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才能の檻  作者: 今川幸乃
16/24

取引

 その夜。就寝した俺の夢に再びあの神が現れた。気持ちは決まったもののどうやって意志を伝えようと困っていたところだったので、向こうから出てきてくれたのは助かる。


「心は決まったようじゃな」


 神は相変わらず俺の前でふわふわと漂いながら、俺の方をにこやかに見つめてくる。こいつは俺がこの取引に応じることが嬉しいのだろうか、と思ったが神にとっては俺の寿命などどうでもよく、俺がいい作品を書くことの方が大事なのだろう。


「ああ。だがその前にいくつか聞いておきたい。例えば寿命を少しだけ捧げて少しだけ才能をもらうということは出来ないのか?」

「ふむ、出来るのは出来るが、わらわも同じ人間とそう何度も取引することは出来ぬ。さすがにそのようなことをすれば問題になるのでのう。だから例えば寿命一年分の才能を与えればそれで取引はもう終わりじゃ」


 一年分の才能が大したことなかった場合、後悔してもどうしようもないということか。確かに、せっかくこのような機会が得られてそうなったら悔やんでも悔やみきれない気持ちになるような気はする。


「次に、寿命一年分の才能とはどれくらいなのか?」

「そんなものはわらわにも分からぬ。一つだけ言えることは元々持っている才能によって寿命一年の価値は変わるということじゃ。例えばおぬしとプロ作家では同じ一年を代償にしても得られるものは違うじゃろう」


 それは確かに分からなくはない理屈だった。

 元々小説を書く能力や才能というものは定量化しづらいものである。それがゆえに自分の実力というものが分からずに勝手に過大評価して散々苦しんできたが、ここにきてまでもそのせいで苦しむことになるとは。


 才能とは何か、という問いには人の数だけ答えがあると思う。人によっては「才能の有無よりも努力の方が大切だ」という人もいるかもしれない。俺は才能というのはその人の上限を規定するものだと思っている。その人が出来うる限り最善の努力を積んだ時に到達出来る地点。それが才能のある人であればベストセラー作家であり、俺であれば一次選考落選だ。


 結局、才能の檻から逃れることは出来ない。例え神の力を使ったとしても。


「とはいえわらわも小説の才能のことまではよく分からぬ。だから一年で与えられるのはこれくらいとしか言えぬ」


 そう言って神が両手を前に差し出し、手の平を上に向ける。するとそこにぼうっと拳大ぐらいの光の球が出現する。

 確かにそれがどのくらいの才能なのかは分からない。


「しかしそこまであやふやだと決められない。俺だってもしベストセラー作家になれるなら長生きしたいからな」

「仕方ないのう……そうじゃ、それなら今のおぬしの力を見せてやろう」


 そう言って神は再び手の平を差しだす。そこには先ほどと同じぐらいの大きさの光の球が浮かび上がる。


「要するにおぬしの場合、一年払うごとに才能が倍になるということじゃのう」

「そうか」


 それならあまり払いすぎても損ではないか、と俺はつい思ってしまう。確かに一年払って才能が倍になるのは嬉しいが、例えば五十倍と五十一倍ぐらいだったら大した差はない。だったらせいぜい十年か二十年ぐらいでいいだろうか。


 とはいえ、ありえないとは思うが仮に才能が『なりたい』におけるポイントと比例関係にあった場合、俺は今100ポイントもいってない以上数百倍ぐらいしないと劇的な効果はない。


「それで俺の人生はあと何年あるんだ?」

「二十二年じゃ」

「……は?」


 一瞬何かの間違えかと思った。二十二年と言えば、四十を超えたところではないか。才能もない上に寿命までないと分かったら俺は一体何をよすがに生きていけばいいというのか。


 いや、この話が出る前なら俺は苦しむ余生が思いのほか短いだけだ、と思ったかもしれない。何せ俺は人生に大した希望を見出していないのだから。


 しかし寿命を才能に変換できると分かった以上、途端に少なすぎると思ってしまった。自分でも自分の現金さが嫌になってくる。


 俺の才能を倍にすると果たしてどのくらいの小説が書けるようになるのだろうか。これは神も分からないと言っていた。ではもし才能に交換しなければ俺はどんな人生を送るのだろうか。


「分かった、それなら最後に一つだけ教えてくれ。もし俺が寿命を売らなかったら大学卒業後はどうなるんだ?」


 答えられることなのか、そもそも神とはいえ未来のことまで承知しているのか疑問ではあったが、神はあっさり答えてくれた。


「注文が多いやつじゃのう……わらわの演算によるとまず商業作家になるのは無理じゃろうな。そしておぬしが就職してうまくやっていける可能性も低いじゃろう。その二つよりはまだ恋人が出来る可能性の方が高いじゃろうな」


 神は恐ろしいことを平然と言ってのけた。まあ神からすれば一人間の将来などどうでもいいのだろう。


 それを聞いた俺は最初落ち込んだが、すぐに心が澄み渡っていくのを感じた。俺に恋人が出来るなどありえないだろう。そう考えると、俺の残りの人生に希望などない。


 いい機会ではないか。むしろ神がこうして現れなければ俺は卒業後に何の価値もない人生を二十年ほど送って死んでいくだけだったのだ。そう考えれば、こうして人生を変換出来る機会が訪れたのはむしろありがたかった。俺はそんな気持ちになった。


 他の人が今の俺を見れば「落ち込み過ぎておかしくなっている」と思うのかもしれない。だがそれは落ち込んでいない人の理屈だろう。


 だから俺は意を決した。


「それなら大学卒業までは生きたい。そしたら支払うのはちょうど二十年だろう」


 これで面倒な就職活動もしなくてすむ。大学も卒業できなくても問題なくなったので創作活動に集中できるということだ。


 せいぜいこの残った二年と得られた才能で傑作をいくつか書いてそれで世を去るとするか。まあ本当に傑作を書けるなら大学卒業後もその収入で生きていけるのかもしれないが、下手に欲をかいて寿命を残せば才能が足りなくなるかもしれない。

 寿命を売った挙句大した小説も書けず、大学卒業後に微妙に働いてうまくいかずに死ぬのはごめんだった。


「なるほど、了解したぞ。今一度確認するが、おぬしは大学卒業後の約二十年を全ておぬしの小説の才能に変換する。それでよろしいな?」

「ああ」


 これで俺の寿命は失われるのか。

 もはや迷いはなかったが、それでも事の重大さに夢の中にも関わらず身震いしてしまう。


「ならば受け取るが良い」


 そう言って神がこちらに手を向ける。

 すると神の手から大きな光の球が現れて俺の体に吸い込まれるように入っていく。その感覚は言葉にしづらいが、一番近いのは寒い日に温かい飲み物を飲んだ時のあの染み渡るような感覚だろうか。


 逆に、俺の体から光の粒のようなものが溢れ出していくのが見え、俺は体から何かが失われていくような感覚も覚えた。ただ、こちらは下品ではあるが便秘の後にようやくお腹の中のものが出たようなすっきりした感覚でもあった。


 ろくでもない寿命だからなくなってすっきりしたということだろうか、とつい勘ぐってしまう。これが寿命が吸い取られていく感覚だろうか。そして体から出た光の粒はまっすぐに神の手に吸い込まれていく。


 やがて光の球と粒の移動が終わり、俺は出たり入ったりが終わったような感触になる。移動が終わってしまえばいつも通りで、別に体調が悪化したとか心が高揚しているとかそういう気配もなかった。


「これで終わりか」


 まだ俺には何の実感もなく、呆気ないという感想だけが残った。


「そうじゃ。せいぜいおぬしの傑作を待っておるぞ」

「神の癖に一人の人間の創作物をそこまで楽しみにするとはな」

「神というのはな、物質的なものはいくらでも作ることが出来るが、フィクションを作る能力においては人間と変わらぬのじゃ」

「そうか」


 そういう考え方もあるのか。それに何でも作り出せる能力があったら確かに小説を書くことはないだろうな、と思いつつ俺は覚醒に向かっていくのを感じた。

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