一四 始祖竜
ミヤナは夢で神託を聞いた。
姿を知らぬ《黄竜》だったが夢に現れたその竜は、麒麟というだけあり四つ足で地に立ち険しいたてがみを持つ金色の竜であった。
「あなたはこの《黄竜》の他に、もう一柱の竜に会わねばなりません。そこで今一度、真明の儀の意味をあなた自身で考えるのです」
「もう一柱の……竜」
「はい。コウモリの大群が地下の洞窟にいますね」
コウモリ。
その言葉にミヤナは思い当たる節があった。
「まさか、ひゅうと飛ぶ、あのコウモリたちでしょうか?」
「いかにも。コウモリにしては奇妙な音を発していたでしょう。あの群れを探すことが《始祖竜》を」
ミヤナはそこで目を覚ました。
なんだかお告げを最後まで聞けていないようなモヤモヤが残ったが、とにかく探すべきなのがコウモリであることを知る彼女だった。
次の日。
ミヤナは単身、開拓村の地下洞窟に向かった。本当はナリューやウサに着いて来て欲しかった彼女なのだ。しかし夢で聞いた《始祖竜》という竜がいるのなら、彼らにまでその竜を見せても構わないのかがいまいち分からないミヤナなのだった。
「今日は人がいない……」
誰か騎士や戦士に出くわした時の言い訳は考えてあった。つまり、他の調査団と行動を共にしていたが迷子になり、ただ近くにいるはずだから心配ないとそのように伝える心積もりをミヤナはしていたのだ。
しかし見渡す限り人がいるようには見えない。
定期的に休日を設けているらしい調査団だが、今日がその休日なのかもしれなかった。
「誰もいないと本当に真っ暗ね」
何なら誰かに聞こえていたほうが不安じゃなくなるとミヤナが思うほど、洞窟はほの暗かった。
とは言っても調査を経て壁には幾つもの照明が設置されていた。魔法を用いた、炎が消えないロウソクという便利なモノが《竜界》にはあるらしかった。
それでも松明があるからというのと魔法を使った道具はどうも高級品らしいという懐具合の理由とで、全体としては最初よりは視野が開けている程度でまだまだ暗い洞窟なのだった。
「コウモリさん。《始祖竜》様を知りませんか~」
どこにいるか見当も付かないまま、以前に見た「ひゅう」と音を鳴らして飛ぶコウモリたちに向かいミヤナはとうとう声に出し、呼び掛けを始めた。
広い洞窟に少女の声はやけによく反響し、まるでもう何の生物もいないかのように後は無音のように感じられた。
「コウモリさん。《始祖竜》様。神託によりミヤナ・セーロスが来ました。どうか姿を見せてくださいませんか」
ふと、ミヤナはどこから洞窟に入ってきたかを見失ってしまったことに気付いた。
つまり遭難しつつあったのだ。
以前、なまじ騎士団と共に行動していたのが盲点となって、帰り道はあるものという先入観でミヤナはかなり奥に迷い込んでしまっていた。
「どうしよう」
不安が口を突いて出た。
ミヤナは実際、最近はどうして良いか分からないことが今回の件に限らず多すぎた。
たとえば騎士団の現実を知った上でウサを手放しに応援して良いか、彼女にはさっぱり分からなかった。
ジェイクが最近、濡れ衣を晴らそうとするばかりに様子が変わってしまったこともミヤナを悩ませていた。
「時間が止まってほしい。私はこの世界にいるべき人間じゃないの。誰も彼もを幸せになるように描いてみせるから、どうか私を元の世界に戻して」
ミヤナは望月美弥奈として心からそう願った。
時間が止まるべきか戻るべきか、話の中核はそんなことではなかった。でもそこを竜に誤解されたなら、また願い直せば良いとミヤナは前向きに考えた。
何より、本来ならこのドラゴナンドの住人ではないはずのミヤナが何かを願ったところで、それがどこまで通用するかさえ未知数だった。
自分の創作物に振り回されるのは心外であり悲しかったけれども、今のミヤナにはそれが本当のことだったのだ。
「おーい、ミヤナちゃん!」
「えっ、ナリューさん?」
松明が遠くから見えた。
ミヤナが持つ松明の明かりはもうとっくに尽きていたが、ナリューはあたかも彼女の姿が見えるかのように真っ直ぐにミヤナに向かって走っていた。
「どうして……」
「分かるよ。俺は本当のことしか言えないから言う。本当の俺は……!」
ナリューの声をした何かが不意にその姿を変えた。うっすらと淡い白い光を放ち、巨大な翼を広げたその姿。
それはファンタジー小説に見るような典型的な姿かたちのドラゴン、すなわち竜であった。
体は放たれる光と同じように白く、天井に付きそうな頭を低くしなければならないほどには巨大な二足歩行の竜。――それがナリューを名乗っていた者の本来の姿らしかった。
「俺は《始祖竜》。麒麟も神様だから神託って言葉にウソはなかったろ」
「あなたが、竜?」
「うん。ちなみに《黄竜》、というか国を治める五竜より上の存在」
五柱の竜。
世間に伝わるそれら竜たちよりも高位の存在であるために、人間の姿に変わって世の中を知ろうとするのもナリューの勝手らしかった。
「でも、まだコウモリさん見つけてなくて……」
「それなら問題ない。気まぐれなアイツらは今日に限っては絶対に出て来ないから」
「一体それは」
「試したかったんだ。異世界から来た望月美弥奈。キミがこの世界にどこまで本気かってことを」
ミヤナはしばらく言葉が何も見つからなかった。いや、正確には何か言うのは簡単だったが、自らを他の「登場キャラクター」たちより知っているようなことを言う《始祖竜》あるいはナリューに対して何を言うのが適切か。それは彼女にとっては荷が重い問いであった。
「ナリューさん、で良いでしょうか」
「《始祖竜》でも、どちらでも良いさ。騎士ナリューも混じりけなしの本当の俺だ」
「分かりました。ではナリューさんは、《巫女》を新しく他の誰かに頼んでくれませんか?」
「他の誰かとは」
「他の誰かです。そうすれば、私は《巫女》をしないでいられる。それはこの世界に私がいる絶対の理由がなくなるということのはず」
竜は何かを考える素振りも見せず、間髪を入れずに次のように答えた。
「それじゃダメだ。キミは元の世界に帰りたくてそう言うんだろう。でも仮にキミが《巫女》でなくてもキミは帰れない」
「なんてこと……」
「帰る自由が欲しいなら竜になれ。それが望みなら、しばらくは開拓村にいるから声を掛けてほしい」
「竜になる意味は何ですか?」
「この世界では竜だけが自由を勝ち取る。騎士を見ただろう、アイツらは団体行動だけが得意な平和信者でしかない」
普段はひょうきんなだけに、ナリューの言葉からは真剣味が却って感じられないミヤナがいた。
「いや、上手く言えてないな。つい見下し癖が出る。自由な身分は、それはそれで苦しい……分かるかな?」
「少しなら」
「知っての通り、この世界も時間は無限じゃない。キミがいた世界のように、命が生きられる時間には限りがある」
「それは分かりますけど……」
「だから、言いにくいんだけど俺が開拓村を出ることになったら、キミは二度と竜になれない。そう思ってくれ」
人間としての礼儀を、ナリューとしての《始祖竜》は限りある時間に誠実であることだと捉えていた。
それは彼自身の実践として、一人称がぶれぶれなのも生き急いでいるがゆえの柔軟性という考えの下であったり、槍も剣も使えるのは人間の初期筋力から実際に鍛え上げた成果であるらしかった。
よって《始祖竜》というよりは騎士ナリューとして、時間にルーズなのは厳禁というハードルを置いたというのが彼の主張であった。
「そして、竜にならないならキミに《巫女》を拒む資格はない。何より、ミヤナちゃんほど心が強い子は実際のところ、なかなか見つからないんだよね……」
「はあ」
なんとなくミヤナが《巫女》に選ばれるらしいという定めも知っているらしい《始祖竜》は、「しゃべり過ぎたぜ」と漏らしたきり小さな光の玉に姿を変え、消えてしまった。
しかし迷子のミヤナは、真っ直ぐナリューが来た方角からまずは無事に生還したのだった。