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世界一の極楽男  作者: 吉瀬丸三之丞
8/10

第15話 窮地・第16話 宇宙飛行士訓練センター

●15.窮地

 自明党の応接室に藤木は一人で来ていた。

「それで、八丈島の打ち上げ塔の復旧はどれくらいかかりそうだね」

恰幅の良い後藤田はソファに沈み込んでいた。

「まだ目途も立っていない状況でして…」

「あの場所は、政府も目を付けている場所でな。譲ってもらうわけには行かないだろうか」

「政府が買い上げてくれというのですか」

「政府が後押ししている宇宙港構想にぴったりの場所なので」

「いかほどで、ですか」

「そうですな、土地代を考えると1100万円程度でどうかな」

「1100万円ですか、安過ぎませんか」

「1200万円にしても良いのだが」

「将来的なことを考えると、土地代どうこうという問題ではなさそうな気がしますが」

「それでは、仕方ない新島なども検討しているので。この話はなかったことにしますか」

「いや、待ってください。所有権はそのままで、宇宙港の経営権譲渡で再建された打ち上げ塔は、我々が使用する度に使用料を払うのどうですか」

「それはいささか虫が良過ぎないかな。土地は所有しないと何かと不便だ」

「我々ルナ・ロジスティックス社は、バックにインドや中国系アメリカ企業が付いているので、打ち上げ塔の再建は容易いんです」

「でも、君は先ほど目途が立っていないと言ってなかったか」

「あ、あれですか。インドの出資者が単独で再建費用を出すとか言ったもので、内部的な合意の目途が立っていなかったんです」

藤木は、いつもの調子が戻ってきた。

「内部的なことだったのか」

「あそこは宇宙港にとってまたとない有望な土地ですけど、土地代は8000万円で手を打ちますよ」

「君、8000万円は高過ぎだぞ」

「それじゃ6000万円でどうです」

「いや5000万円だ。それ以上は無理だ。新島の方が良いからな」

「参りましたな。さすがに後藤田さんだ。駆け引きに長けていらっしゃる。良いでしょう。手を打ちます」

「そうか。それで経営権諸々も政府で良いんだな」

「もちろんです。但し打ち上げ塔を1年以内に再建してください」

「1年だと」

「後藤田さんの素晴らしいお力なら、カネはいくらかかってもやり遂げてくれそうですから。それに我々が今後ともお役に立てそうな気がしますし」

「そうか。力になってくれるのか」

後藤田は咳払いしながら、まんざらでもない顔をしていた。


 ルナ・ロジスティクス社に戻った藤木。会議室には、田中、由美、由美が連れてきた弁護士がいた。

「藤木、それで5000万円をせしめて、塔の再建を1年以内にしたのか」

田中は驚いていた。由美と弁護士は、なんのことかわからないといった顔をしていた。

「後は後藤田さんと政府に任せておけば、我々のカネは使わなくて済む」

藤木は高笑いしていた。

「なんか、良い取引をしたみたいね」

由美が口をはさんできた。

「あぁ、悪い。こっちのビジネスの話をしてしまった。今日は週刊誌の名誉棄損の件だよな」

藤木は、弁護士が持ってきた資料を手にした。

「あなた、元妻として言うけど、後藤田さんほどの人を動かしたのなら、それなりの謝礼はしなきゃダメよ。政治家はそういう世界の人だから」

由美がいうと、同席している弁護士も軽くうなずいていた。

「なんだ。謝礼って」

「時代劇風に言えばお菓子の下に忍ばせるあれよ」

「お菓子の下。賄賂か」

藤木が声を張り上げると、由美が静かにしろと口の前に人差し指を持ってきていた。

「御心付けってやつよ。これでちゃぶ台返しのようなことにはならないはず」

由美は5本の指を広げて言っていた。

「5万円か」

「相場的に見て500万円よ」

「由美は詳しいんだな」

「世渡り上手の勉強しているからね」

「でも、そんなものあげて、大丈夫なのか」

「もちろん秘書宛てにしてね。何かあったら責任を取らすために」

「思い当たる節があるな。まぁそれは良いとして。とにかくわかった」

「それでは、週刊誌の名誉棄損の件をお話しします。まず内部告発はでっち上げという立場で臨みます」

弁護士は話題を切り替えていた。


 ルナ・ロジスティックスの渋谷支社の会議室。藤木、田中、ミラー、岩田統括マネージャーは、大型モニターを見つめていた。モニターには、八丈島の再建された打ち上げ塔が映っていた。

 「…5・4・3・2・1、メインエンジンスタート」

オペレーターの声が聞こえていた。細身のロケットが火柱を噴射して上昇していった。どんどん青空に吸い込まれていくロケット。

「今度こそ、月を周回して戻ってくる無人探査船を成功させないとな」

田中は、祈るようにモニターを見つめていた。

「俺の気合で成功させてみせるぞ」

藤木はそう言いつつも、ロケットを追っている画像を心配そうに眺めていた。

「今回は大丈夫そうね」

ミラーのスマホが訳していた。

「第一段ロケット、切り離し完了です」

岩田は少し安堵した表情になっていた。


 藤木とミラーはハチ公像を見ていた。

「これが有名なハチ公ね。アメリカでもリメイク映画があったわ」

ミラーはハチ公像を触っていた。

「ミラーさん、それであっちに見えるのがスクランブル交差点だよ」

「あぁ、あれね。よく、皆ぶつからないで渡れるわね」

「渡ってみるか」

「日本に来たら体験しないとね」

ミラーはハチ公を後にした。藤木のスマホに着信が入った。

 「無人探査船は無事に軌道に乗ったそうだ」

「良かったわ。ちょっと足踏みしたけど、前進ね」

ミラーはスクランブル交差点の歩行者信号が青になるのを緊張した表情で待っていた。


 「渡ってみると、結構渡れるものね」

ミラーは嬉しそうにしていた。藤木たちははセンター街の方に歩いて行った。

「しかしこのスマホは、街の看板の文字が読み取れないのが難点ね」

ミラーはカタカナで書いてある看板を見ていた。藤木のスマホに着信があった。

藤木をスマホを耳に当てて歩いていた。

「あそこは何の店なの…」

ミラーは言いかけたが、藤木が電話中だったので黙った。

「悪い。元妻からの電話で、週刊誌の名誉棄損の件、勝訴となるようだ」

「そう。でも元妻に頼んでたの」

ミラーは素っ気なかった。

「元妻に紹介された敏腕の弁護士だよ。元妻が弁護士ではない」

「元妻ね」

ミラーはつまらなそうな顔をしていた。

「ミラーさんは、今回いつまで日本にいるの」

「あぁ、ミラーはありふれた苗字だからアメリアって呼んでも良いけど」

「ええっ、そうなの」

「アメリアさんは、いつまで」

「…明日だけど。今晩ディナーでもおごってくれるの」

「そうしたい所なんだが、ヴィジャイさんが夕方に到着するんで、打ち合わせとかがあるから」

「それは、そっちの方が大事ね」

「2週間後にまた来るんでしょう」

「そうよ。幕張にエアモビリティ5のショールームが完成するから。それじゃその時にね」

このところミラーはメガネをしていなかった。


 1年後、八丈島で建設中の仮称・東京宇宙港には2本の打ち上げ塔が建っていた。コントロール施設や格納庫は建設されているものの、貨客ターミナルビルなどは基礎だけしかなかった。

 藤木は格納庫を訪れ、そこに置かれている月往還船の区画パーツを見ていた。

「藤木さん、今ここにあるのがA区画で半年後打ち上げられるB区画と連結して月往還船にします。こちらは大気圏に突入したりしないので、再利用させます」

ルナ・ロジスティックス社から仮称・東京宇宙港に出向しているスタッフが説明していた。

「何回使えるのだ」

「何回と言うよりは、メンテナンスをして10年ぐらいは使えるはずです」

「メンテナンスが大事だな」

「C区画を連結させれば、プラス4トンの鉱石などが運べます」

「これに地上から往還機と月着陸船がドッキングするんだよな」

「はい。月着陸船の方は現在試作試験段階ですが」

出向スタッフが言っていると、藤木のスマホに着メロが鳴った。藤木はスマホを耳に当てた。

 「藤木、自明党の後藤田が収賄疑惑で週刊誌に取り上げられ、なおかつ野党が吠えまくっているぞ」

田中は切羽詰まった声で言っていた。

「収賄疑惑ということは、まだ疑惑なんだろう。捕まったわけじゃないよな。大物だから切り抜けられるだろう」

「そうかもしれないが、野党の連中は徹底的に追及すると息巻いている」

「俺の名前は、出てるのか」

「いやまだだが、時間の問題だろう」

「大事の前に面倒なことになったな。すぐに戻る」

藤木は月往還船のA区画を見ながらスマホを耳から離した。


 ルナ・ロジスティックス社のCEO席に座る藤木。

「やっぱり、由美は災いの元だったよ。敏腕弁護士の働きに目を奪われて、勘が鈍ったな」

「俺が言うのも、なんだが、あの女は信用ならない」

隣のデスクに座っている田中は、声を潜めていた。

「初めから俺をはめるために賄賂を薦めたのかな」

「いや、そんなことは考えずに言ったと思う。お前の立場を悪くしたら、せっかくのカネづるを逃すことにならからな」

「それは一理あるが、どっちにしても面倒なことになった。しかし待てよ。由美にあの敏腕弁護士にもうひと働きしてくれと頼んでみるか」

「おいおい。動いてくれるか」

「本当にヨリを戻す気があったらの話だが…」

「あてにはできんぞ」


 この日、藤木は国会の防衛予算委員会に証人として呼ばれていた。

「あなたは、後藤田元幹事長に打ち上げ塔再建のために賄賂を渡しましたね」

野党の女性議員が質問してきた

「どこから、そのような疑惑が出たのですか」

藤木が答えていた。前の日に後藤田の秘書から、のらりくらりとはぐらかしてくれと言われていた。

「質問をそらさずに、正直にお答えください」

「今時、賄賂などとは、どういう定義のものを指すんですか」

「あなたね。後藤田元幹事長の肩を持つのですか。IT長者か何か知りませんが、ロケット打ち上げ施設が欲しかったんでしょう」

「後藤田さんは、私からもらったと言っているんですか」

「言うわけないでしょう。それに、あなたは、月を私物化しようとしてたとも聞いていますが」

女性議員は、陰険な笑みを見せていた。

「正直に言わないと、痛くもない、いや痛い腹を探られますよ」

別の野党男性議員が口をはさんだ。

「あのさ、これって防衛予算委員会ですよね。こんなことで私に構っている暇があったら、防衛費をどうするか話し合ったらどうです」

藤木が言い出すと、与党議員は表情が緩んできた。

「ははぁ、あんたら国会議員がいなくても優秀な官僚が予算を決めてくれるのですか。それなら、あんたら国会議員はいらないってことじゃないですか」

藤木が国会議員というと、与党議員も野党議員もしかめっ面になっていた。

「藤木さん、あなたは、何と言うことを言うんですか」

女性議員は、びっくりした顔になっていた。

「国民の税金をムダに貪り食ってる国会なんて意味がない。政権の座に就くことが大事で、国防なんてどうでもいいんでしょう」

「神聖な国会を冒涜するのですか。ここで追及することに意味があるのです」

「意味もへったくれもない。ここは防衛費を決めるところでしょう。この国会中継を見ている国民も違和感を感じているはずです」

「あなたは、国会議員ではないズブの素人ですよ。ここでそんなことを言う資格はありません」

女性議員はヒステリックになっていた。

「それなら、こんな茶番はやめてしまった方が良いと思いますが」

藤木は、興奮し出した野党議員を尻目に淡々と言っていた。

「そうだ、藤木氏の言う通りだ」

与党議員が怒鳴っていた。

「与党が言わせているんだろう」

野党議員が与党議員に飛びかかっていた。テレビ中継カメラが、ひっくり返っていた。国会が騒然として、ヤジや怒号が飛び交い、証人招致どころではなくなった。


 連日藤木はワイドショー叩かれていた。徐々に後藤田の収賄疑惑の方は、就職サイト会社に関わる別ルートの解明に移っていった。それでもルナ・ロジスティックス社の前では週末になると市民団体と称する集団が、デモをしていた。月の私物化、収賄疑惑、国会冒涜のプラカードが必ず掲げられていた。

 この週末、藤木は窓から下を見ていた。

「いつまで、デモをやるつもりだろうな」

藤木は、苦々しそうにしていた。

「藤木が、何らかの謝罪をするまでか。じゃなきゃ後藤田が収賄を認めるかじゃないか」

田中も窓の下を見ていた。ちょうどその時、藤木のデスクの固定電話が鳴った。

「あ、由美か。弁護士の茂木さんの方はどうなった」

藤木は待ちかねたように言っていた。

「私、あなたを見損なったわ。茂木さんも、もう弁護の限界が来ているから、手を引くことになったの」

「掌返しということだよな」

「これであなたは社会的地位も、カネもなくなるでしょうね」

「カネがなきゃ、用済みと言うことか。全くわかりやすい」

「…もう連絡してこないで。それじゃ」

由美はガチャンと電話を切った。藤木も受話器を叩きつけるように置いた。

 「あの女は、本当に性根が腐っている」

「だろう。もう何と言ってきても関わるな」

「あいつのことは捨て置いて、しかしだ。ルナ・ロジスティックス社の株価はがた落ちだ」

「洪さんみたいに拠点をアメリカに移すか」

「それも良いが、何らかのけじめを付けないと、沢尻にも影響が出てしまうだろう」

藤木は腕を組んでいた。


 沢尻コミュ研が買収して傘下にしたホテルで記者会見が開かれていた。会見席の真ん中に座る藤木、その両脇には田中と岩田が座っていた。

「私は、今回の不祥事の責任を取って、ルナ・ロジスティックス社CEOの座を退く所存です。いろいろとご迷惑、ご心配をおかけしてすみませんでした」

藤木が立ち上がって言うと、田中と岩田も立ち上がり、3人は深々と頭を下げた。20秒ぐらい頭を下げると着席した。

「私の後任には沢尻コミュ研代表の沢尻氏がルナ・ロジスティックス社CEOも兼任いたします」

藤木は、3人とは別の席に座っている沢尻を手で指し示していた。沢尻はうやうやしく会釈していた。

「院政を引くのですか」

記者から質問が飛び出す。

「彼の方が経営手腕は上なので、そのようなことはできません」

「退任によって、後藤田元幹事長の収賄の件は、うやむやにするのですか」

記者の一人が叫んだ。

「いえいえ、必要とあれば、再度証人招致に応じるつもりです」

藤木が言うと記者たちはざわめいていた。

「後藤田元幹事長は、秘書が勝手にやったことで、幕引きにしたいようですが」

少し間をおいてから別の記者。

「政治のことはよくわかりませんが、後藤田さんがおっしゃるなら、その通りだと思います」

「贈賄を認めるのですね」

「どこまでが贈賄の範疇になるかは、わからないので、コメントは差し控えます」

「月の私物化はするのですか」

別の女性記者がスマホで写真を撮ってから質問していた。

「まず無理でしょう」

「ロケットの打ち上げは続けるのですか」

別の外国メディアの記者。胸のポケットのスマホが訳していた。

「私は退任しているので、コメントのしようがありません」

藤木は外国人記者の胸ポケットにあるスマホを満足そうに見ていた。


 ルナ・ロジスティックス社でデスクの荷物をまとめていた藤木。

「田中、沢尻がヘマをしないように見ていてくれよ」

「わかったけど、なんか藤木がいないルナ・ロジスティックスはしっくりこないな」

田中が言っていると、受付の女性社員が小走りに近寄ってきた。

「あちらの女性がどうしても田中さんに会いたいって言ってますが」

女性社員は、彼女の後から部屋に入ってきた女性を指さしていた。

「あ、若渓さん、どうしたんです。台北じゃなかったんですか」

田中は声がひっくり返っていた。

「とにかく、匿ってもらえませんか」

若渓の胸ポケットにあるスマホが訳していた。

「日本にいる中国政府のエージェントに狙われているんです」

若渓は息が荒かった。

「王さん、久しぶりです。田中とは連絡を取っていたようですが」

藤木が声を掛けると軽く会釈していた。

「藤木、屋上のエアモビリティ4は使えるよな」

「もちろん、ローンを組んで買ったからな」

藤木のデスクのインターホンが鳴った。

「田中さん、もしくはCE…藤木さんに面会したいと言う中国の方がお見えですが」

別の受付女性が言っていた。

「外出中だと、言ってくれ」

「はい」

少し間をおいてまたインターホンが鳴った。

「帰社するまで、待たせてもらうと言ってます」

「仕方ない待たせておけ、それで帰社時間は3時間後とでも言っておいてくれ」

藤木はインターホンを切るなり、立ち上がった。

「俺の荷物は、このままにしていくから、使いたいものがあったら、使ってくれ」

「藤木、運転してくれるのか」

「だって田中の運転じゃ、危ないだろう。それにあれは4人乗りだからな」

藤木たちは、屋上に向かった。


 エアモビリティ4が屋上から飛び立つと、下の通りに停まっていた車から人が降りて見上げていた。

「あれがエージェントか」

藤木はちらりと見てから、エアモビリティ4をさらに上昇させていた。

 「王さん、どこに向かいます」

「横浜の中華街にある我々の拠点に行ければと思いますが、ダメなら成田空港ですけど」

「横浜にうまい中華でも食いに行きますか」

藤木はエアモビリティ4を南に向けた。中野坂上の高層ビルの横を通過すると、ビルの屋上から中国製のエアビークルが浮上した。

「藤木、なんかヤバいのが飛び上がったぞ」

「らしいな」

藤木はバックミラーで確認していた。王は、心配そうな表情のまま黙っていた。

 「速度を上げるか」

藤木は前進速度を上げたが、それほど距離に差はなくなっていた。

「なんか、銃声が聞こえなかったか」

田中が言うと、エアモビリティ4のキャビンの外壁に弾丸が当たる金属音がしていた。

「ここは日本だぞ。発砲してくるとは」

藤木は、エアモビリティ4の向きを反転させ、中国製エアビークルの方に向けた。

「藤木、まさか正面衝突する気か」

助手席に座っている田中は目を丸くしていた。エアモビリティ4が突っ込んでいくと、中国製エアビークルは脇に避けた。

「王さん、中華街は無理そうですね」

「藤木さんたちに無理はさせられません。どこかも最寄りの駅で下してくれれば良いです」

「若渓さん、ポジティブな藤木ですから何とかしてみせますよ」

「ドーンと任せてください」

藤木は、さらに加速させて、高田馬場駅上空まで一気に突き進んだ。

 「藤木、やったな」

「それが、あいにく何とかならなかった。上を見ろよ。奴らがいる」

藤木はそういうと、エアモビリティ4の高度を下げながら、学習院大学の上空をかすめていく。もう少し進むと急激に高度を下げ、豊島区役所ビルの裏手の通りに滑り込むように着陸させた。慌てて降下してくる中国製エアビークル。藤木はエアモビリティ4を地下駐車場に入れる。空いている駐車スペースに停車させた。


 左右のファンを畳んで、周囲の様子を見ていた。何台かエアモビリティ4が停車しているので、見分け難かった。

「おい、来たぞ、身を伏せろ」

藤木が言うと、3人はフロントガラスから見えないように身を伏せた。中国製エアビークルは一旦停止したが、すぐに通り過ぎていった。

 中国製エアビークルがもう一階下の駐車場に降りて行くのを見届けると、エアモビリティ4は左右のファンを展開して、出入り口に向かった。

 エアモビリティ4は豊島区役所を出ると首都高5号線の下の空間を飛行した。高架橋脚の間をすり抜けていく。高架下の通りを通行する車の運転手が顔を上げて見ていた。

「上と下の両方に注意しなきゃならない。これは、絶妙な運転さばきが必要だぞ」

藤木は得意気に言っていた。

「藤木、無理するなよ。そこの橋脚もあ、いや、下のトラックの屋根に…」

「大丈夫だ。俺にはフォースがある。なんてな」

藤木が言うと、王がくすっと笑っていた。  

 江戸川橋からは切通になっている神田川に入った。飯田橋を過ぎ、聖橋の下を潜り抜けた。

「この先、どうする藤木」

「上空に上がると、すぐに見つかるよな。となるとここで下車してもらうか」

藤木は手早く、いろいろな操作をしていた。

 エアモビリティ4は万世橋とほぼ同じ高さでホバリングした。藤木も含めて3人は歩道に降りた。

「藤木、お前も降りて、大丈夫なのか」

「自動でルナ・ロジスティックス社の屋上に戻るように設定しておいたから」

藤木たちは秋葉原駅方面に歩き出した。上野で乗り換えてスカイライナーで成田空港に向かうことにした。


 成田空港の出発ロビーに3人はいた。

「ありがとうございます。本当に助かりました。バンクーバーまで来ていただいたら、お礼を差し上げて歓待いたしますわ。田中さん、また連絡しますから」

王は、軽く抱擁していた。

「差し出がましいようですが、私は会社をクビになりまして、いつでも海外に行ける身なんです」

藤木はおどけたように言っていた。

「あ、俺もあまり用事はないしな。沢尻なら立派にやって行けるから」

田中も慌てて言い出した。

「そうなの。私はこの搭乗手続きで行きますけど、それじゃ、次の次の便を予約して差し上げましょうか」

「そんなこと、していただかなくても」

田中は申し訳なさそうにしていた。

「いゃ、それではお言葉に甘えて、予約をお願いしますか」

藤木は平然としていた。


●16.宇宙飛行士訓練センター

 藤木たちはバンクーバーに着くと、中山公園近くにあるチャイナタウンの一角にある王の親戚がやっている中華料理店に行った。盛大にもてなされ、腹いっぱいになると予約が入れてあった大聖堂広場近くのホテルに向かった。翌日はバンクーバーの名所を案内してもらい観光をして、夕食はまた中華料理でもてなされた。

 バンクーバーに着いて3日目の朝、藤木たちはホテルの向かい側にあるカフェで朝食を食べていた。

「あの店が、王さんたちの活動拠点なのかな」

藤木は飲み過ぎたという顔をしていた。

「そんなことはないだろう。もっと他にあると思うが」

田中は、意外とスッキリとした顔をしていた。

「田中、でもこちらに来たから、今後、王さんと会いやすくなったんじゃないか」

「それは良いんだが、いつまでここに居られるかな」

「カナダで働くか」

藤木が言っているとスマホに着信があった。

「沢尻新CEOか」

田中が言うと、スマホの画面を見ている藤木はうなづいていた。

 「日本にも宇宙飛行士の訓練施設を作るから、インストラクターをスカウトしてくれってさ」

「宇宙訓練施設か。いよいよ宇宙に飛び出すことが現実味を帯びて来たな」

田中はマフィンを口にしていた。

「それで今度新しくできるルナのロス支社を拠点にして探してくれと言ってきている」

「ロス支社ができるのか。バンクーバーから遠くなるな」

「田中、とは言ってもアメリカ大陸の西海岸にいるんだから、日本にいるよりも近いじゃないか」

藤木は田中の肩を軽く叩いていた。

「ロス支社はいつできるのだ」

「もう、事務所はアメリアさんが見つけたらしいぞ」

「アメリアさんか、沢尻新CEOはすぐに手を打つな」

「ロスに行こうぜ」

藤木は、コーヒーをグイッと飲み込んでいた。


 ルナ・ロジスティックス社のロス支社はロサンゼルス北部のヴァンナイズにあった。地元のハンバーガー店近くの2階建ての建物を借りていた。

 藤木達が到着すると、アメリアは事務所の窓を掃除していた。藤木たちの姿を見ると翻訳アプリをオンにした。

「バンクーバーから意外に早かったわね」

アメリアは、藤木と田中に挨拶のハグをしていた。

「空港からここまで思ったよりも渋滞してなかったから、バスは順調だったよ」

藤木は目の前の通りを見ていた。

「ミラーさん、空き事務所すぐ見つかったようですね」

「田中さんもアメリアでいいわよ。あぁ、ここは事務所と言うより空き店舗ね」

「アメリア、ずいぶんと張り切っているじゃないか」

藤木も手伝おうと雑巾を探していた。

「ここは携帯電話ショップだった頃の張り紙の後がなかなか取れないのよ。雑巾はあそこにあるわ」

「わかった」

藤木が雑巾を手にすると田中も雑巾を手にしていた。

「それとインストラクターの件、ある程度リストアップしておいたけど、アメリカの宇宙ベンチャーが大方の優秀な人材をスカウトしているようだから、苦戦するかも」

アメリアは、雑巾を置いて、デスクのパソコンの電源を入れていた。

「だろうな。だから沢尻の奴、俺に頼み込んだんだと思う。とにかく何とかし見せるよ」

藤木は雑巾をきつく絞っていた。


 藤木たちはロサンゼルス近郊のサンタバーバラまで、ロス支社がシェアリング契約しているエアモビリティ4でやって来ていた。ゆるい傾斜の坂道を登る途中には何軒も広々とした家があった。

「藤木、あそこの植込みがいっぱいある所だろう」

田中はエアモビリティ4の助手席に座って下を見下ろしていた。

「なんか日本庭園っぽいな」

藤木は、ゆっくりとその家の門の前に着陸させた。

 藤木たちはエアモビリティ4から降りると、いかにも東洋趣味といった鐘のような呼び鈴を鳴らした。しばらくすると呼び鈴の隣にあった監視カメラが動いた。

「本日、主人のサム・ラッセルは出掛けております」

監視カメラの下にあるスピーカーから声がし、藤木のスマホが翻訳していた。

「奥さん、藤木と申しますが、ご主人はいつ頃お戻りですか」

「わかりません。メールか電話で予約をしてみてはどうですか」

ブチッと声が途切れた。

 「なんだよ。今日だってアポを取ったのにな」

田中は不機嫌そうにしていた。

「そういう人間なんだろう。でも諦めんぞ」

藤木は名刺を郵便受けに入れていた。


 数日後、藤木たちはテキサス州ヒューストンに来ていた。空港からバスで市内に入っていた。

「ここまで飛行機代をかけて来たんだから、今日は何らかの成果がないとな」

藤木は周囲を見ながら歩道を歩いていた。

「この住所だと、どうしてもあの病院になるが、間違いかな」

田中はタブレットの画面を見ていた。

 藤木たちは病院の前まで来た。

「精神科って、精神病院か」

藤木はスマホのカメラで看板を読み取っていた。

「引越したんだろう。中に入って聞いてみようぜ」

田中は、病院に向かって行った。

 「ジョン・アンダーソンさんなら療養中ですが、面会はできますよ」

受付の黒人女性は愛想よく言っていた。

「療養って入院しているのですか」

藤木は半分がっかりしていた。


 アンダーソンは、病院の中庭のベンチに座っていた。

「君たちは、僕の才能に惚れ込んで、宇宙訓練士にするつもり」

アンダーソンは、少し目がイッて入る感じだった。

「あなたの経歴だと、相応しいかも…。というかいつまで入院しているのですか」

「医者が、まともだと言うまでだけど、もうとっくにまともだけど」

アンダーソンはそういうと、舌を出していた。藤木と田中は顔を見合わせていた。

「そのスマホ、面白いね。地獄へ落ちろベイビー、って言っても訳しているのかい」

「アンダーソンさん、あんたはイカレてるぜって言っても訳しますよ」

藤木は面白半分になっていた。

「僕のこと頭がおかしいって言う人がいるけど、宇宙に出たら、それはもう、よりクレイジーでクールだぜ。四角形の丸み!日本って中国の横にあるんでしょう。行ってみたいな。腹切り、芸者が見られるし」

「あの、アンダーソンさん、アンダースタンドさんにならないと、ピロピロってなっちゃいますよ」

藤木は、舌をペロぺロ出すとアンダーソンは大喜びしていた。

「藤木、図に乗るのはよせよ。帰ろうぜ」

「アンダースタンドさんになる頃に、また会いましょう」

藤木は舌をペロぺロ出して、その場を立ち去って行った。


 この日、藤木は一人だ再度サンタバーバラのラッセル邸を訪ねていた。

「奥さん、今日はちゃんと予約を取ってきたので、ご在宅でしょう」

「私はメイドです。よくわりません」

「でも、その声は、」

「あなたの翻訳機が壊れているのです」

「とにかくお引き取りください」

「本当にいないのですか」

「あのー警察を呼びますけど」

「私は何もやましい所はありませんけど」

藤木が言っていると、巡回中の警察のドローンが頭上でホバリングしていた。

「また、来ます」

藤木は名刺を郵便受けに入れていた。


 ロス支社の会議室。丸テーブルと大型モニターが置かれていた。

「もう、出向いていくの無駄だな。今の世の中、ネットを活用しよう」

藤木は、ネット面接の準備をしていた。

「藤木、つながったぞ。面接を開始してくれ」


 大型モニターには、黒人の大男が映っていた。

「私はジョンソン宇宙センターとパサデナで宇宙飛行士訓練センターのチーフ・インストラクターや統括マネージャーをやっていました。出身はマサチューセッツ工科大学です」

「待ってました。あなたのような方をスカウトして、日本で訓練センターを開設したいのですが」

「契約金200万ドル、年収20万ドルでお引き受けできると思います」

「200万ドルで20万ドルですか。これは参りましたな。その4分の1が予算なんですよ」

「それでは100万ドルで10万ドルでどうですか」

「そうですか。私はぺぇべぇの平社員面接官なんで、上と相談してからまた連絡します。それじゃ」

藤木は、そそくさとネット回線をオフにした。

 「藤木、得意の交渉で、契約金は下げられそうだったじゃないか」

「いや、あれはダメだ。イニシアチブを取ろうと言うのがありありだ。雇い入れると、後々厄介なことになる」

「でもアメリカじゃ、報酬は交渉するのが当たり前だろう」

「そうかもしれないが、もっと若くて、こちらの言うことを聞いてくれる人間でないとな」


 藤木たちはサンタバーバラのラッセル邸の上空でエアモビリティ4をホバリングさせていた。

「今日という今日は、強硬突破して、話しをしよう」

「藤木、なんでお前はこのラッセルをそんなに口説き落としたいんだ」

「ラッセルは、一度信頼関係を築いたら、絶対に違えないというような面構えなんだ」

「そうなのか。写真の写り方によるんじゃないかな」

「それに今日は3回目だ。三顧の礼ということもある」

「ここはアメリカだぞ、三国志でもあるまいし」

田中が言っていると、庭で手を振っている男がいた。着陸しろとゼスチャーをしていた。


 エアモビリティ4は日本庭園のような庭の池の脇に着陸していた。棚に載せられた盆栽も大きいものから小さいものまで、いろいろとあった。

 「今までは失礼した。三顧の礼と言うこともあり、今日はこうしてお話をしようかと思います」

ラッセルは、物静かに言っていた。

「ラッセルさん、三顧の礼をご存知でしたか。私もね、そんな気がしていたんですよ」

藤木は高らかに笑っていた。

「私は日本や中国の精神性に人生の目標を見出しています」

「それは大したものです。尊敬します。それで…詳細は名刺やメールに書いた通りでして、日本で訓練センターのチーフ・インストラクターとして迎え入れたいのです」

「私はお金では動きません」

「と言いますと」

「ジョンソン宇宙センターや宇宙ベンチャーの訓練士を辞めたのも、盆栽のためなのです」

「盆栽ですか」

「高そうなものが、結構ありますね」

田中が口を挟むとラッセルはつまらなそうな顔をしていた。

「値段じゃありません。その造作造形に価値があるのです」

ラッセルは、ひと際大きい盆栽を眺めていた。

「田中、訓練センターはどこに作る予定だった」

藤木はスマホが声を拾わないように小声で言っていた。

「確か、つくば市とか言っていたが。まだ決まってはいないらしい」

「そうか」

藤木はニンマリとし、ラッセルに向き直った。

「ラッセルさん、訓練センターはどこに作ると思います」

「日本だと鹿児島県あたりでしょうか」

「いやいや、盆栽の聖地、さいたま市の大宮ですよ」

「何と、大宮ですか」

「それに宇宙港が都内の島に出来ているんです」

「そうなんですか。大宮と聞かされると心が動きます」

ラッセルの顔は途端に明るくなっていた。

「よろしければ、訓練センター近くに住まいを用意しましょうか」

「ここにある盆栽を持って行けるのですか」

「もちろんと言いたいところですが、この広さの庭は無理です。しかし半分以上は持っていけると思います」

「住まいまで用意してくれるなら、タダでも行きます」

「タダというわけには行きませんから、余裕を持って生活できる給料はお支払いします」


 一年後、さいたま市の大宮盆栽美術館から歩いて7~8分の所に地上4階地下3階建ての宇宙飛行士訓練センターが完成した。 

 サム・ラッセルの家も訓練センターの近くに用意されていた。

「ラッセルさん、この盆栽はどこに置きますか」

藤木は引越しを手伝っていた。

「あぁ、これは日当たりはそれ程よくない方が良いから、あの松の木の影にある棚に置いてください」

ラッセルはねじり鉢巻きをしていた。

「ラッセルさん、この鉢はどこに置きます」

田中も額に汗して手伝っていた。

「そうですね。それは右の棚、いや左の方が良いでしょう」

「ラッセルさん、少し休みましょう」

藤木がラッセルの元に近寄り行った。

「藤木さんたちは、休んでください。私はもう少しやります」

「それじゃ、遠慮なく休ませてもらいます」

藤木は、田中にも休むように手招きしていた。


 藤木たちは、ロスから送られてきた庭石の上に座っていた。

「契約金や年俸は抑えたかもしれないが、家にカネがかかっていないか」

田中は、ペットボトルのお茶を飲んでいた。

「それでも、ラッセルの経歴や実績を見れば、安く雇い入れられた思う」

藤木が応えていると、スマホの着メロが鳴り電話に出た。

 藤木は真剣な顔をしてスマホを耳に当てていた。

「そうか、大手のみすみ銀行が潰れたか」

藤木は残念そうに口を開いた。

「藤木先輩、どうしますか。資金調達に支障が出ます。それに預金をどこまで保証してくれるのか見えてきませ

ん」

沢尻の声は珍しく震えていた。

「沢尻コミュ研もルナも、他の銀行とも取引しているから、なんとかなるだろうが、この先、厳しいかもな」

「月に行く計画もかなり遅れそうです。何とか切り抜ける良い知恵はないでしょうか」

「沢尻、心配するな。俺にどーんと任せておけ。あの、みすみ銀行が潰れる世の中だ。時代の変わり目だからな、俺の奇策が活きるぞ」

藤木は笑っていた。


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