三方襲来
「あれから二年か……」
一月の中頃のとある日曜日の夕方。何の気なしに近所の牛丼屋に向かうと、普段たむろしている大学生とは違う雰囲気の若者が大勢ぞろぞろと歩いているのを見かけた。最初は何だろうと思ったが、その中に高校のものと思われる制服を着ている人がいて、遅まきながら俺は今日がうちの大学の受験の日だったことを思い出していた。
二年前、俺もあの集団の中にいてうちの入試を受けた。緊張したなどということは全くなく、むしろ朝は寝坊しかけて走って向かったことを覚えている。ちなみに入試の結果発表よりも一次選考の結果発表の方がよほど緊張した。
あの頃は大学生に対する漠然とした憧れがあった。小説などに出てくる大学生はサークルなりバイトなり趣味なりに精を出して生き生きとした生活を送っている者が多い(ちなみに勉学に精を出しているキャラは見たことがなかった)。
また、小説家の中にはある程度時間に融通が利く大学在学中にデビューした人も多いらしいと聞いていた。だから俺は大学生になれば今度こそ小説家になれるのではないかというふわっとした期待を抱いていた。今となってはタイムスリップしてぶん殴ってやりたいほどの甘さである。
とはいえ四月からは三回生。授業は専門的なものになるのでこれまでのようにさぼってレポートだけで単位をとるというのは難しくなるし、就職活動の影もちらついてくる。時間が豊富にあったここまでの二年間でも結果を出すことが出来なかった以上、今後さらに難しくなるのではないか。
そんなことを思いつつ一人で牛丼を食べていたら余計に気分が落ち込んだ。将来に対する期待に包まれて輝いている周りの受験生を見るのが辛くて、早食いして会計を済ませる。このままでは終われないという気持ちもあるが、どうしたらいいのかよく分からない。なまじ二年前の自分を思い起こしてしまったせいで辛くなった俺はいつもより俯きながら家に帰る。
俺が住んでいるアパートの前まで歩いて来ると、一人の女子高生がスマホを見ながら辺りをうろうろしているのが目に入った。受験生だろうか。ここは駅への道からは外れているが、帰り道にでも迷ったのだろうか。俺が声をかけるか迷いつつ彼女を眺めていると、不意に彼女が横を向いて横顔が見えた。
「げっ、三方?」
コートを羽織っていて制服が見えなかったのと、俺が最後に会った時よりも髪が伸びていたため後ろ姿だけでは気づけなかったが、彼女は紛れもなく三方であった。
そして最悪なことに彼女は俺の悲鳴に反応してこちらを向く。そして俺の姿を見つけると、叫び声を上げて指さした。
「あ、先輩じゃないですか! 探しましたよ!?」
「な、何でこんなところにいるんだ!?」
俺は思わず後ずさってしまったが三方はずんずんこちらに歩いて来る。そしていつもの不機嫌そうな顔で話しかけてくる。
しかも今回は不機嫌に加えて怒りが合わさっている。ただでさえ顔を合わせたくなかったので、その表情を見て余計に気まずくなる。
「何でって受験に決まってるじゃないですか」
「まじかよ……うちの大学受けるなんて聞いてねえよそんなの」
「話そうにもどこかの誰かが私のツイッターブロックしたからじゃないですかね」
「……」
三方は俺の真ん前まで来ると低い声で言う。
まずい、普段は割と直接的に文句を言ってくるのに、こんな嫌味みたいなことを言うなんて今日は特に怒っている。普段は怒ってももっと直接的に罵倒してくるタイプだというのに。色々事情があったとはいえ、彼女からの連絡を全部ブロックしたのは事実であるので何も言えない。しかもその事情というのも三方は全く悪くないし、俺が全面的に悪い。
俺が気まずそうに沈黙していると三方ははあっとため息をついた。相変わらず怒ってはいそうだが、同時にどこか安心したようでもある。
「まあ、とりあえず元気そうだったので死刑だったところを執行猶予にしてあげますよ」
非常に分かりにくいが、もしかして俺を心配していてくれたのだろうか。会った時には全然分からなかったが、高校で約一年一緒に過ごすと三方は言葉から受ける印象よりは俺に好意を抱いてくれていることが分かるようになった。
「……ありがとう」
「はあ? 私が怒っているの分かってます?」
せっかくお礼を言ったのに三方は眉を吊り上げて怒る。
そうは言うものの、三方の表情から少し毒気が抜けて俺は安堵する。
「ていうか何でここが分かったんだ?」
すると三方は黙ってスマホを見せた。そこには俺が何となくツイッターに投稿した曇り空の画像が映っていて、本文には「今の気持ち」と書かれている。うわっ、こうして見せられるとめっちゃ痛いこと呟いてるな。
それはともかく、雲の他に電線や近くの家が映っており、三方はそれでここまで特定したということだろう。大学名は教えていたし、近くで一人暮らしするということは言っていたから探せないことはないのだろう。だからといって、入試が終わった瞬間こんなことするだろうか普通。
「怖えよ」
「まあ良かったです。今時は表札とかもないので、建物が分かっても部屋までは特定できませんし」
とはいえ、わざわざ会いに来てくれたのは素直に嬉しかった。最近の自分のことを三方に話したくないという見栄のような気持ちもなくはなかったが、ツイッターをブロックした罪悪感もあって、このまま追い返すのは忍びない。そもそもツイッターをブロックした時点で張る見栄も残っていない。
「特定しなくていいから。とはいえ、せっかく来たんだし、ファミレスでも行くか」
「私をエスコートする振りをして自宅から遠ざける手腕はさすがと言わざるを得ませんね」
何で心が読めるんだ。大方の大学生がそうだと思っているが、一人暮らしの下宿など他人を招ける場所ではない。そのため、俺は自分の家から遠ざけるためなら差しでファミレスに行くことも辞さなかった。
「とはいえ先輩からどこかに誘われることなんて後にも先にもないでしょうし、それで手を打ちましょうか」
「何で上からなんだよ。ていうか驚いて肝心の話を忘れてたんだが、入試はどうだったんだ?」
「愚問ですね。先輩が受かった試験に私が落ちるとでも?」
「……そうか」
おそらく俺が卒業してからかなり努力して勉強したのだろう。三方の表情にはそんな自信があった。そう言えばこのところ三方の連載は更新頻度が下がっていたが、受験のせいだったのか。
ということは春から晴れて三方は俺の後輩になるということでもある。
「ちょっと、そこは祝いの言葉を述べたり私が後輩になることを喜ぶところでは?」
「悪いな」
正直俺が三方と顔を合わせたくない理由は三方の落ち度ではないので、ひたすら気まずい。まあ辛辣な感想を送りつけてくるのは悪いと言えば悪いが、例え三方が送りつけてくる感想がオブラートに包まれたものであったとしても、それはそれで多分ブロックしてた気はする。
が、三方の方は俺と少し話して異変に気付いたようで首をかしげる。
「やっぱり何か変ですね。まあ、何もなかったらいきなりいたいけな後輩のツイッターをブロックしないですからね」
「全然いたいけではないが……まあそうだな」
そんなことを言いつつ俺たちは近所のファミレスに入る。
予想通りではあるが、そこは受験を終えた高校生だらけだった。一人で休憩している者もいるが、親と食事だったり、友達と答え合わせをしたりしている人たちもいる。ただ、どうにか席を確保することが出来た。
先ほど牛丼を食べたばかりだったので俺はドリンクバーを、三方は夕飯にするつもりなのか、パスタを頼む。
「何ではるばる受験に来た私が先輩の悩みを聞かないといけないのか分かりませんが、聞きますよ。あとついでにブロックも解除してください」
「なあ、ブロック解除するしここは奢るからそのまま帰ってくれないか?」
当然ながら「お前に嫉妬してブロックしたんだよ」などという理由は本人に話したくはない。非常に見苦しいが俺は最後の抵抗を試みた。
「嫌ですよ」
が、そんな俺の必死の抵抗は二秒で一蹴される。
「いくらブロックを解除されてもブロックした事実はなかったことにはならないんですよ。せめて理由ぐらい教えてください」
そして至極真っ当な要求である。俺は観念して最近の悩みを話すことにした。