二一 枷
それから《青竜》は自らが人間の姿になった理由を、一息にすらすら話し始めた。
「この体はワシの物ではない。《巫女》ほどではないが霊感の強い青年の肉体を借りたのだ」
道中でリュウキが《黄竜》に勝手に戻っていただけで、自分は昔と同じように人前にはおいそれと姿を見せないよう、気を遣っていたという含みを《青竜》瑞は続けた。
「神託を告げるため以外には、この術はご法度のはずなのだよ。本来、我々は人間に希望を与える存在。それ以上に差し出がましいことをすれば《始祖竜》様など高位のお方からの罰を受けるという掟がある」
霊的に深い世界にいられるのが《竜界》ドラゴナンドの竜。しかしそれ以外の点においては、あたかも人間社会のように縦の繋がりが厳然とあり、それに反した者は戒めを受けてきたのだった。
「そういう意味において、《黄竜》が落ちぶれてこんな雑魚に成り下がった責任はきっかり払ってもらうぞ《巫女》の名を騙るガキめ」
ミヤナは首を右手で掴まれ、そのままギリギリと持ち上げられた。
周囲に人がいたが誰も止めようとはしなかった。なんとなく男が《青竜》だと分かっているらしく、竜としてのけじめを付けているのだというような事をへらへらと賞賛している人間が何人かいた。
「あ……かっ……マ……マ」
「はっ、おい聞いたか人間たちよ。今さら人間らしさを訴えかけてきたぞ。心底、忌々しいだろう!」
そんな事はないという声がきっぱり聞こえたが、その通りだと絶賛する声のほうがわずかに多かった。
声の大きさの話ではない。聞いて分かるほどに意見が多数決で勝つ程度には世論は《巫女》の今の有り様に冷たかったということだ。
「変わっ……たな。瑞くん」
吐血しながら、リュウキは立ち上がった。
彼が身に付けていたチュニックは単に拳で突かれたとは思えないほど腹部の辺りがビリビリに破れており、打たれた肌は痛々しく変色していた。
「どっちがだ、落ちこぼれ野郎……なあ、凋落って知ってるか」
「知らないから。ボクは国語の先生じゃないっての」
「そんな貴様を意味する」
ミヤナを掴んでいた手を放すのと腰を深く落とすのが同時、そして走り出したように見えた瑞の姿は、人の目には一瞬でリュウキの前に空間を移動したかのように映った。
「覚えたか?」
「えっ、なんて?」
「小賢しいぞ名折れがァ」
殴る、蹴る、掴み起こす、殴る、殴る、掴み起こす、殴る、殴る、殴る、殴る、蹴る。
瑞はリュウキをサンドバッグか何かのように弄んでいた。
「うっげ……はっ、やめようよこんなの~」
「軽口で不愉快なしゃべり方だけは変わらんな。小僧の癖に」
茶屋はもう茶屋のていを成していなかった。丁寧に陳列された見本の箱はひしゃげ、ガラス張りの商品棚はボロボロに割れていた。
着物姿をした売り子の若い女は完全に逃げ去ったわけではなかったけれども、建物からはとっくに出た上で襲われないよう人込みの中に混じっていた。
ただミヤナがそれを見つけると今度こそどこかに行ってしまった。
「無様だな。だがこれでお開きにしてやる。《巫女》には未だに代わりがいないし、このまま世が荒れてはこちらも困るんだよ」
茶屋の売り子にはお構い無しに、瑞はミヤナたちに向かってそのように一方的に話を切り出した。
「行動を制限させてもらう。そもそも《巫女》が一人前になるのを待つ理由がないんだよ。よって気まぐれにまた世を混乱させられる前に強制力を働かせる」
パチリと瑞の、厳密には《青竜》瑞に体を貸した若者の指が鳴った。
するとミヤナとリュウキは、両手が突然引き寄せられた。そして続けざまに、どこからともなく現れた金属製の箱でその両手をガッチリと拘束されたのだった。
「いやいやいやいや、オシッコとかウンコとかどうするんの。頭おかしいのか、バーカ!」
「そんなモン知るか。ただワシ以外の竜も怒っているから特別に1日で全部終わらせてやる」
ミヤナとリュウキを隣り合わせになるように歩かせた後、瑞は二人の前に立った。
そして自らの両手を胸の前で交差させ、「翼を使うことをお許しください」と言うと瑞がいる若者の背中からエネルギー状になった半透明の翼が現れた。
「っと、その前に」
ミヤナの提案があり、瑞は肉体を持ち主に返すことになった。それからミヤナが力を与えることで、《青竜》は顔こそ違うものの元の若者と似たような出で立ちの人間に変化できるようになった。
「達者でな」
「《青竜》様のためなら、いつでもまた一肌脱ぎます!」
若者は町中に消えていった。
さて今度こそと人間の姿をした瑞は両手を交差させて翼を出した。更に交差させていた両手を今度は片方ずつ、それぞれミヤナとリュウキの前に翳すと瑞は何かぶつぶつと唱えた。
「おっ、気が効くじゃんか~」
「なにこれ……」
「勘違いするな。傷や疲れを癒してやっただけだ。満身創痍で仲間に挨拶されても迷惑なんだよ」
ぶっきらぼうに瑞はそう告げ、またぶつぶつと何か唱えた。
すると今度はみるみる内にミヤナとリュウキが小さくなり、それと同時に瑞の右の手の平に吸い寄せられていった。
「おいおい、女子がいるからってハグを遠慮した結果が」
「黙れ、握りつぶすぞ小僧」
がやがや言い合う二人に、ふとミヤナが割って入った。
「待ちなさい。なんだか適当に話を進めているみたいだから確かめます。《青竜》瑞、このミヤナ・セーロスが成す調停にそなたの力を貸し与えることを、今より未来永劫に渡り全ての命に誓えますか」
「ふん。気に入らんところだらけだが、誓ってやる。だが十年間も待たされたから言わせてもらうぜ。そんなモン、他の竜には最初から言うことだな」
不器用な者たちが交わした誓いは本当に未来永劫続くかなど分からない。
だが誓いは力の奔流となり、《青竜》が司る知性がこの瞬間、《竜界》全土に物凄い速さで広がっていった。
不毛な口論に誰かが仲裁に入り、野生のライオンは眠ってやる時間を思い出し、そして太陽や月のわずかに狂いかけた軌道は微妙なそのずれを正常に戻した。
「感じただろう。誰かの力を借りることも時には必要ということを」
「え、ええ。それはおっしゃる通りですね」
「でもその正論も殴る蹴るなしで出来たよね瑞くん、ずっちいぞその段取り~」
「貴様はうるさいんだよ。さっさと次に向かうぞ」
翼をはためかせ、瑞は飛び立とうとしたが再び何かを思い出して降り立った。
「この店には悪いことをしたからな……」
瑞が茶屋に向かって手を翳すと、来た時よりも幾分立派な茶屋として瞬く間に再建された建物がそこにあった。
改めて、人の手が届かないほど少し上空に浮かんだ瑞。そして北東――海を越えた先にある《三角壌》エンミル――に向けてその翼で飛んでいくのだった。
「高所恐怖症だから目を閉じてるわね。着いたら呼びなさいよ?」
「いきなり馴れ馴れしいな。ただ、もう着いたのだが」
光ほど速いのか、ほんの一瞬でミヤナたちはエンミルにある国家の一つ、《標邦》ポルに到着した。
この国にいる《緑竜》グ=ゲンとはあっという間に誓いを立てることが出来た。なんでも交信が出来ないことが寂しかったらしい。
「プク~。おいどんは怒ってなんかないもん、怒ってぷりぷりしてたのは瑞の子だけだもん」
「それを聞いて少しは安心しました。今まで放っておいてごめんなさい」
「気にすることないもん。きっと他のみんなも気持ちは同じだもん」
グ=ゲンは竜のままだったが、ミヤナが力を与えると背の高い甲冑の若者に姿を変えた。
「プク~。新しい《巫女》様はなんでもありだもん」
「確かにこんな力を授かったのは生まれて初めてだが……まあ細かいことは良い。次だ次」
グ=ゲンも瑞に小さくしてもらい、手の平に乗ると今度は《貿邦》マデレスに向けて飛び立つのだった。