一六 真明の儀
今日はいよいよ、真明の儀。
だからと言ってミヤナとウサは特別な服装をするわけではなかった。もっと昔なら七五三のように儀礼的な衣装に身を包んだそうだが、今はその辺りは各家庭の事情を考慮して華美でなければ可となっているようだった。
「長の屋敷に、直に儀式師が参られるはずです。さあ今はしっかりと気を整え、間違いのない、しかし素晴らしい結果となることを祈ろうではありませんか」
村長の目付役である老婆は随分と長生きしていて、今年で八十になろうというのにこのように口がよく動いた。
まだミヤナたちが越してきた頃、今は亡きベルにイモを差し出したあの老婆だ。
「えっと、ど、どうするんでしたっけ?」
「ママ。落ち着いていればいつも通りで良いよ」
「そうだっけ」
「もう、しっかりして」
トルジュやケミーもかつて真明の儀を受けた。ドラゴナンドの民は昔からそうすることになっているからだ。
「パパもママも、何の真明も出なかった。つまり普通の人だったのよ。だから安心なさい、あなたも普通の子」
「ママ、私は……」
「分かった。もしそうじゃなかったとしても、俺たちはあなたを絶対に見捨てたりしない。どんなに大変な道を行くことになったとしてもだよ」
「私もよミヤナ。あなたは一人ぼっちなんかじゃない」
ケミーはそう言うと、そっとミヤナを抱き締めた。冷え症の母の肌は冷たかったがミヤナは何も言わなかった。
心の温かさがあればミヤナには十分だったからだ。
「うむ、儀式が始まるぞい。急ぎ、長の屋敷に参られよ」
それだけ事務的に告げると、老婆はそそくさとセーロス宅を去った。
「じゃあ私も行くね」
「行ってらっしゃい」
「ミヤナ、お前なら何でも出来るさ」
トルジュとケミーに見送られ、ミヤナは屋敷に向かった。
何度も通ってきた道だが、今日だけはやけに長く遠く思えてならない。それはきっと不安のせいだろうとミヤナはどこか他人事みたいに思った。
屋敷に着いてしばらくすると、目付役の例の老婆が畏まった様子でミヤナがいるべき場所に案内した。
隣にはウサが既にいたが、かたかたと音がしそうなほど緊張して震えており、顔も青ざめているのが少し見ただけでミヤナには分かってしまった。
「よくぞ参られた。さあ、そこなる水晶に映し出されるのが汝らの定め。ウサ・カラトッド。ミヤナ・セーロス。これより真明の儀を執り行う旨、ここに正式なものとして発するとする」
二人が揃ったのを見て、村長がまずは品格を込めた挨拶をそのように行った。
そして村長のやや後ろ隣に控えていた儀式師らしき陰陽師のような格好の若い男が一歩前に進み出て、次のように告げた。
「名を呼ばれたら前に出て水晶にお触れなさい。では始めたく存じます。ウサ。ウサ・カラトッド」
「は、はい」
緊張が返事にも出てしまっていたが、声は聞こえていたらしく儀式師に従いウサは水晶のある辺りにまで近付いた。
「もう触っても?」
「どうぞ。あなたが水晶に触れてから詠唱をさせて頂きますが、儀を受ける者全てに必要ゆえお許しを」
ウサは悩んでか、しばらく動かなかった。
しかしよくあることなのか特に怒られることはない。増して、今日この村での儀式はたった二人しか受けていないのだから尚更かもしれなかった。
やがて覚悟を決めたウサは水晶に触れた。
詠唱云々と儀式師は言っていたが、早くも水晶は他者が見ても明らかなほど神々しい輝きを放ち始めていた。
「これより遥かな人の道を行く者にその標を捧げんとす我と我ら全ての生を望む愚者の願いを聞き届けるならば、今よりの呪に神、必ず答えよ。ハクラー・ウェ・シーレールーエー・ケントリ・ケトリ・ム・ガナガーシレン……」
儀式師は水晶の発光を認めてからそのように祈祷の呪文を詠唱した。実際には数分ほどの短くない詠唱が終わると、水晶の光もすうっと立ち消えたのをミヤナは見ていた。
「わ、わたし、わたし……」
「左様、あなたの未来は《剣豪》。精進あることを、心よりお祈り致しますぞ」
儀式師と、儀式を受ける者には何が起きたのか分かったようでウサは儀式師の判断をすんなりと受け入れた。
「次にミヤナ。ミヤナ・セーロス」
「はい、ここに」
ミヤナは落ち着いて儀式を受けた。
水晶に触れて輝きを発すると共に、彼女の意識は世界と一体になった。
「ここは?」
「儀式を受ける者はただ一度、私のように儀式師の道を行く者は一生涯ほど見ることになる時の標です」
祈祷していたはずの儀式師の男と、川か何かを挟むようにミヤナは対面していた。
「ご覧なさい。あれが未来にあるべきあなたの姿」
「《巫女》……」
「おや、よく勉強なさっておられる。いかにもあれは《巫女》として竜たちに調停をもたらすあなたの姿」
やはり《巫女》の定めであったことをミヤナは確かめた。川には赤ん坊の頃から順に成長していき、六歳の今はウサと剣の稽古をしているミヤナが3分の一ほどに縮小されて眼前におり、そこから上流に向かうにつれて五柱の竜を一身に引き受ける巫女服の女性――成人した《巫女》ミヤナ・セーロス――の姿があった。
「では間もなく戻りますぞ。それにしても《剣豪》に《巫女》。千年に一度もないであろう摩訶不思議な縁を見させて頂きましたぞ。これは儀式師冥利に尽く」
儀式師の言葉が終わる頃には、ミヤナは元いた屋敷に戻っていた。厳密にはウサの前例からして意識だけが別世界にいたわけだけども、帰ってきたという感覚が主観的には正しかった。
「……」
「あなたの未来は《巫女》。精進あることを、心よりお祈り致しますぞ」
屋敷にはどよめきが起きた。
無理もない。ウサの才覚は兼ねてより村人たちの知る所であった一方で、単なる平民のはずのセーロス家の出から《巫女》が現れたのだ。
このような反応は予想していたが、ミヤナに言葉はなかった。自分で説明出来ないことが多すぎる以上、本当に何も言えることがなかったのだ。
「お待ちくだされ。ミヤナちゃんが《巫女》、何かの間違いかと」
「この子にお聞きなさい。私はこのミヤナ・セーロスと共に時の標をしかと見届けた証人でございます」
「なんと……」
村長はよほど驚いたらしく、危うく腰を抜かしそうになっていた。
それを気遣おうと手を差し出したミヤナ。しかし狼狽えた村長からは非情にもその手は跳ね退けられてしまった。
「不吉じゃあ。こうも才能を独占しては、竜の祟りが起きるに違いないわい」
他の屋敷の者たちの反応もそこまで酷くはないものの、にわかに余所余所しいものに変わったようにミヤナには見えた。
かつては平和そのものだった開拓村。ただでさえ地下洞窟に混乱していた民たちの不満は皮肉にも、子どもたちの未来を知る儀式で頂点に達したのだ。
「みんな……」
「はあ。まあ今日はとりあえず帰りなよ。ただし場合によっちゃあ、ねえ?」
「全くだわ。ここは才能開拓村じゃないのに、ねえ?」
わくわくして見物に来ていたはずの手持ち無沙汰な村の女たちは、やっかみを隠さなかった。
まるでこの村に来た時よりも悪い扱いに、ミヤナは自らが選んだ道を後悔しなければならない嫌な予感が止まらないのだった。
(とても精進なんて。あの標は標でしかない)
いつの間にいなくなっていた儀式師にはもう聞きようもなかったが、時の標と言うからにはあくまで最もありそうな未来でしかないのではないか。
ミヤナはそんな猜疑心を持たざるを得ないほど、今が悲しかった。
帰り道、ミヤナはウサと二人きりで帰った。
しきりに護衛を買って出る男が何人かいたが、今までそんな人たちでなかっただけに白々しい。そこでミヤナもウサも一致団結して突っぱねてやるのだった。