一五 日常
真明の儀は明日に迫っていた。
開拓村の子どもたちはなんとはなしに、自分たちが六歳になるとそんな儀式を受けることを知っていた。
「どんな人になれるのか、ワクワクするなあ」
「アタシは町のお花屋さんが良いなあ」
「オラは農民になる。もう自分の畑を持てるほど勉強しただ」
「きちちゃまがいい」
今年はミヤナとウサがちょうど儀式の年だった。既に儀式を受けた子やまだ来年以降の子ばかりの中で、ミヤナはウサがいる手前、儀式を避けようがないことを感じていた。
(竜は意地が悪い。竜になるか《巫女》になるか、そんな勝手な選択肢なんて)
密かに憤るミヤナだったが、それを相談する相手はいない。《始祖竜》から聞いた竜になる道も望月しか分からないような「《巫女》になる未来」も、誰にも話せないことは明白なのだった。
「ミヤナ」
「あっ、ウサ。……」
なるべくいつも通りに振る舞おうとしたが今日ばかりはミヤナにそれは難しいことに思えた。そもそも、ナリューもナリューだ。二日後に真明の儀があるのを知らないのか、呑気に竜となり助言をくれたは良いが、時間がなさすぎた。
(開拓村から出る出ないの次元じゃないっての)
ナリューたち騎士団が村を出るよりずっと早く、というよりもはや1日もない猶予の中でミヤナは身の振り方を決めなければならなかった。
元の世界に帰るには、《黄竜》より立場が上らしい《始祖竜》は竜になるしかないと言っていた。つまり、そこまでの身分で言うことであるからには間違いのないことなのだろう。
「ねえ、ウサ。今日は稽古、休ませてくれる?」
「どしたの、ミヤナ」
つらそうに頭を抱えて道端でうずくまるミヤナに、ウサは歩み寄った。
「自分が怖い。いつの間にか何もかも変わっていてしまいそうで……」
「ミヤナはミヤナだよ?」
「ウサ。あなたは強いね」
「えっ。うん、ウサはつよいよ!」
この日は木刀での稽古を休むことにした二人は、村をぐるりと散歩することにした。
「お花畑があるって知らなかった」
「ウサも~」
てっきり知り尽くしていたとばかり思っていた景色の中、たくさんの発見があるミヤナだった。
なにせ友だちであるウサや、家族とでさえまともに散歩したことなどなかったのだ。
「早く村に馴染むために、畑の手伝いから狩りの下準備まで、色々してたなあ。我ながら」
「えらい。ミヤナはえらいっ」
「そ、そんなことないよ」
普通なら、真明の儀は単なる通過儀礼に過ぎない。真明の儀は確かに予言と言えるほど精密に対象となる子どもの未来を教えてくれるけれども、特別な使命を任されることなんてそれこそ百年に一度くらいしかないからだ。
つまり大抵なら村の子たちが話していたように農民、せいぜい町勤めが関の山。ただ今年は少しばかり違っていた。
開拓村の住人にすら分かるのは、ウサ・カラトッドがおそらく特別な子どもであるということだった。
そのため、六歳とは言えこうもフラフラしていてお咎めなしなのはミヤナのためではなく、ウサが持っていた暗黙の特権なのだ。
「ねえ、ミヤナ」
「うん?」
「わたし、ミヤナのともだちになれた?」
「えっ、どうしたのウサ」
常識的に考えれば、女の子同士とは言え数日おきに剣の稽古をしているのだから無論それは友情のはず。変ではあるかもしれないが、そこまでしたのはウサが才気ある子どもだったからに他ならないのだ。
「ミヤナはずっとわたしの、ともだち?」
「当たり前でしょ。何を言い出したのかな」
ミヤナはウサの頬をつねり、ぐにぐにと伸び縮みさせた。
ミヤナはウサとどんなにケンカしそうになっても、ほとんどの場合においてこれで丸く収まっていたからだ。
「ねえ、今日はウチでご飯食べる?」
「ふぇふふひぇ?」
「あっ、ごめん……ふふっ」
ミヤナはウサを自宅に招き、ケミーのいる中で二人で共に昼食を作った。
「わあ、美味しそうな卵料理ね。これ、何て言うの?」
「オムレツだよ」
「すごい、ミヤナはてんさい!」
セーロス家に習慣付いてないのではなく、ウサの発言を聞く限りもしかしたらドラゴナンドにオムレツという料理はないのかもしれなかった。
けれども、そんなことは些細なことだろう。
少なくともミヤナには些細なことでしかなかった。
「いただきます」
「ごちそうございます」
こうした細かな一言でも、ウサだけでなく開拓村は変わった作法をしている家が多かった。ワネの町では、もっと一般人の皆は現実世界のように「いただきます」「ごちそうさま」を言っていたようにミヤナは記憶していた。
「うわあ、ふわっふわ」
「コツがあるのよ」
「焼ききらないのね。なるほど……」
会話がそれなりに弾んだのが救いだった。
美味しいモノを食べているのは、明日が儀式だと忘れることが出来る。これを単なる現実逃避というのは容易かったけれども、口説いようだが本来ならミヤナにとって《竜界》は現実ではないのだった。
(でも、もう六年も生きてきたのか)
ミヤナは現実と非現実との境界が何なのかを考えようとしたが、無駄だと分かりきっているために投げ出した。
「おかわり!」
「そこは普通ね。ただおかわりはないよ?」
「え~。ミヤナ、おかわり!」
「作り置きが幾つかあるから、それで良いかな。ウサちゃん?」
ゆったりとした時間が流れていった。
最近は空がすっかり晴れ渡り、夏が近いことを告げているかのようだった。六年過ごしてきたミヤナはこの世界にも四季があることを知っていた。
春夏秋冬。元の世界と同じように巡る一年はやっぱり一筋縄ではなかったが、なんとか今日まで生きてきたとミヤナは改めてしみじみ思った。
28歳から更に6歳。望月美弥奈だった頃の思い出もまだ懐かしく優しかっただけに時々、訳もなくミヤナは泣き出しそうになってしまった。
「ミヤナ、かけっこしない?」
「いいよ。よし、位置につい……って、ちょっと!」
かけがえのない平和な時間。
調査団として地下に潜った時には何かと考えさせられてしまったものの、やっぱり束の間でも平和は尊い。
ミヤナはそう思いながらウサに続いて走り出した。
「は、速い……」
すっかり遠くに駆けていったウサを見ながら、バテてしまったミヤナは思いきってそう広くもない歩道に仰向けに倒れた。
人通りなんて、さほどない。気にするようなことは案外、何もなかった。
「ミヤナ~っ」
そうでもないと思い知らせる友の声。
元気な剣の天才が、まだ持て余した元気で友のいる方に猛烈に走り出したのが横目に見ていたミヤナには分かった。
「なんだなんだ、鬼ごっこか。じゃあ俺も逃げるぜ!」
通りすがりのジェイクだ。
ミヤナが最近、心配していたことなど何も知らない代わりにいつしか昔ながらの気の良い木こりに戻りつつあるようだった。
「決めた。私、《巫女》になる。そしてこの村を守るために世界を平和にする!」
「おう。でもまずは逃げるぞ」
「えっ。は、はい!」
鬼ごっこだからと言って、運びかけの木材を放り出しても誰も盗んだりしない。
村人は素朴だし、騎士団は信念が強い人ばかりだからだった。
それにジェイクは腕前が良い。
だからたとえ盗まれても、また物凄い勢いで伐採するから彼の前で木材盗難など無意味なのだ。
「おーい、まってよう」
「ハッ、ハッ。くう、娘さんにしちゃ俊足だあ」
「っ私は、もう無理……」
なぜかジェイクとウサの鬼ごっこと化した村の歩道で、ミヤナはなんとなく一人佇み出すこととなった。
いつものように空を見上げた。
そこにも平和を知った小鳥たちが遠慮がちにチヨチヨ鳴きながら、散歩するかのように風の中を戯れていた。
こんな時代がずっと続けば良いとミヤナは願い始めていた。