二五 蜂起―2
ほとんどウサ・カラトッドである《黒竜》には、迷わず滑空してくる金髪の二刀剣士に見覚えがなかった。しかしながら彼が握っている二つの剣は見たことがあった。
ウサは《黒竜》の記憶からその時の出来事を引っ張り出した。
「ソアラデルの戦い以来ね、その得物を使うあなたを見るのは」
「へえ、一応はゲラちゃんでもあるパターンか」
麒麟なのだろうというウサの読みは当たった。大体、ゲラトルヘスをちゃん付けで呼ぶなんて彼くらいなのだった。
(なるべく傷付けちゃいけない。極端でもなんでもなく、全部を峰打ちにしないとな)
ソアラデルの戦いでは相手は宇宙から来た闇の眷族だったからまだしも、目の前で自らと戦おうとしているのは人間であり、しかもミヤナの親友だった。
なるべくなら無傷のまま保護し、もう一人いる《黒竜》にでも元のウサに戻してもらえば良いだろうと麒麟は考えていた。
(ただ、少なくとも今の彼女は竜を宿した人間。油断もまた許されないんだよな)
考えたいことはそれ以外にも山ほどあった麒麟ではあるが、ひとまず今から始まる戦いに集中することにするのだった。
「ボクは《黄竜》麒麟。お互い頑張ろう!」
「ウサ・カラトッド、参る」
麒麟はそこでまばたきをした。
目を閉じ、目を開く。すると先ほどまで豊かに草が生い茂っていた地面から、風が巻いていた。
更にその風の発生源は、ウサの真正面のなだらかな草地だった。
「抉りとる」
ウサは剣をただ地面を通るように、あたかもゴルフのスイングのように振っただけであった。けれども彼女が発した言葉は事実で、渦巻く風の正体はスイングした剣から発した風圧だった。
草がするすると剥がれていった。
まるでスプーンやヘラでアイスクリームを深く掻き出したように音もなく、つまりは剣からの風圧がそのヘラとなって何もかもを抉り取ろうとしていたのだ。
「ちぃっ」
舌打ちしながら、すんでのところでサイドステップ気味に跳躍しながらも斜めに跳ぶことを意識し、ややウサの場所に近づきつつ麒麟は風撃を回避した。
本来ならば投擲が彼の十八番であったが、峰打ちが目標である上に強敵相手にそんな悠長なことは出来ないのだった。
さて踏み込む足で止まっている場合でもない麒麟はそのまま順当に何歩か踏み込み、距離を素早く縮めようとした。
しかし《剣豪》はもう既に二、三手も先を読み、最善手として思い切り麒麟の懐に飛び込んでいった。
「そっちか!」
麒麟は歯噛みした。どんなに二刀でも、そうも距離を詰められては思うように攻められなかったのだ。
しかしそうした泥試合は竜であれ何度も経験して来ていた。そして少し卑怯だが麒麟は機転で相手のこめかみを短剣の柄で殴った。
騎士から成り上がった《剣豪》なだけはありウサの防具は特注品らしく、鳩尾を突いて気絶させられるほど容易な戦いではなさそうであった。
よって相手を体重と腕で突き飛ばしつつ距離を取り、同時にすぐさままたしても距離を詰めて一発だけ打撃しては離れた。
ヒット・アンド・アウェー。
それを戦いの基本と呼ぶかは人それぞれであるが麒麟はそれなりに手応えのあるこの戦法は探りながらの戦いには、もってこいだと考え始めていた。
その頃、瑞は空中戦を強いられ続けていた。
「くそったれ。こうもキリがないんじゃジリ貧なんだよ」
竜ならではの光の矢が尽きることはないが、無敵の存在に見える竜には実は体力が存在する。すなわち、疲れるし致命傷を負えば死ぬ。
竜はドラゴナンドの人間を始めとしたほとんどの生命体より圧倒的に体力があるだけであり、だからこそ人間は無敵の神のごとき統国の者として彼らを崇めてきたに過ぎないのだった。
「おらおらおらおらぁーっ」
高速で矢を生成し、つがえて放つ。
また高速で矢を生成し、つがえて放つ。
連射を擬似的にするという戦い方を瑞は今回の大群相手に思い付いた。そして半ばやぶれかぶれにその戦い方を通す気でいたのだ。
「ウォオオオン」
烈仁竜と瑞が勝手に名付けた、《赤竜》の分身たちが一斉に彼に襲いかかってきた。
最初こそ未知の攻撃に戸惑っていた群れは、学習し連携するようになってきたのだ。
あるいは時間差で、一瞬の油断も許さない連続的な攻撃ももう竜たちの戦略であった。
そして恐るべきことに、どんなに地上に弱い《巫女》がいてもそちらには向かわず徹頭徹尾、烈仁竜の群れはまず確実に瑞を葬り去るべきと本能か何かにせよ決定済みであるようだった。
「プク~。おいどんも戦ったほうが良いかももん」
「グ=ゲン。あなたは戦えるの?」
「プク、プク……」
地上も空も戦いは膠着していた。
しかし、だからと言ってミヤナも《緑竜》も戦力としては今一つであり、見守ることくらいしか彼女たちに出来ることはないのだった。
「全軍、怯むことなく前進。止まる者あれば隊列は前進を優先せよ」
「「「御意」」」
ミヤナはその時、耳慣れた懐かしい声を聞いた。
「聖慧騎士団、長ナリュー・エオルが全騎士に命ず。眼前にある《黒竜》を得た前騎士ウサ・カラトッドを必ず捕らえよ。場合によっては生死は問わぬ!」
「「「御意」」」
「剣に誓えるか」
「「「剣に誓い断行」」」
ミヤナたちの応援に駆け付けたわけではないようだが、奇しくも合流を果たしたのはナリューが率いる騎士団であった。
十年もあればかつての老騎士の団長は引退してしまったらしかった。そして新たに団長となったらしいが《始祖竜》であることを知られているのかいないのかはさておき、ナリューは昔より遥かに騎士らしい物言いとなっていた。
「ミヤナ・セーロス。キミもここにいたか」
別動隊のガルーダ隊に空中の竜討伐を命じることを抜かりなくやってのけたナリューは、涼しげにミヤナにそう話し掛けた。
「まさにここに。今は《黄竜》と《青竜》が前線におります」
「それは何よりだ。まあ、《黒竜》とカラトッドには悪いが百年ばかり四竜になったところで人間は死なんだろうさ」
「お言葉ですがナリュー様。このように五柱の竜が揃わないことこそ私の責任。よってウサ・カラトッドは多少の非があるとしても酌量を願いたく」
ナリューはたったそれだけのやり取りで、《赤竜》については知らない代わりにそれ以外はかなり把握したようだった。
しかしミヤナの申し出は無慈悲にも却下された。
「《巫女》よ。竜が堕落したならば、それがどんな成り立ちを抱えていても殺さねばならぬ。これは世界の掟だと仮にも《巫女》ならば存じているはずだ」
「それは反旗を翻した竜が一柱の場合かと」
「なんと、もしやあの空にあるのは……」
「左様でございます。あれこそ《赤竜》を辞めた有翼の魔物です」
「バカな……」
苦虫を噛み潰したような表情。それはミヤナが今まで見た事のない、希望を失ったナリューの表情であった。
無論、十年の修練において彼と会う機会は皆無でこそあったけれども、そうだとしても第三者に等しいミヤナにさえナリューが落胆し途方に暮れていることは分かりきっていた。
「なぜそのような有り様が今日に至るまで見つからなかったのだ。それほどまでに竜はもう力を失っているというのか!」
「プク~。《始祖竜》様、落ち着くもん」
「……うむ。すまない、少々取り乱してしまったようだ」
騎士団はもう戦いを始めていた。彼らが駆る馬は実のところ選りすぐった優秀な馬で、ガルーダは良く育てられた叩き上げの大鳥であった。
共に隊列を乱すことなく、敵味方を誤ることなく効率的に決戦時に用いる様々な作戦を臨機応変に展開していた。
「ミヤナ、キミには謝らなければならない。今日この日こうなることを《黄竜》はある程度、予言していた」
ナリューは思い立ち、ミヤナにそう打ち明けた。