一八 修練
それから数日もしない内に、国都レウドムから開拓村に二通の手紙が届いた。一通はミヤナに、もう一通はウサに宛ててのモノであった。
そしてその手紙によると、ミヤナは《巫女》となるための修行を積まねばならないようだった。
「ジェイクが言っていたみたいな話ってわけね。で、1年ほど時間があって勿体ないからついでに修行しろと、そういうことみたい」
ケミーは国都ならではの形式ばった手紙の内容を彼女なりに要約してくれていた。
「なんだか壮大な人生ね。ポレア山に登ったことを覚えてる? あの時にはこんな事になるなんて思ってもみなかったけど、ねえ……もし竜との調停なんて立派なことを成し遂げたなら、何百年後にでも良いから挨拶に来なさいよね。墓石の下からだって、ミヤナの声なら聞いてあげる」
ミヤナは母のその言葉に曖昧に頷いた。
竜鱗を見つけて、ウサが引っ越してきて、トルジュが怪我を負い、聖慧騎士団が来た。開拓村の地下に水脈があって、ナリューが《始祖竜》で、そして真明の儀があって、スケースが亡くなった。
これらはたった一年足らずで起きたことの全てだ。しかもそれらは無関係な出来事でなく、ミヤナ自身に降りかかったことばかりであった。
「ねえ、ミヤナ。ベルはスケースと上手くやっていけると思う?」
「それは、もちろんよ」
今度は自信を持って、ミヤナは答えることが出来た。一年にも満たない付き合いではあっても、カラトッド家の人々はセーロス家に必要で大切な人たちだとミヤナは確信していたからだ。
「ミヤナちゃん。村長が話があるそうです。無駄事をせず、すぐにいらっしゃいね」
嫌味がちな近所の住人にそう急かされ、ミヤナは村長の屋敷に向かった。
もし修行の話なら、直接に出向いてくれても良いのにとミヤナは思った。だが《巫女》だからこそ甘やかしてはならないという殺伐とした一部の住人たちの不穏な意見に、近頃の村長は気圧されていた。
「おお、来てくれたか。まあ、もう少しこちらへ」
老化もあり、頭が淀んできた村長の目はやや虚ろだった。これほど老いた人を無理に扱うくらいなら長役を交代すべきだとミヤナは思ったが、開拓村は歴史が浅い。
そのためそんな基本的な発想にも至らない「気概だけ」の住人が多いことは暮らしてきたミヤナが誰より理解していた。
「良かれと思う隣人たちの気持ちを無駄にしてはならぬ。まずはそれを誓えるかね?」
「村長様……?」
「誓えるか、誓えぬかだ。誓えぬなら、いかにオヌシが《巫女》の運命にあってもこの名無し村はオヌシを認めぬ」
「これから、出来るように心がけます」
「……うーむ。どうにも不安じゃが」
こればかりは村長だからではなく、一般論として玉虫色の答えを人は良しとしないという常識だった。
「修練という言葉は分かるかね」
「なんとなくなら」
「ミヤナ・セーロス。今後、《巫女》を全うする覚悟があるなら何もかもに明確な答えを持ちなさい」
「そ、それはちょっと」
「フェリム、長の責任において許可する。アレを」
「はっ」
フェリムという名か姓であるらしい村長の目付役は、時に従者としても働いた。きびきびした返事を発すると、彼女はミヤナの左腕をぐいと掴んで無理矢理に屋敷の奥に連れて行った。
普段は開け放たれない鉄製の扉の奥。
村長などごく限られた者以外は誰も立ち入らないであろうそこは、あたかも牢を思わせる質素過ぎる作りの部屋であった。
「きゃあ」
叫んだのも空しく、ミヤナはフェリムに強い腕力で投げ込まれた。そしてすぐさま扉は閉まった。
「才気ある者は満を持して送り出したいのだ。ミヤナ。我が子のように愛しいが、この村にすら認められんようでは先行きは厳しい。よってしばしその独房で修練せよ。修練とは精神を強くすること……オヌシはそれをせねばならんのだ」
厳かな村長のその言葉の始め辺りで、何かカチャリと音がしてミヤナはしまったと思った。扉に手を掛けても、施錠されておりビクともしなかった。
そう。そこは罪人を捕らえ置くための独房であった。
「何をするんですか。私は人間です!」
答えはない。
「ミヤナ・セーロスです。私の話を聞いてください!」
答えはない。
「私が気に入らないなら謝ります。どうかパパやママと離れ離れにするのは、もう少しだけ待ってください!」
ミヤナの言葉の何もかもに対して答えはない。
「積めません。こんな冷たい、心ない場所で修練なんて……」
耐えかねたミヤナの目を一筋の涙が伝った。
しかしまた一方で外からも、はしたなくも止めどない泣き声が聞こえてきた。村長や、村の人々が泣いていたようだった。
(何なの。大のおとながそんなでは、子どもたちはどうするの)
ミヤナは逆上などを恐れて言葉にこそしなかったが、思いはそのように持っていた。
「ミヤナ・セーロスが問います。どれほどの修練を積めば認めて頂けますか?」
言葉の数々に耐えかねたのか、泣いていない大人の一人であるフェリムが覗き窓越しに「さあね」とだけ告げた。
ミヤナには度しがたいことであった。
確かに人は決して多くないが、農業は概ね順調だったしパン工場だってある。最近は牧場も出来て、隣接した養鶏場からは卵をたまに分けて貰えた。
何不自由ない生活。
それは言い過ぎだとしても、村に名前がないというだけであり、開拓村は生きていける程度に恵まれているとは言えた。
「なんだ、騒がしいのはどうしたことだ」
それが騎士団長の声であるとミヤナにはすぐに分かった。
鍛え抜かれた肉体が出す声は単純によく通り、またはきはきと話すのは印象が良く、つまり団長だと分かりやすい発声なのだった。
「なるほど。それはまあ、そうかもしれんがあの子にここまでする道理にはならぬ!」
誰かが悲鳴を上げ、カチャリと音がして鉄扉が開いた。
「団長様」
「うん。これでコヤツらめがもっと狡猾だったならこう容易くはなかった。根は良い人たちなのだ……許してあげてほしい」
「それも修練ならば」
騎士団長はとうとう、やれやれと肩を竦めてしまった。前途多難というほどの一大事ではないが、先が思いやられることがないとウソを吐くのは憚られる。
まるでそう顔に書いてあるような団長の態度は、村人たちの泣き顔をなんとか苦笑いに変えたのだった。悲鳴を上げた張本人、カギの持ち主であったろうフェリムは団長に叩かれでもしたのか腕を押さえながらも無表情だったが、不平も特にないようであった。
「村長、この子を少し借りるが良いか」
「はあ、まあ」
穴があったら入りたいといった調子でふにゃふにゃと答える村長を尻目に騎士団長はミヤナを小脇に抱えてさっさと屋敷から出たのだった。
「よし、ここまでくれば大丈夫であろう」
「ありがとうございます、団長様」
「うん。しかしミヤナ、キミは《巫女》になった以上、修練をせねばならんのは確かだ」
屋敷から出てしばらくし、ミヤナを道にそっと降ろしてあげながらも団長もまたどこかでは厳しい口調であった。
「修練とは」
「世の中の厳しさを知ること。つまりは、残念だが今回のことからもキミは何か学んでいかねばならないのだ」
「はい……」
「わはは。そう悲しむな、少女よ。せめて七百歳までは強くあり続ける気概を持て」
「はあ」
そう言うと騎士団長は、元来た道を戻り始めた。彼の愛馬は村長の屋敷の外に置き去りだったからだ。
「修練、か」
ミヤナは空を見上げた。
まだミヤナの心もそうだと言わんばかりに、その日の空は日差しが遮られない程度の満遍ない薄曇りだった。
なまじ眩しい空は長いこと見るのが難しい。くすんだ心もまた、本当は自分自身でないと半端な光で見えないのかもしれないとミヤナはそう学んだことにして帰宅したのだった。