一二 水脈―2
行方知れずの者が出てしまう理由かは不明なものの、明かりがないと足を踏み外しそうな地下河川をナリューたちは見つけた。
「何かに気を取られていたら危ないぜ、これは。崖なんかもあるかもしれない。気を引き締めて、特に戦い慣れないミヤナちゃんとウサちゃんは、おとなから離れないようにね」
ナリューがそう仲間たちに告げると、不意にばさり、と大きな羽音、それに続いて「ひゅう」という空を切る音が聞こえた。
羽ばたきの後に凄まじい速さで滑空していく獣、そんなイメージが暗がりの中でミヤナには浮かんできた。
おとなである望月は人並み程度にはトールキンなどのファンタジー小説やギリシャ神話など各国の神話を読み込んでいた。そのため、彼女の影響を受けがちに思われるこの世界ドラゴナンドにもそうした要素はもしかしたら色濃く出ているのかもしれなかった。
「なあ、ナリューの兄さん。やっぱりキマイラとかガーゴイルとかなんでねえか? アンタ、そういった魔獣に妙に詳しい割には常識はあんまりないような」
団にいる壮年の小太り男がナリューにそのように抗議した。
戦士を続けてウン十年のこの人物いわく、騎士はおしなべて温室育ちゆえに知識と常識を区別しきれていないらしかった。
「いいや、俺だってそのくらいは……!」
「大体、アンタってそうだよな。それがしなのか俺なのか、一人称くらいはっきりしろっての」
「そうだ、そうだ。八方美人してんじゃねえぞ」
戦士たちは、やにわに殺気立ってナリューに対してわあわあ言い始めた。
松明の明かりだけではしっかりとは見えないけれども、ミヤナはその時のナリューの表情には驚きというより「やはりか」といったような諦めが強く出ていたような印象を見て取った。
「みなさん、それはそうかもしれませんけど」
「かもとかだろうとか、うっせえぜ!」
「おらあ、くたばれクソ騎士がよ」
「落ち着いて。お、落ち着いてください」
危ないと忠告したナリューなのに、今はその彼が地下を流れる水に落とされそうになっていた。
戦士たちは日頃から不服だったのが限界に来たのか、子どももいる状況で騎士の命を奪おうとしていたのだ。
「ったく、もう。何だか分かったぞ。お前らみたいなのがいるから……!」
「ひいっ」
「クソが、やりゃ出来るみてえだな」
少しばかり大人げないが背に腹は変えられない。そう悟ったかのようにナリューの動きの冴えはいきなり増した。
拳で投げ飛ばし、足で突き飛ばすナリューによって圧倒された戦士たちはそれきり、先ほどまでよりうるさいようなことはなくなるのだった。
ナリューに連れ添う戦士は全部で七人。
揃って中高年の男たちだ。対して率いる騎士はナリューただ一人。
ぎすぎすする、そんな一同を果たしてウサがどんな思いで見ているのかミヤナにはそれが目下のところ、最大の不安であった。
「みんなが帰らないのは、お前らみたいなクズのせいなんだよ」
「……へいへい」
「テメエらこそ理不尽理想の甘ったれ騎士団の分際で」
ナリューが言わんとしていることは、なんとなくミヤナにすら分かりかけていた。
仲間割れ、あるいはそもそもの仲間意識の欠如。大規模な集団にありがちな自滅の元凶であるそれは、現実世界なら大手病と一括されてしまうような類いの悲劇だ。
ヒトはヒトである以上、完全に組織の歯車になることなど出来やしない。
だから、どうしても身内でさえ争う。だから、平和という大義なんて申し訳程度の気休めでしかない。
「女の子がいるんだぞ。みっともない真似はやめましょう」
「だからよお、敬語かタメかもはっきり出来ねえヒヨッ子が……」
「ま、まあまあ。確かにそりゃナリューくんの言う通り、一理あった。すまんな、お嬢さんたち」
揚げ足の取り合い。優位の奪い合い。
それは切磋琢磨などという立派なものからは程遠い、足の引っ張り合いそのもの。
付くわけもない道徳の決着はどうしてもどこにもなく、案外、居場所の分からない他の調査団も似たようなことで不貞腐れているのかもしれなかった。
「知ってるぜ俺は。お前らは俺たちを陰ではオーク呼ばわりして、手作りのオーク人形を俺たちに見立てて斬り刻むのが好きだって。知ってて黙ってやってたんだぞ」
「……お、おう」
「悪いなナリューさん。そう言われちゃクズ認定はやむなし」
それにしても、騎士と戦士の喧嘩はとどまるところを知らないようだった。
殴り合い叩き合いが止まったなら、今度はこうした口論。仲が良いのか悪いのか次第にミヤナには分からなくなり、いつしかそうした事情については考えるのを中断した。
「で、結婚は?」
「今、そんな話はどうでも良いでしょう」
「出た。騎士はおならしない結婚しない永遠の騎士様、本当、出た出た」
さしずめ、パパラッチに目を付けられた中堅どころのアイドル。
気付けばわっと心に浮かんできたそのたとえに、ミヤナはニヤけてしまいそうになるのを我慢するのが大変だった。
なぜなら、そのたとえがナリューと戦士たちの関係性にぴったり似つかわしかったからだ。
そしてとうとう発見した他の団の一組目もまた結局はそんな口ゲンカをサバイバルまでしてやり通そうという、ごく幼稚な顛末だったのは大のおとなたちが互いに失笑する所以となる当然の事情となったのだった。
「だっはは。ナリュー、どうだ。騎士団なんてこんな程度だ」
「団長、まさか……最初からご承知で?」
おもにナリューだけが気苦労でクタクタになって帰ってきたところを、団長からの生ぬるい一言だった。
最初から何もかもお見通しとまでは思っていなかったらしいが、仮に元気で生きているならせいぜいそんな事だろうとは察しが付いていたらしかった。
「ただ不穏に羽ばたく大きな獣がおりましたので、その点は早急な対処が必要かと」
「ふん、一週間も無事で済むのに必要な対処と本気で思ったのか?」
「と、言いますと……?」
単なるコウモリの群れ。
しかしコウモリが群れを成すと、場合によっては百や二百は軽く超える個体が一斉に動くものだから、暗い洞窟では大きな獣が羽ばたいていると錯覚してしまうというのが騎士団長の見解だった。
「しかし我々は未だ《黄竜》様に甘やかされる身の上であったか。恥の上塗りとはこの事だろうな」
「はじの……うわぬり」
ウサが悲しそうに、団長の言葉を繰り返した。
言葉の意味までは分からなかっただろう。しかし団長もまた悲しそうに言うのを生まれ持った繊細さでウサは彼女なりに受け止めようとしている。
ミヤナにはウサがそんな態度であるように思えた。
不死の強者、聖慧騎士団。
そう噂される彼らには一種の呪いとも言うべき因果があった。それは神託に従うことで、その鍛練を発揮することなく騎士はそのほとんどが生き長らえてしまうという結果の連続。
今回はとりわけ実力のあるナリュー・エオルという若者に来た神託だっただけに騎士団一同は大層、期待していたようだ。
つまり遂に命を散らすほどの試練が与えられるという期待、――もはや人としては不遜でしかないが、だからこそナリューをもってしても騎士団はまた甘く生き延びてしまったのだろう。
「トルジュさんが羨ましいよ」
「パパが何か?」
「友の為に命を張れる。我々はあの人よりずっと絶え間ない訓練を積んできた、そのはずなのにな。情けない所を見せてしまったね」
騎士団長はウサではなく、ミヤナにそう告げてあろうことか片膝を地に付けて屈んだ。
「ウサに何かお言葉を」
「ミヤナ……」
「そう。キミはきっとそれで良い。それからウサちゃん。剣術も良いが、こんなに素晴らしい友だちを生涯、大切にするんだよ」
ミヤナは必死なだけだった。
しかし伝えるべき言葉がそれ以上は見つからないまま、はっきりと騎士団と会話する機会は長らく失われることとなった。