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三方と清川という数少ない交友関係を失った俺は、黙々と『モラトリアムの魔女』の更新を続けた。その合間を縫うよう、時々『君推し』も更新した。
もはや大体分かってはいたのでショックというほどの気持ちにもならなかったが、『モラトリアムの魔女』が完結してから数日後のポイントは500ほどだった。完結後にPVが少し増えて、ランキングの端っこにも一瞬載ってようやくこれである。
これまで俺は『狙撃手』以外で三桁に達したことがなかったので大躍進と言えなくもないが、久しぶりに確認した『狙撃手』は600ポイントぐらいあったので、俺が寿命と引き換えに得た才能は三方が作った資料に敗北したということになる。
俺は心を無にして完結した『モラトリアムの魔女』を新人賞向けに再編集することにする。
一応『なりたい』に掲載するときは読みやすさ重視で冗長な描写を削ったり、改行を増やしたりしている。それに完結してから見直すと序盤でもう少しこれを書いておいた方がいい、ということもある。
そのため新人賞に応募するならちょこちょこ直すべきところはあるのだが、内容自体を変える訳ではないのでそれも一日二日あれば事足りる。
「終わった……」
俺は『モラトリアムの魔女』の全編改稿を終えたところで自分から全てが抜けていくような奇妙な感覚に陥った。
心の中が虚無なのだ。
虚無というのは文字通り何もする気が起きなくなる状況である。強いて言えば動画を垂れ流しながら手癖でソシャゲをやっている状況だろうか。
これまで俺がどれだけ才能の無さを突き付けられても虚無にはならなかったのは、小説を書くのが好きだったからというのもあるが、これから先の人生があると思っていたからではないか。これから小説を書いて生きていきたいという思いがあったのだろう。
しかしもはや俺は二年後に死ぬことが決まっている。小説を書かなくても生きていくことは出来る。それなら、あえて小説を書いて誰にも顧みられずに苦しい思いをするよりも、何か楽しいことをする方が建設的ではないか。何でわざわざ頑張って書いたものに他人に価値を判断されないといけないのか。
そもそも寿命を捨てた目的を考えるともはや滅茶苦茶だが、俺はそう思った。
しかしそんな俺の目論見はすぐに潰えた。そもそも楽しいことというのが思いつかなかったのだ。
まず、お金がない。最低限の生活は仕送りで何とかなるが、遊ぶほどの余裕はない。これまでは食費を切り詰めてラノベを買うこともあったが、所詮その程度が限界だ。旅行に行くとか、豪華な焼肉屋に行くとか、そういうことに使えるお金はまるでない。当然そのためにわざわざバイトをする気も起きない。
お金がなくて出来ることと言えば自然と限られてくる。それでも友達でもいれば変わってくるのかもしれないが、俺は出来るだけ知り合いと顔を合わせたくなかった。三方と清川の件で、下手に会うと俺の様子の違いから、寿命を売った件について話さざるをえなくなるのではないかという恐れがあったからだし、そもそもそんなに仲がいい友達は元からいなかったというのもある。
金もない、遊び相手もないとなれば必然的に戻ってくるのは動画サイト、無料小説サイト、ソシャゲである。ただ、既にこの時小説を読むほどの気力も残っていなかった。他の人の小説を読んでも自分よりポイントが高ければ嫉妬してしまうし、低ければマウントをとってしまいそうになる。
そんな訳で俺は動画を流しながらソシャゲをするだけの無為の極みと言える生活を送り始めた。
そんなことをしているうちに四月になり、俺は三回生になった。冷静に考えるとあと二年で死ぬ以上大学に行く必要もないのだが、それでも俺は四月の初めだけは大学に足を運んだ。何でかと言えばすることがなかったのと、惰性だろう。
しかし大学に通ううちに、より専門的になっていく授業を見てやはりやる気が起きないということを再確認し、再び家に引きこもるようになった。
そして迎えたゴールデンウィーク前の四月下旬のある日。俺は『モラトリアムの魔女』が新人賞で通算六度目となる一次落選したことを知った。その時の俺はもはややはりか、という気持ちすら湧いてこなかった。もしかしたら本当は悲しかったのかもしれないが、俺は自分が必要以上に悲しまなくて済むように、ここ一か月間で心を鈍感に鈍感にとしてきたのかもしれない。
ただ、何も思わなかったはずなのに自分の中で何かが折れるような気配がした。まだ折れるものが残っていたことに少し驚いたが、結局『小説家になりたい』で受けなくても新人賞なら受け入れてくれる、という最後の願望のようなものが自分の中に残っていたのだろう。
結局、残り二十年を捨てて得た結果がこれだ。忌まわしい現実ではあるが、俺はツイッターで二十年間新人賞の一次選考に落ち続けた、という人物を見たことがある。つまり小説を書くことに対する熱量を持っていても、小さすぎる才能の檻に閉じ込められるということはありふれたというほどではないにせよ、時々起こる悲劇なのだ。
寿命も残っていない。人間関係は自分から捨てた。手にしているのはちっぽけな才能だけ。人生をかけて到達した世界の果てに到達したと思ったらお釈迦様の手の平の上にいたに過ぎなかった。
もし一次選考とはいえ、そこを突破していればあるいは俺の気持ちも変わったのかもしれない。少なくとも、二次選考の結果が出るまでは小説を書く活力のようなものは戻ってきていたのかもしれない。とはいえ、現実は変わらない。
最近は一日に食べる食事数も減っていて、多少お金に余裕が出来ていた俺はスーパーに向かい、酒と冷凍の唐揚げを買い込む。世間ではゴールデンウィークが始まろうとしており、スーパーが賑わっていたのが余計に俺の心をえぐった。
家に帰った俺は部屋の壁を見つめながら一人で酒盛りをして、そのまま寝落ちした。
「全く、わらわはおぬしの小説が読みたくて才能を与えたというのに、その体たらくは何じゃ」
その夜、久しぶりに夢に神が現れた。俺はそいつの顔を見ると怒りが込み上げてきた。俺の今の境遇で唯一八つ当たりしても許される対象がいるとしたらこいつではないか。三方や清川に対しては俺が完全に悪いので何も言えないが、こいつには何を言ってもいい。俺はそう思った。
「お前のせいだろ。二十年分の才能を捧げてこれかよ。ふざけやがって、どの面下げて俺の前に出て来たんだ」
もはや何の気力も残っていないと思っていた俺だったが、こいつの顔を見て怒りの感情だけはわずかに思い出すことが出来た。
が、そんな俺の罵声を浴びた神は少し悲しそうな顔になっただけだった。それが上から目線で憐れまれているようで余計に苛々する。実際こいつは上の存在ではあるのだが。
「でもおぬしの作品が良くなっていたのは分かる。実際『モラトリアムの魔女』はわらわは好きじゃ。特にクソみたいな魔女たちに出会いながらも最終的に主人公が夢を見つけて魔女をやめるシーンは感動したぞ」
「うるせえな。所詮あれは駄作なんだよ。そうじゃなかったら一次で落選なんてする訳ないだろ」
俺の言葉に神はさらに悲しそうな表情になる。
「わらわはラノベ新人賞のことは分からぬ。もしかしたらそのレーベルで求めている作風と違ったとかではないのか? それとも運が悪かったのかもしれぬ。何にせよ自分で自分の作品を卑下するでない。おぬしの作品はわらわから見れば紛れもない良作じゃ」
「そんな言い訳、五回目ぐらいに落ちた時にはもう尽きた」
良作を書いたがそういう諸々の要因が重なって落選した。そう思っていた時もあったが、良作を書ける実力があれば何回か投稿していれば、何回かは不運があったとしてもいずれ結果は出る。だからその言い訳はもはや役に立たない。
「ただあえて言うならおぬしは元の才能が少なすぎた。おぬしの実力はおそらく努力によるものだったのじゃろう」
要するに俺は元々ゴミみたいな才能しかなくて、今の実力はほぼ努力によるものだった。だからその才能を二十倍したところで商業作品として認められるほどの結果は残せなかったということか。
酷すぎる真実だが、今更ショックも受けない。むしろその程度の才能で今まであがいて来た自分が誇らしい気持ちになるぐらいだ。傍から見たら滑稽でしかないのだろうが。
「で、何だ? それを伝えて俺を納得させに来たのか? それともわざわざお小言に来たのか? あいにくだが、残り短い命なんだ。もう小説を書いて現実を突きつけられるのは真っ平だ」
「小言は言いたいが、あいにくそれは目的ではない」
「ちなみにだが、今更才能と寿命の交換をなしにするって言われても嬉しくないからな。こんな現実を突き付けられた後に今更寿命が戻っても嬉しくねえんだよ」
俺の言葉に神は残念そうに溜め息をついた。そして言う。
「そうか、ならば一つ残念なお知らせがある。元々はいい知らせのつもりじゃったが。というのも、実はおぬしの寿命は戻ったのじゃ」
「は?」
俺は神の言葉に耳を疑った。