ラノベオタクの友人清川いのり
「なぜ?」
清川いのりは俺や吉田と同回で同じ文芸サークルの一員である。俺は大学でも懲りずに似たようなサークルに入り、そこで親しくなったのが吉田と清川だ。
彼女はある意味俺たちよりも熱烈なオタクで、神崎翔という好きなラノベ作家がいてその話が始まるととても長いので彼女の前で彼の話題を出さないようにしている。また、その他のラノベもかなり読んでいる。俺も読書量では勝てる気がしない。ちなみに彼女は書く方は全くせず、ひたすらラノベを読み込んでいる。
サークル内では比較的話す方だったが、なぜここであえて清川の名前が出てくるのかはよく分からなかった。
俺の言葉に吉田は少し悩んでからぽつりと言う。
「あいつ、お前の小説おもしろいって言ってたぞ」
「そうなのか?」
二年近く同じサークルにいるのにその話は初めて聞いた。自信を喪失していたこともあり、嬉しさよりも疑念が先に来る。吉田は俺を慰めるために適当なことを言っているのではないか。
すると吉田はやっぱりか、と溜め息をつく。
「あまり本人には知られたくないとか言ってたから今まで言わなかったんだよ。あいつ作者と読者の線引きとか気にするタイプらしいから」
清川は結構そういうこだわりが強いタイプではある。神崎翔はツイッターをしているが絶対に本人に直接リプすることはないとか言っていた。
が、俺のことまで作者というくくりで見ているとは思ってもみなかった。それはプロ野球選手と部活で野球しているだけの高校生を一緒にするようなものではないか。
『なりたい』の人気作品を心中で軽蔑している俺も、神崎翔のラノベは普通におもしろいと思って読んでいたので恐縮してしまう。
「まあでもお前がそこまで落ち込んでいるなら慰めてやるよう言ってみるわ」
「い、いや、別に無理には……」
いつも好きな作家について熱烈に語っている清川が俺なんかの小説を読んで絶賛しているイメージは正直思いつかない。
が、吉田は俺の意向を無視して勝手に清川にラインを始める。
「おい、やめろって」
「でも清川もお前が小説書かなくなったら悲しむだろうと思ってな」
「さっきは別のこと見つけろとか言ってた癖に」
「俺はその方が幸せだと思うけどな。でも、清川一人が楽しんでくれるならっていう楽な気持ちで書き続けるのもそれはそれでありじゃないか?」
そう言って吉田はサラダを自分の皿に取り分けている。このままだと全部吉田に食われそうなので俺も我に帰って負けじとサラダを自分の皿に盛りつける。
とはいえ、そこまで言うなら会うぐらいはいいか。
「まあ、清川がそこまで推してくれているなら考えてもいいが」
相変わらず神崎翔ばかりを褒め称え、時には商業ラノベでも遠慮なくこき下ろす清川が俺の作品を絶賛している図が全く思い浮かばない。
「お、返信来た。今から来るってさ」
吉田の声が弾む。お前まさか俺をだしに清川と飲みたいとかそういう下心はないだろうな。そう思いつつ、俺は少し話題を変える。
「そう言えばお前は最近は何か書いているのか?」
「いやあ全然だな。俺は所詮浅いオタクみたいだ」
吉田は自嘲気味に言う。それからしばらくは今度は吉田の話を聞く時間が続いた。吉田は吉田で自分が浅いオタクであることを気にしているようで、特定の作品にはまったり絵や文章を書いたりといったことを何も出来ないことを嘆いていた。作品も、年に一度会誌を発行するときに短いものをちょろっと書くぐらいだ。
そう言われると作った物を見向きもされないのは確かに悲しいが、何も生み出せない方がより悲しいような気もする。
「だから俺は三回に上がったら適当に就活始めるよ」
「なるほどなあ」
とはいえ、おそらくは吉田のような人間の方が一般的なのだろう。どんな人間も最終的には現実と何らかの折り合いをつけて最初に思い描いていたのとは違うところに落ち着くのだろうから。
それに、吉田はそのことを当たり前と思っており、俺ほど創作に強い執着を抱いていないように思える。それはある意味で羨ましくもあった。
「お疲れー」
そんなことを話していると、白い息を吐きながらマフラーにダッフルコート姿の清川がやってきた。清川は普段大学で会う時は眼鏡をかけてセミロングの髪を無造作にポニーテールにしているが、今日は一度家に帰ったからか髪は降ろして眼鏡も外していた。
たまにサークルにもこれで出てくる時があるが、そんな時の清川は普段の地味さとは違って、家でくつろいでいるときの素の一面を見せているようで少し可愛い。
ちなみに眼鏡をかけて髪を結んでいるときの彼女はまじめでおしとやかな優等生に見えるが、嫌いなラノベをこき下ろすときと神崎翔のアンチとバトルするときの彼女は人として超えてはいけないラインを軽々と越えるような言葉を使うことがある。
「悪いな、急に来てもらって」
「本当だよ、吉田が急にすまないな」
「いいって別に。それより朽木君悩んでるんだって? あ、私梅酒のロックで」
そう言いながら清川は俺の向かい側に座る。元々向かい側に座っていた吉田はすごすごと席を詰めた。
「実は……」
俺は先ほど吉田に話したことを清川にももう一度話す。最初はサラダを食べることに夢中になっていた清川だったが、話が進んでいくにつれて真面目な表情になっていき、最終的には憂いを帯びた表情で俺の話に聞き入っていた。
「まあ他人からしたら大した話でもないだろ」
そう言って俺は自嘲気味に話を終える。
清川はしばらく何と言ったらいいのか分からないと言った様子で梅酒のグラスを揺らして氷を鳴らしていたが、やがてぽつりとつぶやく。
「うーん、何て言ったらいいのかは分からないけど、私は朽木君の三作目好きだよ」
「らしいな」
「吉田、そのことは本人に知られたくないって言ったよね?」
俺が頷くと清川は吉田が俺に言ったということを察したのだろう、ちくりと吉田を一瞥する。吉田は申し訳なさそうに縮こまった。
「し、仕方ないだろ? こいつ結構落ち込んでたし。俺初めてこいつから飲みに誘われたぐらいなんだぞ」
「まあ、それなら仕方ないけど。私は別にどういう小説が売れるとか商業的にウケがいいとか技術的に優れているとかは知らないけど、朽木君の今書いてる奴は好きなんだよね」
「どこがそんなに好きなんだ?」
今書いている作品は『それでも俺は君を推す』。これまでのところ褒めてくれる人など皆無だった作品である。そもそも俺の作品を褒めてくれる人など皆無だったが(三方は評価してくれている雰囲気はあったがはっきりと言葉で褒めてくれることはなかった)。
もちろん俺はこの作品のいいところを知っているが、こいつがちゃんと作品を読んで言っているのかを確かめる必要があった。もしかしたら清川は俺を慰めるために適当なことを言っているのかもしれない。清川がそういう人物ではないのは知っていたが、今の俺は彼女の言葉を素直に受け取れないぐらいには卑屈になっていた。
「私が神崎翔が好きなのは知ってると思うけど、」
おもむろに清川は語りだす。神崎翔は最近はシリーズのアニメ化が決まるなど知名度を上げているが、実はラノベの他にもマンガ原作やライト文芸など他の活動もしている有名作家である。
たまに清川は「私は神崎翔がまだ一作目を出したころからのファン」と古参マウントをとってくるのがうっとうしい。
「私の中にはあるべき神崎翔の解釈とでも言うべきものがあって、『おさモテ』はそれに反しているんだよね」
『おさモテ』は『ヤンデレ幼馴染の魔の手を逃れたらモテた』の略称でだ。。神崎翔の最新作で、アニメ化も決まった。知名度だけで言えば彼の作品の中でも一番なのではないか。
内容はおおむねタイトル通りで、主人公はヤンデレ幼馴染の言うがままに一切の女性との断って生活していたが、ある日ふと思い立って彼女と離れることを決意する。そして高校受験の時にこっそり違う高校を受験し、離れることに成功する。
当然幼馴染は激怒するのだが、彼は別の高校で次々と美少女と知り合いになっていき、モテる。そして幼馴染以外の女子と学園ハーレムラブコメをしつつ、時折ヤンデレ幼馴染の襲来を受けるという内容の作品である。
あまり俺が好きなタイプの作品ではないので一巻だけ読んで切ってしまった。
「私が思う神崎作品にはそれぞれ願いのようなものが込められているんだけど、この作品にはそれがないんだよね」
「理不尽な束縛から逃れてモテたいっていう願いじゃないのか」
「違う! そんなの神崎翔じゃない!」
ドン! と清川がテーブルを強打したので俺たちはぎょっとする。すぐに周囲の視線に気づいた清川はかあっと顔を赤くする。まあ、話に熱中して周りが見えなくなるのはいつものことなんだ。
「……ごめん。とにかく、神崎作品のテーマはそういうのじゃない。だからこれは編集者か何かの圧力でやむなく書いたものであって、それを一番おもしろいと思っている世間の目は節穴であって、私が一番よく理解しているってこと!」
清川はすごい剣幕でまくしたてる。清川が神崎翔の話題で情緒不安定になるのはよくあることだが、今日は特にひどい。
というか何でこの話題になったんだ。こういうふうになるから清川の前ではいつも神崎翔の話題にならないように気を付けているというのに。ちらっと吉田を見たが吉田も首を横に振るばかりだった。
「で、それは分かったけど今までの話にどう繋がるんだ?」
俺は無理やり軌道修正を図る。
すると清川はなぜか呆れ果てた、という顔をする。
「え、ここまで言ってまだ分からないの? 当然私がこんなことツイッターで言ったら他のにわか神崎ファンと壮絶なレスバになる訳。しかも数で負けるし」
その話は以前二時間ほど聞かされたのでよく知っている。
「でも『君推し』を見てるとそれでいいんだなって思える。あの主人公、結構自分勝手なこと言ってふゆりんを推してる訳だけど、でも結局オタクの本質ってそういうところじゃん。推しに対して自分なりの解釈の一つや二つ持ってなかったら推しとは言えないと思う。例えそれが自分勝手なものだったとしてもね」
一度スイッチが入った清川はいつもこんな感じで、普段は適当に聞き流していたのだが今回ばかりは俺の作品との関わりもあるので聴き入ってしまった。
『君推し』については俺は主人公の気持ちの大きさとそれが届いたとしても一線を引いた反応をせざるを得ないアイドル、という報われなさのようなテーマを書いたつもりだったのだが、期せずして俺の意図とは違うところで清川の心に刺さっていたらしい。
「全くそういう意図をもって書いた訳ではないんだがな」
俺は恥ずかしかったのもあって照れ隠しをする。
とはいえ、そう言ってもらえてうれしいのは事実だった。
「でも、『君推し』にはしっかりとした気持ちが込められているから、意図と違った形でも読者に思いが伝わることがあるんだよ。『おさモテ』は確かに何十万部も売れてアニメ化もしてるけど、それがない」
「でも、そんな俺の気持ちを受け取ってくれる人なんて清川しかいないんだが」
「私以外の人の事情なんて知らないよ。ただ一読者として私はあの作品をいいって思ったし、朽木君に続きを書いて欲しいってだけ」
「そうか」
清川が何と言おうと現状が変わる訳ではない。それでもそう言われたことは悪い気はしなかった。何より読んだ本の感想については歯に衣着せぬ清川がそう言ってくれたことが嬉しい。
やはりネットで見向きもされなかったとしてもあの作品をこつこつ書いていたことに意味はあったんだ。そう思うと途端に元気が湧いてくる。
「よし! それなら俺は書くぞ!」
「よく分からないがお前が元気になって良かった。飲め飲め」
吉田が俺のグラスにビールを注ぐ。俺はそれをぐいっと飲み干す。
その後俺たちは他愛もないことを話して別れた。
帰り道は来た時と違い、気持ちが大分楽になっていた。