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世界一の極楽男  作者: 吉瀬丸三之丞
7/10

第13話 落とし穴・第14話 ルナ・ロジスティックス社

●13.落とし穴

 沢尻コミュ研に新しくできた会議室には、大型のスクリーンや小型モニターがあり、ネット会議ができるようになっていた。

「投資額の3兆円が全部揃ってから計画を進めるのではなく、各社100億円程度出資して計画の母体となる会社をまず設立したいと思うんだが、どうだ」

藤木はカメラに向かって言っていた。大型スクリーンにはミラーが映っていた。

「それは良いと思うけど、どうして急に」

「実は、インドのヴィジャイさんを説得する際に、月の資源のみならず、月と地球の物流会社を作るということも言ってしまったもので」

「余計なことを言ってしまったの」

「ノリで言った面もあるが、我々が月の資源を採掘しに行く宇宙船は、何回も使って人やモノを運べばカネになるだろう」

「それもそうね。私は採掘した後のことを考えていなかったわ」

「藤木先輩の手腕には驚きました。沢尻コミュ研も会社設立に同意しています」

同席している沢尻も口添えしていた。

「洪総帥には私から言っておくわ」

「もちろん、俺の方からも洪さんには直接説明するつもりだけど」

「ヴィジャイさんは会社設立にはどうなの」

「具体的に話を進めていることは、結構なことだと言っていたよ」

「ちょっと待って、あぁ、総帥、渋滞は抜けられましたか」

スクリーンの向こうでは洪の姿が見えていた。

「あ、悪い悪い。道路が混んでいてな。エアビークルの会社の人間が地上車の渋滞に巻き込まれるとはな」

「時間をズラしても良かったのですが」

「君たちの都合もあるだろう。それで、今、ミラーから聞いたが、会社設立の件は承諾した。取りあえず進めてみようじゃないか」

「ありがとうございます。よーし、これから忙しくなるぞ」

藤木は、喋る機会がなく同席していた田中の肩を軽く叩いていた。


 翌日の会議室。

 「新しい会社の名前は『ルナ・ロジスティックス』だ。ヴィジャイさんがインドの姓名判断で縁起が良いと言っていたから間違いないだろう」

藤木は、真新しい社名プレートを見せていた。

「これの社長は藤木先輩ですか」

「言い出しっぺなんだから、お前しかいないだろう」

田中は藤木の方を見ていた。

「そうか。沢尻コミュ研に船頭が二人いたら山を登ってしまうからな。俺は出ていくよ」

「藤木、今度こそ本当にCEOが名乗れるんじゃないか」

「社長じゃなくてCEOにしよう。田中も付いてきてくれ、お前はCBOとかCなんとかにするか」

「CBOなんてあるのか」

「田中さん、CBOは、Chief Branding Officerの略でブランド責任者です」

沢尻が真面目に答えていた。

「あるのか。でもなんか変な気がするが」

田中は驚いていた。

「田中、堅いこと言うな」

藤木は高笑いしていた。


 藤木たちは渋谷・宮益坂の中程にあるビルに入った。エレベーターで8Fで降りる。目の前に廊下があり、その向こう側のガラスドアには『アストロランナー社』の文字があった。

「藤木、意外と小さいな。民間のロケット会社って、こんなものなのかな」

「でもワンフロア全部みたいだぞ」

藤木が言っていると、廊下の突き当りのトイレから女性が出てきた。

「腰のくびれが凄くセクシーじゃないか」

田中は、見とれていた。

「おっ、そそるものがあるが…、いかん、今日は仕事だからな」

藤木もつられそうになるが、かろうじて、しゃっきとした。

 30才前後の女性は、藤木たちの方に近づいてきた。

「当社に御用の方ですか」

女性は、ニッコリと微笑みながら言う。

「本日、午後2時に御社の社長と会う約束をしていたルナ・ロジスティックスの藤木ですが、お取次ぎをお願いします」

藤木が目にしている受付コーナーの時計は2時10分前を指していた。

「藤木様ですね。受付コーナーから見て一番奥の応接ブースでお待ちください」

女性が藤木に言っている後ろで田中はぼーっとしていた。


 応接ブースは広く、特別の訪問者用のようだった。先ほどと別の40代後半の女性が、お茶をテーブルに置いていた。数分後、応接ブースに現われたのは、30才前後のセクシーな女性であった。

「あの、社長はお忙しいようですね」

田中は、軽く声をかけていた。

「ハァハァ、私が社長の岩田薫です」

女性が言うと、藤木たちはソファを座り直して目を丸くしていた。

「女性だとは思ってましたが、こんなにお若いのに社長ですか。これは驚きました」

藤木は名刺を出そうとしていた。

「これでも、ロケット工学を学んでいる大学院生の息子がいるですけど」

「ええっ、」

藤木は名刺を滑り落としてしまった。藤木は別の新しい名刺を岩田社長に渡し名刺交換をしていた。田中も一応

名刺交換をしていた。

「先ほどお茶をお出ししたのが私の妹です」

「へぇー、岩田社長はいわゆる美魔女というところですか」

藤木は屈託のない笑顔を見せていた。

「そう、おっしゃる方もいます」

「いきなり度肝を抜かれましたよ。それで、うちは月と地球の物流を考えている企業でして、単刀直入に言いますと、どうしてもお宅のロケット技術が欲しいのです」

藤木は本題を切り出した。

「連絡をいただいた時、私どもはこのお話しに度肝を抜かれました」

「そうですか。我々はまだ曖昧な月の資源を所有したり、月との輸送を一手に引き受けて、莫大な稼ぎを出そうと考えています。資金が潤沢なのであなた方の望むロケット開発ができるはずです」

「私どもは有人宇宙船を飛ばすのが最終目的だったのですが、いかんせん資金がなくて、」

「なるほど。我々もいろいろとパートナーになれそうな企業を探したのですが、やはり御社がピッタリです」

「ありがとうございます。私どものロケット技術は今の所規模こそ小さいものの、信頼性は確かなものです」

「一応、買収という形を取らさせていただきますが、ロケット技術に関しては口出しはしません。ただ無事に月と往復できる乗り物が欲しいのだけですから」

「なんか運命的な出会いのようですね。アストロランナーとルナ・ロジスティックスは」

岩田は、ドッキっとする言い回しをしていた。

「あ、それと私どもは八丈島に打ち上げ施設があります。ホームページはまだ更新していなかったのですが」

「八丈島ですか。いろいろと便利な気がします。あぁホームページを更新する際は社長の顔写真や全身写真を載せた方が良いんじゃないですか」

「あら、嬉しいことをおっしゃるのね。考えておきます」


 ルナ・ロジスティックス社は、沢尻コミュ研の2階下のフロアを借りていた。上から階段を駆け降りてくる音がしてルナ・ロジスティックス社のドアが開いた。

 がらーんとしているフロアには、藤木、田中、中年女性パート二人がいた。

「藤木先輩、英会話学校ユニオンとかいう奴らが、うちを独占禁止法の疑いで提訴すると言ってきました」

「何っ、英会話学校の労働組合がか。自動翻訳アプリのおかげで、商売あがったりということか」

「我々は、全うな商売をしていますし、ただ消費者から絶大な支持を受けニーズが多大なだけです」

「ひがみと妬みで、おこぼれを頂戴しようという魂胆だな」

「中国語会話学校やスペイン語会話学校には、そのような動きはないのですが」

「面倒くさい奴らには、カネをくれてやって、穏便に済ませられないか」

田中が横から口をはさむ。

「それはダメだ。ちょっとでもカネを払ったら、いろいろと難癖つけてくるぞ」

「裁判をするのか」

田中は渋い顔をしていた。

「たぶん、裁判をすれば勝てると思うが、弁護士次第の面もある」

藤木は、離婚の時のことを思い起こしていた。

「かなり敏腕の弁護士を立ててくるようなので、敗訴でカネを払わされることもあります」

沢尻は、心配そうな顔をしていた。

「よっしゃ、俺にドーンと任せておけ、奴らをギャフンと言うわせてやる」

藤木は席から立ち上がって言っていた。


 「スマホの容量が小さい方、通信速度が遅い方、スマホをお持ちでない方にピッタリなのが、こちらのポケット自動翻訳機アルファです」

通販コンテンツ司会の担当者が自動翻訳機を手にして言っていた。

「でもお高いんでしょう」

アシスタントの女性が言う。

「いえいえ、こちらは特別に開発された音声キャンセラーやワンセグなどが内蔵され、電子辞書も付いて49800円とお安くなっています。さらに今回、本日中にご購入のお客様に限り、39800円の特別価格です」

「ええっ、アプリだけでも29800円なのに…お得ですね」

アシスタントはわざとらしく驚いていた。

「お申し込みは、今すぐ、お電話かこちらにアクセス」

アシスタントが言うと、通販ショップのテーマ音楽が流れた。

「はい。OKです」

コンテンツの監督が言うとスタジオの照明が消えた。


 藤木たちはスタジオの隅に控えていた。

「藤木、沢尻コミュ研に通販スタジオがあって良かったな」

「あぁ、ここを使わしてもらえれば、どこかにスタジオを借りなくても思い通りの動画が撮れる」

藤木はスタジオのセットが、謝罪会見場に入れ替わるのを見ていた。


 藤木は台本を見ずに会見動画を撮影していたが、途中で言葉を噛んたり、口調が軽過ぎるということで、テイク3を向えていた。

「…この度、英会話学校ユニオン様から独占的で売れ過ぎとのお叱りをいただいたので、深く反省し沢尻コミュ研の自動翻訳アプリ並びにポケット自動翻訳機の日本国内での販売を全面的に中止いたします。お客様には、大変ご迷惑をおかけしますが、何卒ご了承いただきますようお願い申し上げます。英会話学校ユニオン様が、不当な提訴だとお認めになり、取り下げていただければ、今後の道筋が見出せるかもしれません。尚、海外ではこのようなご指摘は一切ないので、引き続き販売を続けたいと思います。お詫び方々ご報告申し上げる次第です」

藤木は真剣な面持ちで言い、最後にうつむいてカメラフレームから外れる。次にカメラフレームに戻ると目頭を押さえていた。

「はい。OKです」

コンテンツの監督が言うとスタジオの照明が落とされた。目薬を隠し持っていた藤木はステージから降りた。

 「これをさっそく動画サイトにアップしてくれ」

「わかりました。藤木先輩、これで英会話学校ユニオンに書き込みが殺到するでしょう」

「だいたい、妬んでカネを取るなんて、太ぇ野郎だ」

藤木は珍しく怒っていた。

「沢尻コミュ研のアプリ購入希望者は大勢いるから、ユニオンの奴らは悪者になるぞ」

田中はニヤニヤしていた。


 動画がアップされた日の夕方から、英会話学校ユニオンを誹謗中傷する書き込みが殺到し、ユニオンのサイトは炎上していた。中には放火するとか代表を殺すなどの過激なものまであった。望国民主党寄りのメディアは、否定的な見方をしていたが、それ以外は独占禁止法にあたらないとか、不当な提訴と言った論調が主流になっていった。3週間後、英会話学校ユニオンは、しぶしぶ提訴を取り下げた。

 「沢尻、俺に任せて正解だろう」

「先輩のおかげで、販売再開にこぎつけられました」

「あの動画の俺の肩書はなんだったっけ」

「先輩は会長兼最高顧問ということでしたが」

「君が最高経営責任者だから今日からそんな役職はなくそう。でも何かあったら最高顧問としてを呼んでくれ」

「わかりました」

「じゃ失礼するよ。ルナの方が忙しくなっているからな」

藤木は、沢尻コミュ研から足早に出て行った。


 藤木は月に向かう宇宙船の設計図を見ていた。

「おーい、弁当買ってきたぞ、明日は藤木の番だからな」

田中は弁当を藤木のデスクに置いた。

「わかってるよ」

「あ、それと藤木の別れたカミさんってこんな顔だっけ」

田中はスマホの映像を藤木に見せていた。

「おぉ、そうだよ。しかしこれどこで撮った」

「そこのコンビニにいたぞ」

「ええっ、そこにあいつが。俺がここにいると嗅ぎ付けてきたのか」

「動画の映像とかワイドショーで藤木のことが出ていたからな」

「由美のやつ、しぶとく慰謝料を請求するつもりだろう」

「そう言えば、踏み倒して中国に渡ったよな」

「うっかり外にも出られないな」

「でも今なら、払うカネぐらいありそうなものだが」

「額の問題じゃない。気持ち的に絶対に払いたくないんだ」

「その気持ちわかるけど…」

「大事の前に厄介だな」

「だふん昼時と夕方を狙っているんじゃないかな」

「当分の間、裏口から裏路地を抜けて行くか」

藤木が言っていると、いつの間にか沢尻が降りてきていた。

「先ほど先輩を訪ねてきた女性がいまして、なんかわけありげでした。またユニオンの連中ですかね」

「沢尻、こんな顔の女じゃなかったか」

藤木は、田中のスマホの画面を見せた。

「はい。そうです」

「俺の別れた妻だよ。慰謝料を取りに来ているんだ」

「一応、外出中と言っておきました」

「ルナの方はまだ知らないようだな。でも今度来たら、そうだな、アメリカに視察に行っていると言ってくれ」

「わかりました」


●14.ルナ・ロジスティックス社

 ルナ・ロジスティックス社の入っているビルの屋上には、H-REFINE社から借りたエアモビリティ4が置かれていた。

「由美もまさか屋上から外に出るとは、思わないだろう。田中、留守番を頼むな」

藤木はビルの下を覗いていた。

「藤木、操縦というか運転できるのか」

「レクチャーを受けたから大丈夫だ。それに自動モードがあるからな」

藤木は、エアモビリティ4に乗り込んだ。

 藤木の乗ったエアモビリティ4が屋上から飛び上がったみると、見える範囲の東京上空には10数台のエアビークルが飛んでいた。藤木は羽田空港に行先をセットした。地上を行く、どの乗り物よりも早く15分程で羽田の駐車場の屋上に着陸した。


 羽田から飛行機で八丈島に降り立った藤木。空港からは旧アストロランナー社員だったルナ・ロジスティックスの現地スタッフに案内され、ロケット発射場に向かった。

 ロケット発射場は八丈島周回道路から少し入った南部にあった。

「ここからは、15センチ大の小型衛星を打ち上げた実績があります」

現地スタッフの深谷は発射塔を指さしていた。

「そうですか」

藤木は八丈島の空に向かってそびえ立つ発射塔を見上げていた。

「もしここから月に向かう宇宙船を打ち上げるとしたらもう少し拡張する必要があります」

「…ここは東京から近いし、いずれは東京宇宙港にできそうじゃないですか。そのためにはもっと広げないと…」

多少埋め立てる必要がありそうだ」

「宇宙港ですか」

「だってそうだろう。月の資源を所有した後は、月と地球の物流を担うのだから」

「ちょっと壮大過ぎて、私には…」

「21世紀にもなってだいぶ経つのに、未だに宇宙港がないなんて、おかしいと思わないか。いや、頭がおかしいの俺の方か」

藤木は高笑いしていた。深谷は複雑な顔をしていたが、少しつられて笑っていた。

「それで藤木CEO、今日はロケットエンジンの燃焼実験を行う予定なので、次に試験場をお見せします」

「着々と準備が進んでますな」

藤木は伸びをしていた。


 この日、藤木はルナ・ロジスティックス本社にいた。

「この落合の方が本社というのも、釣り合いが取れないな」

CEOの席に座る藤木。

「旧アストロランナー社の渋谷支店の方が本社らしいよな」

隣のCBOの席に座る田中。

「でも、一つにまとめて立派な本社ビルを建てるよりも、月の資源の方が優先だよ」

藤木はデスクの月球儀を回していた。

「一見、我々の周りにはカネがあるみたいだけど、なんか自分のカネと言うよりは会社って感じたな」

「田中、しおらしいこと言っているが、ついに最新のスマホに買い替えたじゃないか」

「必要に迫られていたから」

田中が言っているとパートから社員になった中年女性が近寄ってきた。

「またあの女の人、来ましたけど」

中年女性社員は、呆れたような顔をしていた。

「出掛けているって言ってくれ。ルナの方を嗅ぎ付けてきて、これで何度目だ」

「18度か19度目かしら」

「しつこいな。わかった。今日はハッキリと言ってやるか。慰謝料は払えないと」


 ルナ・ロジスティックス本社の応接室。

「あなた、凄いじゃない。こんなにいろいろと会社を手掛けているの」

「俺一人で、やっているわけではないし、大変なんだ」

「もう、慰謝料のことは良いのよ」

「それは助かる」

「あれから、いろいろな人と出会ったけど、やっぱりあなたが一番だったわ」

「俺は、弁護士でも東大卒でもないぞ」

「とにかく、あなたと離婚した私の愚かさに、やっと気付いたのよ」

「気付いたって、しょうがないんじゃないか」

「できたら、ヨリを戻したいのよ。あなたと再出発したいのよ」

由美は真剣な眼差しで藤木を見つめていた。

「ヨリか。しかしな、俺にはアメリカ人の恋人と中国人の愛人がいるんだ」

藤木はスマホの画面にアメリア・ミラーと陳依依の写真を表示させた。

「へぇ、そうなの。でも結婚はしていないのね」

「あぁ、そうだが」

藤木は妻と愛人と言えば良かったかと感じていた。

「私は結構腕利きの弁護士を知っているから、今後会社が大きくなるにあたって、何かと役に立てると思うけど」

「弁護士と再婚はしなかったのか」

「あら、何か勘違いしているみたいだけど、そんな気はサラサラないのよ」

由美は大したことないといった雰囲気で言っていた。

「この後、ミーティングがあるから、この辺で終りにしたいんだが。とにかく慰謝料の件がクリアになって良かったよ」

藤木はソファから立ち上がった。

「私もそれが言いたくて、何度も足を運んだのよ。もう居留守は使わなく良いのよ。それじゃまた」

由美も立ち上がった。藤木はさっと身をひるがえし、応接室から出て行った。


  「あいつ、俺がカネづるになると思って、ヨリを戻そうってさ。ずうずうしい奴だ」

CEO席に戻った藤木。

「藤木、とにかく慰謝料は払わなくて済んで良かったな」

田中はなだめるように言っていた。

「そんな口約束、いつ反故にされるかあやしいもんだ」

「そう、いきり立つなよ。なんでもポジティブに捉えるんじゃなかったのか」

「ま、そうだが…。ところでアラビア語バージョンの翻訳アプリはできたのか」

「藤木、そっち沢尻に任せておけよ」

「あ、そうだったな。あいつのことだ上手くやっているだろう。八丈島の発射施設の第一次拡張工事は進んでいるのか」

「ほぼ順調だが、宇宙船のドッキングポートの件で四苦八苦しているようだぜ」

「まぁ何とかなるだろう。よーし、第二次拡張工事が終わったら、あそこから月に行けるはずだからな」

藤木の目は輝いていた。


 ルナ・ロジスティックス社が設立されて3年後。月到達プロジェクトの方は4割程度形が見えてきた。しかし既に投資されている額が1兆5000億円を越えていた。

 「おい、藤木、妙な書き込みがあるぞ」

「書き込みだと」

藤木は、田中のデスクのモニターを見た。

『「月を私物化するベンチャー起業家」「翻訳アプリで儲けたカネで月を奪い取るつもりか」「国際宇宙開発の妨げ」「藤木死ね」「IT長者のおごり」「トンデモな宇宙開発は止めろ」「アプリ不買運動をしよう」…』など

と書き込まれていた。

「なんだこれ。月の資源の開発と銘打っているが、所有に関してはまだ一般には言ってないだろう」

藤木は画面をじーっと見ていた。

 階段を駆け昇って来る音がして、沢尻が飛び込んできた。

「先輩。これ見ました」

沢尻は週刊誌を手にしていた。

『「欲望の男、失墜」「月を私物化する悪だくみを社員が内部告発」』と週刊誌の見出しにあった。

「誰だ。見せてくれ」

藤木は沢尻から手渡された週刊誌のページをめくっていた。

「旧アストロランナーの社員、F氏による内部告発とあるな。F氏とは八丈島にいた深谷か」

藤木はすぐにデスクにある固定電話で岩田薫ロケット統括マネージャーに電話した。


 「私も週刊誌を見て驚きました。まさかあの深谷君が告発するとは」

「どうして、そんなことを週刊誌に言おうとしたんですかね」

「全然、普通にしていましたから、わかりませんでした。それにここ2日は現場にもこちらにも出社していないのです」

「カネでつられたのですかね」

「お父様は市長をなさっているし、地元の名士でお金もありますから」

「どこの市長ですか」

「東高槻市だったと思います」

「東高槻市ですか」

藤木は田中に聞こえるように復唱していた。田中はキーボードを素早く叩く。

「藤木、深谷哲一だろ。望国民主党の推薦を受けて市長になっている」

デスクのパソコンで調べた田中が声を張り上げていた。

「岩田さん、私は何かと望国民主党といわく因縁がありまして、仕返しされた感があります」

「それで宇宙開発の方は大丈夫ですか」

「とにかく、何とかしますから、計画に支障はでません。大船に乗った気持ちでいてください」

藤木は受話器を置いた。

 「釈明動画でも作りますか」

そばにいた沢尻は心配そうにしていた。

「大事にする必要はないだろう。大したことではないということにして、ツイッターにコメントでも出すか」

藤木は、さほど気にしてない感じであった。


 『きわめて真面目な社員が間に受けて、告発のようなことをしていますが、月の権利書はジョークの範疇です。壮大な夢のようなことは言ったかも知れませんが実際は非現実的です。』

田中は藤木が書いたツイッターを読んでいた。

「藤木、こんな対応で大丈夫か」

「実際に月に行っているわけでもないし、言った言わないでは何の罪にも問えないだろう」

「それもそうだな」


 週刊誌の記事が出て2週間も経つと、IT長者の世迷言として世間の興味は薄れて行った。

「今日は、月を周回して戻ってくる無人探査機の打ち上げだな」

藤木はルナ・ロジスティックスの会議室にある大型モニターを見ていた。大型モニターには、八丈島の打ち上げ場の映像が中継されていた。

「よくここまで来たな。これが、いずれ有人になるのだよな」

田中も画面に釘付けになっていた。沢尻は、スワヒリ語バージョン・アプリのプログラミング監修に忙しく、沢尻コミュ研に詰めたままであった。

 「…5・4・3・2・1、メインエンジンスタート」

モニターからオペレーターの中継音声が聞えて来ていた。打ち上げ塔では細身のロケットが浮き上がり始めた。ロケットエンジンが打ち上げ塔の最上部に達した時、ロケットが少し傾き上昇速度が落ちた。その次の瞬間大爆発して、打ち上げ塔もろとも火だるまになり吹き飛んだ。

 藤木はあ然として、言葉もなく画面を見ていた。

「なんだよ」

田中が思わず叫んでいた。

「あぁ、1000億円がパーか。いや、もっとかもしれない。こりゃとんだ高価な花火だぜ」

藤木は無理して笑おうとしていたが、顔はこわばっていた。

 煙と炎が晴れると打ち上げ場は焦げた鉄くずなどが散乱する焼け野原になっていた。

「おいチーフ、犠牲者はいないよな」

藤木はスマホを耳に当てていた。

「はい。幸いなことに犠牲者は一人もいませんが、打ち上げ場が壊滅です」

現場のチーフスタッフは震えた声でが答えていた。

「復旧にはどれくらいかかりそうだ」

「全く見当もつきませんが、一年やそこらはかかりそうです」

「そうか」

藤木はがっくりと肩を落としていた。


 その夜、藤木の行きつけのバーに由美が来ていた。

「なんか、いろいろと大変そうね。力になれることってあるかしら」

「ロケット打ち上げ失敗じゃ、弁護士の出番はないだろう。今日はなんでここに」

「元妻として、気になったから」

「週刊誌の方は収まったと思ったら、このざまだ。全くツイてないな。さすがの俺も落ち込んだよ」

「アメリカ人の恋人には報告したの」

「もちろん、したけど、非常に残念がっていた」

「久々に飲み明かさない」

「…割り勘でな」

「むしろ私が払うわよ」

「いや、これはきっちりとしよう」

藤木は手にしていたグラスで由美と乾杯していた。


 数日後、暗い表情でルナ・ロジスティックスのCEO席に座る藤木。

「藤木、自明党の後藤田義文から来たメール見たか」

「えぇ、与党の大物の後藤田だろう」

「会いたいってさ」

「なんだろうな」

藤木は、デスクのPCでメールをチェックを始めた。

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