神
その夜は近所のコンビニで買ってきた焼き鳥と缶ビールで一人やけ酒して寝た。コンビニのホットフードは食べている間だけは幸福をもたらしてくれるし、酒を飲めば頭が鈍ってひとまず現実を忘れられる。昼頃に起きたせいでなかなか寝付けなかったが、もはや何もする気が起きず、ひたすら酒を飲んでいたらそのうち頭が痛くなって気を失っていた。眠ったというよりは酔いつぶれたというのが正確かもしれない。
「小説を書く能力が欲しいか」
不意に頭の中で声がした。その時俺は今自分が見ている光景が夢であるということをはっきりと自覚していた。
俺の目の前には巫女服を元にしたような衣装をまとった知らない幼女がいた。一言でいうならアニメやマンガに出てくるデフォルメされた神のような恰好だろうか。
夢の中であるせいか、映像の解像度が低くはっきりとは見えないが、うっすらと輝くオーラのようなものを纏っている。また、足元を見ると足は地面についておらず、ふわふわと漂っていた。もっとも俺たちがいる夢の中の空間自体が宇宙のような真っ暗い謎の空間で地面なんてなかったが。それでいて顔はまだあどけなさを残した十歳ぐらいの幼女なのだからアンバランス感が半端ない。
ちなみに俺は普段どれだけ変なことが起こっても夢を夢だと認識出来ないタイプの人間である。酒で無理やり眠ったせいか頭が痛いが、夢を見ているということをはっきり認識出来て少しテンションが上がっている。
「誰だお前は」
「わらわは神じゃ」
自称神は頭に響き渡るようなおごそかな声で言った。いや、頭に響くのは単に俺が酔っているからか?
「は?」
何言ってるんだこいつ、というのが最初の俺の感想だった。
が、正直神の知り合いはいないし、信仰もしていないし、別に神社に多額の寄付をしたとかそういう心当たりもない。もしかしたらクリスマスに一切浮かれたことをしなかったのが日本の神様の高評価に繋がったのだろうか。
ただ、言われてみれば何となくではあるが目の前の存在が神であるような気もしてきた。理屈ではなく、直感的なものである。神社やお墓に行くと気が引き締まるのと似たようなものかもしれない。
「正確に言えば神というよりは神の一部じゃな。わらわは神の中でも人間を司っている部分が分離し、自我を持った存在じゃ」
「はあ」
夢の中の世界観に興味はないので俺はつい生返事になってしまう。すると神はぎろりとこちらを睨んだ。ただし顔はなぜか幼女なので怖くない。
まあいい、どうせ夢だしこいつの戯言にも付き合ってやるとするか。
「それで神様が俺に何の用だ?」
やさぐれていたこともあり、どうしても突っかかるような聞き方にはなってしまう。
「これでもわらわはおぬしの小説が気に入っていてな」
「俺の小説の一体どれが気に入っているって言うんだ?」
俺は急にこいつが疑わしくなってくる。こいつは俺が自分を肯定するために創り出した幻の存在なんじゃないか、と思えてくる。今は夢を見ている以上そう考えるのが一番納得いく解釈だろう。神の姿も最近マンガに出て来たものに似ているし。
どうでもいいが、神の姿が幼女なのは俺の潜在的なロリコンとしての意識のせいなのだろうか。だとしたら思いのほか俺の闇は深い。
とはいえ、一方では例え俺のイマジナリーフレンドであったとしても俺の小説を褒めてくれるというなら構わない、という気持ちもあった。清川や三方に認められたとしても俺はまだ自分の小説を認めてくれる人を欲していたのかもしれない。
「わらわが好きなのは『落ちこぼれ勇者とクズパーティー』じゃな」
「ああ、そんなのもあったな」
あれは確か俺が大学入学してすぐに書いたものだったと思う。
内容はほぼタイトル通りで、落ちこぼれ勇者がクズな賢者・神官・盗賊・剣士とパーティーを組んで旅に出るという内容である。俺は勇者がクズパーティーとの交流を通じて成長していくというオーソドックスな話を書いたつもりだったが、中盤で盗賊がガチな裏切りをして不評だった。
幸か不幸か元から大して人気がなかったために二、三件非難の感想が来ただけで終わったが。一番腹が立ったのは、『クズキャラが織りなすギャグを書きたかったというのは分かりますが、ここまでクズだと笑えません。せめて善意でやったことが裏目に出たとか、本当は裏切ってないけど誤解でそう見えたなどにしてはいかがでしょうか』というものだった。
別に俺はギャグを書きたかった訳ではないんだが。分かってないのに分かった振りをするな。あとその方がいいと思うのはお前の好みだろ。
ちなみに主人公はその後盗賊と正面から向き合って和解するというストーリーだったが、裏切った段階で読者は減っていた。そのことを思い出すとそれだけで少し苛々する。
「どうせギャグがおもしろかったとかそういうんだろ?」
俺が棘のある言い方をすると、神様は首をかしげる。
「ん、あれはギャグだったのか? わらわはそんなに笑えなかったが」
お前はお前で腹が立つことを平然と言ってきやがって。
別にギャグのつもりで書いた訳ではないが、そういう言い方をされると腹立たしい。とはいえ、神様にそんなことを言うだけ無意味なので話を先に進める。
「違うが……まあいい、それで何がおもしろかったんだ?」
「登場人物じゃよ。わらわは人間を作るとき、色々間違えてクズみたいな人類ばかり作ってしまったんじゃ」
確かに政治家や大企業はしょっちゅう不祥事を起こすし、ニュースを見れば頭がおかしいとしか思えない行動をしている人間は世の中に結構いる。そういうのは神様視点で見てもやはりクズなのか。
「納得しているがおぬしもクズのうちの一人じゃからな?」
「いちいちうるせえな」
こいつは俺を馬鹿にしにきたのではないか、と思ってしまう。
「ただおぬしの小説を見ているとクズみたいな奴ばかりでも人類はまあまあ楽しく生きてるんじゃないかと思えてきてな、救われるのじゃ」
「救われるな。もっといい感じに作り直してくれ」
が、俺の言葉に神様は分かりやすくそっぽを向く。えらく人間臭い仕草だ。
とはいえ、楽しそうというのは登場人物が生き生きしていることの表れだと思えば悪くない評価ではある。どれだけあの盗賊が感想欄で叩かれていようと、それぞれ愛着があるキャラではあるのだから。
「おいおい、おぬしは『お前の小説の登場人物はクズだから書き直してくれ』と読者に言われたら書き直すのか?」
「確かに、書き直さないな」
それとこれとは違うような気もするが、何となく丸め込まれてしまい、的を射た反論を思いつかなかった。
「ちなみに登場人物がやたら美化された小説を読むと、『わらわはいい人類を作った』という満足感に浸ることが出来る」
「浸るな。大体その楽しみ方おかしいだろ、何でそんなメタな楽しみ方してるんだよ」
「ん、別に小説を読んでどう楽しもうが読者の勝手じゃろう?」
「急にまともなこと言いやがって」
それはそうだけど、こんな楽しみ方をしているやつに言われると腹が立つ。
そこで俺はそもそもの話を思い出した。確か小説を書く能力がどうとか言っていたはずだ。
「それでお前、何しに来たんだよ。まさか一読者として応援に来てくれた訳じゃないよな?」
「何じゃ、せっかく応援に来たというのにつれないのう。それなら本題に入ろうか。一応わらわもおぬしのファンなのじゃが、これでも神じゃからな、おぬしにだけ奇跡を起こすようなえこひいきは出来ぬ。おぬしも自作の登場人物で、主人公にだけ神待遇をするなんてことはせぬじゃろう?」
世の中にそういう小説は溢れてるけどな、と思うが確かに俺はしないので反論できない。
「そこでもし望むというならおぬしにとっての大切なものと引き換えにおぬしに小説の才能をやろう」
「……は?」
俺はこいつの言葉に耳を疑った。てっきりそういうことを言ってくる奴はバトルマンガの世界にしかいないものかと思っていたが、まさかこの現代日本にもいたとは。
やはり他人に評価される小説が書けない俺が自分を救済するために生み出した都合のいい幻想ではないだろうか。
「は、ではない。言葉通りじゃ。悪い話ではあるまい。おぬしは小説を書くことよりも重要なことなどないのじゃろう?」
「それはそうかもしれないが……そんなこと急に言われて信じられると思うか?」
「信じるかどうかはおぬしの勝手じゃ。とはいえおぬしの大事なものはもはや寿命ぐらいしかないじゃろうな。さすがにおぬしの願いのために家族や知り合いの命を取る訳にも行かぬ」
言われてみれば小説や知り合いを除けばもはや寿命ぐらいしかないのかもしれない。
寿命を捧げて小説を書く能力を得る。それだけ聞くと悪い冗談のようだった。そんな訳の分からないことがあってたまるか。意味不明だし、まるで現実感が湧かない。
その一方で俺は確かに現実感は湧かないがこの提案がもし本当なら受けてもいいな、と思う自分がいることに気づいた。確かにこの提案は滅茶苦茶で意味不明だが、本当だとすれば悪いものではない。
正直これからずっと自分の無力さに敗北感を噛みしめ、自分が心の中で見下しているような小説が次々と書籍化されていくのを見ながら生きていくよりはいっそのこと寿命が短くなっても、少しの間を幸せに生きていきたい。
それにここまで色々やって何の成果もなかった創作作業を諦めて、その後俺はどんな気持ちで人生を送ればいいのか。諦めたらそこで試合は終わるのかもしれないが、人生はその後も続いていき、それこそ消化試合になってしまう。
誰でもそうではないか? マイナス1の人生を五十年間生きるよりはプラス10の人生を一年間生きる方がよほど幸せだろう。
「夢だからって適当なことを言って他人の心を惑わすんじゃねえよ」
俺はその提案が魅力的に思えたからこそ怒りが湧いて来る。どうでもいいことを言われたら一蹴するだけだが、心が揺さぶられてしまったからこそそれが出来もしない提案であることに俺は腹が立った。
が、俺の言葉に神はにやりと笑った。
「ということは適当なことでなければ受ける価値はあるということじゃな?」
「そうだ。もっとも、夢に出て来た胡散臭い奴にそんなこと出来るとは思えないがな」
俺の言葉に神はため息をついた。こうして見ると見た目は幼女でも確かに中身は年寄りくさいところがある。神をそういうくくりに入れていいのかは分からないが。
「仕方ないのう、本来は神の力をみだりに使うことは出来ぬのじゃが……とはいえわらわもパワーアップしたおぬしの小説が読みたいという思いはあるゆえ、わらわの力を見せてやるか。おぬし、最近よく食べるものはあるか?」
「牛丼とか」
牛丼屋はあまりお金がなくても肉が食べられるので俺は気に入っている。単に節約するだけなら家で白米かパスタでも食べているのがいいのだろうが、やはり時々肉が恋しくなる。肉を使う料理は下手に自炊すると外食より高くなるからな。
「そうか。ならおぬしは朝起きると牛丼が吐き気を催すぐらい嫌いになっているじゃろう。そしたらわらわの言うことも信じられるはずじゃ」
「おいふざけんな、お前のことは信じるからそれはやめてくれ……はっ」
そこで俺は体中に脂汗をかきながら布団から起き上がった。目を覚ますとあのふざけた神の姿はなく、目の前にはいつもの自分の部屋が広がっている。
何か恐ろしい悪夢を見た気がして、体中に寒気がした。
そこで俺は夢の内容を思い返す。もし本当に小説を書く才能が得られるというのならば……。
そこで俺は試しに牛丼屋のホームページにアクセスしてみる。そこにはいつも食べている牛丼のメニューがいくつも載っていたが、俺はそれを見ただけでなぜか吐き気がこみあげてきた。
「嘘だろ……」
嘘ではなかった。これまであれほどお世話になってきた牛丼を、今は目にするだけで気持ち悪くなってくる。俺は慌ててホームページを閉じた。
ということは俺はもしかしたら小説の才能を得られるかもしれないということである。