不等価交換
「俺の寿命が戻るってどういうことだ!?」
そこで俺は一つの可能性に思い至った。実はあの交換には何か問題があり、実は俺は才能を得ておらず、寿命も失ってはいなかったのではないかと。
俺が才能を得たと思い込んでいたのはプラシーボ効果のようなもので、俺が才能を得たと思い込んでいたのが多少いい結果に繋がっただけではないか。
「そうだ、元々あんな馬鹿げた交換なんて出来る訳がない」
大体、本当に才能があったのならこんな惨めな結果になる訳がない。プラシーボ効果だったのなら『なりたい』で500ポイント取れただけでも十分満足いく結果である。そうだ、そう考えるのが一番納得がいく。
「何だ、そういうことだったのか、脅かしやがって……でもそれで実際俺の文章力が上がったんだから感謝しないとな」
俺の文章力の向上は二十年の寿命と引き換えであればちっぽけなものだが、ただで得たものであればかなりのものだ。俺の脳内に一瞬光が差す。
後で思い返すと醜すぎる自己肯定だった。
が、俺の言葉を聞いた神は悲しそうに首を横に振る。
「何を考えているのかは薄々察しがつくが、そういう訳ではない。あの取引は適切に行われ、おぬしはきちんと才能を得た。それは間違ってない」
「そうか」
残念ながら現実はそう甘くはなかったようだった。
俺は瞬時に現実に引き戻される。
この一連の出来事で唯一得たものは悲しみへの耐性だろう。
「最近おぬしの寿命を元に戻して欲しい、という者が現れてな。その者と取引しておぬしの寿命を元に戻した」
「は? そんな勝手なこと……大体お前は誰にでもほいほい取引に応じるような気やすい存在なのか?」
俺に他人のことを言う権利はないが、神が全人類とこのような取引を始めたらもう滅茶苦茶ではないか。
「無論違う。じゃがおぬしがわらわの存在を暴露したおかげでわらわに執拗に取引を懇願してくる者がいてな。あまりにうっとうしいので応じてやったという訳じゃ」
「俺が存在を暴露したということは……」
俺が神との取引を話したのは三方と清川だけである。ということは二人のうちどちらかが俺のことを憐れんで寿命を元に戻してくれたというのだろうか。だが、取引というからには何かの対価があるのだろう。
それに思い至り、俺の顔からさーっと血の気が引いていく。自分のことについてはもはや枯れ果てたと言っても過言でない感情だったが、他人であれば別だ。
「おい、一体どっちだ? 三方なのか? 清川なのか? いや、それよりも一体何を引き換えにした!?」
思わず神の襟元に掴みかかってしまったが、神の体に触れると俺の手はふっとすり抜ける。
不意に俺は深い恐怖に包まれた。もし俺の何の価値もない寿命のために、二人の何か大切なものが失われたとしたら。俺の寿命と等価なものが何なのかは分からないが、もし本人の二十年分の寿命とかだったら。そんなことがあっていいはずがない。
が、自意識過剰かもしれないがあの二人ならそれをしないとは言い切れなかった。
大体俺は自分の寿命が残り二年になることを受け入れているんだ、それを分かっているはずなのになぜ止めてくれなかったのか。
「何でそんな取引を勝手に受けた!? 俺の寿命だぞ!?」
「そりゃ神じゃからな。勝手にするのは当然じゃろう?」
神は冷酷な目でこちらを見上げる。全ては神の気まぐれと言われては返す言葉もない。そもそも俺がした取引自体が気まぐれだったのだから。
「それより一体何を犠牲にした!? というか俺の寿命を元に戻していいからそれを戻してくれ!」
が、神の表情は変わらなかった。
「前にも言ったが、一人と取引するのは一回だけじゃ」
「くそっ!……それで一体どちらから何を取り上げたんだ」
「取り上げたとは人聞きが悪いのう。わらわは三方奏によって捧げられた小説の実力をおぬしの寿命に交換しただけじゃ」
「何だと……」
この時の俺の感情はかなり複雑だった。いくつもの感情が同時に頭の中を渦巻いた。
まず最初に、三方が捧げたものが寿命ではなかったことに安堵した。
そしてすぐに、三方がしていた努力の数々を思い出して、安堵した自分を嫌悪した。三方は俺と同じように、もしくは俺以上に人生をかけて小説を書いていた。その三方が小説の実力を差し出したというようにまるでそれが大したことがなかったかのように思えてしまった自分が嫌だった。
が、今度は逆にいくら三方の小説が書籍化レベルだからといって、他人の寿命と取引できることに違和感を覚えた。
それについてはそもそも俺の寿命を小説の才能に変換した以上逆も出来るのかもしれない。それにそもそもこの神の気まぐれによる交換だ。厳密さを求めるべきものでもないのだろう。
とはいえ、俺の寿命が三方の小説の才能と交換できる程度の価値だというのはなかなかに嫌な事実であった。
また、少しではあるが三方が実力を失ったことによる暗い喜びのようなものもあった。ライバルだと思っていた三方との実力差はまた縮まった。もちろん、その喜びはすぐに圧倒的な自己嫌悪に塗りつぶされていったが。
そして二回の交換の末、最終的に三方の小説の実力が俺の微々たる才能と取引されたという形になった現実に俺は気持ち悪さを感じた。間に別なものを挟んで明らかに不等価なものが取引されてしまっている。
「……胸糞悪い。人の命を物のように扱いやがって」
その事実を知って、それが最初に俺の口から出た言葉だった。
「それを最初に取引を申し出たおぬしが言うのか?」
そう言われてしまえば全く返す言葉もない。
そこで俺はふと先ほどの神の言葉に引っかかったことがあるのを思い出した。
「そう言えば実力と言ったが、三方の方は才能ではないのか?」
「ああ、そうじゃ。じゃからあの娘は現在小説を書いても全くおもしろくないものになるじゃろう」
「何と……」
そう言えば最近三方の小説を全くチェックしていなかったことを思い出す。実は今、全く書けないでいたというのか。
正直俺は三方が書く『なりたい』のテンプレをなぞったような小説をおもしろいと思って読んでいた訳ではなかった。とはいえ、それは俺の好みに過ぎず書籍化まで決まっているという。それが無になってしまうというのか。
「実はあの娘にはこのことはおぬしに言うなと言われていたので黙っていたのじゃが、おぬしの体たらくを見ているとさすがに沈黙していることも出来なくなってしまってな」
「……」
三方はどんな思いで俺の寿命を延ばしてくれたのだろう。俺はふと最後に三方と話した時のことを思い出す。
『先輩には分からないでしょう、せっかく先輩とまた同じ学校に通えると思って楽しみにしていたのに二年後に死ぬって言われた時の気持ちなんて!』
三方は通話越しにそう言っていた。その後の絶縁のせいで忘れていたが、彼女は俺と同じ大学に入るためにわざわざ遠くまで受験にきてくれたのだ。その後に三方は『私は私で勝手にします!』と言った。あれは勝手に絶縁だと解釈したが、こういうことだったのか。
もはや何も感じないと思っていた俺の目から涙がこぼれた。俺は一体どこで間違ったのだろう。あえて言うなら最初から最後まで全て間違っていたような気がする。俺がもう少し小説以外のことも気にかけていれば三方の行動も予想出来ていたのかもしれない。
とはいえ一体いつからだろうか。俺は気がついたら小説以外に何も興味を見いだせないつまらない人間になってしまっていた。
少なくとも三方と会った時はすでにそうだった気がする。三方のことも小説を書く仲間というぐらいにしか見ていなかった。そう考えると三方は俺のようなつまらないやつに好意を抱いてくれた稀有な人物だったということになる。
「ちなみにじゃが、三方奏の次にもう一人似たようなことを言ってきた者もおったのう。もっとも、いくら何でも元の寿命より長くすることは出来ぬ以上追い返したが」
「清川……」
清川も俺のような奴と仲良く……というのかは分からないがつるんでくれた。俺は自分の小説を書くことばかりに夢中で清川とは雑にしか接していなかったというのに、いつも俺のことを気にかけてくれていた。本当に二人とも俺には過ぎた知り合いだ。
「……まあそういう訳じゃ。どうするのが正解かはわらわには分からぬが、おぬしにはまだやることがあるじゃろう」
「分かった」
俺はようやく神の言うことを飲み込むことが出来た。
そして俺は目を覚ました。