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才能の檻  作者: 今川幸乃
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三方の気持ち

『モラトリアムの魔女すごいいいけど、盗作とかしてないよね?』


 そんなことを考えていると、唐突に清川からラインが来る。

 失礼だな、と思ったがこの前話した時に俺が寿命と引き換えに才能を得る、みたいなことを口走ってしまったせいだろう。寿命、というのを不正な手段を用いることの比喩として解釈されたのかもしれなかった。というかそれが現実的な解釈だろう。


『してない』

『だよね。この前あんなこと言っていたから心配だったけど、元気そうで良かった』


 清川は俺の作品を見て安心してくれていたようだった。

 その文面を見て、清川が知らないところで自分の寿命を手放したことに罪悪感を抱く。このことを知ったら清川は絶対悲しむだろうが、だとしても俺に後悔はない。


 続いて、今度は着信があった。登録していない番号だったので誰かと思ったが、携帯の番号である。フリーダイヤルや固定電話だったら一度ネットで検索してから出るが、携帯ならサークルのあまり仲が良くない人とかだろう、ぐらいに思って出る。


「もしもし」

『三方です。突然電話してしまってすみません、今大丈夫ですか?』


 そう言えばこの前無理やり電話番号を知られたんだったな、と俺は思い出す。当然ながら三方にもこの取引のことを教えてはいない。


 俺の知る限り三方は友達との当たり障りのない電話を楽しむタイプではないので、きっと深刻な話だからわざわざ掛けてきたのだろう。そして深刻な話の心当たりは一つしかない。きっと彼女も知ったら悲しむだろうな、と罪悪感に襲われる。


「ああ、大丈夫だ」


 俺はかすれた声で答える。


『この前は本当にすみませんでした。私、本当は先輩にもっと高ポイントの作品を書いて気持ちを落ち着けて欲しかっただけなんです。だからあんなことを言っただけなんです』


 三方の声は震えていた。電話越しなので少し分かりづらいが、湿っているようにも聞こえる。

 そうか、彼女は『狙撃手』が失敗した件を気に病んでいたのか。確かにあいつは挑発的に俺をけしかけてきていたが、まさかそういう意図だったとは。


 確かに俺は結果が出なさ過ぎて小説を書くという行為に対して変に卑屈になっていたところがある。三方としてはそんな俺に立ち直って欲しかったのだろう。


 三方が自分からこんなことを言うのは初めてだし、相当気にしていることが伝わってくる。とはいえあれは俺の決断なので三方には感謝こそすれど、全く恨みはない。むしろそれを生かせなかったことに自責の念があるぐらいだ。


 だから俺は努めて明るく答える。


「大丈夫だって。別に気にしてねえよ。今だって新作書いてるし」

『でも先輩、ゴーストライター雇っているじゃないですか』

「は?」


 お前までそんなこと言い出すのかよ。

 が、三方の声はいたって真剣であった。


『私には分かりますよ。何年先輩の作品読んでると思っているんですか。ここまで三年ほどずっと変わらなかった文体が一週間かそこらでそんなに変わる訳ないじゃないですか』

「そんなに変わっているか?」


 そう思った俺は試しに最近書いた『君推し』の章を一つ開いてみる。

 そして愕然とした。確かに今の俺から見るとたった十数日前に自分が書いたはずの文章がひどく稚拙に思えた。俺はこんなものを自信作として投稿していたのか、と恥ずかしく思えるほどに。俺はこれまでの数年間の創作活動を根底から否定された気がして、目の前が真っ暗になる。俺は今までこんな作品を名作だと思って書いていたのか、と。


 が、そんな俺の耳になおも三方の声は聞こえてくる。


『大丈夫です。私は誰にも言いません。もしそれで救われるというなら私が先輩のゴーストライターになっても構いません』


 三方の声は切実で、責任を痛烈に感じているだろう思いが伝わって来た。だが、そういうことではないし仮に三方をゴーストライターとして雇っても恐らく俺の気持ちが満たされることはない。


「いや、本当にそういうんじゃないんだ」


 俺はかすれるような声で言った。


『では一体どういうことですか?』


 この時の俺は目の前が真っ暗になっていた。

 数年来の俺の創作を支えていたのはひとえに創作への熱量とちっぽけな自尊心だけであった。どれだけポイントがつかなくても、どれだけ新人賞で落選しようと俺だけは「自分の作品はおもしろい」という思いを捨て去ることは出来なかったし、それを支えに生きてきた。足の骨をどれだけぼろぼろに骨折しても、その杖一本で歩いてきたと言ってもいい。


 しかし今の俺には過去の俺の作品はただのままごとのようにしか思えなくなっていた。俺は過去の数年間をドブに捨て、さらに未来までも失っていたというのか。だとすれば本当に何も残っていない。


 そんな圧倒的な喪失感で俺はおかしくなっていたとしか思えない。気が付けば俺は話していた。三方に話したところで誰も幸せにならないと分かっているはずなのに。


「寿命を捧げたんだよ」

『は? 一体何を言ってるんですか?』


 俺の言葉に三方はキレ気味で答えた。真面目に話しているのに俺が冗談でも言っていると思ったのだろうか。だが、それ以外に質問のしようがない。


「そのままだ、俺は寿命と引き換えに才能を得たんだよ」

『いや、そんな馬鹿なこと……』


 ある訳ないじゃないですか、という続きの言葉は発されなかった。長年俺の作品に辛辣な感想を送り続けていた三方には分かったのだろう。


 俺の作品の質が急変したことが。

 何を引き換えにしても才能が欲しいという気持ちが。

 そして俺たちが求めているのはゴーストライターを雇ってポイントを稼いでも満たされないということも。それは盗作でも同じことが言える。


 ゴーストライターや盗作でもなく、文章力が急変するなどということは通常起こり得ない。だから三方はその可能性を信じられないながらも同時にそれなら納得できる、という思いもあったのだろう。


「悪いな」


 だから俺はそんなことしか言えなかった。


「ただ一つだけ言っておきたい。これは三方のせいじゃない。あのことがなくたって俺は今の自分には満足していなかった。もし三方の提案を受ける前にそれが出来るとしてもそうしていただろう。そして実際に俺は才能を得た。だから後悔はしていない」

『……それであと何年生きられるんですか』


 少し間があって三方の口から出たのはそんな質問だった。


「二年だ。大学卒業まで」

『……』


 あまりの短さに絶句したのだろう。

 しばしの間三方は沈黙した。


『……そうですか。それってどうやって交渉したんですか』

「急に神様が夢に出て来た」


 そこで俺はふと不安になる。今の三方はいつもの強気が見る影もなく打ちひしがれている。俺は一応三方の責任じゃないとは言ったが、彼女は良くも悪くもプライドが高いので自分の責任だと思ったら容易にはそれを撤回出来ないだろう。

 そんな心境の三方がどういうことを考えているのかは、俺にも何となく分かった。神様が三方の元にも姿を現すのかは分からないが。


「三方、馬鹿なことは考えるなよ」

『はあ? どの口でそんなこと言ってるんですか? 今の話聞いて私がどれだけ悲しんでいるのか分かっています?』


 不意に三方の声のトーンが変わる。


『先輩には分からないでしょう、せっかく先輩とまた同じ学校に通えると思って楽しみにしていたのに二年後に死ぬって言われた時の気持ちなんて!』


 え、俺と同じ学校に通えることを楽しみにしていた? つまり三方は俺に好意を抱いていたのか? 一人暮らししてまで大学を追いかけてくるぐらいには?

 いや、それは気になるが今はそこじゃない。電話越しではあるが三方の口調からは本気で怒っているのが伝わって来た。


「悪い、だが俺は今までのような何の価値もない作品を書き続けるだけの人生を送るぐらいなら、寿命が減っても一回ぐらい傑作を書きたかったんだ……」

『……そうですか。先輩にはほとほと愛想が尽きました。私は私で勝手にします。それでは』


 ぶつっ、と音がして乱暴に電話が切れた。

 これで三方にも見放されたか。寿命を失った上に数少ない知り合いまで失うとは。これが底辺作家の末路かと思うと笑ってしまう。


 とはいえ、三方は元々俺とは釣り合わない人だったんだ。書籍化作家というのもあるが、あいつはあいつで努力をしていた。それはあの詳細な資料を見れば分かるし、何より結果を出している。結果というのは才能だけで掴めるものじゃない。才能は結果の上限を決めるだけで、上限に近い結果を出すには努力が必要だとは思う。


 一方の俺は自分が落ち込んでいるからというだけで三方をブロックするようなろくでなしだ。どうせ後二年で死ぬ以上、三方ももっとましな人と交友関係を持つべきだ。


 とはいえ、寿命に続いて三方まで失った以上せめて『モラトリアムの魔女』だけは傑作にしなくては。他の全てを譲るのだからせめてそこだけは譲れない。その決意だけは俺は改めて固めた。

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