穴の空いたバケツ
翌日。昼前に目を覚ますと、清川から『それが朽木君の答えなんだ。でも「君推し」も時々でいいから更新してくれるとうれしい』とラインが来ていた。文面からは清川の感情までは読み取れないが、少なくとも喜んではくれていないだろう。それについては分かっていたことだし、仕方ない。
それでも俺の決断を尊重してくれているのは少し嬉しかった。神崎翔については遠慮なく持論を展開する清川も、知り合いである俺に自分の気持ちを押し付けることは出来ないらしい。そんな清川の気持ちに応えるためにも成功させなければ、と俺は決意を新たにする。
とりあえず十二時過ぎぐらいに三話を更新する。昨日の興奮も少し収まった俺は十一話以降の書き溜めの続きを書くことにした。
そして夕方に第四話を投稿する。PVは順調に増えていた。昨日の倍ぐらいにはなっているだろうし、ポイントも三桁に迫る勢いだ。
それを見てテンションが上がったので『君推し』も書こうと思った。今回はひたすら自分の殻にこもる主人公を心配した幼馴染が様子を見に来るが、主人公はそれを邪見に追い払うという話である。
今回の話は主人公にとってふゆりん以外のことはどうでもいいということを表現する話なので、特に主人公の心の歪みというものを丁寧に書かなければならない。また、幼馴染が心配する様子も詳細に書かなければそれを受け取れない主人公の異常さというものが際立たない。
こういう描写はそれまで俺が比較的得意とする描写だった。
しかし今日はうまく書けなかった。文章を書くことは出来るのだが、心が籠らない。なぜか形だけのものになってしまい、キーボードを叩く手が滑っていくような感覚を覚える。挙句、別にふゆりんを推しつつも幼馴染にも心を開いてもいいのではないか、という気分になってしまう。ふゆりんを推すという気持ちとは別に幼馴染と仲良くなっても別にいいのではないか、と。
こんなことは初めてだった。いつもはどこまでも沈んでいくような主人公の心を克明に書くことが出来るのに。
そこで俺はふと気づく。
「そうか、気分がいい時って暗い話は書けないんだな」
俺はその結論に辿り着いてむしろ安堵した。逆に今の俺は明るい話が書けるということだし、『なりたい』でもそうじゃなくても、基本的に主人公が成功を重ねたり、ちやほやされたりするような話の方が人気は出る。小説において主人公の努力は報われた方がいいし、恋愛はハッピーエンドの方がいい。だからそういう話が書けるようになるなら俺はそれで良かった。
清川には悪いが、俺はこれからランキング作家になる。そのせいで作風が変わるというのであればそれは仕方のないことだ。
大体暗い話なんて書いても喜ぶのは清川のような変なやつだけだ。いっそ『君推し』もここからハーレム展開にしてやろうかとすら思った。急にふゆりんが主人公の気持ちに気づいて主人公に接近するとか、幼馴染の心配がいつの間にか恋心に変わることは絶対起こらないとは言い切れない。というか小説的に考えるとその方が自然とすら言える。
が、そこまで考えてさすがにやめた。そういう謎の改変をするぐらいなら別でハーレム作品を書いた方がいいだろう。いくら何でもここから『君推し』を改変するのは過去の自分への冒涜だ。それだったら更新せずにひっそりと寝かせておく方がまだましだろう。そしたらまたいつの日か続きを書く時がくるかもしれない。
仕方がないので俺は『狙撃手』のさらに続きを書くことにする。気分が乗っているせいかこちらはぽんぽんと書くことが出来た。ついでにそろそろ十話以降の展開についても三方にアドバイスをもらおう、とメッセージを送って俺は寝た。
翌日の昼頃に第五話を更新した俺はふと引っかかるものを感じた。三方がくれた資料によると人気作品は連載開始二日目か三日目ぐらいにPVがバーンと跳ね上がり、そこでポイントも増えてランキングに食い込むという法則があるらしい。
しかし『狙撃手』は順調にPVもポイントも増えているものの、伸び方は少しずつ緩やかになってきているし、一日のうちに日間ランキングに入るほどのポイントが集まっている訳でもない。最近はランキングもインフレしているせいか、百位以内にすら入らない。
これまで自分が書いていたものとは比較にならない人気を得ているのは確かだが、だからといって全体的に見れば大した人気作品ではないのではないか。
「これはもしや思っていたのと違うのでは?」
俺は疑念を抱いたが、単にPVが跳ね上がるタイミングが少し遅いだけなのかもしれない。二日目か三日目とは書いてあるが、別に四日目以降にそれが起こる可能性もある。そして今日の夕方に投稿する話は追放物において受けがいいとされる、主人公を追放したパーティーが後悔する話となる。
ここで一気にポイントを稼いでランキングに載れば、そのまま波に乗れるかもしれない、俺はそう思い込もうとした。しかし同時に心のどこかでは現実が見えたのかもしれない。
単に流行作品を形だけまねただけの俺の作品に読者の心を掴むものなどなく、このまま微妙なところに落ち着くのではないかと。
そのせいか、昨日は捗った続きの執筆が全然捗らなかった。内心の動揺が無意識のうちに表にも出てしまっていたのかもしれない。仕方がないので俺は昼食を食べると、動画を見ながらソシャゲをして夕方まで時間を潰した。
そして十八時を回ったところで第六話を投稿する。これでいける。今度こそ伸びる。俺は祈りを込めながら投稿ボタンを押す。その祈りはまるでこれまで新人賞の一次選考発表を見る前のようでもあった。
そして夕飯を食べた後、PVとポイントを確認した。確かに今までよりは増えていたが、それでもランキングに載るほどではなかった。投稿直後の一番PVが増えるタイミングでこれならここから爆発することはないのだろうか。だが、まだ分からない。もはや何が分からないのかすら分からなくなってきていたが、俺はひたすらまだ希望があると思い込もうとしていた。
その夜は結局、そんな雑念にまみれて何も手に着かず、動画を見ながらPVとポイントをしょっちゅうリロードしつつ、だらだらと過ごしてしまった。夜もそれが気になってあまり眠れなかった。
翌日、いつも通りに昼頃に七話を投稿する。しかしやはりPVの増え方は昨日と同じぐらいだった。PVが伸びるポイントだった六話で波に乗り切れなかった俺は、後は今後PVが爆発的に増えることはないだろう。
そして、『狙撃手』のPVが増えたからといって『君推し』のPVが増えるということも特になかった。
すでにポイントは俺の作品の中で唯一の三桁に達しているが、所詮は三桁である。三方は似たようなものを書いて俺の百倍は稼いでいる。
その現実を見て俺は認めざるを得なかった。俺にはそもそもおもしろい作品を書くセンスなどない。それでもその感覚が世間とずれているだけで、文章力のようなものが劣っている訳ではない、と思い込もうとしてきたが内容をがちがちに決めて、詳細な資料まで作ってもらったものを書いて、それでもだめだった以上俺には本当に何もないのだろう。センスも、才能も、技術も、何もない。
大体、今自分が書いている話とランキング上位の作品を見比べても何が違うのかよく分からない。その時点で、もう全てがだめなのだろう。
もちろん『小説家になりたい』で受けなかったからといって全てが無だということにはならない。ウェブで評価されなくても書籍として評価されるという作品はおそらくある。しかし俺はすでに複数のラノベ新人賞で一次落選を繰り返しており、ネットに限らず小説を書く能力が皆無なのだろう。
こんなことなら別に何か趣味を見つけておけば良かったのに、と俺は思う。これでも高校時代からずっと小説を書き続けて来た。何なら中学時代も応募には至らないものの小説自体は書いていた。大学受験の時ですら合間を縫ってほぼ毎日三十分以上は書いていたと思う。だから書いて来た作品の数も多い。
新人賞でデビューした作家の後書きを見るとたまに「二回も落ちてしまいましたが三回目で何とか念願がかないました」みたいなことが書いてあるが、結局作家になれるぐらいの能力がある奴はそんなに何回も落ちないものである。「新人賞に十回一次で落ちましたがどうにか作家になれました」などという人物を俺は見たことがない。
結局、俺の努力というのは穴の空いたバケツに懸命に水を注ぎこむようなものに過ぎなかったのだ。結局手元に残ったのは穴の空いたバケツだけ。まあそんな穴の空いたバケツがいいと言ってくれる物好きもいるにはいるが。
「せめて他に何か趣味か夢があればな」
これまでの人生を思い返してみるが、惰性でアニメを見たりソシャゲをしたりといったことを除けば大した趣味もない。大学の勉強も進級出来る最低限しかやってこなかった。
今更他に何かやることがあるだろうか。小説を書くよりも楽しいと思えるようなことがあるのだろうか。
ないだろうな、と思う。もちろん世の中のことを全て網羅した訳ではないし、何ならほとんどのことは知識すら持っていなかったが、俺は何となくそう思った。もし人並みに色んなことを楽しめるなら、学校行事や修学旅行ももっと楽しいと思ったはずだ。大学も無為に三回生まで進級することはなかったはずだ。
結局、俺は傍から見ればどんなに意味のないことであったとしても穴の空いたバケツで水を汲み続けるのだ。
そんなことを考えているうちに夕方になったので、一応書いてあった次の話を投稿する。もはや昨日のPVを上回れるかどうかすら微妙だった。まあ、分かってはいたことだ。とりあえず書いた分だけは投稿するが、もう奇跡が起こることもないだろう。
「今なら『君推し』の続きが書ける気がするな」
そう思って何となく書いた続きの話は個人的になかなか納得する回になった。主人公を包む闇のようなものが俺の考えている通りに表現出来た気がする。
が、俺は全く嬉しくなかった。
当然、特に読者からの反応もなかった。