えなくなる感じじゃないですか、このパターン」
「知りません」
「いやいやいやいや、知らざるを得ませんよ流石に先生はどうしても《巫女》!」
「ウサに立ち向かって行けた気概、どこ行った?」
「もうアレは半分、お調子者だったんでキャンセル、キャンセルで大丈夫ですけれども~」
五柱の竜を調停していれば、ここまでの事にならなかったかもしれない。
しかしミヤナには今さら、どうしたって三柱が限度である。そしてそうである以上はそれを世間がみだりに混乱しないように言い訳するしかない日々が続いていた。
瑞やグ=ゲンらはそれぞれが治める国に数日ほど帰り、才気ある人間を仮の王として任命した。
また《黒竜》ゲラトルヘス不在の《貿邦》には麒麟が出向き、売買評議会の会長に首相の権限を与える法を定めた。
「《巫女》よ。あれから《黒竜》に動きはあったか」
「いえ。ナリュー様からは何も聞いておりません」
「プク~。不安で頭がいっぱいだもん」
「はあ~、川原でスケッチしてるアベックうらやま~」
「貴様はどんどん竜らしさを忘れ物しやがるな、麒麟よ」
国の統治は人でも出来る。
そして、実は竜にも代わりが多少いた。
体力が並外れているだけで、竜は生物。
寿命もまた同様で何万年という、やたらと長生きなだけで生き物には違いなく、激しい競争社会で五柱ほど突出した竜は何体か存在していた。
「ボクらの仲間って実際、大抵は異世界にいるんですけど、普段は人にそういうとこ秘密なんですよ~」
「えっ、異世界?」
「はい。はらら、何か気に障っちゃいましたでしょうか?」
「なんでもないけれども~」
「はい、それボクのヤツですけれども~」
ミヤナにとっての現実は、《竜界》から見れば異世界。そうであるからには無視出来ない話ではあったが、ミヤナが別世界から転生してきたことを知るのは《始祖竜》などごく一部の高位の竜だけであるらしかった。