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世界一の極楽男  作者: 吉瀬丸三之丞
3/10

第5話 旅路・第6話 深圳

●5.旅路

 翌日、彼らは石家荘の市内に入った。道すがら、何人か当たり屋が立っていたが、カネになりそうもないバイクには避けていた。

 昼近くに朝食と昼飯を兼ねて、古びた店に立ち寄った。

「ここの麺は絶品だぞ」

洪は注文を済ますと嬉しそうに言っていた。

「何回か来たことあるのですか」

藤木は、昨晩コンビニで充電したスマホのアプリを起動させていた。

「ある。とにかく食べて見てくれ」

 数分後、麺がどっさりと入っている、どんぶりがテーブルの上に置かれた。洪に言われるままに食べる藤木達。

「これは、初めての食感だ」

田中が思わず口走った。

「何でできいるんですか」

藤木は、スマホの感度を良くするためテーブルの上に置いた。

「ジャガイモで作った麺だよ。こんなもの日本にはないだろう」

「確かに」

藤木は、あっという間に完食した。


 再びバイクに引かれたリヤカーの旅が始まった。途中、道路の舗装工事をしている箇所に出くわした。う回路に行くように指示する係員がいるが、具体的なことは言わずに、ただあっちに行けと言う感じであった。

 洪は少しう回路方向にバイクを進めた。洪はバイクを走らせたまま、後ろを振り向いて言って何か中国で言っていた。藤木は、慌てて翻訳アプリを起動させた。

「洪さん、もう一度言ってくれますか」

「藤木さん、地図が青い収納ケースの中にあるから、取り出してくれ」

洪はまた後ろを振り向いて言う。

 藤木は地図を手にして手渡そうとしたがリヤカーとバイクがちょっと離れているため渡せなかった。藤木が地図の裏表紙をふと見ると2002年発行とあった。

「古すぎないか」

田中が覗き込んでいた。

「一度停車して考えましょう」

藤木が言うと急ブレーキをかけて止まった。

「あのじいさんの運転、大丈夫かな」

田中がまたぼやく。

「このバイクにはカーナビがないから地図が頼りだ。見せてくれ」

洪は、藤木から古そうな地図を手渡されると広げた。

「カーナビならスマホにもありますから」

藤木は中国のカーナビサイトにアクセスしたが、当該地域は更新中と表示され、何も映らなかった。

「このあたりは解放軍の施設があるから、あまり詳しくは表示しないだろう」

洪は、当たり前といった顔をしていた。洪は再び地図を見た。

 「どうです。かなり道が変わっていると思いますが」

藤木は、胸のポケットにスマホを入れていた。

「なぁーに基本的には変わらないだろう。ここから二つ目の交差点を曲がれば、良いだけだ」

「洪さん、その手前にコンビニが見えて…そこも曲がれますけど」

「この地図にコンビニなどない。後から作った道だろう」

洪は気にしていない様子だった。藤木が道路の先を見通すと、実質三つ目の交差点の所に標識があり、薄っすらと『武漢』と簡体字で書かれていた。

「標識に従えば、何とかなりそうですよ」

藤木は、洪が曲がろうとしている交差点に問題はないと感じていた。

「標識よりわしの勘が正しいが、標識もそうなっているか」

洪は若干満足げであった。


 バイクは集合住宅や戸建てが立ち並ぶ道をしばらく走った。リヤカーに乗っている藤木と田中は、洪の背中を見ていた。

「あの、じいさんに道を任せて大丈夫か」

田中は藤木の胸ポケットのスマホのアプリ起動状態を確認しながら言っていた。

「俺らよりかは、土地勘があるだろう」

「しかしな」

バイクは急ブレーキがかけられ止まった。藤木はアプリを起動させた。

「洪さん、どうしました」

「どうやら、道に迷ったらしい。武漢の標識が見当たらなくなった」

「そんなこと言われても…だいたいここはどこなんですか」

「石家荘と武漢の間だろう」

「それはそうでしょうが、大まか過ぎます。私が地元の人に聞いてみます」

藤木は、リヤカーから飛び降りた。


 藤木は近くにいた、路肩でマージャンをやっている主婦たちに聞いた。主婦の一人が詳しく説明してくれたが、あまりに細かすぎて、良く分からなかった。

 次に犬を散歩させている中年男性にたずねた。すると南に向かっているのではなく、西に向かっていることがわかった。急ぎ戻った藤木は、洪に伝えて、修正する道を走らせた。しかし、泣き面に蜂のように、リヤカーがパンクしてしまい、修理に時間を費やしてしまった。その日は、あまり進めずに、街外れの公園で野宿した。

 翌朝は、朝から小雨が降り出し、洪はカッパを着て、藤木たちは家財道具にかけられたビニールシートの下に潜り込んでいた。天候は悪かったものの、順調に進むことができた。それでも武漢はまだ遠かった。


 この日、藤木たちは山中の道をひた走り、ようやくガソリンスタンドを見つけた。しかし安心したのもつかの間、スタンドは営業していなかった。看板は出ているものの、建物は廃墟同然であった。

 「藤木さん、ガソリンが空で、エンジンが掛からない」

洪は少し困り顔になっていた。周囲は山ばかりで、わずかに集落が見えるが、ガソリンは売っていそうになかった。ちょうどその時、対向車が来た。

「よし、ガソリンを分けてもらおう」

藤木が道路に立ち、その車を止めた。

 「どうしました」

車の窓から男が顔を出した。

「ガソリンがなくなってしまいまして。分けてもらえませんか」

藤木は翻訳アプリを介しているが、その男はまだ気が付いていなかった。

「あんた北京の人かい」

「いえ、日本人です」

「いや、だって北京語が流暢だろう」

男が言うので、藤木はスマホを見せた。

「こいつが訳してます」

「そうかい、それで、俺の声も…なるほど面白いな」

「それで、ガソリンなんですが」

「悪るいが、この車は電気自動車なんで、ガソリンは積んでない」

「そうですか」

藤木はその車を見回すとマフラーはどこにも見当たらなかった。

 電気自動車は、するすると走り出し、去って行った。洪と田中も一部始終は見ていた。

「どうする」

田中が口を開いた。

「気楽に考えようぜ。あそこまで上ったら、次は下り坂じゃないか」

「そうかな。藤木のポジティブさが功を奏するかだな」

「わしも、藤木さんに賭けよう。さぁ坂の上まで押してくれ」

洪は、バイクに跨ったままであった。

「あのぉ、洪さんもバイクから降りて一緒に押してくれませんか」

藤木が言うと洪はぶつぶつ言い出した。

「年寄りを働かすのか」

「洪さんは、年寄りと呼ぶには無理がある。若そうじゃないですか」

「そうか。そうでもないが」

「いやいや、ご謙遜を、若い娘にモテモテでしょう」

藤木が調子よくおだてると洪もまんざらでも顔をしていた。

 藤木たちは坂の上までバイクとリヤカーを押して行った。しかし、その先はちょっと下るだけで、また上り坂になっていた。

 「藤木、坂を上ったけど、これじゃな」

田中は残念そうな感をしてため息をついていた。

「いやー、お二方、ここで待っていてください。俺がひとっ走りして、この坂の先を見てきます」

藤木は、軽い足取りで走り出したが、途中でゆっくりになっていた。


 取り残された田中と洪。翻訳アプリがないので、黙って藤木の背中を追っているしかなかった。

坂の頂きに藤木が立つと、頭の上に大きな丸を作っていた。

「あいつ…、これが最後の上り坂か」

田中は日本語で言ったが、洪は中国語で何か言い、田中に握手していた。


 リヤカーを連結したバイクは、山中の下り坂を惰性で降りていく。

「洪さん、ブレーキのかけ過ぎには注意してください」

藤木は、洪のブレーキのかけ方が荒いので、ブレーキが利かなくなるのを危惧していた。

 しばらく坂を降りるとガソリンも販売している雑貨屋があった。藤木はバイクにガソリンを入れている時に、バイクのブレーキパッドを触ってみると、物凄い熱を持っていた。洪は、少し離れた所で素知らぬ顔で、買ったジンジャエールを飲んでいた。

「どうした」

田中も地元メーカーのジンジャエールの瓶を2つ持っていた。田中はその一つを藤木に渡す。

「冷や冷やものだったな。ここでガソリンを入れなかったら、ブレーキは利かなくなっていただろう」

「珍しいな、極楽男の藤木が心配するなんて」

「これはマジヤバかったぞ」

「それでこの先、大丈夫そうか」

「パッドはかなり減っているが、冷やせばなんとかなるだろう。それでも大きな町についたら、修理した方が良さそうだ」


 山道を抜けると洛陽に着いた。洛陽では、真っ先にバイクを修理したが、洪はカネを出したがらないので、藤木が出してやった。洛陽は古都なので白馬寺や白居易ゆかりの香山寺などの観光地があったが、その前を通過して、武漢に向かった。

 翌日の夜、藤木たちは武漢に入り、金色にライトアップされた黄鶴楼を見てから、長江大橋を渡った。武漢では、名もない小さな公園で野宿することになった。

 コンビニで買ってきた弁当を食べ終わると、洪は、公園の塀の方へ行った。

「じいさん、小便か」

田中が洪の姿を目で追っていた。

洪は、片方の鼻の穴を指で塞いで、鼻から勢いよく鼻汁を吹き飛ばし、公園の塀に付けていた。

「おい、なんだよ。あんな鼻のかみ方あるか。あのじいさん根っから貧乏人だろう」

田中は呆れように言っていた。

「そうかもしれない。中国人の習慣は知らないけど…。でもな手のツヤが良いんだよ。それに掌が厚い、小鼻も張っている、手相や顔相からすると金持ちの相なんだ」

「藤木、いつから鑑定士になった」

「それぐらいのことは知ってないと、人は見極められないぞ。なんてな。必ず当たるとは限らんがな」

「どうする。見捨てて行くか」

「それはできない、何らかの縁があるんだ。深センまで行こうぜ。それに深センには、王若渓のドローンメーカーがあるんだろう」

「んー、そうだな」


 藤木たちは、洪の行動に疑念を抱きつつも、深センに向かう旅を続けていた。この日、夕刻には長沙市に着き、いかにも中国的な建物の天心閣の前を走り抜けた。

「今日、野宿するのにちょうど良い公園はないかな」

藤木は一緒にリヤカーに乗っている田中に言っていた。

「野宿もだいぶ慣れたよな。ホテルというものがあるのを忘れるくらいだ」

「しかし、あのじいさんのリヤカーに乗ることで、かなり安く深センに行けるぞ」

「長沙から深センまであとどのくらいある」

「えぇ、待ってくれスマホで調べてみる…あぁまだ780キロもある」

「やれやれだな」

「そう、文句を垂れるな。この街は美人が多いじゃないか」

藤木は、リヤカーから歩道を歩いている女性に手を振っていた。

「バイクにリヤカーの俺らが珍しいから見てんだろう」

「確かに、ここも車ばかりだからな」


 洪がバイクを停車し、振り向きざまに何か中国語で言っていた。藤木は、アプリを起動させる。

「今日は橘子洲公園で野宿しよう」

洪は湘江の中州の方を指さしていた。

「藤木、あれ、なんだよ妙な男の巨大な顔がある」

「本当だ。中国の俳優か何か。洪さん、あの像はなんですか」

「若い頃の毛沢東だよ。生誕の地だからな」

「俺らが知っている顔と全然違うな」

藤木は、若い毛沢東をしげしげ見ていた。

 藤木たちは毛沢東が木々に隠れて見えない辺りで野宿した。地方都市にしては夜景が意外にきれいであった。

翌朝、公園の水道で体を洗っていると、警察官が来て、立ち去るように促してきた。浮浪者と勘違いされたらし

い。バイクとリヤカーも持っていかれそうになるが、急いで飛び乗り、長沙市を後にした。


●6.深セン

 藤木たちは、すっかり日に焼け、貧乏な中国人っぽくなっていた。

「しかし中国は広いな。バイクだと特にそれを実感するよ」

田中は、農村地帯が続く道路脇を眺めていた。

「でも、今日中には深センに着くと思うが」

「藤木の言う通りかもな、かなり先だが超高層ビル群がちらり見える」

田中が言うので、目を凝らして先を望む藤木。

「あれが90階前後のビルだとしたら、まだ結構あるな」

 しばらく進むとコンビニがあり、藤木たちは立ち寄った。

「深センに入って、すぐの所に親戚の家がある。着いたら酒盛りでもしよう」

洪はコンビニ買った日本メーカーのお茶を飲んでいた。

「そう言えばこの辺りは広東語なので、アプリが使い難かったですよ」

藤木の言葉は、胸のポケットから中国語になっていた。

「そうかもしれないが、深センは別だぞ。あそこは北京語だからな」

「そうなんですか。それは意外だ」

「さてと、もう一走りするか」

洪は、バイクに跨ろうとしていた。コンビニのトイレから慌てて出てくる田中。


 深センに入るとガラリと雰囲気が変わり、超高層ビルが立ち並び、車があふれかえっていた。みそぼらしいバ

イクとリヤカーは車線がいつくもある道路の端を走っていた。 

 「香港かと思ったが香港じゃないんだ」

田中は、上を向いたままであった。

「超高層ビルばかりと思ったが、戸建てもあるな」

藤木は、道路脇を見ていた。

「戸建てって言っても4階建てじゃないか」

田中は首をさすりながら言っていた。

「かなりの金持ちの家なんだろうな」

藤木は、近づいてい来る豪邸を見ていた。

 洪は、金持ちの家の門に向かう専用道路に曲がろうとしていた。

「洪さん、そっちに行ったらまずいでしょ」

藤木は大きい声で言うが、スマホの声はいつも通りのボリュームであった。

「なんでだ。ここはわしが親戚に住まわせている家だ」

「わしって洪さんの親戚の家ですか」

藤木は田中と顔を見合わせていた。

「わしが北京に行っている間は、親戚に任せている」

「ということは洪さんは、大金持ちなんですか」

藤木はリヤカーから落ちそうになっていた。

「わしの一族は洪グループとして、いろいろなことで稼ぎを得ている」

「それで洪さんは何をしているのですか」

「全体を見ているが、最近では中国の多目的ビットコインと呼ばれるユェンピャンの開発に携わっている」


 バイクは門の前で一時停止すると監視カメラが作動し、洪の顔を捉えると門が自動的に開いた。リヤカーを引いたバイクは敷地内に入って行った。


 藤木たちは豪勢な料理を振る舞われ、大広間でくつろいでいた。

「いゃー、君たちと一緒に旅ができて、本当に楽しかったぞ」

「洪さんは、どうしてまたバイクで旅などに出たのですか」

藤木は高そうなウィスキーを飲んでいた。藤木も田中も赤ら顔になっていた。

「新たなビジネスネタが転がってないものかと思ってな」

「それじゃ、北京の再開発で立ち退きというのは…」

藤木はスマホのことなど忘れて会話をしていた。

「立ち退きというか上海に自宅を移そうかと思って引き払ったたけだ」

「そうですか」

藤木が洪と話している間も、田中は嬉しそうに酒を飲み、給仕の女性に色目をつかっていた。

「ところで、そのアプリは非常に役立つ。中国法人の販売代理店として取り扱いたいのだが、藤木さんに言えばなんとかなるのかな」

「なりますよ。そろそろ商品化の目途が立っていると思うので、どーんと私に任せてください」

藤木はノリノリで言っていた。

「お前の後輩は、会社を立ち上げると言っていたが、その兼ね合いはどうなんだ」

田中は、小声で言っていた。スマホのアプリは田中の声は拾っていなかった。

「中国市場はデカいぞ。大儲けだ。あいつも喜ぶことだろう」

藤木も小声で答えていた。

「どうしました」

洪は二人の様子をちらりと見ていた。

「いや、大丈夫です。いささか急だったので驚いているところです」

「藤木さんは、ただ者ではないと第一印象でわかりましたよ」

「いやぁ、私も洪さんがただ者ではない感じてました。でなきゃ、ご一緒しませんよ」

藤木が言うと洪は大笑いしていた。

「とにかくアプリの件、承知いたしました。私はこのアプリの会社のCEOみたいなものですから」

「それは心強い。頼みましたよ」

「ところで、今まで中国各地でアプリを試したデータを日本に送りたいのですが、どこかできる所は知りませんか」

「政府の規制があるから海外とはつながり難くなっているからな。しかし、うちのグループ内のドローンメーカーのコンピューターからなら、普通に使えますよ」

洪はちょっと自慢気にしていた。


 藤木たちは、ドローンメーカーのコンピューターを使って、無事にデータを送ることができた。沢尻からのメールによると、商品化ができたので販売会社を立ち上げたとあった。洪グループとの販売代理店契約はそこが結ぶことになり、後日、担当者が中国に来ることになった。

 「これで俺らの懐には、莫大なカネが入るな」

藤木が喜んでいると田中は上の空になっていた。田中の視線の先には、王若渓の姿があった。

「このドローンメーカーが、あの娘の勤め先とはな」

藤木は一人つぶやいていた。田中はいつの間にか藤木のスマホを胸ポケットに入れて王と話し始めていた。


 藤木たちは、ドローンメーカーの王の案内で、格納庫のような所に連れていかれた。そこにはカバーがかけられたかなり大きめのドローンのようなものがあった。

 王がそのカバーを取ると、大きなファンが前後に2つと小さなファンが左右に2つの大型のドローンがあり、バイクのような座席が付いていた。

「どう、これが一昨日発売されたばかりのドローンバイクよ」

王の言葉を翻訳した日本語が田中の胸ポケットから聞こえていた。

 藤木は、ドローンバイクに見とれていた。

「これって、試乗できるの」

田中が聞いていた。

「もちろんよ。あの二人なら買うこと間違いなしと、総帥がおしゃってたみたいだから」

「総帥って、洪さんのこと」

「あなた方のお友達でしょう」

「どちらかというと、藤木の友達かな」

田中が言っていると、藤木がそばにやってきた。

「これ試乗できるか聞いてみてくれ」

藤木はドローンバイクに目が釘付けであった。

「もちろんだよ。ただし営業マンが同乗するけど」

田中は自分の成果のように言い放っていた。

「私が同乗しますから」

王はニコやかにしていた。

 

 田中と王がドローンバイクの試乗をしている間、藤木はショールームムニ置いてあるドローンバイクに跨ったりカタログを読んでいた。

「このバイク、日本円で680万は高くないかな」

たまたまそこにいた営業マンに日本語で言ってしまった。営業マンは、私はわからないという仕草をしていた。

藤木は胸のポケットを探り、田中に貸していることを思い起こしていた。

 しばらくすると、田中達が戻ってきた。

「藤木、こりゃいいぞ。ローンを組んでも絶対買うぞ。近々カネも入ることだし」

田中はヘルメットは外しながら言っていた。王はヘルメットをしたまま、脇に立っていた。

 藤木は田中からスマホを返してもらい、ヘルメットをかぶり、バイクに跨った。

すると後ろのシートら王が跨り、腕を回してきた」

藤木はなんとなく気分が良かったが、田中はつまらなそうな顔をしていた。

 「王さん、停止モードのスタンドはいつ上げるんですか」

「バイクが浮上したら自動的にスタンドは上がります」

スマホから聞こえる王の日本語訳はヘルメットをしているので、聞こえ難かった。

 藤木はスロットルレバーを回すとアイドリング状態にあったファンが一斉に蜂の羽音のようになった。バイクはふわりと前傾姿勢で浮き上がった。スロットルレバーをさらに回すとバイクは、前に進みながら、上空へと飛び立っていった。ドローメーカーの敷地はあっと今に後ろに行き、小さくなっていった。夕闇が迫り、深センの街の明かりが眼下に広がっていた。目の前の超高層ビルを避けると、前方に香港の夜景が見えた。バイクは海の方に向かって飛んで行く。王が後ろで何か言っているが、風切り音がし、スマホも王の声を拾っていなかった。

藤木は、大きく旋回させてバイクを飛ばした。目の前に広がる香港の景色に吸い寄せられそうな気になっていた。どこまでが深センでどこからが香港かわかり難かった。

 眼下の巡視艇が赤い回転灯を回していたが、藤木は気が付かなかった。王が腰のあたりをぎゅっとつかむので、その気があるのかと気になっていた。

 ちょっと浮ついた気持ちの藤木は、ふとバックミラーを見る。後方の上空に赤い回転灯を回している別のドローンバイクがいた。そのドローンバイクは中国語で盛んに何か言っていた。アプリはエンジン音とファンの音が混ざっているので、翻訳できなかった。しかし『公安警察』の文字がちらりとバイクの側面に記されていた。藤木は何もやましいことはしていないので、スロットルレバーを戻し、ホバリング状態にした。

 公安警察のバイクは、横に並んでホバリングした。

「密出国及び治安維持法に抵触している。直ちに連行する」 

公安警察官の中国語は、風切り音が止んでいるので、翻訳されていた。

「いやいや、密出国なんてそんなつもりはありません」

藤木は、丁寧に応対していた。

「話があるなら公安警察で聞こう」

公安警察官は、スマホなど気にせずに話していた。公安警察官は、自分のバイクからフックを取り出し、藤木たちのバイクに引っ掛けようとしていた。  

「今よ。行って」

王がさり気なく言う。藤木は、すかさずスロットルレバーを回す。公安警察官は、フックの引っ掛けに手間取っていたので、すぐには反応できなかった。

 藤木がバックミラーで確認すると、公安のバイクも動き出していた。王が中国語で何か言っているが、風切り音にかき消され翻訳できなかった。藤木は、右に旋回しいから、急降下し水面スレスレを飛行した。ヘッドライトを消して、見つけにくくしていたが、上空から追っていた。

 高度を下げていると、付近を航行している船の影に隠れられそうだった。藤木は、フェリー船の横をかすめてから、今来た方向に急旋回して、少し高度を上げて正面に見える船を避けようとした。避けた右側に別のコンテナー船の煙突が、迫っていた。藤木は慌てて、左に避けようとしたが、あまりに急だったので、バイクがロールしてしまい、斜めになったまま急行降下し海面に墜落した。

 夜の海に投げ出された藤木たち。藤木が海面に顔を出すと、5メートルぐらい先にバイクがあり、どんどん沈んでいった。周りを見渡しても王の頭が見えなかった。藤木は胸のポケットに手をやるが、スマホはどこかに飛んで行ったようだった。深センの岸壁までは泳げない距離ではないが、泳ぐ速度よりも早く巡視艇が近づき、投げられた網に藤木は捕まってしまった。  


 藤木は公安警察の留置所に入れられた。公安警察官たちが、中国でいろいろと言ってきたリ、怒鳴っていたが翻訳アプリがないため、全く意味が分からなかった。

 丸一日が経つと、片言の下手な日本語を話す取調官がいる部屋に行かされた。

「あなた日本人か。どうして、ボーダー越えた。反政府、仲間か」

「ボーダーを越えたかもしれないが、ただの不注意だよ。だいたい空や海に線が引いてないから」

「早い、喋るな。わからない」

取調官は、藤木が座っている椅子を蹴り、藤木は床に転がった。

「なんだか知らないが、私には権利があるんでしょう。弁護士とか…あぁそうそう領事館の人を呼んでもらいましょうか」

藤木は椅子に座り直し足を組んだ。

「遅く、喋れ」

「権利、弁護士、日本領事館、アンダースタンド」

藤木は、単語を並べていた。

「反政府、仲間か」

「ノーノー」

「逃げた。理由喋れ」

「逃げてない。ちょっと運転を楽しんだだけでして」

「ダメ、嘘」

取調官に腹を殴られそうになるが、藤木を避けた。藤木が避けたことに逆上し、さらに殴り掛かる。藤木は避けずに我慢したが、しっかりと当たっていたのでうめき声を上げた。

「あんたらの、こんなことして人権団体に訴えますよ。可視化しているんでしょう」

藤木は取調室を見回し監視カメラを探したが、どこにもなかった。

「カメラない」

取調官は笑っていた。この後も似たようなやり取りが、6時間ぐらい続いて、この日は一人部屋の留置室に戻された。


 捉われて3日後、藤木は面会が許された。面会室の狭い部屋には監視カメラが4つ設置され、強化プラスチックの透明ボードで仕切られ、マイクを通して会話ができた。

「藤木、大丈夫か。溺れたかと思ったら、こんなに所にぶち込まれているとはな」

田中の隣には、銀縁のメガネをかけた日本領事館の木島と名乗る男が座っていた。

「藤木さん、あなたは明日、北京に移送されるそうです」

木島はいかにもエリート然とした男であった。

「北京で解放されるんですか」

「いいえ、上級審になり刑が確定するはずです」

「なんか無茶苦茶ですな。いきなり上級審とは」

「あなたにはスパイ容疑も掛けられているので、早いところ刑を確定させたいのでしょう」

「スパイとはデッチ上げもいいろところです」

「しかし、王さんや洪グループとのつながりがあるので、疑われても仕方ないかと思います」

「そんなこと、ただの知り合い程度なのに。木島さん、何とかしてくださいよ。私は無実だ」

「いろいろと手は尽くしますが、北京に着いてからでないと無理でしょう」

木島は残念そうな顔をしていた。藤木は田中の方に向き直る。

「田中、王さんは溺れてなかったのか」

「わからないが、王さんも洪さんも行方不明と報道されている」

「そうなのか」

「それと話は変わるが俺の彼女は無事だぜ」

田中はそう言って、一瞬目配せをした。

「お前に彼女なんて居たっけ、ぁぁ居た居た日本にな」

藤木が言うと田中と木島はニッコリとした。

「北京に移送されたら、日本大使館の者が面会に行くと思います」

木島は平然と言っていた。


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