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才能の檻  作者: 今川幸乃
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結末

 ゴールデンウィークに突入したせいか、近所のファミレスはいつになく混雑している。周囲には大学に新しく入学した一回生もちらほらいる。


 また、新入生歓迎会のようなものを開いているサークルらしき集団も目についた。そう言えば二年前は俺も清川や吉田とともにあんな感じで先輩にご飯を奢られていたな、と思い出す。あの時は先輩がやたらよいしょしてくれたので、俺も新人賞に応募したことがあるというだけですごいと褒められた記憶がある。


 ファミレスで三方を待つ間、俺はここ数年で一番緊張していた。もしかしたら大学入試の日よりも緊張していたかもしれない。


 それを上回る緊張となると……初めて書いたまともな長編小説『夢見探偵』を新人賞に送った後に一次選考を確認したときだろうか。ただ冷静に考えるとその後毎回同じぐらい緊張していたので一年に一、二回は味わっていた。そしてその都度落ちていたのだから世話はないが。


 そう考えると今回は人生で一番緊張したと言えるかもしれない。何せ誰かとこんなにきちんと向き合うのは人生で初めてなのだから。




「お待たせしました」


 そこへ現れたのは同じように強張った表情の三方だった。今まで制服姿の彼女にしか会ったことはなかったので、少し垢抜けた私服姿も新鮮だった。こういう時じゃなければドキドキしてしまっていたかもしれないが、あいにく今の俺にはそこに注目するほど心のキャパは残っていなかった。


 俺は三方が注文を終えると、意を決して切り出す。


「実は……聞いたんだ、寿命のこと」

「え……」


 俺の言葉に三方は蒼白な表情になる。

 よほど俺に知られたくなかったのだろう。

 お前がそんな顔をする必要は全くないんだ、と思いつつ言葉を続ける。


「悪い、俺が不甲斐なかったせいで三方にそんな決断を強いてしまったなんて。これは本当に俺が小説のことしか考えていなかったせいだ。謝ってすむことじゃないのは分かるが、本当に申し訳ない」


 俺はテーブルに額をこすりつける勢いで頭を下げる。周囲から「え、何?」「修羅場?」みたいな声も聞こえてくるが今はそれはどうでもいい。


 三方はそんな俺を見つつしばしの間沈黙していた。残念ながら頭を下げているのでその表情は見えない。そして想像もつかなかった。こういうときの三方の反応の予想がつかないのは改めて俺は彼女にちゃんと向き合って来なかったからなんだな、と思う。そう思うとますます申し訳ない。


「……とりあえず顔を上げてください。そうしないと話も出来ません」

「ああ」


 俺は三方に促されるままに顔を上げる。こうやって頭を下げて謝るのも許しを強要しているようで卑怯だったかなと思ってしまう。


 顔を上げると三方の表情は複雑だった。強いて言えば俺の反応への恐れや緊張が強いが、安堵のようなものもうかがえる。色んな感情がぐちゃぐちゃになっているのだろう、いつもの不機嫌さはすっかり鳴りをひそめていた。


「とりあえず確認したいのですが、それは神様に聞いたのですか?」

「そうだ」

「まず言っておきたいのは、私は純粋に小説を書く力で言えば私より先輩の方が上回っていると思っていたということです」


 三方は神妙な面持ちで語り始めた。え、と思ったが俺はその声を飲み込む。三方は結果主義者のようなところがあるので、『なりたい』で分かりやすく結果を残している彼女が俺の方が上だと思っていたというのは意外だった。


 とりあえずは三方本人が語り終えるまでは聞くことに徹しよう、俺はそう思った。


「私の実力はあくまで『なりたい』の流行をリサーチして、それを正確に再現する力。もちろんそれを卑下するつもりはありませんし、『なりたい』が純粋な小説の実力のみで勝負する場とも思ってはいません。まあ、純粋な実力って何だという話ではありますが。そのため私は総合力で先輩に勝っているとはいえ、純粋な実力では劣っていると思っていたのです。私は最初先輩の小説を読んだ時から先輩の実力を認めていましたし、先輩の、小説だけに一生懸命なところも好感を持っていました」


 皮肉なことだ。俺は今小説にしか目を向けてこなかったことをこんなに悔やんでいるというのに。本当に三方は俺の思いもよらないところばかりを好いてくれている。やはり俺には過ぎた存在だ。


 大体、純粋な小説の実力なんてものは存在しない。読み手がいて初めて小説というものが意味をなす以上、読者の好みや流行というのを避けて考えることは出来ない。


「だから私は先輩に辛辣な言葉を浴びせていたんです。どうせいつかは先輩の実力が認められて私なんかを追い越していくって。考えてみてください、例えば小説書き始めで右も左も分からない相手とか、本当に私よりも実力が下だと思っている相手に、私があんな言葉ばかり掛けていたらそれはただの傲慢ですよ」


 そう言われると俺はしっくりきた。三方はいつも俺を罵倒するとき、決して上から目線ではなかった。もちろん言葉だけ見ればそうなのだが、彼女からは俺を見下しているという雰囲気を感じなかった。それはあくまで感覚の話だし、だからといって罵倒していることには変わりはないのではあるが。


 だから俺は三方が俺の小説に好意を抱いてくれていると知ったときもすっとその事実を受け入れられたのかもしれない。


 それに三方が俺以外の部員にあそこまで辛辣な言葉をぶつけているのを見たことがなかった。出版されている小説にはしばしば辛辣な批評をしていたが。


「それは分かる」


 三方がこちらを見つめて沈黙していたので、俺は頷く。


「先輩に流行の小説を書くようおすすめしたのも、先輩の実力と私の分析力が合わされば必ずランキング作品が書けると思ったからです。ですが逆にそれが先輩に対するとどめになってしまいました。ですからそのせいで先輩が寿命を手放したと聞いた時、悲しかったんです。そして取り返しのつかないことをしてしまった、と」


 三方の瞳から涙が零れ落ちた。

 そうか、三方は自分のせいだと思ってしまっていたのか。それで今回、自分の大切なものを手放してでも償おうとしたのだろう。


 確かにあの件で現実に気づかされたところはあるが、だからといって俺は現実を突き付けられただけでそれは遅かれ早かれ直面することである。


「でも俺の実力がなかったから伸びなかったのは事実だろ」


 すると三方は首をかしげた。


「これは実力と言えるのかは何とも言えないラインの話ですが……。先輩の小説には快楽が足りなかったのです」

「快楽?」

「はい。例えば腹が立つかませキャラがいて、そいつにほえ面をかかせるというシーンがあります。そういう時に先輩は主人公が普通に実力でかませを倒すシーンを書くのです」

「だめなのか?」


 急に小説の技術的な話になったので困惑しつつも答える。

 普通そうじゃないのか?


「だめではないです。ただ、そういうときに、例えば主人公が『面倒だから適当にやられておくか』と手加減して戦ってそれでも相手を倒してしまうとか。そういう方が読者の快楽は大きいんです」

「……」


「ぴんとこない感じですね。とにかく、先輩にはそういう細かい感覚が足りなかったんだと思います。それを実力というのか才能というのか、ただの好みというのかは私には分かりませんが。私はそういうのをそこまで意識せずとも普通に書けてしまったので、そこまで気が回りませんでした。で、そういうのがなかったとしても最初はそこまで違和感に思わなかったんです」


 そこまで言われると俺には何となくその感じが分かった。確かにランキングに入るような作品にはそういう感じがある。


 そして俺自身はそういう感じが好きではなかったし、嫌いですらあった。だから勉強のために流行作品を読んでもそういう繊細なところまでは真似しきれなかったのだろう。

 ただ、今の俺ならそういう感覚が書けてしまうかもしれない、という思いもあった。これが才能の力なのだろうか。


「話がそれました。とにかく、そういう訳で先輩を追い詰めてしまったのは私です。ですから私はせめて先輩の寿命を戻すことで償いをしようと思いました」

「そんな……あれは紛れもない俺の決断だ。俺は小説以外に希望が見いだせない悲しい状態になっていた、としか言えない。それがお前のことを聞いてようやく間違っていると思ったんだ。小説だけじゃなく、俺自身にも好意を抱いてくれている奴がいるって」

「そこは気づかなくていいです! 今まで通り鈍感でいてください!」


 三方は恥ずかしそうに頬を赤らめた。初めて見る三方の表情に、俺はこんな時なのに可愛いと思ってしまった。


 それは、それまで俺と接するときに鎧のようなものを纏っていた彼女の素に触れたというギャップから来るものでもあったし、俺のために大切なものを捧げてくれたという献身から来るものでもあった。


「嫌だ。もう俺は手放したくない」

「……本当ですか?」


 三方は遠慮がちにこちらを見つめる。

 俺が昨日まで三方を恋愛的な意味で好きだったかと言われるとそれは絶対に違う。恋愛とまでは言えない、普通の好意と贖罪、他には羨望や嫉妬の気持ちがしかなかった。

 だが神に事情を聞いて三方の話を聞いた今では、いつの間にか三方は手放したくない存在へとなっていた。それこそ小説を書くという行為に匹敵するぐらいに。


「だから付き合ってくれ」

「えぇ!? ちょっと待ってください、さすがに急展開過ぎますよ!」


 そう言って三方は恥ずかしそうに目を伏せた。その様子を見て俺は思う。俺も三方も他人の好意に慣れて居なさすぎるのだ。俺は鈍感すぎたし、三方はそれをきちんと受け取る機会がなさすぎた。だからお互いこんなことになるまでちゃんと向き合うことが出来なかったのだろう。


 だが、三方の好意は俺を小説だけの人生から解放してくれた。三方のおかげで俺は人間関係を大切だと思うことが出来た。

 俺は俯く三方に続ける。


「俺のせいで三方は小説の実力を失った。だから責任を取らせてくれ」

「せ、責任だなんてそんな……」


 三方は最初は俯きながら照れていたが、やがて決意を決めた表情でこちらを見つめ返す。


「いいんですか? 私の責任は重いですが」

「いい」


「親しくなったらこれまで以上に辛辣になるかもしれませんよ」

「それもいい」


「今度ツイッターとラインブロックしたら半殺しにしますよ」

「もう二度としない」


「小説を失った私はただの性格悪いだけの女ですよ」

「口が悪いだけで性格はまっすぐだろ」


「そうですか。では喜んで」


 そう言って三方は笑みを浮かべる。ここ数か月の懸念が一気になくなった、という純粋な安堵と喜びの笑みだった。


 もう以前のような小説を書けなくなったというのにそこまで喜んでくれたということが嬉しい。別に俺が付き合ったからといってそれが返ってくるという訳でもないのに。


 俺はそれを見て喜ぶとともに気を引き締めた。今度こそ、俺は三方のために頑張るという決意を貫かなければ。今までのように、些細なことで心を揺らすのはもうやめて、三方を幸せにしよう。

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